東京・西国分寺にたたずむ、知る人ぞ知る「クルミドコーヒー」。クルミと子どもをテーマとしたこのカフェは、森の隠れ家のような穏やかさと、どこか懐かしい温もりにあふれています。「50年続くカフェ」を目指して2008年に創業されて以来、地元の人たちはもちろん、遠方から通う人も多く、これまで12万人もの人たちがこのカフェを愛し、特別な時間を過ごしてきました。
今年2月、このカフェが出版レーベル「クルミド出版」をスタート。留学時代の旧友を訪ねて世界を巡った旅を綴る『10年後、ともに会いに』(寺井暁子著)と、詩のようなエッセイ集『やがて森になる』(小谷ふみ著)の2冊の本が刊行されました。著者は、いずれもカフェのお客さん。編集者はクルミドコーヒーの店主である影山知明さん。編集部員は、クルミドコーヒー店員の有志メンバーです。誰もが一度として、本格的な書籍出版の経験はありませんでした。
著者と編集者の出会いから1年と6カ月という年月を経て、いま芽吹いた「カフェ×出版」という試み。2月よりクルミドコーヒー店内にて、イベントや展示が開催されており、その本づくりの過程に触れることができます。ここでは、2月21日(木)に行われた、影山さんと著書お二人のトークセッション「カフェ×出版の可能性」より、お話の一部をご紹介します。
トークセッション「カフェ×出版の可能性」Video streaming by Ustream
設計図のない本づくり
2011年9月、後にクルミド出版の著者となる寺井さんは当時、留学時代に思春期を共に過ごした同級生を、10年ぶりに訪ねて世界を巡る旅から一時帰国中。旅で出会った人たちと紡いだ会話を伝えようと、いくつかの媒体との相談も始まっていました。しかしながら文章化するにあたり、「キャッチーでセンセーショナルな内容」にすることに対して、違和感を持っていることを影山さんに相談します。
もう一人の著者である小谷さんは、ブログにオリジナルの詩のようなエッセイを発表し続けており、その数600篇にも及んでいました。人生の困難の中、一時期筆が止まりますが、クルミドコーヒーの地下の席と出会うことで、再び言葉が紡がれはじめたといいます。
「二人を応援したいと思った」と、影山さん。
2つの原稿とも、現状の商業出版の中ではきっとなかなか取り扱われにくいもの。「分かりにくいもの」や「短期的に結果が出にくいもの」は取り残されがちな今の世の中。それでもそれらを時間と手間とをかけて伝えていくことは、クルミドコーヒーの来た道と重なる思いもあった。
ちょうどクルミドコーヒーでは、お店のロゴが印刷されたオリジナルのノートなどの文房具をつくり、販売していました。またカフェは本と相性が良く、店内では読書や物書き、創作活動をしている人の姿がよく見られます。クルミドコーヒーのおすすめ本が借りられる本棚「クルミド文庫」も人気がありました。
原稿があって、印刷物もつくれて、売る場所がある。じゃあ、出版ができるんじゃないか、と。
こうして始まったのが、カフェから本をつくるというプロジェクトでした。
出版のことはほとんど知らなかったんですけど、逆に、怖いもの知らずなのがよかったんでしょうね。始めた後があんな大変だとは想像もしていませんでした(笑)。
と影山さんは振り返ります。
著者、デザイナー、印刷所、製本所、こうした多くの人との偶然あるいは必然の出会い、ひとつひとつの「やりたい」を集めて、本を形作っていくことになります。こうした、初めから設計図を書かずに、ひとつひとつの出会いや縁を紡いで、有機的に物を作っていく手法を、フランス語で「ブリコラージュ」といい、影山さんはクルミド出版を「ブリコラージュな出版社」と呼んでいます。
クルミドコーヒーらしい本
「クルミドコーヒーらしい本」とは、どんなものなのでしょう。「店内のテーブルで、コーヒー、ケーキの隣に置きたい本」「本っていいな、って愛着の湧く本」「100年後も残る本」。文字のフォントや大きさ、文体、行間、紙、印刷、製本、装丁……本を構成する要素すべてを自分たちで確かめ、手探りで見つけていきます。
本づくりを共にすることとなった国分寺「九ポ堂」の活版印刷、長野「美篶堂」の手製本の工程を見学し、スタッフで製本のワークショップにも参加。身体で体験し、感じたことを大切にします。また、書籍『cafeから時代は創られる』の著者である飯田美樹さんの案内で、さまざまな運動や文化活動が生まれたパリのカフェ文化を肌で感じるために、クルミドコーヒーのメンバーでパリを巡ったこともありました。
「クルミドコーヒーで本をつくるなら、このやり方しかないと思った」。この本づくりの過程は、クルミドコーヒーのお店づくりの過程そのものです。
お店では、札幌の小さな焙煎所さんで丁寧に焙煎された豆を使い、1秒に1滴ずつ8時間かけてコーヒーに抽出しています。ケーキは、スタッフが朝6時から早起きして、種から手作り。スタッフはキッチンとホールに分けておらず、「つくった人が届ける」ことを大事にしています。
味わい深いお店の壁は、スタッフみんなで少しずつ板を張り、土を塗ったものなのだそうです。
一つひとつ丁寧につくること、かけた時間、そうしたものは、言葉で説明しなくても必ず伝わると信じています。
そこから醸し出される心地良さを、お客さんはここ、クルミドコーヒーに来て、五感で受け取ります。
「贈り物」から、はじまる物語
クルミドコーヒー店内のテーブルには、殻付きのクルミの入った籠が置かれています。「ごじゆうにどうぞ」。スウェーデン製、ドイツ製のくるみ割り器とともに、こんなメッセージが添えられています。驚いたことに、このクルミは誰でも自由に食べることができます。
僕らが贈ることを受け取ってもらえたならば、それは巡り巡って、きっとまた僕らに返ってくる。
このコンセプトは、クルミドコーヒーから生まれた2冊の本にも共通しています。
出版業にビジネスチャンスがあると思ったとかそういう訳ではないんです。お店も、本もひとつの表現形態。それらを受け取ってくれることからはじまる、一連の連鎖のすべてをつくりたい。
クルミ、コーヒー、ケーキやお店と同じように、クルミド出版の本は、クルミドコーヒーという場に集まる人たちから、私たちへの「贈り物」なのでしょう。
クルミド出版の本は、クルミドコーヒー店頭およびウェブサイトから購入することができます。また今後、店頭では、4月4日に「美しい本をつくる〜手製本の世界」、4月18日に「『やがて森になる』の世界」のテーマで、ギャラリー展示やトークセッションが開催されます。
読んだ人に、「ああ、本っていいな」「自分もなにか、表現してみたいな。」「あの人に、会いに行きたいな」。小さくともそういう強く、明るい火が手にしてくだった方々の中に、ぽっと灯ってくれたらいいなと祈っています。
ご自身の手に取って、ぜひ感じてみてください。