文化人類学者で環境活動家、スローライフや生き方についての著書も数多く著している辻信一さん。グリーンズとも関わりが深いようでいて、実はこれまでじっくりと話を聞かせていただく機会がありませんでした。
そんな辻さんが中心メンバーとなって11月11日・12日に開催されるのが「しあわせの経済 世界フォーラム 2017」。グリーンズもメディアパートナー、実行委員会メンバーとして参加します。この機会に改めて、辻さんがどのようにして現在のような問題意識を持つに至ったのか、そして私たちになにができるのかをお話いただきました。
1999年にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立、以来その世話人を務める。「スローライフ」、「100万人のキャンドルナイト」、「ハチドリのひとしずく」、「GNH(国民総幸福)」などの環境=文化運動を提唱、2014年、「ゆっくり小学校」を開校。『スロー・イズ・ビューティフル』、『よきことはカタツムリのように』など著書多数、映像作品にDVDシリーズ「アジアの叡智」(現在6巻)がある。
レイジーマン=怠け者
今回、お話を聞かせていただいた場所は神奈川県・戸塚にあるお寺、善了寺。お寺でありながら辻さんが理事を務める「NPO法人カフェ・デラ・テラ」の拠点でもあり、お寺内のスペースでヨガやトークイベント、落語会などが行われていて、最近カフェもオープンしたという不思議な空間です。
お話は、そこで出していただいたコーヒーから始まりました。
これは、タイのカレン族という少数民族のレイジーマン・ファームのコーヒーなんです。美味しいでしょ。
一口飲むと、深いコクと苦味とほのかな酸味が感じられ、本当に美味しいコーヒーでした。そして、このレイジーマンとの運命的な出会いについて話してくださいました。
1992年に先住民が屋久島の森に集まるイベントを開催したんです。僕はカナダの先住民を連れて行ったんですけど、そこにカレン族のおじさんがいて、その人は木を得度(とくど)させるということをやってたんですね。
得度とは出家の儀式のことですが、木をお坊さんにしちゃうんです。
そうすると仏教国のタイではその木を切れなくなってしまって、それでこれまで5000万本の木を守ったって。それは面白いなと思ったんだけど、そのときはそれで縁が切れてしまったんです。
それから25年が経って、全く関係ない用事でチェンマイに行ったときにひとりの青年が現れて、自分はカレン族の「レイジーマンファーム」から来たっていうんです。
レイジーマンって「怠け者」という意味なんですが、僕もナマケモノ倶楽部やってるから、「え、レイジーマン? 面白い」と思って、「カレン族と言えば25年前にこんな人と会ったことがある」って話をしたらその青年が「それは僕の父です」っていうんですね。それで次の日、山奥にあるその農場に行ったんですよ。
行ってみると、その農場は森の中にあって、森林農業をやっているんです。タイでは40年くらい前に、森林を伐採して換金作物をつくろうという”緑の革命”運動が国を挙げて推進されていて、いろいろな作物が試されたんですね。
コーヒーもそのひとつだったんですが、国際的な競争に勝つことができなくて産業としては定着しなかった。でも、それがひっそりと森の中で育っていたんです。それをレイジーマン、25年前に僕が出会ったおじさん(ジョニさん)が見つけて、タイで今、急速に広がっている遺伝子組み換えトウモロコシに変わる作物として栽培を始めたんです。
栽培といっても無理に増やすのではなく、森に生えている木に最小限の手を入れて収穫するということをやっていて、自分たちが食べる作物は別につくっているんです。
そうやってつくったコーヒーを、連帯貿易という形で海外に売ろうとしている。僕らも同じ「怠け者」だから一緒にやるしかないなって、今は行くたびに少しずつ持ち帰って、みんなに試してもらってる段階なんですけど、ゆくゆくは販売していこうと思ってるんです。何と言っても「レイジーマン」っていう名前がいいじゃない?
辻さんが現在力を入れて発信しようとしているのは、ローカリゼーションによって行き過ぎたグローバリゼーションに対抗しようという考え方です。
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが提唱し、ドキュメンタリー映画『幸せの経済学』にもまとめられていますが、レイジーマンのあり方はまさに「しあわせの経済」を自分たちの足元からつくっていき、それを国際的に連携させていこうという動き。これが、辻さんが世界に伝えたいこととピタリと一致したのです。
そして、さらに大事だと思うのは、レイジーマンとの25年を経ての出会いという”縁”です。辻さんは、縁がいかに重要かということも話してくださいました。そのような考え方へと至った辻さんの歩みは、一体どのようなものだったのでしょうか。
グレート・カナディアン
辻さんの現在にまで至る活動の原点は、カナダの先住民”インディアン”にあるといいます。「黒人音楽が好きでアメリカに憧れていた」という辻さんは、20代半ばでアメリカに渡ります。そして黒人を出発点に、先住民や移民についてより深く知るべく文化人類学などを学ぶようになり、2年後にはカナダへ。そこでカナダの先住民に出会います。
カナダには黒人は少ないんですけど、街にいるホームレスなんかを見ると僕らと似た顔をしているわけですよ。
日本にいた頃から”インディアン”の歴史にも興味があったので、彼らの考えを聞きたくなって。アメリカの黒人の一部が白人社会に同化することで黒人の中に差別や葛藤が生まれたように、カナダの先住民も都会に出て白人的な生き方をすることに葛藤を抱えているんじゃないかと思ったんです。
当時はちょうど先住民たちが昔から住んできた土地がダムやゴルフ場にされるので、そうした開発から森や湖を守ろうという運動が展開していて、1990年にはそれが「オカの戦い」という武力闘争になるんですが、そこに参加している人たちに研究のために話を聞きに行きました。
でも、行くと一緒になってやっちゃうんですよね。すっかり友だちになっちゃうから。自分にできることはなんだろうって考えて、研究そっちのけで。学者に向いてないんですよ(笑)
学者として彼らのことを知りたいという気持ちと、友人として彼らのために何かしたいという気持ち、そのふたつの間を揺れ動いているとき、辻さんに大きな出会いが訪れます。
その頃、デヴィッド・スズキに出会ったんです。
彼は、将来を嘱望された遺伝学者で、ノーベル賞をとるかもしれないとも言われてたんですが、科学は環境破壊を引き起こすものでもあることに矛盾を抱え、悶々としていたんです。そのようなときに、ラジオやテレビに出るようになって、自分が科学をわかりやすく喋ることに長けていることがわかった。それで心を決めて、自分は環境活動家としてやっていくことに決めたんです。
国営放送のCBCで『The Nature of Things』という自然科学番組が大変な人気になって。カナダ人の尊敬を集めて、2004年には”Greatest Canadians”っていう国民投票で存命の人物では1位になったんですよ。
彼は一切妥協せずに自分の信じることをどこまでも言うんだけど、尊敬されてるから政治家もやめさせられないわけ。日系人で、戦争中は収容所に入れられて差別されていたのに、それだけ尊敬を集めるようになった。
彼の存在は僕にとってすごく大きくて、学者として、自分のために研究をするだけじゃなくて、そんなふうに世の中のために活かしていく道があるんだってことを教えてくれた。それで、すごく勇気が出たのをはっきりと覚えてます。
カムイチカップ=神の鳥
カナダで学者として学生を教えながら、先住民を応援する活動を続けていた辻さんは、1992年に日本の大学で教えるために帰国します。しかし日本でもただの学者になるつもりはなく、活動家として先住民のための活動を始めます。
日本に帰ってきた年が、ちょうどコロンブスがアメリカに到達して500年で、いろいろな行事が世界で行われていたんですが、先住民は「何がお祝いだ」と言っていた。
そこで、カナダやアメリカの先住民やアイヌの人たちを呼んで「もうひとつのコロンブス五〇〇年ー先住民族の英知に学ぶ」という会議を開催したんです。デヴィッド・スズキさんに基調報告をしてもらって。
拠点を日本に移して活動が続けられるのかと、葛藤を抱えながらの帰国だったと振り返る辻さんですが、この会議とそれに続くデヴィッド・スズキさんとの北海道の旅で日本でもやることがあると思うようになったそうです。
せっかくデヴィッド・スズキさんに来日してもらったので、NHKにはたらきかけて、彼を中心に先住民がアイヌの土地を旅する番組をつくるという企画を出して実現したんです。
企画は、二風谷(にぶたに。北海道南部平取町にあり、アイヌが今も多く暮らす地域)でアイヌの人たちに会いながら最後にシマフクロウに会おうというもので、シマフクロウはコタンコロカムイ(カムイはアイヌの言葉で神を意味する)といってアイヌの人たちにとっては神様なんです。その神様に会いに行く。でも、シマフクロウは絶滅の危機にあって、会えるかどうかわからなかった。
一緒に旅した中に、以前から友人だったチカップ美恵子さん(アイヌ文様刺繍家で文筆家)がいました。チカップはアイヌの言葉で鳥という意味で、シマフクロウをカムイチカップとも言うんだけど、チカップさんはシマフクロウに会ったことがなかった。だから彼女は自分の神様にぜひ会いたいと、旅しながらずっと言っていたんです。
それが旅の最後に根室で夕方、森に入っていったら、すーっと雪が振り始めて、目の前の木にシマフクロウが降り立ったんですよ。
それで僕らは木の陰に隠れて静かにしていたんですけど、チカップさんがスーッと近づいていって、シマフクロウが止まってる枝の真下に行って見つめ合うんです。全然逃げないの。そのときは本当に感動しましたね。
この出会いには、先住民の自然とつながる力の強さに対する気づきがあります。辻さんも「今考えればそういう出会いが支えてくれた」というように、出会いと気付きによって、次々と問題意識を持っていくのです。
ハチドリのひとしずく
日本に帰ってからも、先住民のために活動を続けていた辻さんに、次なる気づきが訪れます。
帰国して数年してから、エクアドルでマングローブを守ろうという活動に参加するようになりました。エクアドルのジャングルの中、観光客はおろかエクアドル人も行かないようなところに世界最大のマングローブ生態系が残っていて、そこを通って現地の人々に取材をしたりして、マングローブを守ろうと訴えたんです。
現地の人たちは逃げてきた黒人奴隷と先住民が混ざったような独特の人たちで、周囲からは隔絶していて独自の社会をつくっている。そこに車で乗り付けて5日くらいインタビューしたり調査をしたりして、また帰っていく。そんなことをやっていました。
そうしたらあるとき、現地の誰々に子どもが生まれたから日本に帰ったら知人に伝えてって僕に言ったんですよ。それでそのときは「ああわかった」って答えたんですね。
それで、街に出てみんなでお酒を呑んでたら、何か急におかしくなって、腹を抱えて笑い始めたんですよ。何がおかしいかって、自分たちですよ。
現地の人が僕にメッセージを伝えたのは、僕が日本に帰ったらすぐその人に会ってメッセージを伝えてくれると思ったからでしょ。彼らの村みたいなところに僕らは一緒に住んでいると思っている。でも、僕らは日本中に散ってるし忙しいから実はほとんどエクアドルでしか会わないわけ。
僕らは現地の人に偉そうに「ああしろこうしろ」って言ってるけど、よく考えたら自分たちは友人とゆっくり話す時間もなくて、自分たちのローカルやコミュニティは崩壊して、下手すると家庭も崩壊して、自分の息子や娘ともコミュニケーションが取れていないわけですよ。なのに、偉そうに説教して……。コメディですよ、こんなの(笑)
だから変えるべきはエクアドルじゃなくて俺たち自身だって、そのときはっきりわかったの。
僕らが彼らに教えるんじゃなくて、彼らが僕らに教えてくれているんです。人生もっとスローに暮らしなさいよって。”助けに行ってる”んじゃなくて”助けられに行ってる”。
環境を守る人も壊す人も、右翼だって左翼だってみんな同じで、僕らはいつも忙しがっている。でも、その自分自身を変えなければ、世の中を変えることなんてできないとわかった。
それもどっちが先にじゃなくて、同時に。
変革というのは、自己の変革と世の中の変革、自分の魂そのものの変革と一体なんだってわかったんです。そこから僕なりのスロームーブメントが始まったんですよ。
自己の変革と世の中の変革のためスロームーブメントに取り組もうとした辻さんですが、もう一度エクアドルに引き戻される出来事が起こります。そして、そこでまた大きな出会いが訪れます。
マングローブの活動が終わりに差し掛かった頃、アンニャ・ライトさん(ナマケモノ倶楽部の共同代表で環境活動家、辻さんにとっては「妹みたいな人」)がやってきて「大変、エクアドルで日本の企業が森を破壊する鉱山開発をしている」って言うんです。
それでエクアドルに行ったときに、現地に行ってみたんですよ。今度はアンデスの中腹の雲霧林(うんむりん。熱帯・亜熱帯地域の山地で湿度の高い場所に発達する常緑樹林)で、ほとんど残っていない生態系で、美しいんです。ランの原種のほとんどがそこにあるとも言われていて。
その森を象徴する存在がハチドリで、そこの先住民のケチュアから『ハチドリのひとしずく』という話を聞いたんです。
「ハチドリのひとしずく」
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
辻さんはこの話を持ち帰り、2005年に『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』という本にして出版。地球温暖化防止のためにできる小さな取り組みをみんなでやろうというキャンペーンを立ち上げました。
またしても先住民に教えられる形で、辻さんのスロームーブメントが形になり始めます。
ナマケモノ
ハチドリに加えて、辻さんがエクアドルの森で出会ったのがナマケモノでした。ナマケモノも辻さんに大切なことを教えてくれました。
森林伐採が進んだところに行くと、ナマケモノだけが逃げ遅れて、伐採された木と一緒に倒れて来たりして。それを人間が食べるところがないのに食べたり、虐待したりしていたんです。貧しい人たちだから責められないんですけど、「これは救わないといけない」とナマケモノを買い取って、ボートを仕立てて移住させたんです。
あんなことよくやったと思うけど、船がナマケモノでいっぱいで、ナマケモノって森の中にいると可愛いんだけど、森から引き離されてそこら辺にいると不気味なんですよ。やたらと手が長くて痩せててね(笑)
それを見ていて、今度も「僕らは救っているのではなくて救われているんじゃないか」と思ったんです。
今の社会は競争によって成り立っているというのが常識になってますが、それは本当なんでしょうか。実はそういう物語は最近のもので、昔の人たちは人生が競争だなんて誰も考えていなかった。人を蹴落とさなくたって、自分が人を押しのけて前に出なくたって、みんな生きてたんですよ。
でも今の社会は、人々が自分の我欲を最大限に発達させて、それで競い合うことによって、かろうじて成り立っている。競争によって成立する社会が成り立つっていうのは、その裏側を言えば不安と恐怖によって成り立ってるってことですよね。どうしてなんで戦うかっていうと、負けたくないからでしょ。学校に行くのだってそのため。
ナマケモノは違うんですよ。彼らはほとんど木から降りることなく葉っぱだけを食べてゆっくり生きています。
どうして彼らがそのようなスローな生き方ができるのかというと、競争から下りたから。自分だけのニッチをつくって、牙を持ったり毒を持ったりすることでジャングルの他の動物と競争する方向に進化しなかった。まったく無防備な方向に進化することによって森の中で栄えた。
ナマケモノは森の中に置いておいてくれれば絶滅なんてしない。僕らはナマケモノを救いながら、ナマケモノの生き方に教えられて、救われている。そのことに、僕は森から引き離されたナマケモノの姿を見て気づいたんです。
競争型ではないスローな生き方をナマケモノから学んだ辻さんは、その名も「ナマケモノ倶楽部」という団体を設立。
ナマケモノに学ぶスローな生き方をする仲間を増やすことで、恐怖と不安に基づいた社会ではない社会をつくろうと活動を始めます。先住民の暮らしからヒントをもらったスローに生きることは、ナマケモノという象徴的な存在によって確実にひとつのムーブメントとなったのです。
そして辻さんは、ナマケモノからもうひとつ大事なことを教わったと言います。
ナマケモノって1週間に1回だけ木から静かに降りてきて糞をするんです。でも、そのときは無防備だから本当は木の上で排泄したほうがいいんですよ。
それなのになぜそんなことをするのか。研究からわかったのは、自分のした糞が確実に根を通して木の栄養になるためだということ。上から糞をしたら地面の表面で分解されてしまうから、わざわざ木の根元に少し穴を掘って糞をするんです。
自分は生態系の中で生きている。だから自分の生態系にお返しをする。それを命がけでやってるんです。
インドに『バガヴァッド・ギーター』という聖なる書があって、僕の友人でもあるサティシュ・クマールは、その鍵となる概念のひとつとして「ヤグナ」を挙げています。
これは「補うこと」を意味していて、自分が生態系・自然・人々のおかげで生きているんだから、それを少しでも補いなさいという教えなんです。
家を建てるために木を切ったら木を植えなさい。
食べ物を食べてゴミが出たらそれは堆肥にして畑に返しなさい。
そういう考え方なんです。それって、ナマケモノの生き方そのものじゃないですか。彼らは僕らに教えてくれているわけですよ、生き方を。
今回のフォーラムにも登壇する、インド出身のイギリスの思想家サティシュ・クマールさんは著書『君あり、故に我あり』の中で『バガヴァッド・ギーター』における3つの鍵となる概念として「ヤグナ(補うこと)によって土を育てること、 ダーナ(与えること)によって社会を育てること、タパス(自己修練のこと)によって自己を育てること」を挙げています。
スローな生き方とはつまり、地球の生態系のスピードにあわせて生きること。人間も生態系の一員である以上、そうしなければ生態系を崩すことになってしまいます。辻さんは先住民やナマケモノやデヴィッド・スズキさんらとの出会いからそのことを少しずつ学んでいったのです。そして私たちに教えてくれているのです。
しかしなぜ、私たちはそのような生態系を崩すようなスピードで生きることになってしまったのか。そしてゆっくりとしたスピードで生き直すためには何が必要なのか、近日公開の後編でさらに聞いていきます。
(撮影: 廣川慶明)