震災後、写真に関するプロジェクトは沢山ありました。東北の風景写真を募集したり、津波で散乱した写真を集めたり。
今、これまでとは少し違った形のプロジェクトが始まっています。ある町の写真屋さんが、祭りや卒業式、結婚式など町民の歴史を記録するように撮り続けてきた写真を、町のみんなに届けたいと思ったのがコトの始まり。
復興まっただなか、再び自分たちの足で歩き始めるために、と賛同する人たちでプロジェクトは実現しました。瓦礫の光景ばかりが広く知られるようになったこの町。穏やかで美しい漁師町だった頃の姿をあなたも見てみたいと思いませんか?
町の人の声に応えたい
佐々木朋浩さんは、南三陸で代々写真屋を営むカメラマン。昨年の3月11日津波の迫る中、先代のお父さんが写真のデータを家から持ち出してくれたおかげで、これまでに撮影した写真を無事に残すことができました。
その後も佐々木さんは、町からの依頼で、被害状況報告のため、町の写真を撮り続けてきました。
初めは、カメラを向けることに葛藤がありました。自転車や徒歩で撮影してまわるのですが、辺りにはまだご遺体が残っていて、中には知人の姿もあるわけです。
いったい俺は何をやっているんだろうと思いましたね。いいことなのか悪いことなのか判断もつかないままシャッターを切っていました。何とか撮り続けられたのは、同じカメラマン仲間の励ましがあったから。「今お前が撮らないで誰が撮るんだ」と言われました。
救われたのは、数か月たって、少しずつ町の人たちに笑顔が見られるようになってきてからです。撮影していると「ちょっと火に当たっていがね?」と声をかけられます。そして必ず「あん時の写真ねえの?」って震災前の写真の話になるんです。
お祭りの写真や、町の全景、あの通りの写真は?って。みんな写真が流されてしまっているから。そこで、一部の人にだけじゃなく、町のみんなに見てもらえたらと思うようになりました。
町が早く一人で歩いていけるようになるために
佐々木さんの提案を受けて、プロジェクトの発起人として行動したのが、西城幸江さんです。西城さんは震災時、青年海外協力隊でパラグアイに居ましたが、すぐ日本に戻り、今はNPOピースウィンズ・ジャパンの職員として、地元、南三陸の復興支援に携る方。
ご自身も、子どもの頃の写真をすべて流されてしまったのだそう。「写真がないって思い出が全部なくなってしまったようで、実は結構つらいんですよ」と話す一方で、思い出としてではなく、町の人たちの気持ちを後押しするために、写真集をつくろうと思った心情を語ってくれました。
震災から一年近く経ちますが、私たち自身以前の南三陸の風景を忘れ始めています。でも、ここで行われていた営みは忘れたくないし、みんなにも忘れてほしくないんです。お祭りや沢山の行事など、昔の写真を見て「あぁ前はみんなでこんなこともしてたな」ってことを思い出してほしいと思いました。
西城さんは、パラグアイでの経験上、外部の人間がどんなに協力しても、住人が動き始めないことには、物事が進まないことを実感していました。今回も同じと感じたと言います。
外からの支援には終わりがあるし、いつかは自分たちの足で歩き始めないといけない。その時に、町が早く一人で歩いていけるようになったらいいなと思ったんです。
私が今関わっているのは、鮭の孵化事業やワカメの事業など、まずここの人たちがやろうとすることが先にあって、それをサポートする形なんです。この写真のプロジェクトも、町の人たちの気持ちに火をつけることができたらと思って始めました。
西城さんの話を聞いてわかってきたのは、“写真が、人々の原動力となっていくのだな”ということ。
西城さんは町の観光課とも連携して、佐々木さん以外の写真も加えた写真集を南三陸町の全世帯に配ることを企画します。それがこの「南三陸のみんなに写真集を届けようプロジェクト」として結実しました。
地元の高校の卒業生や、公共施設に配ることも踏まえて約7,000冊を印刷したいと考えていて、協賛者を募っています。もちろん協賛していただいた方にも、同じ写真集が届く仕組みです。
復興のただなかで
本当に今、南三陸町の人たちにとって、この写真集が必要なのか――。
わからないまま、復興真っただ中にいる町の人の声を聞く機会を得て、お話を聞かせていただきました。思いはそれぞれ異なりますが、共通していたのは、みな前を見ていること、でした。
自分たちで歩く力をもう一度
宮川舞さん(彩プロジェクト事務局)
南三陸は、もともと地域おこしや観光事業が盛んな町だったんです。商店街をめぐるツアーなど、町の人も一緒に新しい企画を準備していて、震災が起こったのは、ちょうどそれがこれからどう花開くかという時でした。目に見えるものはほとんど津波で流されてしまいました。
これからまた歩き始めようという時、私は出発点はゼロではないと思うんです。この町にはこれまで自分たちの足で歩んできた力がある。でもそれが、今少し、助けてもらうことに慣れ始めているのではないかとも思っています。震災前に持っていた自分たちの誇りとか、どんなに厳しい状況でも自分でやるしかなかった時のことを忘れてしまっているなって。
南三陸っていいところだよって外の人たちに向かって言っていた、あの時の気持ちを思い出してほしい。それが、この写真集のプロジェクトに私が賛同した理由です。
お店が皆の憩いの場になったら
高橋多惠さん(大衆ストア)
ここの仮設商店街が始まったのは、昨年の12月からです。まだ始まったばかりなんですよ。震災前も同じ食品や雑貨を扱う店をやっていました。
お店をまた始めることには、初めはあまり気が進まなかったんですけど、お店を開けてみると、ぽつぽつと前のお客さんが戻ってくるでしょう。「あら~っ」て喜んでもらえてね。
知っている方とは、昔の町の写真のコピーを見ながら話をするんです。だから町の写真集があれば本当にみんな喜ぶと思うの。自分のうちがはっきり見えなくてもいいんですよ。この近くの雰囲気がわかればそれだけで嬉しいから。お店に来るお客さんでも、まだずいぶん引きずってる人もいますよ。だから私言うんです。忘れちゃいけないことだけど、あるところでは忘れていくべきだよって。
この店がそんなみんなとの語らいの場であってくれればいいなと思っているんです。少しでもほっとしてくれたらいいなって。
よく言われることだけれど、復興はまだ始まったばかりという印象です。
まさにこれから、地元の人たちの団結力が必要とされる時。この写真集を出すことが、人々の後押しや心の支えになるのであれば、大きな意味があると感じました。
このプロジェクトのことをもっと知りたい
- 「南三陸町のみんなに写真集を届けようプロジェクト」公式サイト
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