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それ書いて、どうしたいの? 作文は表現であると同時にコミュニケーション。一緒に内観と対話を交えた発信を学んでみない?

編集の仕事を始めて、今年で10年になります。

どんな記事をつくって、どんな読者に届けて、どんな気持ちになってもらおうか。そう妄想し、計画し、企画書に仕立てて、それをもってライターやクライアントに打診をする。やがて届いた文章を仕上げて、読者に最大限届くように努力する。僕の仕事は、手短に説明するとこんなところです。

何千本の記事をつくっただろう。
何枚の企画書・取材依頼書を送っただろう。
そうして過去の自分の仕事を振り返ると、ずいぶんと遠くへ来た感覚があります。(たくさんの大先輩がいるので、まだまだ勉強と修行が必要なのは当然です。)

そんな僕がたまに抱く迷いが「一体これ、何のために書いているのだろう」ということ。

自分が担当する記事はもちろん、誰かの企画を引き取ったり、主宰する「作文の教室」の受講生から届いた宿題に取り組んでいるときに、その迷いにぶち当たることが結構な頻度であるんです。

「一体これ、何のために書いているのだろう」

これを解決して、その記事の首謀者として胸を張って「こんな読者のみなさんに、こんな気持ちになってもらったり、こんな取り組みを始めてもらいたくて。そして製作・発信する側は、こんな実験や成長をしたいから」と即答できる状態にならないと、なかなか成功に導けないのは、10年もこの仕事をしていれば自然と気づくことです。

新型コロナウイルスの感染が拡大し、それ以前から続いてきた価値観や意見の違いから発生した断絶が、感染者数と比例して大きくなってきた。そう感じた僕はインスタグラム以外のSNSアカウントを使わなくなりました。

ウェブマガジンという、プロ編集者としての拠点でなくても、そこで文章を介した公の発信をする以上、「一体これ、何のために書いているのだろう」という課題と向き合い続ける必要を感じ、ならば僕の限りあるエネルギーを本拠点に集中しようと決めたからです。

(他にも理由はありますが、それはいつか「SNSを使わない編集者のキャリア」といったテーマで、アウトプットしたいと思います。)

一方で、いまだSNSを活用し続けているグリーンズのスタッフやライターと話をしていると、文章という表現・発信のプラットフォームで断絶やそれに付随する暴力を見かけることが多くて、言葉に未来をつくる可能性を感じてきた彼・彼女たちにとっては「とにかくしんどい」ことらしい。

そうですよね・・・。でも、つながりや発見や学びの機会になることも多いのだろうし、その兆しを形にしていけばいい方向に歩んでいけそうです。でもどうやって?

「わたし」を取り戻すことで分断を超える

これはスタンフォード大学のビジネススクールが発行してきた、ソーシャルイノベーションや事業創造の可能性についての記事をまとめた本ですが、そこで井上英之氏が序文に書いていた「『わたし』を取り戻すことで分断を超える」という示唆にヒントがあるかもしれません。

それぞれが「わたし(私)」という存在に立ち還ることで、これまでにはなかった選択肢が増えるのではないでしょうか。

(中略)

どこのセクターにいても、間違いなくそこにいるのは、「わたし」という1人ひとりの存在です。どんな未来がほしいのか。セクターの違いは道具(ツール)としての専門性や経験の種類の違いにすぎません。あなたがビジネスや行政、社会といった、どのセクターにいるかよりも、「わたし」という存在は、なぜこれに関わろうとしているのか。それを1人ひとりが問うことなしに、いかなる仕事においても、いかなる前進も変化もないのではないでしょうか。

誰かをこうしたい。
社会をこうしたい。
未来をこうしたい。

その前に、あなた自身の心や思考や身体とつながって、本当にその提案したい価値や生み出したい変化は、自分自身が望んでいるものなのか確認する。そんな内観の世界へのより深い没入と訓練が必要を僕は感じたのでした。記事をつくるというアウトプットによる評価でキャリアが前進する世界に身を置いていたので、内観の時間をじゅうぶん確保することが不足していたのかもしれません。

内観し対話しながら文章を書く「作文の教室」

『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。――スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー誌 ベストセレクション10』での気づきや、グリーンズの社内トレーニングをしてくれている三好大助さんやグリーンズのライターからのインプットが連なっていき、僕の中でこの学習プロセスをトライしていきたい気分になりました。

内観 -> 対話 -> 作文 -> リフレクション

この学びを多くの人に開いてみようということで、僕が企画したのが「作文の教室」第10期〜DELUXE EDITION〜です。

5年以上つづけてきた「作文の教室」が記念すべき第10期を迎えるにあたり、このWithコロナの時代に最適化させて、かつ主宰者である僕自身にとっても挑戦になるプログラムにしたわけですが、「内観 -> 対話 -> 作文 -> リフレクション」というプロセスがあちこちに散りばめられています。

このプログラムデザインにおいて、特に力を入れているひとつが、土居彩さんを迎えて行うワークショップ「“傾聴”ジャーナリング」です。

株式会社マガジンハウスに14年間勤務し、anan編集部に所属。退職後にカリフォルニア大学バークレー校心理学部、アメリカの禅センターなどで住み込みしながら学んだ経験を持つ編集者で、greenz.jpのライターとして活躍いただいています。自分の声に向き合いながら、数多くの記事を製作してきた土居さんに学びたい。そう思って、文章を発信する前に、自分自身の心の声を感じて可視化することにより、書き手としての土台をつくる学びの場をつくろうと打診しました。

文章術や編集者を養成するワークショップやゼミでは、なかなかプログラムに含めない内容かもしれませんね。でも、受講生のみなさん、そして土居さんと共に学んで、分断を超えるきっかけとなる「わたし」を取り戻す時間を持ちたい。それが、ひとりの編集者・講師として社会と自分に養分を与えられる数少ない役割だと感じて、行うことに決めました。

交差点で手紙を書き続ける37歳の大学教授に学ぶ

最後に、作文の持つ可能性を読者のみなさんに感じてもらえるのではという、雑談のネタを提供して本記事を終えたいと思います。

これは2020年10月〜11月にかけて、ニューヨークの街角で行われたパフォーマンスアート「The Console」の様子です。椅子に座る37歳の男性は、アーティストで、かつNew York University(ニューヨーク大学)で教鞭をとるBrandon Woolf(以下、ブランドンさん)

彼は文章のコミュニケーションがオンライン上に集約され、手書きの手紙はもちろん、それを投函するための封筒や添えられるスタンプや切手の持つ空気感が失われていることを残念に思っていたといいます。

そんな最中、新型コロナウイルスによるパンデミックとロックダウンがニューヨークを襲いました。恐怖や懐疑心が人びとに浸透していく様子を見たブランドンさんは、パフォーマンスアーティストと英語学教授という仕事での経験を資源としていかし、タイプライターを持って街角に繰り出したそうです。

椅子と机とタイプライター。簡易的にそれだけを置いてブランドンさんが始めたのは、その日その日に初めて出会った見ず知らずの人びとが手紙を書くお手伝いをすること。パンデミックにより家族や友人を失った人、職を失った人を知っているけれど、このご時世でハグをしてあげることも難しい。ならば、つながりを深め、彼・彼女たちを癒すのが文章ではないかと考えました。期間中、ブランドンさんは50通の手紙を書くことを助けたのだとか。

このブランドンさんのパフォーマンスや共創した人びとの様子を見て。
そして僕自身も模倣をしてみて、このひとつのパフォーマンス作品から、いくつも学ぶことがありました。

その中でも、ここまでの話を絡めたことをあげると‥‥

まずは、作文は表現方法でありコミュニケーションだということ。

相手を助けてあげたいと思うことに作文の目的があり、「それ書いて、どうしたいの?」という質問に回答できるということ。

相手を助けてあげるための文章をつくるためには、内観を要するということ。

この3つは、書くことを生業とする身としては、ヒリヒリする感覚とともに深い気づきをもたらしてくれました。

(その他にも以前、greenz challengers communityでは「手紙」に着目した事例をたくさん集めたことがあります。ぜひこの機会に読んでください。)

それ書いて、どうしたいの?
作文は表現であると同時に、まずコミュニケーション。
内観と対話を交えた発信

記事のタイトルを再度書いてみました。思えば、ずいぶんと要素が渋滞していますが・・・

「それ書いて、どうしたいの?」という自己内・対話コミュニケーションでの問いを解決する方法。表現でありコミュニケーションという作文の捉え方。誰かに価値を提案したり、発信をするときの内観の重要度。この1本の記事を書いて、みなさんに読んでもらう中で少しでもアップデートされていればうれしいことです。

「それ書いて、どうしたいの?」という質問に対して、「気に食わないやつに不快感を味あわせたい」だとか「価値観の合わない人を陥れるために」なんて回答をする人は少ないと思います。

でも、なぜ、最終的に140字の短文がそういう目的で完結してしまうことが発生してしまうのだろう。どうしたら防げる? そう考えているあなたは「内観 -> 対話 -> 作文 -> リフレクション」を試してみてください。このプロセスの浸透で乗り切れる悩みごとがあるかもしれません!

[via New York Times, Good News Network, Patch, Culture Bot, SSIR Japan]

(企画・編集: greenz challengers community)
(編集: スズキコウタ)

– INFORMATION –


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