「地域資源を生かして活性化」というキーワードは、地方創生において、未だ強く支持される手段です。
身の回りにあるものでなんとかしようともがいている地方地域。それが希少性の高くて人気のあるものならまだしも、日本中に溢れかえっている安いスギ・ヒノキのてんこ盛りだったなら、私なら絶望してさっさと消滅します。
そんな無理ゲーに立ち向かい続けて早10年以上。岡山県にある人口1,400人ほどの小さな村、西粟倉村。
ムラの面積の95パーセントを占める森林資源をいかした材木業や自然エネルギー活用をはじめ、「ローカルベンチャー」と呼ばれる起業家たちの活動、移住者を中心に巻き起こるイノベーションの数々は、衰退の一途をたどる日本を勇気づける存在に。その未来を諦めない姿勢をgreenz.jpでは何度もお伝えしてきました。
西粟倉村に関して「もうなにが起きても驚かないぞ!」と思っていましたが、昨年末「15トン取れるいちご畑をつくった!」と知らせを受けて、耳を疑いました。果物栽培に適してなさすぎる山間部(めちゃ雪降る)の西粟倉で、いったいどうやって。そしてどうして?
イノベーション慣れ(?)をしているはずの筆者の度肝を抜いたのは「西粟倉・森の学校」(以下森の学校)の羽田知弘さん。
1989年生まれ、愛知県津島市出身。岡山県・西粟倉村の材木屋「西粟倉・森の学校」事業部長。くくり罠の猟師(8年目)。 大学卒業後、国産材専門の木材商社・住友林業フォレストサービスを経て、西粟倉村へ移住。「西粟倉・森の学校」で木材の営業などを経て、一昨年より新規事業へ。趣味はトレイルランニングと養鶏。
ちなみにこの写真は、都会のおしゃれカフェではなく、いちご栽培とともに羽田さんが企画し、今年オープンした西粟倉村の材木工場&いちご農園&カフェレストランの複合施設「BASE 101% -NISHIAWAKURA-」。私が訪ねたときはお昼どきで大盛況。全村民が集まっているのでは? と思うほど。
どうして森林のムラでいちご栽培を始めたのか? 人口1,400人のムラにおしゃれカフェを併設したのか? その答えには、日本の森林がこれからも私たちと共にあるためのヒントが隠されていました。
林業は、黒字にはできるけど、大儲けできないとわかった
羽田さんは大学で自然のことを学び、ケニアへ行ったり、間伐体験をするツアーに参加するなど経験していくなかで林業をやっていこうと決めました。「森の学校」も大学時代に訪れたことがきっかけで知り合ったそう。
羽田さん 僕は、地域に入って、民間でちゃんと林業でお金を稼ぎたいという目標がありました。けれど、大学出たばかりのぺーぺーの僕がいきなり地域へ飛び込んでも役に立たないとも思いました。
日本のリアルな森林の状況を目の当たりにしたからこそ、今の自分ではなにもできないと痛感していたのです。そんな羽田さんが大学卒業後の道として選んだのは大手林業会社の子会社でした。国産材を扱うことを学び、約1年後「森の学校」へ。羽田さんは木材の営業を担当します。
羽田さん 営業では「なかなか儲からないなぁ」と思って試行錯誤していましたね。赤字と黒字を繰り返して、なんとか木材事業はトントンでいけるようになりました。
川上(林業経営)・川中(製材流通)として、2020年から起こったウッドショック(※)はどう受け止めたのでしょう。
(※)建築用木材の供給が需要に追いつかず、木材価格が高騰したこと。
羽田さん 僕らにとって、ウッドショックはある意味は”ウッドチャンス”にはなっていて、以前は「構造体の柱は見えないんだから、外国産材でいいじゃん」と工務店がコスパだけで外国産材を選んできたけれど、ウッドショックの起点になったコロナ禍や戦争が起こったことで、外国産材が手に入らなくなるリスクから国産材に目を向けるようになりました。
「森の学校」へも、いままで国産材に見向きもしなかった名だたる大手工務店から注文が入るようになったといいます。
羽田さん 僕らは、ムラで搬出した丸太を合板材にもしていますが、オリンピックなどを契機に、合板も国産材志向が強まってありがたかったです。合板材は、圧倒的ボリュームの木材が出ますから。あと、FSC認証の合板を僕らは取り扱っているので、いまの潮流に合っているのか、よく取り扱っていただいています。僕らみたいな小さな材木屋でも合板だけで数千万円の売上を目指せる感じはあります。
僕らは設備投資ぶっこんで増産したぜ! という感じではありません。ウッドショックのなか、今まで通りつくって、今まで通り木材を出荷できたということです。
けれどウッドショックの最中も、歯食いしばって、材木価格をできる限り上げずに踏ん張った結果、川下(木を使う側)の国産材志向、地元志向が強まった感じはあります。
ただ木材を売ればいいわけではない。世間が国産材の優位性に気づき始めた気運を感じとり、そこで、確実に選ばれるための企業努力を惜しまなかった「森の学校」。
「外国産材がないから国産木材を高値で売って大儲け」ではなく、まずは手にとってもらい価値を認められること。国産材のよさが浸透することの方に重きを置き、一時のバブルではなく恒常的な国産材の搬出が、森林を50年、100年後につなぐために必要だという意思。木の売り方にも理念がいるのが、今の材木業なのだと思い知ります。
この、川上・川中のふんばりに、川下(使う側)は応えることができているでしょうか。
ポップでキャッチーな”わかりやすい”いちごで森林を守る
「百年の森林」を守るために生まれた材木屋は、創業12年の試行錯誤のなか、産業として「そこそこやっていけるけれど、大儲けはしないし、これからもしない」ことがわかりました。
そこで、いちごです。
羽田さん 2019年、創業10年目だった「森の学校」として、新規事業にチャレンジしようと決めていました。僕は食べものをやりたくて、どんな農作物がいいかリサーチを繰り返して最終的にいちごにしました。
なぜいちごにしたかというと、僕らは森林に囲まれたムラの面積の5パーセントに暮らしているので、普通の農業のように作付面積で勝負できません。雪が多い西粟倉でハウス栽培でロングラン収穫が可能。初期投資はかかるけれど国やムラからの補助が得られ、作付面積が狭くても売上が見込めます。ちゃんと勝ち筋がみえる農作物でした。
羽田さん あと、いちご栽培に、木材加工で出た樹皮やおが粉が利用できるんです。本来、寒い地域でいちごを育てるとき、インドネシアのヤシガラなどを使うんですが、ヤシガラを船で積んでこんな遠くまで運んで育てるなんて、意味がないと思いました。
「森のいちご」は、何が何でも、生産量が落ちてでもここのおが粉を使うべきで、そこはぶれなかったです。調べて実験して、おが粉でもちゃんと育つことがわかったときは嬉しかったなぁ。
木の副産物を使うことにこだわるのは、西粟倉でいちごをつくることの意味につながります。
それはこのいちごが純粋な農作物としてだけでなく、コンテンツとしてのいちごだから。いちごを目当てにこのムラに来てもらって、ここの自然や命が見えるような場にすることを第一の目的として考えているからです。
羽田さん すると、いちごをただつくるだけではなく、いちごを栽培することでエリアとしての価値をあげなければ意味がないんじゃないかということに気づきはじめました。
いちご摘みなどアクティビティはもちろん、ここにお店をつくることにしました。皆さんに「店でかすぎない?」と言われましたが、視察が多い西粟倉で30人入れても余裕な箱がほしかったんです。
こうして生まれたのが「BASE 101% -NISHIAWAKURA-」。可能性発掘基地という名のもと、DIY用アウトレット木材の販売、木材工場の一部を改修したレストラン&カフェ、工場隣に新設したハウスでいちご摘み体験、地域のい良いものを独自セレクトしたショップなど有する一大複合施設になりました。
羽田さん ある程度の人数が入れるごはん屋さんは西粟倉に必要だな、と思っていたので、ここがあることで、みなさんをムラや森林のそばへ呼びやすくなってよかったなぁと思っています。
でも実際、ムラで飲食店経営はしんどくて、月数百万円は売り上げないと損益分岐を超えません。飲食単体ではやはり大変ですね。
開店したばかりで試行錯誤は尽きないという羽田さんですが、その表情は明るくたのしそう。
羽田さん やっぱりいちごはおもしろい。いいっすね。赤くて小さくてかわいい。存在がポップで、気持ちが明るくなる。モノクロの西粟倉でほんと眩しい(笑)
プレオープンのときは、1400人、500世帯、すべて回って、いちご引き換え券を渡しに行ったんですよ。ムラのおばあちゃんが「おいしいいちごだね」ってニコニコしてくれて、あれは嬉しかったなぁ。
木を売っているとき同様、ムラのために、森林のためにって思いが「森のいちご」にもありますが、やっぱり木を売るって、一般市民にはわかりづらいじゃないですか。その点、いちごはわかりやすく村人を幸せにするんだなぁって思いました。
羽田さんは、ここに住むひとたちにも「森林があってよかったな」って実感してほしい。その実感が「百年の森林」を守るといいます。「森のいちご」やカフェは人の暮らしのそばに木が近づけるツールになったのです。
羽田さん 僕らにとって、木材、ジビエ、うなぎ養殖、いちご、すべてひっくるめて“森林”を活かすものですし、森林が百年後もここにある世界を守る手段にこだわっていたら僕らは消滅します。
間伐材を使った材木業が守りならば、いちごは攻めです。いちごはもっとムラや森林を豊かにできるよう、ビジネスモデルを磨きたい。
また、この10年で約50社のローカルベンチャーがこのムラに誕生しています。いま個別分散で戦っているところを、みんなで戦えるように地域内のローカルベンチャーとの連携もやっていきたいなぁと思っています。
森羅万象「百年後、同じ風景がここにあるために」を起点に考える
羽田さんの話を伺って、川上(林業経営)・川中(製材流通)が新たなフェーズへと向かいつつあることを感じます。
林業は、木のステークホルダーと山を結びつけて、イノベーションを起こすことに主眼を起きがちですが、西粟倉の姿勢は、林業を林業に背負わせるだけではなく、うなぎもジビエもいちごも油も染めものなどやって、はじめて森林が守れる。新たな地域資源が地域資源を守っています。
西粟倉村はいつでも、地域資源ありきでモノを考えるより、人ありきで地域資源を掘り起こしています。ここでひとがいきいきとやりたいことをやれるインフラを整えることで、新時代を生き抜くムラの生態系をつくっています。
林業の生き残るすべは、輪業、隣業、倫業…なんて当て字で表現したくなるようなリノベーション産業にすることかもしれません。わたしはそんな森林業=「シン・リン業」を推していきたい。
あなたがやりたいことも、理念があれば、森を豊かにすることにかならずつながるはず。コツがあるとすれば、やりたいと思うことに簡単な道と難しい道があるならば、羽田さんのように難しい方を“楽しんで”選ぶこと。
「キノマチ大会議2022」では、羽田さんはもちろん、森で企むひとたちによる最新のプレゼンテーションを訊くことができます。リアルな森林のいまを感じて動き出したいと考えるフォレスターたちの参加をお待ちしております。
(写真:ココホレジャパン)
(編集:古瀬絵里)
– INFORMATION –
10/29(火) キノマチ大会議 2024 -流域再生で森とまちをつなげる-
「キノマチ大会議」は、「キノマチプロジェクト」が主催するオンラインカンファレンスです。「木のまち」をつくる全国の仲間をオンラインに集め、知恵を共有し合い、未来のためのアイデアを生み出すイベントです。
5年目となる今年は2024年10月29日(火)に1DAY開催。2つのトークセッション、2つのピッチセッションなど盛りだくさんでお届けします。リアルタイム参加は先着300名に限り無料です。
今年のメインテーマは「流域再生で森とまちをつなげる」。雨が降り、森が潤い、川として流れ、海に注ぎ、また雨となる。人を含めて多くの動植物にとって欠かせない自然の営みが、現代人の近視眼的な振る舞いによって損なわれています。「流域」という単位で私たちの暮らしや経済をとらえ、失われたつながりを再生していくことに、これからの社会のヒントがあります。森とまちをつなげる「流域再生」というあり方を一緒に考えましょう。