福島市の真ん中「福島県庁通り」に佇む、1軒の雑居ビル。
1階には、幅広い年齢層のお客さんが絶え間なく出入りする創業144年の眼鏡店。
その入口横の階段を上った2階には花屋とレコード屋、3階には定食屋とギャラリー。店内や屋上、ビルの脇にある広場ではたびたびイベントも開催され、この “小さなまち” のようなビルを楽しみに多くの人々が訪れています。
福島に立ち寄るたびにどんどんアップデートされる「ニューヤブウチビル」を取り巻く環境。このビルの存在は少しずつ少しずつ、この通りを、人の流れを変えはじめました。
福島市にUターンした若い料理人が蕎麦屋を開店。
文房具屋の3代目がカフェスペースをオープン。
今年4月には、老舗の服屋が移転リニューアルオープン。
大きな病院の開院も相まって、ここ1、2年、話題の絶えない県庁通り、そして隣接する通りも空き店舗が出ればすぐに次が決まる出店ラッシュ。「最近の福島はおもしろい」と、東京や仙台をはじめ都市からの若いお客さんも増えていると言います。
あの震災を乗り越えて福島のまちに育まれていった、強くてやさしくて、しなやかな文化の土壌。そこに蒔きたい種がどんどん飛んでくるこの場所。
ニューヤブウチビル1階の眼鏡店「オプティカルヤブウチ」、これまでgreenz.jpでも紹介してきた、東京・吉祥寺から福島に移転した「食堂ヒトト」。それぞれの店舗で “販売” と “料理” を軸にまちと向き合う彼らをじっくり見つめてみると、店の中だけに留まることなくビルの中の他のお店、通り、まちへと広がるユニークな働き方が見えてきました。
店をおもしろくすることが、まちにつながる手ごたえ
ニューヤブウチビルの経営者であり、創業144年、この地で5代続く眼鏡店「オプティカルヤブウチ」の代表を務める藪内義久(やぶうち・よしひさ)さん。商品のセレクトから検眼、加工などの一連の業務だけでなく、金属をいっさい使わないオールウッド、オールハンドメイドのフレーム 「CÓYA(コウヤ)」 を制作する職人でもあります。
15年近くかけてコツコツと自分の手でビルをリノベーションし、多彩なテナントを招致。2016年には「食堂ヒトト」が吉祥寺から移転、2017年にはギャラリースペース「OOMACHI GALLERY」を自らオープンさせました。そして、この春には開店3年目となる「食堂ヒトト」の経営も引き継ぐことに。
現在はこのビルの「おみやげ」をつくるべく、小さな一室をお菓子工房にリノベーションし、パッケージのデザインを進行中。次々と湧いてくるやりたいことを、すぐさま行動に移していきます。
藪内さん とにかく、このまちが楽しくなればって。伝統を大切にしながらも、新しい文化をつくるくらいの気持ちで、本物を提供したいんです。ただ、自分は起爆剤でよくて、続けるのは誰でもいい。本気でそれに取り組んでくれる人が現れれば喜んで渡そうと思ってやっています。
しかしながら、軸足はあくまで眼鏡。お客さん一人ひとりとじっくり向き合ってフレームを選び、ライフスタイルに合った度数提案や顔の形に合わせたフレームの加工を施し、世界でひとつの眼鏡に仕上げます。
藪内さん 家が眼鏡屋だったけれど、最初は全然興味がなくて、好きでもなかったんです。でも、知れば知るほど、眼鏡という道具は本当に奥が深くておもしろくて。
眼鏡によってそれまでの目の悩みが解決されたり、将来的に楽になったりするし、もちろんデザインとしてのおもしろさやファッション性もある。ポジティブに悩みを解決できる、素敵な道具なんですよ。
震災後のたくさんの出逢いが、自分を引き上げてくれた
藪内さんの仕事への姿勢やこれまでのストーリーは以前紹介したこちらの記事に詳しいですが、高校卒業後、東京へ進学・就職し、イギリス留学を経て、2004年に両親に呼び戻されるかたちで福島へ帰郷。両親が営む眼鏡店の2階で、国内外からセレクトした眼鏡や雑貨を扱うお店をはじめたのが26歳のとき。
ビルの古い内装を壊してセルフビルドで空間をつくり直していくと、空きテナントに少しずつ、若い人が営む個性的なお店が入居するようになっていきました。
そして2011年、東日本大震災。
藪内さんは当時3歳だった息子さんと第二子を妊娠中だった妻・ゆきさんとともに一時避難。しかし約1ヶ月後には福島へ戻り、家族を県外へ避難させながらもお店を開け続けました。遠くの地に移り住むことを選んだ仲間もいたけれど、イベントやプロジェクトの発足で駆けつけてくれた人たちもいて、震災前からは考えられないほど出逢いは広がりました。
藪内さん とにかくたくさんの人が来てくれて、人が人を呼んでつながって…こんな人たちと話せるようになったんだって感動の連続でしたね。チャンスもぐーんと広がって、今まででは考えられないようなことがどんどん起きました。
でも、その時は言わば「震災という看板」の元に来てくれていたのかもしれない。もう8年が経って、今はこうして変化するこの福島のまちをおもしろがって来てくれたり、逢いたいから逢いに来たって言ってもらえるのがとても嬉しいんです。
福島に暮らすことを「決めた」仲間たちとともに
2015年、眼鏡店とビルの経営を両親から引き継ぎ、店舗のリニューアル、テナントの誘致、ギャラリーのオープンと毎年ビルのアップデートを続けた藪内さん。頭の中にあるのは、栃木県黒磯にあるカフェ「SHOZO」のオーナー・菊池省三さんの言葉だと言います。
藪内さん “自分が暮らすまちのことを決して他人ごとにしない。” 省三さんはこの信念のもと、通りの空き店舗をどんどん借りて店をつくっていった。やがてそこに新しい店を出す人も現れて、通り自体が魅力的になっていったんですよね。
震災のあと福島に来てくれたたくさんの人たちの力をもらって、完全に火がついたんです。今度は自分たちがその文化の土壌をつくる番だって。ヒトトができて、ギャラリーをつくったことで、このビルは人や情報、おもしろいことが集まる “パワースポット” みたいになりました。もう、嬉しいハプニングの連続で(笑)
そこを舞台に、福島に暮らすことを決めた仲間たちと一緒に、実務をしっかりやりながらもチャレンジし続けることができる日々。藪内さんの想いが実を結び、ニューヤブウチビルが建つ福島県庁通りには、今や志を同じくする店舗が軒を連ねているのです。
3年目の福島の台所「食堂ヒトト」
お味噌汁の香りに誘われて階段を駆け上がると、11時半の開店に向けて活気づく心地よい台所の風景が広がりました。2016年の9月に、東京・吉祥寺から移転オープンした「食堂ヒトト」は3年目の春を迎えています。
料理教室を軸にしたマクロビオティックのコンテンツ、書籍づくり、イベントなどを手がける「オーガニックベース」の奥津爾さんが2007年に吉祥寺に開いた「ベースカフェ」。「ヒトト」へのリニューアルを経て福島に移転してからも、農家と台所をつなぐ奥津さんの想いと、妻・典子さんの素材とまっすぐに向き合う料理を大切に引き継いできました。
玄米ごはんとお味噌汁、そして季節の野菜が主役のおかずたち。シンプルな中にどっしりとした美味しさが広がるヒトトのごはんを楽しみに、ご近所から、遠方から、今日もお客さんがやって来ます。
台所の中で背中を付き合わせ、肩を並べながら、お互いの気分や体調もすぐに分かり合えるほどの距離感で毎日丁寧に料理をつくる。目の前にある旬の素材と向き合いながらも、その想いはいつも、野菜の向こう側にある畑へとつながっています。
「野菜って絶対、その農家さんに似てくるんですよ」
「元気で生き生きとしてる印象の農家さんの野菜は、ピンピンしていていつまでも新鮮」
「すごく深みのある野菜をつくる農家さんは、すごく心も深いというか。優しさがにじみ出るというか…」
「誰の野菜だってわかっていると、包丁を入れる瞬間にも愛着が湧いて…」
つくり手を知っていると、料理も違ってくるの?
私の素朴な疑問に「どうだろう?」と笑いながらも、出てくる言葉は愛情にあふれていて、ヒトトの料理に表現されているのは、その “関係性” なのだということが伝わってきます。
なくしたくないものを引き継いでいく。
料理人としてのわたしの役目
2016年の移転オープン時からスタッフになった千葉夢実さんは、会津若松市で営んでいたカフェを休業して福島市に引っ越し、主に料理を担当。今年の9月にはヒトトを卒業し、自分のお店に戻ることを決めています。
千葉さん ヒトトでもっと視野を広げて腕を磨きたいって、お客さんにも「絶対成長して帰ってくるから待っていてほしい」と約束して。大きな決断だったけれど、本当に来てよかった。たくさんの出逢いに恵まれて、世界がもう、“爆発的に” 広がりましたね。
農家さんの畑を訪れて一緒に作業し、対話をしながら、その人がつくる野菜を知ることを続けてきた千葉さんは、ヒトトでも「農家ナイト」という夜のイベントシリーズを企画。先日はお米農家さんを呼んで台所を囲み、様々な品種のお米を食べ比べる会を実施したとか。
千葉さん 今、ヒトトでお付き合いしている、有機栽培や安全な野菜づくりをしている農家さんとはまた別の視点、「種採り」をして種をつないでいくという野菜のつくり方をしている農家さんたちと出逢えた「種市」は自分の中で一番大きかったですね。雲仙の岩崎政利さんをはじめ、岩崎さんに習ってやっている若い農家さんたちと出逢って、昔ながらの野菜を受け継いでいくことの大切さを教えてもらいました。
「種市」とは、オーガニックベースの奥津さんとwarmerwarmerの高橋一也さんが中心となって行っている、在来・固定種の野菜を未来につなげていくためのマーケット、トークイベント、食堂などの企画。食堂ヒトトも東京での種市へ出店し、農家さんや料理家さんたちとの交流を持つことができました。その体験をシェアするうちに、福島の農家さんも種に興味を持ったり、少しずつ種採りをはじめたりと、影響が出てきている手応えもあるそう。
千葉さん 種をつないでつくられた野菜を手にとって、その、なくしたくないものを引き継いでいく役目として、料理をする。私がやれることって尊いんだと感じることができたのは、私にとってすごく大きなことでした。
一方、オープン直後に採用となった宍戸佑三子さんは、料理人としてのキャリアを未経験からヒトトでスタート。ヒトトの料理が大好きで、移転してくると聞いたときには絶対に働きたい! と決心し、3度の不採用にもめげずに応募し続けました。面接時に自分で炊いた玄米ごはんとお味噌汁を持参するというヒトトの伝統から、何度も玄米ごはんを炊きお味噌汁をつくった彼女が、現在は立派に料理長を務めています。
宍戸さん 私はそれまで全国展開するコーヒーショップで働いていて、30歳になる前に辞めました。次はこの地域でしか食べられない食材や、季節に合わせたものを出す飲食店で働きたいと思って、働き口を探していたんです。
実家は明治から続く味噌屋で、祖父母や味噌の職人さんが一緒に食卓を囲んだりしていましたね。調味料は実家でつくっているから美味しいのが当たり前だったけど、大人になって、当たり前のものが当たり前に食卓に上るのはありがたいことなんだって実感して、誠実で楽しそうな飲食店を求めてヒトトにたどり着きました。
本当に純粋に、みんなに食べてほしいと思えるものをつくって出せていることが、とっても幸せですね。食べたあとに「あ〜安心した〜」って穏やかな気持ちになってもらえる、ほっとするごはん。ヒトトが提供したいものを仲間としっかり共有できているのも心強いです。
それぞれの願いが実を結ぶ、この場所で
ヒトトで働くことの楽しさを二人にたずねると、「自分が何かをやりたいと思ったとき、それを手伝ってくれるひとがたくさんいる」と同じ答えが返ってきました。やはり彼女たちもこの風通しのいいビルにいることで自然と、店のことを店の中だけに留めず、ビルへ、通りへ、まちへ、そして畑へとひらく働き方をしています。
千葉さん 私たちとつながっている信頼できる農家さんに直接教わる料理教室や味噌づくり、つくり手さんから教わる包丁研ぎも、お客さんが家へ帰ってもできることをみんなで共有する大切な時間になっています。ヒトトを使ってもらうことで、それぞれの台所が少しずつ変わっていくと思うと、本当に嬉しくて。
ヒトトの台所にいろんな料理家さんを招いて、ごはんをつくっていただく企画もたくさんしてきました。いろんな料理に触れて、学んで、そして味わって! 贅沢な機会ですよね。
宍戸さん ヒトトの隣にギャラリーができたのも大きくて、ヒトトを知らなかった人がギャラリーをきっかけにごはんを食べにいらしてくれたり、逆にヒトトをきっかけにギャラリーを知って展示に行ってくださったりという相互作用がすごくあるんです。
通りにもお店が新しくできてきて人が行き来する機会がどんどん増えているし、お互いにお客さんを紹介し合うこともできて。福島のまちがますます楽しくなることに、ワクワクしますね。
“販売”と“料理” を軸に
タテ・ヨコ・ナナメに動き、想いをめぐらせる仕事をしよう
1階から屋上までのタテの動線。
隣のお店、通りにつながるヨコの動線。
そして、まちに畑に、どこまでも行ったり来たりするナナメの動線。
“販売”と“料理” それぞれにしっかり軸足を置き、実務をしっかりこなしながらも、そのふかふかの土の上には蒔きたい種がどんどん飛んで来るし、自分で種を持ってきて蒔くこともできる。
現在「オプティカルヤブウチ」と「食堂ヒトト」では一緒に働く仲間を募集しています。経験があっても未経験でも、一番大切なのはここで働きたい気持ちです。
藪内さん 眼鏡店の方は接客をベースに検眼や加工まで一連のことをしていきますが、イベントの企画運営やSNSでの発信など、「販売スタッフ」なんていう言葉には収まりきらない多様な仕事があります。未経験でも、眼鏡が好きっていう気持ちがあればいいし、デザインができればイベントのフライヤーデザインも任せたいですね。
ヒトトは主に料理人の募集です。ヒトトの料理が好きで、畑と台所、そして家庭をつなぐことに共感する仲間が加わってくれたら嬉しいです。新しい体制ができたら、毎回大好評の夜ごはんの営業日も増やせたらと思っています。
ヒトトの千葉さんはこの4月、自分から志願して店長に。今まで苦手だった事務作業、ホールでの接客など、慣れないことにヘトヘトになる毎日。それでも今まで知らなかった自分に出逢えていると笑います。
千葉さん 接客はすごくエネルギーを使うけれど、もしかしたら料理より楽しいかも!って思えるほどで(笑) 私、伝えるのが好きなんだなあって気づいたんです。大好きな農家さんのことや野菜のことをお客さんにお話しできるのが嬉しくて。
私は、働く人たちが「いい顔」をしているお店が大好きです。
このまちに初めて訪れたのは震災よりも何年か前のことだったけれど、その時から、このまちに溢れる「いい顔」たちにいつも魅せられてきました。
「まちづくり」や「まちおこし」。その言葉には収まりきらない、働く一人ひとりの心意気がこのまちの魅力を形づくり、お互いの健闘を励まし喜び合う関係性がその一人ひとりを成長させる。だから、小さなまちだし、ほどよいサイズ感だけれど、世界はまったく狭くない。
彼らのお店の中に飛び込めば、今まで知らなかったような新しい自分に出逢えてしまうかもしれません。人生を変えてしまうような何かが起きるこの場所に、飛び込んでみませんか。