「まさか、こんな人生になるとは思っていなかった」。
思いもよらない人生への一歩は、たいてい気づかないうちに踏み出しているものです。現在、龍谷大学(本部、京都市)で教鞭をとる深尾昌峰さんにとって、最初の一歩は阪神・淡路大震災の被災地ボランティア。1995年当時、滋賀大学の2年生だった深尾さんは、「被災した人たちに声ひとつかけられない自分」に直面し、また被災地支援に関わる大人たちとの出会いに衝撃を受けました。
深尾さん 20歳の僕の辞書にはない、すごく魅力的な人たちがいっぱいいるわけです。「なんなんだ、この人たちは?」と思っていたら、非営利の市民活動をしている人たち。彼らと話すうちに、当時の市民活動が置かれていた状況を知りました。
阪神・淡路大震災はボランティア活動のムーブメントを起こし、1998年の「特定非営利活動法(NPO法)」の成立につながりました。深尾さんは、同年にNPOの中間支援団体「きょうとNPOセンター」の設立に参画。翌年にNPO法人格を取得すると同時に、学生ながら事務局長に就任しました。以来、30年にわたりNPOをはじめとする非営利組織の支援やそのための仕組みづくりに奔走する人生を歩んでいます。
来年春、関西のソーシャルセクターを紹介する連載「マイプロSHOWCASE関西」が15年目を迎えます。この節目にあたり、NPOの現場を実践者と研究者の立場から見てきた深尾さんに、ソーシャルセクターの潮流と現在地、そして次の10年に向けた展望についてお話を伺いました。
龍谷大学政策部教授。熊本県出身。2003年、滋賀大学大学院教育研究科修了。在学中に阪神・淡路大震災の被災地ボランティア活動に従事。1998年、特定非営利活動法人きょうとNPOセンター設立と同時に事務局長に就任(〜2009年)。2001年、日本初のNPO法人放送局、京都コミュニティ放送(京都三条ラジオカフェ)の立ち上げに参画、理事長を務める。京都市市民活動総合センターの初代センター長(03〜07年)、公益財団法人京都地域創造基金理事長(09〜18年)などを歴任。2016年、社会的投資をデザインする非営利型企業 株式会社PLUS SOCIALを起業し代表取締役に就任。2022年より龍谷大学副学長。
ボランティア元年にNPOの世界へ
関西のソーシャルセクターの潮流を振り返るとき、忘れられないのは1995年1月17日に発災した阪神・淡路大震災です。報道を通して大規模な被害状況を知り、全国から数多くの学生や市民がボランティアに参加し、物資の配給や避難所の支援を助けました。同時に、1995年は日本の「ボランティア元年」と呼ばれてもいます。被災地ボランティアに参加した人たちが増えるにつれ、「ボランティアは“特別な市民”がするもの」という旧来のイメージを、「誰もが参加するもの」へと塗り替えたからです。
また、1998年には「特定非営利活動促進法(NPO法)」が成立。行政が機能不全に陥ったときにボランティアが果たす役割の重要性が認識されたためです。前述したとおり、深尾さんはこの大きな流れとともに、NPOの世界へと導かれていきました。
深尾さん 震災を機に出会った、今で言うNPO的な生き方をしている人たちの魅力にハマっちゃいまして。たとえば、無認可作業所や無認可保育園という言葉がありますが、当時の僕は非合法な場所だと思いこんでいました。でも、“無認可”という言葉でしか表現しかできないのは、世の中に必要とされているのに法律や制度が追い付いていないからだと知って愕然としたんですね。戦時中から闘ってこられた、今はもう亡くなった世代の人たちの話を聞いて、市民が主体となって社会のいろんな課題を解決する基盤づくりに取り組みはじめました。
1998年には、NPO活動の基盤整備を行う「きょうとNPOセンター」の設立に参画し、事務局長に就任。2001年には日本初のNPO法人放送局「京都コミュニティ放送」の立ち上げに関わり、理事長になりました。2003年には、NPOやボランティア団体などによる市民活動の活動拠点施設「京都市市民活動総合センター ひと・まち交流館 京都」の初代センター長を務め、2009年には、コミュニティ財団「京都地域創造基金」の理事長に。錚々たる経歴ですが、深尾さんはこれらの多くを20代のうちに経験。まさにNPO界の生え抜き、と言うべき人です。
深尾さん 自分たちでNPOを運営するうちに足りないものに気づくわけですよね。NPOはマイノリティの塊ですから、どうすればその叫びを伝えられるのかを考えるうちに、コミュニティFMをつくろうという動きになりました。また、どうすればまだ大多数の人が気づいていない課題にお金が回るしくみをつくれるだろう?と考えていて、コミュニティ財団にたどり着いたりして。走りながら、自分たちが必要なものをかたちにしていった感じです。
反射神経で動く「現場」から概念をつくる「大学」へ
NPOの現場にいた深尾さんが、龍谷大学に招かれたのは15年ほど前のこと。誘ってくれた教授が「普通の教員になることは求めない。好きなことをやれ」という“名言”が、直接のきっかけになったそうです。
深尾さん 当時の龍谷大学は、僕ら現場の人たちを巻き込む研究プロジェクトをつくってくれていて、研究会や勉強会をご一緒していました。僕の活動を理解したうえで『大学教員の立場で今やっていることを続けて、新しい大学教員のかたちをつくってほしい』と言ってもらえたんです。だから、大学に来てからも、同僚たちは僕の活動を応援してくれるので非常に居心地がよかったです。

社会問題に対してのアクションとその結果を示すメッセージを伝える「More Empathy, More Equality」「Less Me, More We」などのメッセージ。龍谷大学の長期計画の世界観を表現している
龍谷大学といえば、浄土真宗本願寺派の宗門大学。仏教の立場から社会問題に向き合ってきた歴史があります。なおかつ、現在掲げる目標のひとつは「社会変革のハブになる」こと。「社会変革に対して大学は何ができるのかを問うてみたくなった」ことも、大学に籍を置く理由のひとつだと深尾さんは言います。
深尾さん 僕ら、現場の人たちは直感的というか、反射神経的で、目の前の状況をどうにかすることに対して瞬発力で勝負しているんですよね。だけど、大学の研究プロジェクトでは、研究者たちが社会を広く見て何が欠けていて何が必要なのかを愚直に整理する姿を見せてもらいました。大学には、今起きていることに対して、新しい概念や新しい言葉を与えて、古い考え方に回収されない構造をつくる役割があると思えたことも大きかったです。
そんな深尾さんのゼミには、もちろん社会変革に関心をもつ学生たちが集まっています。ゼミで取り組むのは、自ら設定した課題に基づくプロジェクト。卒業生のなかには、学生時代に取り組んだプロジェクトから起業に至った人たちもいます。以前、greenz.jpで取材した「革靴を履いた猫」のほか、タイから珈琲豆を買い付けて自家焙煎する珈琲店「Laughter」、獣害対策からジビエ肉の流通に取り組む「RE-SOCIAL」などがよく知られています。
学生時代に、被災地でのボランティアやNPOの立ち上げにのめり込んだ深尾さん。教員の立場になった今は、学生たちのプロジェクトをどんなふうに見ているのでしょうか?
摩擦があるから対話や合意が生まれる
深尾さん 基本的に、僕はあまり口を出さないようにしています。若い人たちは柔軟で感受性が高くて、ときには突拍子もないことを言うんです。だけど、僕らが悩んできた旧来の価値観をポンと超えていくしなやかさもあります。そういう発想に対して、つい「社会は甘くないぞ」って言いたくなる自分に幻滅するというか。起業支援や教育をする人たちは、年齢を重ねるのに合わせて、感性をアップデートする努力を相当しなければいけないなと思います。
学生たちはプロジェクトを通して、意見をぶつけあい、ときには仲間割れすることもあります。こうした「摩擦」を深尾さんは肯定的に捉えています。
深尾さん 今ある常識を疑い、新しいことをはじめるとなると摩擦だらけですよ。多様な考え方があるからこそ、理解されないこともあるわけです。ただ、摩擦係数が大きいほどに何かが動いていて、揺さぶられているのは確かです。だからこそ、対話を続けながら合意点を探っていく営みが大事だと思います。
社会のなかでの活動であれば、摩擦を経験して身を引くこともできるかもしれません。しかし、大学のゼミではそういうわけにはいきません。泣きながら話し合い、チームで乗り越えて本当の意味での仲間になっていきます。卒業後も毎年のように、深尾さんの自宅に集まる元ゼミ生たちも。最近ではパートナーや子どもを連れてくる卒業生も増えているそうです。
ただ、組織内においては、摩擦は継続性を阻害する要因にもなりえるため、摩擦によるハレーションは「避けるべき」と捉えられがちです。しかし、深尾先生は「摩擦を気持ちいいと思うくらいじゃないとね」とにこやかに言います。
深尾さん 継続に重きを置きたいなら摩擦係数を減らせばいい。たとえば、趣味の会が長く続くのは摩擦が少ないからですよ。たしかに従来の組織論は、長く続くこと、大きくなることを求めますが、必ずしもそうではないんじゃないかと感じることは多々あって。たとえばNPOには、野球で言うショートリリーフみたいな役割もあるんじゃないかと思うんです。
実は、今回の取材は「非営利活動の継続性のコツを聞きたい」という意図ではじまった企画でした。ところが、深尾先生は「長く続くこと、大きくなること」を、必ずしも求めなくてもいいのではないか?と言います。取材する側としては、こういうときが一番わくわくするものだったりします。それでは、そのセリフの核心をじっくり聞いてみましょう。
継続性と拡大路線だけが組織の“正解”なのか?
NPO法が施行された1998年度、23団体からはじまった認証法人数は、現在は約5万団体と飛躍的に増えました(※)。一方で、この27年間に2万を超えるNPO法人が解散しており、活動休止状態にある団体も少なくないと見られています。しかし深尾さんは、活動期間の長短だけではNPOの役割や価値を測りきれないと考えています。
深尾さん 事業性のあるサービスプロバイダー的なNPOは社会に理解されやすいから長く続くことが多いんですね。一方で、既存の価値観を問うたり、新しい価値観を提起する役割を担うNPOの活動期間は短い可能性もあります。その時点の社会には受け止められなくて解散はしたけれど、その団体が提示した問いかけが次の誰かの動きにつながるという“継続性”もあると思います。そういう意味では長く続けばいいとだけは思いません。
むしろ気になっているのは、「NPO=社会課題解決の担い手」というイメージが強くなり、各団体がインパクトを重視する傾向だと言います。
深尾さん インパクトを出そうとして、粒度の大きい課題に向き合おうとすると、背負いきれずに潰れてしまうこともあります。たとえば、「みんなで楽しくごはんを食べる場所をつくろう」と子ども食堂をはじめたとします。その結果として、子どもの貧困という課題解決につながっているかもしれません。ところが「子どもの貧困を解決する」と大きな課題から入ると、子ども食堂の取り組みが小さく見えてしまうんです。
インパクトを意識することも大事ですが、「こういうものがあるとハッピーだよね」という発想とのバランス感覚がないと、「無力感だけが際立ってしまうのではないか」と深尾さんは危惧しています。
深尾さん それこそgreenz.jpが取り上げてきたマイプロジェクトのような動きが積み上がって、社会的なものになっていく発想がないと、草の根的な動きが価値のないものになってしまうというか。大きいものにぶらさがらないといけない構造ができてしまうのは良くない。逆に言えば、等身大を大事にしている人たちは、楽しそうだから仲間も集まってくるしいろんな接点ができるから続いていくんでしょうね。
今年、「マイプロSHOWCASE関西編」では、長く続いている団体にフォーカスを当てる取材を行いましたが、まさに活動の主体となる人たちが楽しんでいるようすが浮かび上がりました。「“自分ごと”にできるかどうか」というマイプロジェクトの基本が、意外にも継続性のヒントのひとつになるかもしれません。
“不完全な社会”との向き合い方を考える
NPOをはじめとするソーシャルセクターは、今やこの国にとって必要不可欠なものとして根付いています。現在の潮流とこれからの展望について、あらためて深尾さんに尋ねてみました。
深尾さん 中でも関西のソーシャルセクターは元気だと思います。たとえば、コロナ禍以降の若者たちになくてはならない存在になったNPO、D×Pさん。熱量をもってファンドレイジングに取り組み、寄付で活動を継続できるモデルをつくり上げたのはすごいなと思います。一方で、全国的にソーシャルな活動をするときに、NPOではなく会社(営利法人)や一般社団法人を選ぶ若者が増え、資金調達のあり方も多様になっています。それに伴い、サービスプロバイダー的な立ち位置でソーシャルビジネスを展開する事例が増えているのも事実ですね。
営利法人である会社はもちろん、非営利法人であっても一般社団法人であれば、事業内容に制限なく収益事業などを行えます。NPOは補助金や助成金を受けやすく、税制上のメリットを受けやすい一方で、活動内容の公益性を問われる側面もあります。それでもなお深尾さんがNPOに期待するのはどうしてでしょうか。
深尾さん NPOの本質として、いろんな人を巻き込んでいく参加性という概念を大事にしてきたと思っています。NPOはどうしても量的な展開はできません。点だからこそできることもあります。たとえば、政策に落とし込むには公平・平等な観点が必要ですが、NPOは当事者とその周辺の人たちを中心にして「自分たちはこう生きたいよね」と社会に訴える器として重要な意味をもつのではないかと思います。
もうひとつ、深尾さんはNPOの歴史を踏まえて「運動性」にも触れました。
深尾さん 僕らの世代にNPOという概念ができたけれど、もっと前の時代の先輩方によるNPO的な動きが、NPOとして位置付けられただけなんですね。それこそ無認可の作業所や保育園もそうです。今でこそ女子校や女子大の存在意義が揺れていますが、女子には高等教育は必要ないと言われた時代には、女子だけの学校をつくるなんて大冒険でした。そういう闘いの歴史のなかで勝ち取ってきた権利のうえに、私たちの社会はあるわけです。どうしても事業性に引っ張られますが、運動性みたいなものとのバランスが、NPOだけでなくあらゆるソーシャルセクターの組織には必要ではないかと思います。
深尾さんは「完璧な社会は存在しない」と言います。むしろ「不完全な社会にどう向き合って生きていくのか」を考えるなかで、「まだ当事者しか知らない課題に気づいて、社会に対して声をあげていく存在としてのNPOの役割は、これからもきっとなくならない」のだ、と。
目の前で問題が起きているとき、しんどい思いをしている人に出会ったときに、それを“自分ごと”として考えられるかどうか? 連載「マイプロSHOWCASE関西編」が取り上げてきたマイプロジェクトもまた、いつも“自分ごと”からはじまっていました。たくさんのマイプロジェクトが積み重なって、ときにはNPOなどの法人格をもって社会を動かしていき、やがては政治的な課題として広く認識されていくーーそんなふうにして、私たちの“ほしい未来”はつくられてきたのだし、これからもつくられていくのだと思います。
同じ時代を生きる仲間だけでなく、遠い過去や未来につながっている無数の“仲間”たちとともに。
(撮影:川島 龍佳 [あかつき写房])
(編集:村崎恭子)
(プロジェクトマネージャー:北川由依)





