名古屋城の北東部から城のお堀を通り、まちの中央を縦断して伊勢湾へと注ぐ堀川。
この堀川で近年、SUP(standup paddleboard)を楽しむ人々が増えています。SUPを活用して堀川および東海地方の水辺の再生に挑むのが、「水辺とまちの入口研究所」の共同代表を務める名古屋工業大学教授・秀島栄三(ひでしま・えいぞう)さんと元名古屋市職員で「水辺とまちの入口ACT株式会社」代表取締役の井村美里(いむら・みさと)さん。
2007年、名古屋市都市センターでの研究会で出会った二人。土木工学・都市計画を専門とする秀島さんと建築・まちづくり畑の井村さんは、「水辺をまちの入口と捉える」という共通のビジョンで意気投合。堀川を中心に、「水辺」とまちを結ぶ活動を続けています。
1992年京都大学助手、2012年より名古屋工業大学教授。専門は土木計画,都市計画,政策科学。堀川、中川運河、東横堀川(大阪市)、真間川(市川市)などのかわまちづくりに関わってきた。ほかに愛知県都市計画審議会会長、日本都市計画学会副会長、特定非営利活動法人レスキューストックヤード理事などを務める。訳書『環境計画-政策・制度・マネジメント』(共立出版)、共著書『土木と景観』(学芸出版社)などがある。
水辺とまちの入口ACT株式会社代表取締役。水辺とまちの入口研究所共同代表。ナゴヤSUP推進協議会事務局長。名古屋の堀川・中川運河近くに生まれる。大学で建築を学び名古屋市役所に入庁。建築、都市計画、まちづくり分野を担当。熱くまちづくり活動をする人たちに出会い、自らも2017年に水辺とまちの入口研究所、ナゴヤSUP推進協議会を設立、公務員の裏活動を始める。水辺への想いが高まり2022年に公務員退職。NPO勤務を経て2023年に起業し、水辺の風景を変える挑戦を続けている。
「死せる川」が生き返るまで
江戸時代に築かれた堀川は、戦前までは物流の要所として繁栄しました。材木や瀬戸の陶磁器、日用品が舟で運ばれ、川沿いには倉庫や商店が並んでいましたが、物流の主役が陸路や空路に移ると、水辺は急速ににぎわいを失っていきました。
太平洋戦争からの復興と高度経済成長の陰で汚染が進み、1966年(昭和41年)には汚れの指標を示すBOD値(※)が54.8mg/リットルに達し、「死せる川」と呼ばれるように。一般に魚が棲める水のBODは5mg/リットル以下といわれ、堀川の汚染はその10倍でした。
※BOD値:BODは「Biochemical Oxygen Demand(生物化学的酸素要求量)」の略で、水質汚染の度合いを示す重要な指標。水中の有機物が微生物によって分解される際に消費される酸素の量を表しており、単位は通常mg/リットルで示される。
気になるのは、汚染された川の水が行きつく先です。堀川やもう一つの代表的な運河・中川運河は、伊勢湾へ流れ込みます。運河の汚染が海や海産物に与える影響はどのくらいあったのでしょうか。
秀島さん 伊勢湾に対して堀川や中川運河の存在は小さく、そこまで大きな影響は与えませんでした。そのため、運河の汚染が問題となっても、「すぐにどうにかしよう」とはならなかったんですね。
水質改善へ向けての動きが始まったのは、2000年代のこと。秀島さんは、2003年に堀川の市民団体「クリーン堀川」から声をかけられ、水質改善プロジェクトに参加します。
同時期に、秀島さんが所属する名古屋工業大学、中部大学、名城大学の研究者たちが「堀川・市民がつくるインフラ研究会」を立ち上げ、技術比較やシミュレーションなど科学的なアプローチで水の浄化に取り組みました。その甲斐あって、現在の堀川は、人の健康を守り、快適な生活環境を保つための目標として、国が定めている環境基準(BOD10mg/リットル以下)を達成するまでに回復していますが、秀島さんは「水がきれいになるだけでは、水辺はよみがえらない」と話します。それはどういうことでしょうか。
必要なのは「まちの誇り」を水辺に取り戻すこと
秀島さんが堀川の水質改善に関わって強く感じたことは、水質改善に強い関心と意欲を抱いているのは一部の人だけで、市全体で見てみると絶望的に関心が低いということでした。
逆に、たとえばヨーロッパに目を向けると、ヴェネツィアやアムステルダム、パリ、ロンドンといった都市における河川の水辺は市民の集う場所であり、観光資源としても活用されています。
秀島さん 世界の都市の河川と名古屋の河川に大きな違いはありません。パリのセーヌ川もヴェネツィアの大運河も水質は必ずしもよくありませんが、人々は気にせず水辺を楽しんでいます。それは、水辺がシビックプライド(市民の誇り)だからです。
水辺を「誇れる存在」に変えることは、「水辺とまちの関係を変える鍵」であり、まちの価値そのものを高めることでもあります。
たとえ堀川の水質を改善しても、人々の関心が川に向いていなければ、また同じことを繰り返してしまう。そこで秀島さんは「川に興味を持ってもらうこと」が本来の課題なのではないか、と考えるようになっていきました。
2007年には名古屋市・地元企業・研究者・市民ボランティアによる協働のプロジェクト「堀川1000人調査隊2010」が発足しました。3年間でのべ5万人を超える市民が“隊員”として参加し、自分の視点で堀川の状況を観察し、インターネットを通じて報告。ごみの量や水の泡、生きものの様子など数値化できないデータが集積されていきました。
秀島さんは、この活動の最大の収穫は、これまでの施策の効果を「市民目線で検証」できたことだといいます。水辺は行政のものでも研究者のものでもなく、市民一人ひとりのものだからです。
しかし5万人が参加しても、200万人を超える名古屋市民のほとんどは、堀川に無関心なまま。
秀島さん 市全体で見ると、水辺への関心はまだ圧倒的に低い。だから、どうやって人々の目を水辺に向けるか。それが次の課題だとますます感じるようになりました。
その頃に秀島さんが出会ったのが、当時名古屋市役所職員だった井村さんです。
井村さんは、堀川近くで生まれ育ち、建築を学んで名古屋市役所へ。当時「建物をつくる“点”の仕事」から、「再開発やまちづくりなど“面”の仕事」へと担当が変わり、まちづくりへの関心を深めていた中で秀島さんと出会い、会合の場などで市民の関心を水辺へ向ける必要性を訴える発言に共感することが増えていったといいます。
市職員の立場でまちの人々をサポートしてきた井村さんは、やがて「まちづくりの現場で自分自身も活動してみたい」と強く思うようになりました。
「水辺を通じて人々をつなぐための活動」なら、自分にもできると考えた井村さん。秀島さんと話すうちに彼の「人々にもっと水辺に関心を持ってもらいたい」という想いと共鳴しました。そして2017年、2人で任意団体「水辺とまちの入口研究所」(以下、水まち研)を設立し、水辺の認知を高める活動を始めることにしました。
秀島さん “研究所”という名前には、土木の研究者として「机上ではなく実践でまちを変える」という決意が込められています。
発足と同時に二人が目を向けたのが、堀川の「ごみ」です。さまざまな取り組みによってかなり環境が改善された水辺ですが、それでもごみのポイ捨てはあとを絶ちませんでした。二人で意見を出し合い、水辺に人がいてにぎやかにしていれば、ごみを捨てる人が減るのではないか、と考えました。
では具体的に何をすれば水辺をにぎやかにできるのか?さまざまなアイデアを練りましたが、川で泳ぐのはまだ水質の面で厳しく、舟の往来は免許や費用面で難しいことがわかりました。
ところが打開策は偶然やってきました。二人それぞれが別の場所でSUPを体験する機会があり、「これならできる!」と閃いたのです。
SUPなら、水辺をにぎやかにすると同時にごみを拾うことも可能です。そこで同年12月にSUP仲間7人で「ナゴヤSUP推進協議会」(以下、ナゴSUP)を立ち上げました。
水まち研が、水辺の歴史や文化、自然について学ぶ知的探求の場であるのに対して、ナゴSUPは、純粋にSUPを楽しみたい人たちのクラブ活動という定義です。水まち研にいきなり参加するのはハードルが高い人たちも、SUPなら気軽にはじめられます。SUPから水辺に興味を持ち、水まち研に入ってくれる人が増えたら、と考えたのです。
しかし、現実は厳しいものでした。当初は堀川でSUPをしていると、知らない人から「落ちたら死ぬぞ」と心ない言葉を浴びせられることもあったといいます。名古屋の人にとって堀川の水のイメージは、それほど「汚い」ものだったのです。
「シビックプライド」を目指す水辺のイベント
そんな現実を変えるべく、2人が主宰する「水まち研」と2人が関わる「ナゴSUP」では、水辺がかつてのようににぎわいを見せ、名古屋市民にとってのシビックブライドになるよう、水辺を舞台としたさまざまなイベントや企画を展開してきました。それぞれの活動をみてみましょう。
水まち研の代表的な取り組みの一つが2021年に創設された「堀川検定」です。初級・中級・上級とあり、上級に合格すると「堀川アンバサダー」の称号を得られます。
初級はいつでもウェブで受験可能。ホームページに2023年頃からつけたカウンターによると、累計 1,549 人が受検しています(2026年1月現在)。中級は年に一回、オンライン試験を実施。過去4回で約150人が受検しています。上級は中級に合格した人だけが受検できます。
受検する人はやはり名古屋近辺の人が多数ですが、中には遠方の人もいます。なんと愛媛在住の堀川アンバサダー(上級合格者)もいるとのこと。
井村さん 堀川検定はインターネットで調べながら受検できるのですが、それでもかなり難しいといわれています。特に上級は、80年前の古い写真を見て橋の名前を答えたり、「現在の同じ場所に立ち、同じ方向から写真を撮ってくる」といった問題が出題されます。論文を書く必要もあり、かなりの難関です。にもかかわらず、4年間で堀川アンバサダーは13人誕生しました。
堀川アンバサダーになると、翌年からは問題をつくる側になります。また、堀川ガイドやまち歩きを任されるなど、活躍の場が広がります。
一方、ナゴSUPでは主に、定期的にSUPを楽しみながら、堀川、中川運河をはじめとする東海地方の河川や水辺のごみ拾いを行っています。8年続けた結果、ずいぶんごみが減ったと感じているそうです。
ナゴSUPのメンバーは、ごみ拾いにも積極的に参加しています。「水辺がキレイになるのは気持ちがいい」と口々に言い、中には「ごみを拾いながらSUPをすると、体幹が鍛えられて上達するのが早い」と喜ぶ人もいるといいます。
公務員を退職し、水辺とまちにお金を循環させる会社を設立
2023年には、水まち研とナゴSUPの活動から事業部分を独立させた「水辺とまちの入口ACT株式会社」(以下、水まちACT)を設立。井村さんは名古屋市役所を早期退職して代表取締役に就任しました。なぜ、井村さんは市役所職員の職を手放してまで、「水辺」に打ち込むのでしょうか。
井村さん 堀川は、名古屋のまちができたときにつくられ、市民の生活を支えてきました。娯楽も運搬も担ってきた、人々の想いを受け止める場所。調べれば調べるほど、新しい発見があるのが魅力です。水辺から“人の暮らし”が見えてくるんです。
以前から家族には、子育てが一段落したら自分の好きなことをしたいと話していたものの、まちづくりや堀川と関わるまでは、会社や団体をつくることなど想像もしなかったという井村さん。「水辺の活動」をはじめてからも、役所を早期退職することまでは考えていなかったそうです。
井村さん でも、やりたいことを思いきりやるには、定年後の60代からでは遅すぎるような気がしたんです。それで50代前半で退職を決めました。退職と同時に会社(法人)を立ち上げることも決めました。NPO法人にすることも検討しましたが、利益を出して水辺の活動に還元し、お金を循環させて、地域の幸せにつなげたいと考えたんです。
水まちACTの主な事業として行っているのは、堀川ガイドツアーです。
水辺から名古屋のまちを見て、堀川の歴史、産業、文化などをディープに案内してくれます。川のガイドだけでなく、まちあるきやSUP体験なども定期的に開催。内容は申込者の希望に沿ってアレンジしています。
水辺のあり方を決めるのは、多様な意見のすり合わせ
堀川ではお二人の活動と並行して、行政や観光団体、地元の商店街などによる、にぎわいを取り戻す活動が続いています。
例えば、自治体や観光団体、地元商店街が主催する「堀川ウォーターマジックフェスティバル」は2003年から毎年秋に開催。
堀川に浮かぶ船の上が水上ビアガーデンとなり、川沿いのバーでは、「幻のビール」として復刻された、地元愛知県半田市のカブトビールを楽しめます。
このイベントには、ナゴSUPのメンバーも参加。コスプレをして華やかに盛り上げます。
堀川ウォーターマジックフェスティバルと同日に開催されるのが、堀川に架かる納屋橋の一帯を会場にしたナイトマーケット「なやばし夜イチ」です。なやばし夜イチは、2010年8月から毎月第4金曜日に開催しています。「なやばし夜イチ」にもナゴSUPのメンバーは集い、夜の水辺をにぎやかに彩ります。
「堀川ウォーターマジックフェスティバル」や「なやばし夜イチ」がはじまった頃は、堀川の水質はまだ不安定でした。日や場所によっては汚く臭いこともありましたが、それでも盛り上がっていたといいます。
このようなイベントに集まる人々は、必ずしも水辺が好きというわけではありませんが、自分たちがSUPをする姿を見て、水辺に興味を持ち、関わろうとする人が増えたら、と井村さんたちは願っています。
こうして少しずつ、堀川に関わる市民が増えてきた中で見えてきたのは、水辺のあり方を決めるのは、一方的な理想ではなく多様な意見のすり合わせであるということ。
水まち研の活動の中で、自分自身にも変化があったという井村さん。その一つが、「正しいこと」とは人によって異なると実感したことだそう。「正しい」と思って行ったことが、地元の人にとって必ずしも良いとは限らなかったといいます。
井村さん たとえば、護岸を整備するためには、川沿いの緑を伐採しなくてはなりません。豊かな緑の景観や古い係留環(船をつなぐ金具)など、昔の暮らしの痕跡が失われていくのを見るのは、私たちにとってはとてもつらいことでした。でも、近隣住民にとっては護岸を高く整備して“水害が起きないこと”の方がはるかに大切なんです。
もう一つ、井村さんを悩ませたのは、堀川沿いの「太夫掘」。堀川を開削した福島左衛門大夫正則の名に由来する歴史的な堀ですが、埋め立てて芝生広場にする案が出ているといいます。
井村さん 堀川ガイドでは必ず紹介してきた大切な場所です。でも、近隣の人たちからは「子どもたちがのびのび遊べる広場がほしい」という声が多い。どちらも正しいんですよね。
長く市役所職員として、市民の声にひたすら耳を傾けて来た井村さん。かつては「地域がそう望むなら仕方ない」と声を潜めていたといいます。でも今は違います。
井村さん まちづくりは、50年、100年先の人たちのためにあるもの。戦後、自動車社会が発展したとき、多くの都市で川の上に高速道路が建ちました。でも名古屋はそうしなかった。そのおかげで、私は今、SUPで青空の下の堀川を自由に漕ぎ出せる。過去の「正しい選択」に、今の私たちが感謝できるんです。
だからこそ、自らが正しいと思うことを伝え、対話することの大切さを実感していると話します。
今後水まち研で取り組みたいこと
今後、「水まち研」として取り組みたいことは?と尋ねると「本を出版したい」と井村さん。「水辺はネタの宝庫」だそうで、現在3冊もの構想があるといいます。
井村さん たとえば、ごみを見て「なんでこんなものが捨ててあるの?」と腹が立つことも多いけれど、本を通してごみの一つひとつに物語があると思えば、楽しくなってきます。
「水まち研」と「ナゴSUP」の活動をはじめて8年、川の風景は少しずつ変化してきました。SUPをしていても驚かれなくなり、むしろ「気持ちよさそう」と近づいてくれる人も増えました。取材の日も、カメラマンが撮影していると、祖父に連れられた女の子が興味津々に近寄ってきました。
地道な水質改善の結果、堀川の水質がよくなったことも理由の一つではあるでしょう。しかし、それ以上に、名古屋の遊び場として、「水辺」が認知されるようになってきたのを感じるといいます。
最近では、引きこもりがちな子どもたちや彼らをサポートする人たちが、SUPのごみ拾いに毎回のように参加してくれるようになりました。彼らによれば、子どもたちは、SUPに来ると気持ちが楽になるのだそうです。肩書きや立場は関係なく、初めて会う大人と「同じ水の上」でごみを拾い、話す経験が、子どもたちにとっては貴重な時間となっているようです。
SUPのごみ拾いは楽しいことばかりではありませんが、「楽しくないことこそ、楽しくやろう」と考える二人。わざとおどけたポーズで写真を撮ったり、ごみに大げさに驚いたりと「オーバーリアクション」を心がけているのだとか。そうすることで、周りの人たちも本当に楽しくなってくるのだそうです。
「死せる川」と呼ばれた堀川は、市民が誇れる「生きた水辺」へと少しずつ姿を変えつつあります。
秀島さん 入口はどこからでもかまいません。SUPからでも、なやばし夜イチからでも、水辺に入ってきてほしい。これからも、水辺の魅力をますます周知していきたいです。
「水辺をきれいにするだけでなく、水辺を『好き』と思う人を増やすこと」「水辺を誇れる存在にすること」こそが、二人が目指す本当の水辺の再生なのです。
「声を上げ続ける」ことの大切さ
堀川でのSUPで「落ちたら死ぬぞ」と罵声を浴びたという話から、筆者が思い出したのが、大阪の道頓堀です。道頓堀も水質はあまり良くないと聞きますが、タイガースファンが飛び込むのが風物詩になっています。
道頓堀が大阪市民の「シビックプライド」だから、なのでしょう。
飛び込むのを推奨するわけではありませんが、堀川もいつかドラゴンズファンが集う「大阪の道頓堀のような存在」になれる日が来ることを心から望みます。
もうひとつ、戦後、自動車社会が発展した時に、多くの都市で川の上に高架道路がつくられた話で、東京の日本橋を思い出しました。
日本橋は日本三名橋の一つで江戸時代の五街道の起点です。しかし、橋の真上を高架道路が走っていて、東京在住時には日本橋に行くたびに残念な気持ちになりました。
2025年に発表された首都高速道路株式会社などによるプレスリリースでは、日本橋エリアは複数の再開発事業により、2040年には高速道路の地下化を受け、高架橋が撤去される予定だといいます。
これも誰かが「自分にとっての正しさ」を伝え続けてくれたおかげなのかもしれません。
ただし、高速道路の地下化は、騒音や大気汚染といった地上の環境改善が期待される一方で、換気・照明・排煙・防災設備が必須であり、膨大なエネルギーを消費します。
このようにすべての問題が解消されることは難しく、簡単に答えは出ませんが、それでも「声を上げ続ける」ことをあきらめないでいたいと思います。
(text:陽菜ひよ子)
(撮影:宮田雄平)
(編集:村崎恭子)






















