もしも自分ががんになったら?
今、日本人の2人に1人ががんになると言われています。つまり、「わたし」と「あなた」のどちらかひとりががんになり、「あなた」のがんは隣にいる「わたし」の問題になるだろうと思うのです。
三田果菜さんの「Happy Beauty Project」は、“がん患者”のためであると同時に「私たち」のためとも言える取り組みです。
「抗がん剤の副作用で髪が抜ける」ということは何となく知っていても、抜けた髪がいずれ必ず生えてくることは知らない人が多いように思います。
「2人に1人が罹患し、3人に1人が死に至る」というほど罹患率と死亡率が高いにも関わらず、私たちは身近な問題になるまでがん患者をめぐる状況を知らないで過ごしてしまいがちではないでしょうか。
がんになって困るのはどんなこと?
「がんであることがわかり、入院をして手術を受け身体の回復を待って社会復帰をする」というプロセスにどんな“困りごと”があるのでしょうか。三田さんは、16歳のときに身近な人ががんになり、がん患者の“困りごと”を目の当たりにすることになりました。
抗がん剤投与で、髪が抜け、眉毛もまつ毛も抜けてどんどん姿が変わってしまうのを見ているのはショックでした。でも、私の両親は共に理美容関係者だったので、美容の知識と技術でその人を助けてあげられたんです。
かつらとつけまつ毛とメイクで完璧に外見を整えて、その人が堂々と社会生活を送れるようにしてあげて。そのとき「こういう知識やサポートがなかったらどんなに困るだろう」って思いました。
「がん患者を美容のチカラでサポートできたらいいな」。そんな思いが、三田さんのなかに漠然と芽生えたのはこのときのことでした。
美容のチカラを社会に活かしたい
三田果菜さん
でも、当時はまだ「将来はふつうの会社に就職するつもり」だった三田さんは、高校2年生からはカナダの高校に留学して卒業。帰国後は日本の高校も卒業し、さらには母のアドバイスを受けて通信教育で高校在学中に理容師の資格を、大学在学中には美容師資格も取得します。
母は美容学校の教員だったので、サロンワーク以外に美容を活かす方法があることを教えてくれて。母が関わっていたヴィダルサスーンのスクールシップのヘアーセミナーで美容専門の通訳を経験するチャンスも与えてくれました。
「美容師資格があるから美容師に」「英語が話せるから通訳に」ではなく、「美容×語学力」で美容の通訳ができることを経験させてもらったことは、「美容で何をしていくのか」を考えていくきっかけにもなりました。
「この店があるからこの地域は元気よね」と言われたい
学生時代にいろんな経験をするなかで「何か企画をしてやっていきたい」と考えていた三田さんに、母から「美容という選択肢もあるよ」と提案があったのは大学3年生の冬のこと。「自分でお店を開きたい」という思いを手紙に綴って返事をして、具体的に「卒業後にやりたいお店」について構想を練りはじめました。
三田さんがいちばんに思ったのは「ここがあって良かったな」「この店があるからこの地域は元気よね」と言ってもらえるお店。地域と深くつながりながらサロンを営む父の姿を見て育ったことから、店と地域の関わり方を大切にしたいという思いがありました。そんなときに現在の大学院の先生に偶然出会い、「地域、美容、そしてがん患者」をテーマにした研究の道が開きます。
美容室って、お祝い事があるときや何かの節目に行く人が多いですよね。たとえ失恋して髪を切るとしても、それは前向きになりたい気持ちがあるからだと思うんです。
また、歴史的に見ても、疫病を防ぐために髪を清潔に保つとともに地域コミュニティの場になるなど、理美容は地域の公衆衛生を守る役割を果たしてきました。そのチカラを社会に伝えたいし、役立てて行きたいという気持ちが強くなっていきました。
大学院での研究を通して、美容が地域に役立つことを再認識するとともに、がんサロンなどに通ってがん患者と直接話すことで彼らが抱える問題も具体的に見えてきました。「機は熟した」と感じた三田さんは、いよいよ「Happy Beauty Project」の立ち上げに向かったのでした。
「Happy Beauty Project」とは
がん患者から話を聴くなかで、わかってきたことは「がんになってから、不安なく日常生活を送れるようになるまでのトータルケアサポートがない」ということ。病気による身心のダメージを受けるのみならず、退院後には再発の不安と身体のしんどさを抱えながらの生活が待っています。ところが、抗がん剤投与による外見の変化が原因で、離職や降格を強いられる人も少なくないそうです。
命を守ることはもちろん最優先。でも、医療を受けるためには生活をしなければいけません。患者さんが退院して最初に困るのは外見の問題。“いつも通りの生活”に戻っていくために、一番はじめのハードルを越えさせてあげなければいけないと思ったんです。
病院ではかつらの適正価格やかつらを着けているときの髪のケアまでは教えてはくれません。「がんを患っています」と言うと周囲から過度に心配されたり、「あの人、かつらなんだって」と噂されてしまうこともあります。
また、最悪の場合は離職につながる可能性もあるため、がん患者であることを隠して生活する人が多く、ネットでは情報共有は行われているものの、がんサロンに行かない限り患者同士で悩みを話し合う場がないという状況もわかってきました。
「脱毛している姿を見せたくなくて人前で帽子を脱げない」「外から見える大きな窓のある美容室でかつらを脱いで脱毛した頭を見せるのがイヤ」。言われてみると「たしかに」と思うけれど、知らなければ理解が及ばない悩みがたくさんあります。
「Happy Beauty Project」では、「かつらをつける前から脱ぐ瞬間まで」に必要な知識と技術を提供してサポートを行うと共に、適正な価格でのかつらの提供や髪が生えてくるまで安心して通える美容サロンを用意しています。
お化粧をすると本人も周囲の人も元気になるという化粧心理学的な研究はこれまでにもなされています。私が取り組んでいるのは、美容のチカラで前向きになってもらって、アクションを起こすところまでをサポートすること。大学院での研究を通して「私がやりたいことは世の中に必要なことだ」と確信を持てたことが起業につながりました。
10年後には「私がいらなくなっていてほしい」
「Happy Beauty Project」は、美容以外の側面でもがん患者とその家族へのサポートにも取り組んでいます。たとえば、「お母さんはどうなるんだろう?」と心配しているがん患者の子どもたちが話し合える「Little café」もそのひとつ。若い女性が同年代の患者さんと話し合える場作りも行っています。
目の前で困っている人がいて、私にできることがあるならと思うんです。コミュニティは誰にとっても必要です。ただ、がんであることを隠す人が多いので、つながりが生まれにくいという現状があります。まずは、「私はがん患者です」と胸を張って言っても大丈夫な社会をつくっていかないと。
患者さんには正しい知識と情報が伝わり、理美容師にはがん患者のケアを当然のこととして行えるようになってほしい。そして、医療従事者との連携で社会復帰に向けたサポートが行える団体への橋渡しも充実させたい――そのためには、患者と医療従事者、美容師それぞれへの教育が必要です。
がん患者が必要とする情報や機会の提供を行えるように各団体と連携も行い、2011年にはがん患者団体等連絡協議会役員にも就任しました。三田さんが目指すのは「私がいらなくなっている10年後」。がん患者が安心して社会復帰の道のりを歩んでいける社会です。
誰かの“困りごと”はいつか自分の“困りごと”になる可能性があります。でも、苦しいこともきちんとシェアすれば“Happy”になれる可能性があるのかもしれません。明るい声で話し続ける三田さんを見ていると、なんだかそんな気持ちになってくるのです。
「Happy Beauty Project」のサイトをチェック!
世界に通ずる美容のチカラ