ブラストビートは僕の人生そのものなんです。
迷いのないまっすぐな眼差しでこう話したのは「NPO法人ブラストビート」代表の松浦貴昌(まつうら たかまさ)さん。
ブラストビートは2003年に若者と音楽と社会貢献をつなげる社会教育プログラムとしてアイルランドで生まれました。その後、イギリス、アメリカ、南アフリカと活動は世界中に広がっています。
国際的な活動として広がりつつあるブラストビート。しかし、松浦さんはブラストビートが自分の人生そのものと言いながら、「最終的にブラストビートのブログラムがうまくいくことが成功というわけではない」とも言います。これは一体どういうことなのでしょうか?松浦さんのお話を伺っているうちに、ブラストビートの本当の目的と目指す社会の形が見えてきました。
これは僕にしかできない
ブラストビートでは、高校生、大学生、フリーターなどの参加メンバーが一定の期間中に模擬会社を興し、ライブをはじめとする音楽イベント開催までを自分たちの手で行い、そこで得た収益の25%以上をNPOといった応援したい団体へ寄付をするところまでをひとつのプログラムとして活動しています。
参加メンバーはそれぞれ本物の会社と同じように社長、PR、デザイナーなどの役職をもち、ライブの企画や広報、集客といった仕事に携わり、互いに協力し合いながら音楽イベント開催を目指します。
このブラストビートと松浦さんの出会いは2009年の夏。NHKの番組でブラストビートの生まれ故郷であるアイルランドやイギリスでの活動が紹介されたことがきっかけでした。
たまたまテレビをつけたらやっていたんです。でも見ているうちにどんどん涙が出てきて。いや、出てきたというより、もう号泣でしたね。魂の歓びと言ってもいいかもしれません。活動に参加した高校生が感じる成長の喜びと、高校生だった頃の自分がリンクしました。そこで見たブラストビートは僕の人生そのものだったんです。
実は松浦さんは、元バンドマン。高校生の頃、バンドを結成し、曲作りだけでなくライブの主催までしていました。ライブハウスへのアポ取りから資金調達、チケットやポスター作り、チケットの販売まで全て自分たちだけでやったと言います。この経験から仲間たちとひとつのことをやり遂げる達成感、多くの人たちとのつながりから生まれる喜びというものを感じたそうです。
その後、26歳の時にバンド活動を辞め、27歳の時にマーケティング会社を起業。起業してからはカンボジアやミャンマーへの支援活動も始めます。音楽、起業、社会貢献。ブラストビートを構成する3つの要素が、まさに松浦さんが辿ってきた人生と重なっていました。
番組が終わった後、すぐにアイルランドにいる創設者のロバート・スティーブンソン氏にメールしました。日本でやりたい。これは俺が日本でやるべき人間だ、と。
放映後、日本からロバート氏宛にたくさんのメールが届いたそうです。しかしその中でも最も早く届き、また長い文章だったのが松浦さんのメールでした。松浦さんの強い意思を感じたロバート氏はメールを受け取った翌月にブラストビートの説明会を開催するため初の来日を果たします。その会場で松浦さんは現在の仲間たちと出会い、設立へとスピードをゆるめることなく進んでいきます。
深いつながりを生み出す日本のプログラム
参加者とメンターが濃密な時間の中で音楽イベント開催を目指します
世界各国にあるブラストビートですが、基本コンセプトはそのままに、松浦さんは日本独自のプログラムで運営しています。その核となるのが社会人メンターとブラストビートの卒業生でもある学生メンターです。メンターはブラストビートの参加者である高校生や大学生たちにアドバイスをし、参加者たちの学びを手助けします。このメンターと参加者が一緒になってプログラムのゴールを目指すのです。
今の時代って正しい答えというのはないと思うんです。例えば優秀な人がいたとしても、その人が全部正しいことを言うとは限らない。だから、日本の場合は、メンターチームというものを作って多様な学びの場にしています。いろんな人の意見を聞く中で、自分で考え、答えを見つける方が学びとしては大きいと思いました。
メンターは70歳のおじいちゃんから、クリエイター、アーティスト、ベンチャー起業で働くサラリーマン、そしてブラストビートを一度経験した学生と実にさまざま。全員無償で関わっていますが、プログラム参加者である若者たちの成長を目の前でみたい、また関わっている人達が素晴らしいから仲間になりたいといった思いから参加している方が多いそうです。
僕は極端に言えば、どれだけ大きい規模の音楽イベントができたとか、どれだけたくさん寄付できたとか、そういう結果はどうでもいいんです。それよりも、プログラムが終わった後、参加したメンバーとメンターが深いつながりを持つことができたら成功。
それはそこに小さなコミュニティができたということなんです。この先もずっと助け合い、支え合い、学び合う、という感覚があれば、この先どんな困難があったとしてもその中で成長していける。そんな成長を支えてくれる仲間たちとのつながりを作るということが一番大切だと思っています。
プログラムをただ成功させるだけではなく、その先もずっと続く参加者同士のつながりを作ることこそが日本のブラストビートでは最も大切にされているのです。
チャレンジマインドに火がつく参加メンバー
現在、一年に2回のプログラムで活動しているブラストビートですが、実際に参加者たちにはどのような変化があるのでしょうか?
「チャレンジマインドに火をつける」というのも僕らが目指しているもののひとつなのですが、参加した子たちはいろんなことにチャレンジしたくなるんです。ブラストビートの卒業生の子たちはその後、3割くらいが学生メンターをやってくれています。
僕は参加する子たちにブラストビートのプログラムに参加するだけでなく、自分が学んだことをはじめて人に伝えてこそ完結する。メンターまでやってひとつのプログラムだよ、と言っています。また、自分の中の課題を見つけてマイプロジェクトを始めている子もたくさんいます。他に留学する子も多いですね。
学生メンターや社会人メンターが経験してきたことを生の声として聞くことができるので、自分もしてみたいという気持ちが自然に湧いてくるのだそうです。これは、メンターと参加者メンバーがプログラムを通じて深い信頼関係を築いてきたことを示す一つの証だと言えます。
言葉では言い表わせないほどの幸せ感
ブラストビートを日本で立ち上げてから今年で4年目に入る松浦さんにとって、とても大切な体験があります。
ブラストビートでは、毎週木曜日に「たまり場」というオープンなコミュニティスペースを設けています。そこは、松浦さんと事務局スタッフが常駐していて、高校生から社会人、学生メンターから初めてブラストビートに来た人たちまで自由に出入りができます。特にアジェンダがあるわけではなく、必要に応じてミーティングをしてもいいし、世間話をしてもいい場所です。
このたまり場にいたある日のこと。松浦さんはこんな体験をしました。
いつものようにたまり場にいたのですが、成長した高校生や大学生たちに囲まれていたら、ふと言葉では言い表せないほどの幸せ感に包まれたんです。目の前の学生がこんなにキラキラしていたら、僕はもうこの先、何も心配することはないなぁって。安心感のようなもので心が満たされたんです。
それは自分が起業して、いくら稼いでも、自分の能力をいくら伸ばしても満たされなかったものでした。「あ、幸せって、安心ってこういうことなのかな」という感覚。この感覚はすごいと。これをたくさんの人に感じてほしいと思いました。
この時の満たされるような感覚は松浦さんがブラストビートを通じて参加者と深いつながりを育ててきたからこそ生まれたもの。この体験はこれからのブラストビートのあり方にもつながっていきます。
深いつながりの中で生まれる恩送りの社会を作りたい!
みんないい顔してます
最後に松浦さんはこれからのブラストビートについてこう話してくれました。
ブラストビートはプログラムの中で誰もが必要で大切な存在であるということが体験できるようになっています。そして、お互いがリスペクトし合いながら仲間と一緒に生きていく経験ができるのです。この深いつながりの中で自分自身が満たされる体験をすると、また他の誰かに優しさを渡すという恩送りが生まれます。
僕は、おじいちゃんおばあちゃんから子どもまでみんながつながり、そこから恩送りが生まれ、それぞれが幸せで自分らしく生きられる、そういう社会の形をブラストビートで作っていきたいと思っています。
「恩送り」とは、以前greenz.jpで紹介し、多くの方に読まれたこの記事にも出てきた言葉です。記事から一部抜粋すると”誰かからいただいた恩をその人に返す”恩返し”ではなく別の人に渡すことで、「恩」が世の中でぐるぐる回ってゆく”ということを意味します。
ブラストビートが目指しているのは、お金や能力だけでは得られない深いつながりから生まれる本当の幸せを育むこと。その社会を作ること。これは想像や空論から生まれたわけではなく、松浦さんが今までに自身の体験として肌感覚で感じてきたことが根っこにあります。この肌感覚を伴いながら、ブラストビートは今のこの瞬間も着実に目指す社会に向けて歩みを進めています。
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