子供のころから「水を大切にしなさい」と言われて育ってきた。雨が降らない日がつづけば水不足になるし、断水になることだってある。しかし、私たちは本当に水の大切さを理解しているのだろうか? 水道をひねれば安心して飲める水がじゃんじゃんでてくるこの生活がいかに貴重なものかを本当に理解しているだろうか?
というようなことはよく言われているが、やはりそれでもピンとこない。そんなあなたはぜひ『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』を観るべきだ。
この映画『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』が語るのは、安全な水を飲めない人たちが世界にはたくさんいるという程度のことではなく、それよりもっと深い「水」をめぐる政治的、経済的な現実であり、私たちが水をめぐって直面しつつある危機についての深刻なレポートである。
「水」について語るとき、まず問題になるのは飲み水だ。水を飲めなければ人間は死んでしまう、だから安心して飲める水を手に入れる権利は万人に保障されるべきだ。しかし、その今、その権利がすべての人に保障されているとは言いがたい。この映画はなぜその権利を享受できない人が出てきてしまうのかということを一つ一つ解きほぐしていく。
まず、飲むことができる水の大半は飲み水としてではなく、農業用水や工業用水として利用されるという事実から始まる。そしてそのような水の大半は先進国によって利用されてしまっているのだ。バーチャル・ウォーターという概念を使えばその仕組みは明らかになる。車一台の製造に使われる水は35万リットル、石油1バレルの製造には320~1100リットルなどなど。水が実際に途上国から先進国に運ばれるわけではないが、途上国から先進国へと輸出される作物(ここで登場する例はバラ)などを通じて結果的に先進国は途上国の水を吸い上げているのだ。
そうなると、水資源の豊富な日本もその収奪のそしりを免れるわけには行かない。私たちが手にするコーヒーや綿が途上国の人々の飲み水を奪っているのだから。
そのような経済的な収奪につづいて、さらに直接的な収奪についても語られる。それは水メジャーによる水道事業の寡占である。スエズ、ヴェオリアといった水メジャーは途上国の水道事業を請け負い、その結果水の値段はあがり、質は低下する。利益を追求すれば当然そうなる、共有財産だと思われていた水が“商品”となったとき、その商品をめぐる争いが起きてしまうのだ。そして権利を守ろうとする市民と利益をあげようとする企業の間に衝突がおき、それは公権力を巻き込んだ「戦争」へと発展する。
水が豊富な先進国に暮らす人々の目からなかなか見えない「水」をめぐる真実、その真実から目をそむけたいのでなければこの映画を見るべきだ。この作品は水問題についての『不都合な真実』にならなければならない。「なる」のではなく「ならなければならない」のだ。この作品が広く見られることによって世界の人々の「水」に対する認識が変わること、それこそが今の世界に必要なことだ。
あなたの意識が変われば世界は変わる。その一歩は映画から。
予告編はこちら
ブルー・ゴールド 狙われた水の真実
1月16日より、渋谷アップリンク、ポレポレ東中野、
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開
『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』を観に行こう
「水」戦争についてもっと知る。