『生きる、を耕す本』が完成!greenz peopleになるとプレゼント→

greenz people ロゴ

沖縄返還から40年。「沖縄平和学習アーカイブ」で、未だ基地問題で揺れる沖縄の”平和”について考えてみませんか?

greenz/グリーンズ 沖縄平和学習アーカイブ

未来をよりよくするために何が必要か、新しい発明や新しい発想、人の意識を変えることも必要でしょう。しかし同時に「記憶にとどめること」も必要なのではないでしょうか。

人は忘れることによって新しいものを生み出す生き物です。しかし忘れてはいけないこと、あるいは忘れるべきではないこともあります。よりよい未来のためには新しいものを生み出す活動も重要ですが、そのような「忘れない」ための活動も重要だと思うのです。

その「忘れない」ための活動として、Google Earthを使ったアーカイブ制作を行なっている渡邉英徳首都大学東京准教授を中心とするグループがナガサキヒロシマ東日本大震災に続いて、沖縄戦を今に伝える「沖縄平和学習アーカイブ」を公開しました。

このアーカイブは失われつつある記憶を記録としてとどめようとする試みです。戦争の話は気が重いかもしれませんが、平和のためには避けて通るわけには行かないので、ぜひご覧ください。


今回も中心となるのは証言と写真、証言の一部はビデオとして記録されています。その証言や写真がそれが起こった場所にプロットされ、グーグルアース上で沖縄戦についてさまざまなことを知ることができます。

まずは、中心地である那覇を見てみましょう。この写真は壊滅状態になった那覇市の空中写真です。現在はたくさんの建物が見える市街地がほとんど更地のように見えます。

greenz/グリーンズ 沖縄平和学習アーカイブ 那覇写真

その那覇市での証言がこちら。

greenz/グリーンズ 沖縄平和学習アーカイブ 那覇証言

ここで触れられている「壺屋10・10空襲」は1944年10月10日に南西諸島の広い範囲で行われた「十・十空襲」のことで、沖縄本島から慶良間諸島、宮古島、石垣島、久米島、奄美諸島まで多くの場所が空襲にあいました。那覇市はもっとも被害が甚大で、火災により市街地の約9割が消失したと言われます。

続いて、激戦地として知られる慶良間諸島に目を向けてみましょう。この写真は座間味島の古座間味ビーチの写真です。慶良間諸島の座間味島と阿嘉島は沖縄戦で最初に米軍が上陸した土地で、座間味港には「太平洋戦争沖縄上陸第一歩之地の碑」という碑が今も立っています。

greenz/グリーンズ 沖縄平和学習アーカイブ 座間味写真

美しいビーチにまさに米軍が上陸しようとしている写真、海の青さは今も昔も変わりません。ARアプリもあるそうなので、現地に行けばさらにリアルに感じることができるかもしれません。

そして、集団自決についての証言。

greenz/グリーンズ 沖縄平和学習アーカイブ 座間味証言

集団自決についてはなかなか語ることが難しいですが、太平洋戦争に際しておきた悲劇の中でも本当に悲劇的な出来事であることは間違いないでしょう。どうしてこういうことが起きてしまったのかということは本当に考え続けて行かなければなりません。しかも生き残った人は少なく、その証言は非常に貴重なものなのです。

このアーカイブは写真も衝撃的ですが、ナガサキやヒロシマと比べると(比べるべきものではないですが)その写真が語りかけてくることはそれほど多くない気がします。それよりむしろ、証言を読むとあまりに知らないことが多いことに驚かされます。私たちは(あるいは私は)沖縄戦のさまざまなことをあまりに知らなすぎる、とこれを見ると思ってしまいます。

そして、いま日本の課題の一つとなっている基地問題を考えるためにはまずこの沖縄戦にまで遡ることが必要なのかもしれないとも思いました。アメリカによる27年の統治期間に基地が作られたことはしかたがないことかもしれません。

しかし返還から40年たってもほとんどそのままの状態であるというのはどういうことなのか。沖縄が日本に返還された以上、日本は国として沖縄県民がこれまで負ってきた負担を全国民で負うような体制を築くべきだったのではないか。戦争中にも大きな犠牲を払った沖縄が今も大きな負担を強いられているというのはやはり不平等なのではないか。そういう思いを禁じえません。

これが不平等であるなら、沖縄の人たちに私たちは何ができるのか。沖縄県が製作の主体となったこのアーカイブのタイトルが「戦争学習」ではなく、沖縄「平和学習」アーカイブとなっていることに、私は沖縄の人たちの平和への想いをみます。

沖縄の人たちも、私たちも、「平和」を望んでいることは間違いありません。そんな中、沖縄の人たちがのぞむ基地のない「平和な沖縄」というものにどんな意味があるのか。それを考えるためには私たちもまずこの「悲惨な記憶」に触れ、そこから67年間の沖縄の歩みについてじっくりと考え、沖縄の人たちにとって「基地」がどのような意味を持つのかを想像してみようとすることが必要なのではないでしょうか。

他のアーカイブについての記事を読む

ビデオによる証言をYouTubeで観る