mがひたすらつながり続ける、「まちづクリエイティブ」の新しいロゴ。新たに取締役に就任したデザイナー・小田雄太さんのアイデアです
JR松戸駅西口の半径約500メートルエリアを対象に“もともと存在するまちの発展というより、むしろ新しいまち(クリエイティブな自治区)をつくってしまおう”と提案する斬新な発想で注目を集めた、千葉県松戸市のまちづくりプロジェクト「MAD City(以下、マッドシティ)」。
グリーンズでも2012年6月に紹介させていただき、2013年からは「マッドライフギャラリー」と題した連載もスタートしました。それらの記事だけを読んでいると、年を追うごとにマッドシティは盛り上がりをみせているように見えました。
しかし、マッドシティを始めた「株式会社まちづクリエイティブ」の代表、寺井元一さんに「マッドシティ、ずいぶん盛り上がっていますね」と言葉をかけると、思いがけない返事が返ってきました。
そう言ってもらえるのは、すごくありがたいです。でも実際は、試行錯誤して苦労もしました。発見はあったけれど、まだいろいろ溜め込んでいて。トライしたいことがいろいろありますね。
外からは、順調きわまりなく見えたマッドシティ。その内側で、一体何が起こっていたのでしょうか?
そこにあったのは、まちづくりを実践して初めての壁にぶつかり、悩み、考え続けた日々でした。この3年の出来事と想いの変遷、そして壁を乗り越えてきたからこそ生まれた、「まちづクリエイティブ」の新たなビジョンを伺います。
「株式会社まちづクリエイティブ」代表取締役の寺井元一さん
地域コミュニティの活性化
まずは前回の記事を振り返りましょう。当時、マッドシティは「タウンシェア宣言」をし、今に至るマッドシティの原型を形成し始めていた時期でした。当時の事業としては大きく3つ。不動産サービス、イベント事業、そしてその後のカギを握る“コミュニティデザイン事業”です。
コミュニティデザイン事業は、古くから松戸駅周辺にあるコミュニティ(地元住民)と新しいコミュニティ(マッドシティ)に跨がる形で、新旧住民の交流をサポートする、というものでした。
松戸駅西口駅前の商店街の一角にある、「まちづクリエイティブ」の事務所前で
2011年まで、僕らは過去に経験があった、商店街の活性化やアート・クリエイティブに関することだけを考えていました。でも、タウンシェア宣言をした2012年以降、地域コミュニティのど真ん中にある自治会・町内会、そこにいる地元住民のことを真剣に考え始めるんです。
寺井さんは、住民がまちを変えていくためには、ヨーロッパにEUが生まれたように、町内会を跨ぐ共通の運営組織が必要だと考えました。そこで、松戸駅周辺の11の町内会の会長と松戸市、「まちづクリエイティブ」とで、まちの問題を解決することを目的にした団体「松戸まちづくり会議」を発足したのです。
そして、「まちづクリエイティブ」が手がけていたアートプロジェクトの運営を松戸まちづくり会議に委譲し、「まちづクリエイティブ」は事務局として地域住民やアーティストとともに、さまざまな企画を実施することになりました。
地域コミュニティの世代交代と自立
好評を博しているアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」ロングステイ・アーティストのオープンスタジオ
ところが2年に渡る団体運営に携わる中で、早くも転機が訪れます。
じつは町内会は高齢化が進み、会長の平均年齢は70歳を越えています。80代に近い人もいるという中で、組織の必要性は感じるものの、体力的につらく、松戸の未来と言われてもそんなに先のことは考えられないという声が出始めたのです。
そこで、もっと若い人を育てていこうという話になり、各町内会長に推薦された若手代表が組織に参加することになりました。いきなりの指名でとまどいのある人も多い中、「フューチャーセッションズ」の野村さんを招いてフューチャーセッションを実施するなど、じっくり話をする期間を設けました。
そうこうしているうちに、地域活動の意思決定に若い世代がもっと関わるべきであるとか、地元住民が事務局を運営すべきではないか、といった声があがるようになります。
それなりの予算が動いてアートなどの活動が行われていたわけだけど、そもそもそれが何かがよくわからない。観光地でもない地元の住民として納得しづらい感覚があるのは当然です。若手ならなおさら、わからないまま関わるのは不安だし、地元での責任も重い。
その人たちがどんどん積極的に関わるようになったときに「本当にこれがやりたかったことなのか」とか、「最初から「まちづクリエイティブ」が事務局だったけれど、一度白紙にして自分たち(地元)が中心になって活動したい」みたいな話になってきたんです。
それは楽な話ではなくて、みんなが切羽詰まって揉み合うぐらいのやり取りがありました。でもそういう状況になったからこそ“地元の若手が動く”というぐらいの強い変化になったのかなと思います。
自分たちのまちは自分たちで運営しないといけない
2014年、松戸まちづくり会議は体制を更新して新年度を迎えることになります。と同時に、「まちづクリエイティブ」は事務局から外れ、サポーター的な立場になりました。
その後も、松戸まちづくり会議の活動は順調です。2013年から運営していたアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」は好評を博し、2014年度は応募倍率が約130倍! 松戸まちづくり会議のメンバーも、アーティストの選考委員に名を連ねています。
また、多くの町内会で途絶えていた盆踊りを、町内会合同ならできるのではないかと2014年から始まった「ラストサマー盆踊り」は、1日でなんと2500人の動員を記録し、2015年度は2日間の開催に拡大されました。
ラストサマー盆踊り。今年も盛り上がりました!
世代交代のきっかけになったこともあり、参加していたみなさんが積極的に関わって「自分たちのまちは自分たちで運営しないといけない」っていう結論を出したんです。やっぱり、地元の人たちが当事者になることは重要ですね。
ただ、その過程で僕らは、自分たちがやってきたことを自己否定しなければいけなかったり、自分たちにとっては手応えがあった活動を辞めるのが事務局の仕事になった瞬間もあって、複雑な心境でした。
ちょうどそのタイミングで、「まちづクリエイティブ」のスタッフも、独立したり、松戸まちづくり会議に移籍したりと、寺井さん以外が大きく入れ替わりました。「まちづクリエイティブ」自体も、大きな転換期にさしかかったのです。
コミュニティはデザインできない!
寺井さんは、タウンシェア宣言以降、コミュニティデザインの重要性を感じていました。しかし、実際にさまざまな現実に直面していくことで、その根本に不足があったのではないかと確信するようになります。
2年間どっぷりと地域コミュニティに向き合い、苦い経験もした結果、辿り着いた結論は衝撃的なものでした。なんと(本来の意味において)「コミュニティはデザインできない」というのです。
コミュニティの根幹は、良くも悪くも、大きな力に立ち向かうために、必然的にみんなが恊働しないといけないということ。大きな力とは歴史的なことで言うと、たとえば川の氾濫などの自然災害、共有の土地がよそ者に荒らされるのを防ぐ、などですね。
だからコミュニティは本来、そこに居る誰もが参画すべきなのが“当然”で、強制参加。入会も退会もありません。逆にそこに居ない人は、入れない。
今、まちづくりのような興味関心においては、コミュニティという言葉はポジティブな使われ方をしています。しかしコミュニティは本来、閉鎖性や排他性といったネガティブな要素も一体になったものです。それは、すさまじく圧倒的な力であり、デザインできるようなものではなかったんです。
コミュニティの支援として何らかのコンサルティングはできても、まちづくり会社がコミュニティをデザインするということは、言ってはいけないし、そもそもやれない、やるべきではない、と寺井さん。
こういう経験をしていなかったら、僕もいまだに「コミュニティをつくりたい!」って平然と言ってる気がします。それってその原型たる地域コミュニティのことを知らないから言えたんだと思うんです。
いろいろなコミュニティがあるけれど、それらには地域コミュニティに見られる良いところと悪いところが同じように抜き難く存在していることが常です。
そんなとき、僕らがデザインしていいものは何かっていう悩みの中で研究を始めて“アソシエーションデザイン”に行き着きました。
コミュニティではなく、アソシエーションをデザインする
アソシエーションとは共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に形成する集団や組織のこと。寺井さんはこれからのまちづくりに大切なのは、従来のコミュニティに囚われることなく、自発的で創造的な人々が、暮らしを共有してアクションを起こすことだと考えました。
「まちづクリエイティブ」が提唱するアソシエーションデザインとは、このアソシエーションの創出と維持発展を実現するためのデザインです。
その視点で見ていくと、たとえばマッドシティは、いわゆる地域住民の集まり(コミュニティ)というよりも、マッドシティのコンセプトに共感し、自発的に形成された集まり(アソシエーション)であることがわかります。
多くのまちづくり会社は、地域コミュニティの活性化を目指して活動しているように思われます。しかしそのためにやるべきことは、地域コミュニティに関与するだけではなく、コミュニティの性質とは違うものをつくること、つまりアソシエーションデザインなんじゃないかと思います。
アソシエーションの存在は、やがて同じエリアに存在するコミュニティの活性化へもつながっていきます。松戸まちづくり会議が自走を始めたことも、その好例ではないでしょうか。
マッドシティの位置づけはどう変わる?
それとともに、まちづくり会社である「まちづクリエイティブ」にとってのマッドシティの位置づけも変わってきました。
僕らは、松戸とは縁遠いところから生まれたまちづくり会社で、もともと、松戸だけでなく全国のいろいろなまちを変えていきたいと思っています。
その一方で、マッドシティを通して、まちに関わることでしかわからない知見がまだまだあることや、まちが変わるためにはかなりの時間がかかるということを実感しています。
寺井さんは、そのことを踏まえた上で、マッドシティをずっとやっていくという気持ちと、ほかのまちにも関わるという気持ちをどう両立するかを考えました。その結論は「マッドシティはずっと大切にしていくべき実験場・研究室だ」ということでした。
僕らは全国でマッドシティのようなまちづくりをやっていきたい。だから、僕らがこれからのまちづくりでやるべきだと思う新しい取り組みをマッドシティでどんどん試させてもらって、研究する。
まちづくり会社って、そこだけで活動するしかない体制だったり、市役所と一体になった公的な立ち位置が強かったりして、現場で新しい研究や実験に取り組めないことが多いと感じます。
事例集を見てどこかの事例を鵜呑みして真似するとか、それじゃ当然ダメなのにそうするしかない。それって、今必要だと言われている、創造性の発揮と真逆じゃないですか。
そういう状況の中で、マッドシティをある種、僕らなりの最先端都市にするつもりがあれば、ずっと関わっていけると思ったんです。
そこで良かったものをほかのまちにも伝えていき、どこでも事業化できるようにしていくこと。それこそが、寺井さんが描くまちづくりの未来でした。
毎日やれるクラウドファンド「MAD City FUNDING」
そのための新たな実験プロジェクトが、少しずつマッドシティで始まっています。そのひとつが、マッドシティ独自のクラウドファンディングサイト「MAD City FUNDING」です。
今、「まちづクリエイティブ」が現場で注力しているのが、良いアソシエーションをつくるためのインフラづくり。
仕事帰りにお酒を飲みながら仕事ができる「コワーキングバー」や、地域住民向けの空家管理サービスが取り扱い物件の充実につながるのではないかという取り組みなど、今後必要になりそうなマッドシティ的インフラを、続々と整備しています。
僕自身が生きやすいと思えるまちを目指した結果がマッドシティでした。それをほかのまちでも再現していくには、そのベースとなるインフラづくりの知見がマストなんです。
クラウドファンディングサイトの開設も、そのインフラづくりのひとつ。クラウドファンドは資金集めの手法として今ではすっかりメジャーになりましたが、目標額は徐々に高騰し、気軽に利用できる雰囲気は薄れてきています。
僕らはどちらかというと数千円でも挑戦できるような“毎日やれるクラウドファンド”がほしいんです。誰でも日常的に使えて、もし失敗しても痛くないぐらいのやつ。
もっと気軽に、周りの人に応援してよとか協力してよって言えるようになればできることは増えていくんじゃないかと思っています。
「くだらない内容で全然いい」と寺井さん。たとえば、お酒が飲みたいけどお金がないという人が、10人集めてお酒を買ったり、庭の草刈りを業者に頼むための2万円を集めて、きれいになった庭で1日なんでも好きなことをやっていい権利をあげたり。
あらゆるものをシェアし、応援しあうことで居心地のよい環境と関係性が生まれます。手始めに、「まちづクリエイティブ」が提案する4つのプロジェクトの支援を呼びかけました。
その中のひとつ、バーベキューをするための機材を購入してレンタルすることで、江戸川河川敷の利活用を進めようというプロジェクトは、早くも目標金額を達成しました。こうしたクラウドファンドが当たり前になっていけば、まちづくりにおける新たな可能性も生まれるでしょう。
共有のDIY工房をつくるという現実的で面白そうなプロジェクトから、松戸市の人口48万人よりマッドシティの人口を増やしたい! と48万枚のマッドシティステッカーを配布する、無謀かつくだらない(笑)プロジェクトまで、プロジェクトの内容はさまざまです
マッドシティ的なまちづくりを全国へ
マッドシティは、松戸だからできたとか、寺井だからやれるんだって言ってもらうことも多いんです。でも僕は、例外処理を重ねているつもりはこれっぽっちもないんですよ。
寺井さんは松戸を選ぶきっかけはあったものの「松戸でなきゃいけなかった理由は何もない」とよく話しています。それぞれのまちの個性はあっても、基本的な構造やルールは同じだと考えているからです。
それを証明するためにも、新たなまちでマッドシティ的まちづくりを実践していこうと、現在、その準備を進めている真っ最中です。以前の取材で、いつかはマッドシティのようなまちを全国につくりたいと言っていた寺井さんが、いよいよ今後は、それを実行に移すことになりそうです。
「まちづクリエイティブ」のウェブサイトより
“変わらないものをつくるためには、変わり続けなければならない”という意味の「不易流行」という言葉があります。
歴史や伝統に残る本質を受け継ぎつつ、本当に中身のあるものを続けていきたいと思ったら、新しいことをどんどんやっていかないといけない。僕らはそういうことをやろうとしているんだと思います。
今まさに“マッドシティ的なまちづくりの拡大”という、次なる階段を登ろうとしている「まちづクリエイティブ」。その不変的かつ流動的な世界がどう構築されていくのか、新たな挑戦から、この先も目が離せません!