「変化」と聞くと、未知への期待を膨らませるか、または、望んでいないことを強いられそうで煩わしく思うか。わたしたちは、「変わる」ことに対して身構えることもあります。
「あるとき、変わっていくことを楽しもう、と言われてハッとした」と話してくれたのは、映像作家の平野隆章(ひらの・たかあき)さんです。「変わることは難しいことだけど、楽しんだらいい」と実感しながら、自身初の長編となるドキュメンタリー映画『発酵する民』を制作されました。
神奈川県鎌倉市を主な舞台に、2011年の東日本大震災直後から実に7年間に渡って撮影された人々の軌跡。脱原発デモをきっかけに盆踊りの意味合いを発信しはじめた女性たちや、発酵食や塩炊きといった食のつくり手など、現実的な目線を通して身近な問いを映し出しています。
震災から10年の節目となる2021年春からの劇場公開に向けて、忙しく動き出した監督を訪ね、映画をつくるに至った思いと、わたしたちを取り巻く社会課題について聞きました。
わからないけど惹かれた
鎌倉という街
映画『発酵する民』のポスターにはこう書かれています。
なぜ鎌倉だったのか。なぜ原発事故だったのか。平野さんと鎌倉とのつながりから伺いました。
平野さん 東日本大震災が起きた時、ぼくはOurPlanetTV(アワープラネット ティービー)という報道メディアに勤めていました。3月11日に地震と、翌日には福島第一原発事故が明らかになり、その後すぐ官邸前をはじめとした日本の各地で市民デモが行われるようになりました。4月には「鎌倉市でも市民デモがある」というプレスリリースを受けて、カメラを持って取材しに行ったんです。
そこで見たのは、まだ慣れない進行だったものの、参加している人たちの個性でした。そもそもデモのことを「パレード」と呼び、各自が自由なプラカードを掲げて、シュプレヒコールも集団で叫ばず個人が好きなことを言っている。しかも笑顔で。子どもも一緒に歩いたりして。初めて見るデモのありように、初めはよくわからないと思いながら取材しました。
仕事としてはそこまでなんですが、わからないながらも鎌倉の動きが気になってしまって、それから個人的に鎌倉に通うようになったんです。
平野さん曰く、鎌倉は、社会課題に関心のある人が多い街。東日本大震災では震度4の揺れと原発事故による放射性物質の汚染の影響が出たという意味では「ここもまた被災地」だと言います。鎌倉に通うようになった平野さんは、ふと入ったお店に環境問題やエネルギーなどに関するお知らせやイベントのチラシが置いてあるなど、お店の人とも社会の課題について話しやすいと気がつきました。
平野さん ぼくの地元も同じ神奈川県内ですが、鎌倉のように店員とお客さんが社会課題を話題にするような空気を感じたことはありません。でも鎌倉にはそういう場所がわりとあるんですよね。
平野さん自身この時はまだ、映画を撮るとは思わないまま、鎌倉という街に惹かれていったのだそうです。
未知数の可能性、
「盆踊り部」のはじまりに出会って
パレードとして定期開催されていた鎌倉市の脱原発デモは、一時期450名の参加者を集めるなど、市民の声や思いは高まりを見せていました。すでにカメラを持たずとも主催者たちを訪ねるようになっていた平野さんはある日、「盆踊り部をつくった」と聞かされます。
平野さん パレードに参加していた女性たちが中心となって、より多くの人たちが参加しやすいように盆踊りを企画した、と言われたんです。よくわからないけど、でも何だか良さそうだと思って、練習場所にお邪魔しました。
平野さん 練習している様子を見学していたら、彼女たちに起きている変化が目に見えて感じられてきました。その時はまだ、一体どこに向かってどう変化するのかわからない。ぼくだけじゃなく、彼女たち自身も、誰もわからない。でも確実に変化している。そう感じた時に「映画にしたらいいかも」と思いました。
ドキュメンタリー映画には台本がないため、現実的に進む変化をあるがままに捉えることができます。平野さんは新しい鎌倉の友人たち、のちの「イマジン盆踊り部」となる原形に出会ったことで、気持ちを新たにカメラを持ち始めました。
平野さん 誰か著名人に出てもらったり、ひとりの強烈なカリスマを追いかけることはしない映画がいいと思って、鎌倉で活動する人たちに、その時に感じていることを言葉にしてもらえるようにしました。
映画では、鎌倉の脱原発パレードや盆踊り部をつくった一人である瀬能笛里子(せのう・ふえりこ)さんをはじめとして、様々な人が素直な気持ちを話してくれていました。誰のどんな言葉にも偽りがなく、無理に飾り立てようともしない等身大の姿。純粋な思いを聞いていると、鎌倉に惹かれた平野さんの気持ちを追体験するかのごとく惹きつけられていきます。
醸されて気づいた
社会を見る視点の変化
ここで、映画の主題にもなっている「発酵」について尋ねることにしました。映画には、酵素風呂、日本酒、味噌、天然酵母といった発酵食品が登場しますが、平野さん自身、この撮影を続けたことで「発酵」に親しみをもちはじめたそうです。
平野さん ぼく自身は発酵について全く詳しくなかったのですが、撮影している人たちの多くが「発酵」に夢中になっていて、みんな嬉々として教えてくれました。ぼく自身も発酵ってなんだろう?と考えることが増えて、手前味噌を仕込むことや、自然酒を飲むこと、また、映画にも出てもらっているパラダイスアレイのパンを食べたり、寺田本家の『発酵道』(※)を読んだりしているうちに、自分自身にも大きな気づきがあったんですよね。
ぼくはそれまでも社会のことを考えてきて、どうしたらもっと多くの人にとって生きやすい世界になるか、悩んでいましたが、どこか人間中心の目線でこの世界を見ていたんです。でも発酵の世界を面白いと思うようになったら、ある時ハッ! そうか! という瞬間があった。この世界は微生物とか植物とか動物とか、あらゆる存在の共生の世界だ!と、実感したわけです。それからは視点が変わり、視野が広がって、たぶん映像の撮り方も少し変わったと思います。
※『発酵道』:2007年に出版された、千葉県の老舗酒蔵・寺田本家23代目の故・寺田啓佐氏による書籍。自然界の仕組みや微生物のはたらきに気づきを得て経営方針を一変させ、生き方の指南書としてベストセラーに。24代目の寺田優氏も同映画に出演している。
発酵とは「変わり続ける」こと
7年間の撮影期間中に少しずつ、しかし確実な変化を続ける鎌倉の人々、そして平野さん自身の気づきと変化についてお話を聞きながら、思ったことがありました。
ご存知の方もいるかもしれませんが「発酵」とは、微生物たちのはたらきによって食物が変化し、味が良くなったり、保存性が高まるといった状態を指す言葉。反対に食べたらお腹を壊すような状態になれば「腐敗」です。微生物は環境条件によってはたらくだけなのに、呼び名も扱いもまったく違います。
平野さんや鎌倉の人々の声と重ねてみると、環境に応じた気持ちの揺らぎのなか、より良くあろうとする模索は、まさに民衆による発酵のかたち、タイトルどおり「発酵する民」なのだと。
平野さん 微生物や発酵を通した視点をもって編集している時に、このタイトルが素直に降りてきて、これ以上はない、と思いました。
この世界はまだまだ立場の弱い人に何かを押し付けるような側面もあって、変わること自体は決して簡単じゃないんだけど、変わっていくことを楽しめるようでありたいと思ったんです。
2020年に鎌倉の川喜多映画記念館にて劇場公開を果たしたことをきっかけに、さらなる劇場公開を進める予定の本作。平野さん自身で配給を始めると、震災後から継続的に取材をしている福島とのご縁も再び結ばれました。福島市内にある映画館フォーラム福島では、2021年3月5日から劇場公開が始まり、夏には渋谷ユーロスペースでも劇場で公開されます。
またその他にも、国内外の劇場や映画祭、もしくは自主上映など、あらゆる可能性を取りながら多くの方に届けられるよう、現在クラウドファンディングでのサポートも呼びかけはじめました。
奇しくもコロナ禍となった東日本大震災から10年の節目。自然界からの大きな大きなアラートを受け、わたしたちは今も見えないものと対峙し続けています。
しかしこの先を「発酵」させるのか「腐敗」させるのか、未来は今を生きる一人ひとりの変化に掛かっているといえるでしょう。多くの方にこの映画が届き、わたしたち一人ひとりが自身の変化を問い直す機会にできることを願っています。