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どんな存在として、何をしよう? 「beの肩書き探求ガイド」は、やっていることが多すぎて絞れない、「doの肩書き(今の自分の肩書き)」に何だかしっくりこない、という読者のみなさんにお届けする「これからの働き方、生き方」をめぐる連載企画です。2018年12月に発売する書籍『beの肩書き』を執筆した元greenz.jp編集長、兼松佳宏が担当します。

greenz.jp編集長を卒業し、“フリーランスの勉強家”と名乗るようになってから、僕の働き方について関心(というか疑問)を持っていただく人が増えて、とてもありがたく思う。

「勉強家の兼松佳宏」と書かれた名刺をお渡しして、いまのところ無反応だったことは一度もない。いつかは飽きられると思うけれど、まだまだ違和感があるみたいで嬉しい。笑ってもらえるくらいがちょうどいい。

そして、「これはdoとしての肩書きではなくて、beとしての肩書きなんです」と伝えると、たいてい最初は「?」の顔になる。でも、よくよく聞いてもらうと「ああ」となる。

みんなが関心や疑問を持つのは、「フリーランスの勉強家」という珍しさもさることながら、「beとしての肩書きを意識してみませんか?」という僕からの提案にあったのだなと、今はやっと理解できたのだった。

肩書きについて考えが深まったのは、インタビューを受けたことが大きい。ひとつはTokyo Work Design Week横石さんが聞き手だったcakesの記事で、こちらは『これからの僕らの働き方』にも掲載していただいた。

そして、その本をきっかけに、東京から取材に来ていただいたのが日経新聞記者の桜井さん。京都精華大学の研究室〜嵐山スタディホールピクニック〜ワコールスタディホールと2日間にわたる密着を3分に凝縮したとき、そのエッセンスこそ「beとしての肩書き」ということだった。

「beとしての肩書き」とは何か? それは、自分が貢献できる価値の源となる働きのこと。普段はdoとして「記者」をやっている人は、もしかしたらbeの部分は「冒険家」かもしれない。「冒険家としての記者」と「医者としての記者」と「詩人としての記者」では、書き上げる記事は違ったものになるだろう。

ちなみに、greenz.jp副編集長のスズキコウタくんは「音楽家としての編集者」で、PLAYLISTなど彼ならではの言葉がアイデアや考え方の源になっているのが伝わってくる。そういう瞬間、僕はうれしくなる。

もちろん本来は、beも小説家でdoも小説家の人が、小説家として大成するのだろう。しかし、すべてのひとがそうなれるとは限らない。でも、卑屈になる必要はない。「小説家としての建築家」「小説家としての保育士」がいたっていいと思う。その時点で、「小説家になりたい」という夢はある意味叶っている。

もしdoとして憧れの仕事を諦めたとしても、その思いをbeとして成熟させる。僕は「勉強家は稼げるのかどうか」はあまり気にしていない。もちろんdoのところで何をすれば稼げるのかは気にするけれど、稼げないからといってbeを捨てることはない。

どんな存在として、何をするのか。do×beが、ひとりひとりの仕事の個性を決めているのではないか、ということ。

僕のbeは「勉強家」であり、その上でdoとしてかつては「greenz.jp編集長」をしていて、今は「大学教員」をしている。外向きには大きな変化かもしれないけれど、内向きには何も変わっていない。自分と他者の認識のギャップは、beとしての肩書きについて、ふだん共有する機会もないし、他者は知らないからだろう。

beの部分を共有できたら、その人ならではの癖や伸びしろも歓迎できるようになるだろうし、挑戦を支えるサポートも、ずいぶん本質的なものになるのではないか。beから湧き上がったdoこそ、やりがいのある、自分と一致している、生かされている仕事となるのではないか。

同じスーパーのレジでも、僕は「整体師としてのレジ係」さんのところに並びたい。何か癒されたような気持ちになるかもしれない。「銀行家としてのレジ係」さんの正確さに心打たれるのもいい。

では、beとしての肩書きはどのように見つかるのか。それは自分自身で見つけようとすると、意外と難しいことに気づく。ならばいっそ、信頼できる周りの人に聞いてみよう。「僕って、何屋さんだと思う?」本質的な問いの答えは、案外、近くの見えないところに潜んでいる。

そういう僕だって、「勉強家」という肩書きを自分で発見したわけではない。たぶん、いつの頃か誰かにふと「勉強家だよね」と言われ、最初は戸惑ったけど「あ、悪くない」と思った。不思議な魅力と可能性を感じた。何より自分を表現するのに、とてもしっくりきた。

そうして冗談半分で、6年くらい前から名乗ってみて今に至るのだけど、僕の「beとしての肩書き」だって、誰かからのふとしたプレゼントだったのだ。言ってみれば、あり方をパラフレーズしてもらう、ということ。

だからこそ「beとしての肩書き」を贈り合うような場をつくってみたい。偏愛マップや人生グラフを共有し、もっとも自分らしい瞬間についてのストーリーを共有する。そして、そのストーリーを聞いて、例えば以下のような肩書きのひとつをプレゼントする。

哲学者/陶芸家/農民/植物学者/森林官/パン屋/医者/環境運動家/生物学者/建築家/詩人/画家/盆栽作家/靴職人/童話作家/ミュージシャン/チーズ屋/経済学者/薬剤師/写真家/政治学者/落語家/言語学者/旅人/雑貨屋/ビジネスマン/カフェオーナー/そば屋/広告屋/酪農家/町工場主人/保育師/寺子屋塾長/染織家/英語教師(辻信一さん『カルチャー・クリエイティブ』より一部抜粋)

最初は消去法かもしれないし、なかなかしっくりこないかもしれない。それでもなお、「人からは、そういうふうに見えるんだな」という気付きとともに模索を続けること。あるいは、いつかの夢をもう一度思い出して、自分自身にプレゼントしてみること。

勉強にも「doのための勉強」と、「beのための勉強」がある。僕がスタディホールを通じて応援したいのは、どちらかというと普段見過ごしがちなbeのための勉強なのである。そのときの自分と再会しているような何とも言えない表情よ。高ぶりよ。時空のゆらぎよ。

勉強する横顔は美しい。美は唯、勉強にあり。

本原稿は「studyhall.jp」より転載させていただきました。

– INFORMATION –

「beの肩書き」が本になりました。
詳しくはこちらから! https://greenz.jp/benokatagaki