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“まちがあってあなたがいるのではなく、あなたがいるからこのまちがある”。『まちは暮らしでつくられる』の著者・杉本恭子さんが語る、小さい言葉を聴くということ

まちは“つくる”ものではなく、そこに生きる一人ひとりの暮らしから“つくられていく”ものだと思うんです。

そう語るのは、杉本恭子さん。greenz.jpでも何本ものインタビュー記事を執筆し、人の想いの源泉から取り組みの本質を伝え続けるライターさんです。

そんな杉本さんがこの度、書籍『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)を上梓しました。

約10年間かけて徳島県神山町(以下、神山)で生きる女性34名へインタビューを行い、その言葉を通してまちの変化とありようを描いた、まちを織りなす人や自然の息づかいが聴こえてくるような一冊。

タイトルに掲げられた「つくられる」という表現には、杉本さんがインタビューを通して感じ取ってきた「まち」の成り立ちに向けた眼差しが込められています。

「まち」は誰かが意図して「つくる」ものなのか。
それとも、何らかの営みによって「つくられて」いくものなのか。

そんなことを思い浮かべながら、杉本さんの言葉に耳を傾けてみましょう。

杉本 恭子(すぎもと・きょうこ)
大阪生まれ。同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修了。2009年より、京都を拠点にフリーランスのライターとして活動している。greenz.jpでは2012年より執筆。アジールになりうる空間、自治的な場に関心をもち、大学、寺院、NPO法人、中山間地域などをフィールドにインタビュー・取材を重ねている。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。

女性たちの言葉を軸に、まちを編んだ一冊

『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』は、2016年から約10年間、神山に通い女性たちの話を聴きつづけた杉本さんが、彼女たちの言葉を軸にまちを編んだ一冊。

約380ページ。本の袖には「神山の生活史」という表現で紹介されていますが、随筆や紀行のようでもあり、ともすると文学作品のようにも読める、度量の大きさを感じることができる作品です。

インタビューだけではなく神山の地形や歴史にも触れながら丁寧に紡がれた言葉たちからは、神山というまちがじわじわと立ち現れてくるよう。たった一度神山を訪れたことのある私にとっては、顔の見える方々の言葉たちとともにまちの空気がフワッと蘇り、何か大きなものに包みこまれるような懐かしさと居心地の良さを感じる一冊です。

特徴的なのは、その章立てです。まえがきに続く第一章のテーマは、「川を背骨にしたまち」。

“「あくいがわ」は、私が最初に覚えた神山の言葉だった”。

という一文からはじまり、まちの中心を流れる鮎喰川にまつわる思い出や歴史、「水が減ってきている」と川の現状を語る人々の言葉たちが続きます。川というものがこのまちの人々の営みの真ん中にあるということを感じ取ったあと、第二章の「山と人の暮らしをつなぐ」、第三章の「関係性をかきまぜるアート」へと続いていきます。

どの章を読んでいても川のせせらぎが聞こえてくるように感じるのは、きっとこの章立てのなせる業なのだと思います。

2019年8月、神山を訪れた私が高台から撮影した風景。この時は意識していなかったが、やはり川が中心にあった

川を起点に、まちを描く

2025年6月に産声をあげた『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』ですが、その小さな種は、もう10年も前に蒔かれていました。

ウェブマガジン『雛形』(2022年4月更新停止、2025年7月閉鎖)の連載として、2016年11月にはじまった「かみやまの娘たち」。神山町の創生戦略の中で設立された一般社団法人神山つなぐ公社(以下、つなぐ公社)の一員として神山町に移り住んだ女性たちへの継続的なインタビュー連載がすべての始まりでした。

2025年7月、惜しまれながら閉鎖されたウェブマガジン『雛形』で連載されていた「かみやまの娘たち」は、神山の今を伝えるウェブマガジン「イン神山」にて現在も読むことができる

神山町のことは、地方創生戦略のロールモデルとしてご存知の方も多いのではないでしょうか。

国内外から集まったアーティストが滞在制作をする「神山アーティスト・イン・レジデンス」や、農業と食文化の地域内循環システム「フードハブ・プロジェクト(以下、フードハブ)」など数々のプロジェクトが進行していたり、ITベンチャー企業のサテライトオフィスが次々に誕生していたり。自然豊かな人口5千人弱の小さなまちに、国内外から視察に来る人も多いのだと聞きます。

神山アーティスト・イン・レジデンスの制作風景(撮影:生津勝隆)

フードハブ・プロジェクトの拠点となっている食堂「かまや」(撮影:生津勝隆)

そんな神山町に、3ヶ月に一度インタビューのために自宅のある京都から通い続けた杉本さん。連載は当初予定されていた3年間から5年間へと延長され、計45本の記事を重ねました。そして湧き起こった、書籍化の話。杉本さんは当時を振り返りながら、こう語ります。

杉本さん 彼女たちの言葉を通して神山というまちを見てきたという経験が先にあって、この本の形を探りあてていこうというかたちで始まったので、書籍の読者を想定した書籍企画ではなかったんです。構成を考えているときに思ったのは「神山の懐の深さってどこにあるんだろう」ということでした。

この問いを突き詰めていく過程で表出してきたのは、外から見た神山のイメージと、そこで暮らす彼女たちが語る言葉とのギャップでした。

杉本さん 神山と言うと、多くの人から「ああ、サテライトオフィスの」とか、「地方創生のロールモデルの」とか言われるんですね。でも、神山のみんなと話していると、サテライトオフィスや地方創生に惹かれて移り住んだ人ばかりではないんだなと思いました。それぞれに憧れのお父さん・お母さんがいたりして、神山のことを教えてもらいながら暮らしているなと感じていて。

むしろ、そもそもみんながここに住みたいって思ったのは、大昔にここに住もうと思った人と同じ理由かもしれないと思ったんです。過去10年、20年の話だけではなく、もっと大きい空間軸と時間軸を置いた時に、すごくつながっている言葉をみんなが話しているんじゃないかと考えはじめました。

この地に人が暮らしはじめてから現在までをつなげている、変わらずにまちの真ん中にあるのが「川」だったと杉本さんは続けます。

神山を流れる鮎喰川の支流、上角谷川にて(杉本さん撮影)

杉本さん 神山の地形が「川を背骨にして葡萄のふさのように集落が連なっている」ということは、連載を始めた当初から耳にしていましたし、最初の記事にも書いていたことなんですね。

そのときには実感はなかったんですが、「いつ行っても、みんな川の話をしているよなあ」と思っていたこと、川と山や田んぼとのつながりが重なってきて、「それが背骨っていうことなんだ」って自分の中で落ちた瞬間があった。

だから本の中でも、まずみんなに共有したかったんですね、神山の真ん中には川があるということを。それが昔移り住んだ人が「ここに住めるな」って思った理由の一つだと思うので。

こうして川を皮切りにまちを描くことが決まると、次は川に流れる水の源となる「山」、移り住む人がグッと増えたきっかけとなった「アート」と、構成が見えてきたと言います。

杉本さん 自分の中では、時間と空間の地層が重なって、だんだん上に積み上がっていくイメージなんです。

まちを編むということ

こうして構成が決まり、いざ執筆に入ろうとしたとき、ふと立ち止まった杉本さん。こんなことを思ったそう。

杉本さん ちょっと待って、彼女たちが話した言葉がどこに根付いているかちゃんと見なくちゃいけないなと思いました。地形や自然や紡がれてきた歴史を見ないで今の話だけするのはあまりいいことじゃないなと。

私が話を聴いた彼女たちは、自分たちが見えているものだけじゃなくて、神山で生きてきた人々のさまざまな積み重ねを大事にする人たちだったんです。地元の人たちのあり方や営みに手を重ねていきたいと思う人が多くて、みんなが先人たちへのリスペクトを語っていて。

長く話を聴く中で、私もそこに耳が開いた。それがすごく大事なことなんだな、響いてるんだなって、だんだん自分の耳を開いていったんです。

「耳が開いた」杉本さんは、神山町史を入手し、国土地理院から取り寄せた地図を壁に張り出し、神山のことを学びはじめました。加えて、インタビューのなかで語られていた人たちにも会いに行って、話を聴かせてもらうということも。

上下巻、約2,300ページからなる「神山町史」。付箋がぎっしりと貼られていた

神山町の地図を執筆当時、部屋の壁に張っていた神山町の地図。 付箋にメモを残しながら執筆を進めたそう。付箋は、まちの真ん中に流れるのが鮎喰川とその支流にそって「マチ」が形成されていることを確認するために貼ったものだそう

そんな中で出会った女性の言葉が、神山に移り住んだ彼女たちのしていることとつながった瞬間があったと杉本さんは語ります。

杉本さん フードハブの加工場にいる人たちがお世話になっている生活改善グループのお母さんたちがいるんです(※)。彼女たちがお母さんたちと作業をしているときに、なぜあんなにイキイキしているかを理解するために、生活改善グループの方々の話を聴かないとなという気持ちがあって。

※フードハブは、生産者、料理人、食べる人をつなぐ「hub(拠点、中継点)」として始まった取り組み。その後、神山の暮らしをつくってきた女性たちと、移り住んできた女性たちが結び合い、次の世代にこのまちの暮らしを受け継ぐ「hub」にもなっていったといいます。

生活改善事業は、1948年に農林省(当時)に発足した農業改良局の生活改善課が中心となって進めた取り組みで、「農家の家庭生活を改善向上する」ことに加え、「農業経営の改善」、「農家婦人の地位向上」等を目的としていました。

「神山の生活改善は、どんなふうにはじまったのだろう?」と疑問に思った杉本さんは、生活改善グループの中核を担ってきた女性たちに連絡を取り、話を聴きにいきました。そのうちのひとり、海老名良子さんは昭和30年代の生活改善グループの活動を熱っぽく語ると同時に、編集に携わった『神山の味』(1978年発刊)をフードハブが復刊し再び注目されていることについて、こう語ったそう。

「受け継いでくれる人があるっていうことは。自分たちが生きた証を肯定してくれとるなと思う。こんなもんいうんで捨てられたらあれやけど。これを役立つ話というて使うてくれる人があるっていうことはな、ありがたいと思う」(『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』第五章本文より)

この言葉を受けて杉本さんは、こう記しています。

「受け継ぐ」ということは誰かの生きた証を肯定することなのだ。そう思うと、神山で暮らしている彼女たちがしていることが一本の線につながって見えてきた。(『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』第五章本文より)

杉本さんの「耳が開いた」ことによって、個々のインタビューという点と点が、線としてつながっていったのです。さらに杉本さんは、まちの人たちの営みにも自ら進んで参加してきました。

杉本さん 地域のお祭りで伝統料理のバラ寿司をつくる時に参加させてもらって、巨大な炊飯器で炊いたご飯を大きな寿司桶で混ぜたりしていて。しれっと法被を着て販売してたらみんなにびっくりされたんですけど(笑)。一緒にやるということの楽しさを一回体験してみたかったから、田植えや稲刈りも行ける限りは参加したいなって。どれも一回しか体験できていないんですけどね。

田植え前に田んぼを平らにする「代掻き」をする杉本さん(杉本さん提供)

神山の農村舞台「小野さくら野舞台」の定期公演では、地元の人たちによるばら寿司づくりに参加したそう(杉本さん提供)

こんなふうにこの本には、連載が終了した後の杉本さんの調査・研究や追加インタビュー(連載から数えるとのべ100回は確実に超えたそうです)、さらには地域活動への参加という地道な歩みがぎっしりと詰まっているのです。そしてもちろん、神山の人たちとの数えきれないほどの交流も。

杉本さん 数々の宴会とかね(笑)。私はこれまで遠慮もあって取材対象の方とプライベートで交流するようなことはあまりありませんでしたが、神山は途中から自然にそうなっていきましたね。

本にも出てくる、みんなが「お父さん」と慕う岩丸さん(岩丸百貨店店主・岩丸潔さん)に「泊まっていいで」って言ってもらえたことがその後の私の神山通いを大きく変えていきました。岩丸家の夜ごはんにはいろんな人が来るので、取材前におでんを仕込んでから出かけたり、勝手に人を呼んじゃったりして(笑)。今では他にも泊めてくださる方がいますし、いつも神山に行くと会いたい人に会いきれなくて困るくらいです。

神山はもはや故郷のような場所になっていると笑う杉本さん。

自らもまちに溶け込みながら紡いだ言葉だからこそ、この本からは語る人の温度感がそのまま伝わってくるのでしょう。まちを編むということは、こういうことなのだと感じずにはいられません。

まちは、一人ひとりの暮らしによって「つくられる」

『雛形』での連載タイトルは「かみやまの娘たち」でしたが、書籍のタイトルは『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』とつけられています。どうして、このタイトルにしたのでしょうか。実は、書籍のタイトルについては最後まで悩み、何度も編集者と相談を重ねたそうです。

杉本さん 最後までもう一つの候補になっていたのは『自分の手でまちをつくる』でした。「手でつくる」感覚をもっている人が多いから、「手」をタイトルに入れるのはすごくしっくりくるなと思ったんです。でも「まちをつくる」という気持ち、みんなにはあるのかな?と思ってしまって。「まちは、そこに暮らしている人の人生があって、つくられていっているんだよね」という感じが強かったから。

同時に、神山つなぐ公社を卒業した赤尾苑香さんが「暮らしている一人ひとりがまちをつくっている」と言ってくれたこともずっと心の中にありました。まちづくりをやっている人だけがまちをつくっているわけではないし、山とか川とか動物たちもこのまちを構成しているんじゃないかな、とも思いますし。一人ひとりの人生があって、その暮らしによってまちがつくられているという方が実態に近いんじゃないかと思いました。

「暮らし」という言葉には、「ていねいな暮らし」のように、家のなかだけにあるようなイメージがありますが、神山にいるとそれぞれの仕事も地域の清掃やお祭りも、もしかするとアートも暮らしのなかに入っています。そういう広い意味での暮らしによって、まちがつくられていくようすを見ていた気がして。

インタビューをした方々も、タイトルの候補を見せたら『まちは暮らしでつくられる』の方を選んでくれました。「つくるって思ってないよ」って。

赤尾さんとの最後のインタビュー風景(撮影:生津勝隆)

杉本さんの言葉を噛み締めながら改めて振り返ってみると、そもそもの始まりはつなぐ公社の一員となった女性たちのインタビューだったはず。創生戦略を実行していく立場の彼女たちでさえも、「つくると思っていない」と語ったという事実には、驚きを隠せません。

杉本さん そうなんです。つなぐ公社の方たちは特に、極めてコンセプチュアルな動きをしていたはずなのに、彼女たちの言葉はそうはなってなかった。

たとえば、つなぐ公社で「ひとづくり」に携わった森山さん(森山円香さん)にはプロジェクトの話を聴くことが多かったんですね。でもその彼女が、最後のインタビューで「神山で仕事をするということは、地域の人に関わったり、自分の仕事をつくったり、いわゆる”仕事”じゃないものがすごく大きいから、最後に暮らしの話ができてよかった」って話してくれて。「暮らし」という言葉を見つめ直すきっかけをもらいました。

森山さんとの最後のインタビューは、彼女の自宅で行ったそう(撮影:生津勝隆)

仕事と「暮らし」を切り離して考えない。神山に移り住んだ彼女たちが共通してこの感覚を持ち合わせているのは、なぜなのでしょうか。

杉本さん 神山は、暮らしとまちがなだらかにつながっているからかな、と思います。京都で暮らしている私が畑をはじめようとするとハードルが高いけれど、神山なら「ここでやる?」って言ってもらえて農業指導付きで、道具まで貸してもらえちゃうかもしれない。畑仕事とか草刈りとか、まちのためになることをやっている人を、まちの人たちはすごく尊く大事に思ってくれるんです。

たとえば、私が岩丸さんに、「小野さくら野舞台のバラ寿司をつくりにいくんです」って言ったとき、めっちゃ喜んでくれて。「やっと恭子さんもまちのことに関わってくれるんか」って言われてびっくりしたんですよ。え?私、まちの(つなぐ公社の)仕事をしてたんだけどな?って(笑)

つまり、お父さんにとっての「まちのこと」は、たとえばまちづくりのタウンミーティングに参加するというようなことではないと思うんですよ。畑とかまちの清掃とか、この神山じゃないとできない自然との関係性だったり、そういう取り替え不可能なこのまちとの関わりのことを言っているのだろうなって思ったし、そういうことを通してまちの一員に迎えてもらえるんだろうなって。

そんなふうに暮らしを重ねてまちの一員になっていった彼女たちが語る言葉を、杉本さんは大切に大切に扱い、「小さい言葉」と表現しました。この書籍は、「小さい言葉で積み重ねた本」なのだと。

そんな杉本さんの想いを、神山の人たちはありのままに感じ取ってくれています。

杉本さん 本にも登場していたいだた地元のお母さん・粟飯原國子さんに、完成見本を送ったらすぐに熟読してくれて、「なんてことない、その人のこと そのまま書いてあって、ええわ〜」って言ってくれたらしくて(笑)。さらに「ここになんで来たかとかていねいに書いてくれて、よう分かるわ!神山離れたって、ええんよー その人が息しとったらそれで 充分よー」って言ってくれたらしいんですよ。

「なんてことない」って、知らない人が聞いたらいい言葉ではないかもしれないけど私はめちゃくちゃこの感想が嬉しくて。

実際、彼女たちはみんな、すごい人ばかりだと思っているんですけど、そのすごいことを因数分解すると「なんてことない」になる。誰の人生も特別だし、同時になんてことないんだと思う。神山の人たちにはそういうフラットなものの見方があるから、そういうふうに書きたかったんです。

恭子さんの話を聴いていて、あぁ、だからこの本は居心地がいいんだなと腑に落ちました。読み終えたときに、私自身のちっぽけな人生も肯定してもらったような気持ちになりました。

「おわりにー」の結びに紡がれた「まちがあってあなたがいるのではなく、あなたがいるからまちがある」という言葉は、読んでいる人に対して「読む人がいるからこの本があるんだよ」と伝えてくれているのかな、なんて想像しながら味わった心地よい読後感が甦りました。

杉本さん まさにそうなんです。何かをやっている人だけが偉いんじゃない。それこそgreenz.jpのタグライン『生きるを、耕す』みたいなことが一つひとつ起こっていて、そこに着目して重ねていくと、一つのまちまでいくんだなって。

大きいまちで暮らしていて川や山がなくても、この本を通してそれぞれの暮らしとまちとの結びつきを見つけてくれたらいいなとも思うし、同じように小さいまちで暮らしている人は、私もそうだなって姿を重ねてくれてもいいし。彼女たちの中の誰かの話に、ふと自分と重なるものがあるといいなって思います。

そして物語は、続いていく

神山を流れる鮎喰川(杉本さん撮影)

書籍発売後、杉本さんは「著者は本にとって親みたいなものだから届けていく責任もある」と考え、棚に並べてくれている書店にお礼を伝えたり、まだ取り扱いのない書店には営業をかけてみたり。よちよち歩きを始めた子どもを見守るように、本の歩みに丁寧に寄り添い続けています。

いま、どんな実感の中にいるのでしょうか。

杉本さん 書いたのは自分だけど、どちらかというと書かせてもらったなと思っていて。神山のまちもそうだし、一人ひとり、本に出てきてくれた人たち、インタビューに答えてくれた人たちが書いていいと言ってくれたからできた本ですから。だから書店の方が思いを込めて紹介してくださっていたりすると、「この世界の片隅に、この本を見つけてくれてありがとう」って気持ちになります。

そんな杉本さんの周りの方々への感謝と敬意が詰まった一冊は、発売後もさまざまな物語を生み出しています。「お祝いしなきゃね」というたくさんの言葉に加え、感想をSNS等で発信してくれたり、まとめ買いして親戚に配ってくれる人も。

さらに本にも登場する「豆ちよ焙煎所」の千代田孝子さんは、この本をイメージしたオリジナルブレンド「かみやまの娘たち」を開発。そのドリップバッグを付けて、お店とオンラインショップで本を販売するという企画まで始めました。

「豆ちよ」のオンラインショップでは、書籍の定価そのままで、本をイメージしたブレンドのドリップバッグ付きで販売している。杉本さんは「本に出てくる人がいて、そのコーヒー豆を焙煎しているまちから届いて、そのコーヒーが飲める。そんな読書体験ってないじゃないですか?」と興奮気味に語ってくれた

杉本さん 本が完成したら、神山との関係はどうなるのかな?って思っていて。たしかに、もうインタビューはしなくていいんですけど、何もしなくても神山にいていいんだなと思えるようになっていて。みんながお祝いしようよって言ってくれたりすると、「どうしよう、お礼するのはこちらなのに」って戸惑っていたり。うれしすぎて逆に緊張しちゃうみたいになっています(笑)。

神山の人々と杉本さんが織りなす物語は、まだまだ続いていきそうです。

インタビューのとき、杉本さんが「かみやまの娘たち」ブレンドを用意してくれていた

「聴く」ということ、「書く」ということ

インタビューの最後に、私は杉本さん自身の話を聴きたいと思いました。杉本さんと同じくライターとして生きる私の心に強く響いたのは、この本の「おわりにー」に綴られたこちらの一文。

“書くために聞いているのではなく、聴くために書いているのだという自分の足元を、彼女たちに照らしてもらいました”

ここに込めた想いについてもう少し聴かせてほしいとお願いすると、杉本さんは「そこ、聴かれると思ったよ」と笑いながら、ゆっくり語ってくれました。

杉本さん ライターの仕事って、「こちらの都合で聞きに行って書く」という側面もあると思うんですね。なんでそれが許されるんだろうっていう問いが、ずっと私の心の中にはあって。どれだけていねいに「書いていいか?」を確認しても、承諾を得たからOKとしていいのか?という気持ちは残り続けるし、書いた責任はずっと背負っていかなければいけないと思っています。

特に、この本では一人ひとりの人生のことを聴かせてもらって書いています。何をどこまで書くのか、一回ごとのインタビューをどう表現するのかについて、ずっとヒリヒリしていました。でも、インタビュー以外のときにも「恭子さんに聴いてほしい」と言ってもらうことも多くて。やっぱり書くからこそ、ここまで聴けるとも思うんです。神山で「聴く人」として受け入れてもらったことが、この一文につながったのかなと思います。

「書くからこそ、ここまで聴ける」という確かな手ごたえとともに、また次へ。私たちは「書く」ことで何ができるのでしょうか?

杉本さん この本は未来に向けて残したいと思って書きました。たとえば大埜地の集合住宅(※)を100年先まで残したいとまちが掲げたときに、その最初のところでがんばった彼女たちの言葉が残っていてくれたらいいなって。

さらに、神山というまちを彼女たちが見ている解像度で本の中で再構成することによって、それを読者と共有できたらいいなという思いもあります。この解像度だからこそ見えてくる社会やまちの姿があるとしたら、その後に自分のまちを見てもらったときに、見えていなかったものが見えてきて、視界が変わったりするといいなって。

「書く」ということでできることがあるとしたら、記録するということ、そして、その人が見えている日常を、いつもと違う場所から見てもらうきっかけをつくることなのかなと思っています。

※書籍にも登場する、徳島県神山町が子育て世代を主対象として整備した集合住宅。

インタビューは、杉本さんが住む京都にて行いました。やわらかくあたたかい時間の記憶とともに、この記事をお届けできることを嬉しく思います

長年杉本さんのことを知る私から見ると、杉本さんもまた、「聴く」こと、「書く」ことでコツコツと“生きる”を耕し続けている人です。

今回は一冊の本から、また、インタビューを通して杉本さんが「小さい声を聴く」ことの積み重ねで見えてきた世界を共有していただいたきました。そして、私たち一人ひとりの“生きる”が重なり合うことでまちはつくられ、社会は突き動かされていくのだと静かに背中を押してもらった気がしています。

小さくても、なんてことないことのように思えても。
生きる、を耕し続けていたいあなたの傍に、この本がありますように。

(編集:増村江利子)
(撮影:浜田智則)