あなたは「分断」と聞いてどんなことを思い出すでしょうか?
今、世界中でさまざまな分断が広がっています。たとえばアメリカのトランプ大統領は、メキシコとの国境に壁を築き、分断を目に見える形で示しています。そしてイギリスはEUから離脱すると決定しました。
国による大きな分断だけでなく、すぐ目の前にも分断はあります。たとえば少子高齢化が進む中、社会保障に対する若者と高齢者の意見の対立は深まっているでしょう。増加する外国人労働者は、同じ社会に暮らす仲間というよりも単なる労働力とみなされている気さえします。そこ此処に、分断はあるのです。
ドキュメンタリー映画『わたしは分断を許さない』は、ジャーナリストの堀潤さんが世界中に広がるさまざまな分断に目を向け、いくつもの現場に赴き、そこにいる人物のストーリーを通して、分断の現実を伝える作品です。
映画に登場するのは、福島原発事故のために住んでいた福島県富岡町を離れざるをえなくなった深谷敬子さんや、放射線量におびえる日々に疲れ果て茨城から沖縄へ移住した久保田美奈穂さん、クルド人難民のチョラク・メメックさん、ヨルダンで暮すシリア難民、11歳のビサーンさん、平壌外国語大学の学生たちとの交流に参加する大阪の大学生、仙道洸さんなど、さまざまな人物です。
彼女・彼らは、原発事故や香港のデモが起きている現場や、東京出入国在留管理局、沖縄、「中国化」するカンボジア、パレスチナ・ガザ地区、朝鮮民主主義人民共和国といった場所にいます。それは今、まさに分断が起きている場所。
そんな一人ひとりにフォーカスすることで、分断のイメージや印象ではなく、そこに生きる人が直面しているひとつの現実をくっきりと見せてくれます。なぜ今、分断をテーマに映画を撮ったのか、堀潤さんに話を聞きました。
1977年7月 兵庫県生まれ。立教大学文学部ドイツ文学科卒業後、2001年NHK入局。在局中は、「ニュースウォッチ9」リポーター「Bizスポ」キャスターなど、報道番組を担当。2012年市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、2013年4月1日付でNHKを退局。現在は、TOKYO MX「モーニングCROSS」キャスター、J-WAVE「JAM THE WORLD」ニュースアドバイザーを務める。現在は、ジャーナリスト・キャスターとして独自の取材や報道・情報番組、執筆など多岐に渡り活動している。
小さな主語で語られるとき、初めて見えてくることがある
地球上のあちこちに、分断は広がっています。堀さんはその原因を、「僕らが知ろうとする余力がなくなったから」と考えていました。堀さんが取材テーマとして分断を意識するようになったのは、2000年代の後半。格差が社会問題として取り上げられ始めた時期です。
日本では非正規雇用が広がって、日雇い派遣の人は人間としての存在が保証されず、雇用の調整弁なんて言われ方をしましたよね。経済情勢が悪化して、格差が開くことで人が人として扱われなくなってくる事象がどんどん深まっていると思います。いつの間にか正社員とそうじゃない人たちとの間に分断が起きて、それを薄々感じていながら、受け入れてしまいましたよね。
今では、格差があるのが当たり前になって、自分のことに精いっぱいの人は増え続けているのかもしれません。
「他者を思いやるだけの余力があるか? と言ったら、圧倒的にそうじゃないですよね」という堀さんの言葉が厳しい現実を示しています。では、この記事を読んでいるあなたはどうでしょうか? 他者を思いやり、つながる余力があるでしょうか? その他者が目の前にいない人でも。
堀さんが分断を目の当たりにして感じたことは、「分断を生んでいるのは俺なんだ」というシンプルな答えでした。そして、筆者である私も、「知らない」ことで、分断を生んでいるひとりです。
映画に登場する出来事や背景の輪郭は、テレビや新聞で見聞きしたことがあるものもありました。福島原発事故の結果、今でも何万人もの人たちが避難していること。香港で若者たちが立ち上がり、デモが起きていること。たくさんの難民が日本に来ているけれど、難民認定される人はごくわずかであること。沖縄では辺野古基地に反対して地元の人たちが座り込みをしていること。
けれども、知っているのはそれだけです。そこに、こんな風に感じ考えて生きている人がいるのだと、そこにいる一人ひとりがそれぞれに向かい合っている現実があるのだと、映画を見て実感しました。それはこの映画が一人ひとりのストーリーを伝えているからです。
堀さんは常に、「大きな主語ではなく、小さな主語で語る」ことを胸に、伝えることにたずさわっています。この映画でもその精神が貫かれ、自分が分断を生み出しえるという自覚のもと、堀さんはカメラを回し、一人ひとりの声を丁寧にすくい上げています。
震災報道をするときに、“被災地は苦しんでいます”と言った瞬間に分断が生まれるんです。避難している最中のある人は、“伝えてください”と言ってくれます。でもある人は、“被災地は、被災地は、ってどうしてレッテルを貼るんだ、これだけ風評被害と闘ってきたのに“と思うんです。よかれと思って言ったことが、誰かをすごく傷つけてたり、生まれなくてもよかったはずの線を引いてしまうことになるんです。
だから堀さんは、“被災地は”という大きな主語ではなく、“どこどこの何とかさんは”という小さな主語で語ります。そのことによってこの映画は、“観客”として、“分断されている人たちというイメージ”に向き合うのではなく、“私”として、“原発事故のために、大切にしてきた美容院で髪を切れなくなった美容師の深谷さん”と向き合うことを可能にしています。
福島原発事故が生み出した多くの分断。それは増え、広がり続け、未だ癒えていない。
そもそも、この映画の発端になったのは、生業訴訟と呼ばれる裁判「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟裁判の取材だったそうです。
この裁判は、東京電力と国に対して、事故で暮らしやふるさとを奪われた人たちが、その回復を求めている裁判です。堀さんは、事故が起こる直前の福島県で農業の取材をしていた関係から、ライフワークのように原発の問題を追ってきました。堀さんは、生業訴訟の傍聴を2013年の末から続けています。
そういった訴訟が起きていることは知っていても、その裁判でどんなことが起きているのか、見聞きすることはなかなかありません。東京で暮らし、福島原発で発電されていた電気の恩恵を受けて暮らしていた私も、それは同じでした。
法廷で、原告側の住民の皆さんが陳述されるんですが、それはとても勇気のいる内容です。生い立ちから、事故で何が起きて、どんなことを思ったのか。そういったことを詳細に語るわけですね。公開の法廷で自分のことを話すだけでもすごいんですけど、それが非常に辛い現状だったりする。法廷内ですすり泣きが聞こえたり、裁判官さえも涙をこらえるシーンもあったりします。
その内容のひとつひとつが報道されることはなかなかありません。堀さんは、「一人ひとりが置かれたストーリーをちゃんと世の中に出したい」と思ったといいます。さらにそこには、もっとさまざまな分断が生じていることも。
たとえば、故郷から避難している人たちの中にも、国が定めた「避難指示区域」から避難した人と、そうでない地域から避難した、いわゆる「自主避難民」の人の間に分断は生まれています。賠償金をもらった人ともらわなかった人、さらには賠償金の額によっても、いくつもの分断があるといいます。
非常にシビアな話ですが、法廷では原告の方に対して、国側の弁護士の方が“賠償金をいくらもらいましたか”と聞くんですね。いくらですと答えると、傍聴席の仲間から、“結構もらってるんだ”というささやきが漏れたりする。賠償金の額を聞くことが、原告の中にも分断を引き起こすんです。
そんな現状を見ている中で、堀さんは世界中で起きている分断にも同じようなテーマ性を見出しました。「経済合理性が優先されて、個人の尊厳が犠牲になる現場がいたるところにある」と感じたことが、この映画の製作につながったのでした。
分断の手当ては、“知ること”から
『わたしは分断を許さない』というタイトルには、「“分断を許さない”ではなくて、“わたしは”、とあることで、“わたしは?”って考えてもらえたらいいですよね」という、堀さんの想いが込められています。
私は、分断に対する堀さんの強い意志を感じるタイトルだと思ったのですが、堀さんはこのタイトルに対するリアクションに、思うところがあったようです。
自分の意見を言うだけのタイトルなのに、それについて思い切ったことを言うんだなって思われるような社会、時代になったんだと思いましたね。わたしはこう思いますというのが、すごく怖くなってる。わたしはこう思いますと言った瞬間に、向こう側の人なんだ、そんなことを思ってたのか許さない、と思われたりしますよね。SNSとかもそうだし。意見を言ったら、それだけで分断するんだということを改めて感じました。
意見が異なることで、まるで敵であるかのように扱われ、何かが閉ざされる経験をしたことのある人もいるでしょう。特にSNS上では、考えの異なる人と人の間にある大きな溝を目の当たりにすることは少なくありません。あれだけさまざまなところで意見を表明している堀さんでさえ、「意見を言うのは怖いなって思ったりしますね」と口にするほどです。
それでも堀さんは、この映画で一人ひとりのストーリーを、小さな主語で伝えました。
映画では、分断がもたらす厳しい現実だけでなく、分断の手当てをする人のストーリーも取り上げられています。
福島原発事故の後、沖縄へと移住した久保田さんは、それまで特に関心がなかった辺野古の基地建設に反対するため、一緒に座り込みに参加します。その行動を見ていると、ひとりの行動が分断の手当てになることがわかります。無関係ではないと気づけば、いつでも誰でも、分断を手当てするための何かができるのでしょう。
誰もが、たとえば“知らない”ということで、分断を容易に引き起こすこともできれば、一歩踏み出すことで、分断に手を差し出すこともできるのです。この映画を目にし、世界中で起きている分断とそこに生きる人について知ることが、私の、そしてあなたの、今できる分断の手当ての第一歩になるかもしれません。
(撮影: 蔵原実花子)
– INFORMATION –
2020年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督・撮影・編集・ナレーション:堀 潤
プロデューサー:馬奈木厳太郎
脚本:きたむらけんじ
音楽:青木健
編集:高橋昌志
コピー・タイトル原案:阿部広太郎
スチール提供:Orangeparfait
取材協力:JVC・日本国際ボランティアセンター、KnK・国境なき子どもたち
配給・宣伝:太秦株式会社
公式サイト:https://bundan2020.com
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