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持続可能な未来は、都市ではなく村からつくる! 無邪気で素朴なインドネシア人の村づくりに学ぶ「世界ヴィレッジデザイン会議」

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Photo by atsuhiro isoki

こちらの記事は、greenz peopleのみなさんからいただいた寄付を原資に作成しました。

世界は村でできている。というと大げさに聞こえるでしょうか。

顔と性格をお互いに認識し合い、人がひとつのコミュニティと感じることができる人数は約200人までとも言われますが、その“ムラ”という言葉は、地域や故郷と読み替えることもできますし、すべての市区町村、さらには国でさえ、すべては村(=地域)が先にあり、村の集合でできています。

であれば、世界のカタチも村が変わることでやがて変わっていくはず。
それは、個人一人ひとりができることを小さく実行していくことで大きな波及を生んでいく、ボトムアップ方式による世界のデザインです。

この夏(2016年8月5日~7日)、山口県の小さな“村”で、これからの生きる姿勢と地域の問題解決の指針を「村のデザイン」から学び、語り合うための「世界ヴィレッジデザイン会議」が開催されました。

自然と人とがつながる村のデザインを探る

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何時間でも眺めていられそうな山口県・阿東地区の田園風景。写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by rumi tanabe

「世界ヴィレッジデザイン会議」は、経済活動と人材が大都市に集中する一方で、村が衰退していくという状況に危機感を感じたインドネシア人デザイナーのシンギー・カルトノが、その解決策を探ろうと2014年から始めた国際会議を源流としたものです。

※「世界ヴィレッジデザイン会議」は、経済活動と人材が大都市に集中する一方で、村が衰退していくという状況に危機感を感じたインドネシア人デザイナーのシンギー・カルトノが、その解決策を探ろうと2014 年から始めた国際会議「ICVR(International Conference on Village Revitalization:農村再活性化会議)を先行事例として、デザインやテクノロジーの手法から地域課題に取り組む山口情報芸術センター[YCAM]が、山口市阿東地区で独自に提案したツアー、ワークショップ、トークセッション。

これらの要素を軸としながら、同地区で実際に暮らす多世代の人々と、山口県宇部市を拠点にするプロダクトデザイン会社オープンハウスが“村”で暮らす人々が自分たち自身で有効な議論の場をつくり出すために議論を重ねて準備してきたもの。

「地域の問題解決事例を学ぶ先がインドネシア?」と、思うかもしれません。

しかし、持続可能な社会をつくっていこうと試行錯誤しているのは、なにも日本だけではありません。「世界ヴィレッジデザイン会議」では、先進的な事例と持続可能な村づくりのヒントの数々がインドネシアにあることを、参加者の誰もが知ることになりました。

会場となったのは山口県阿東地区の廃校を利用した施設、阿東文庫。

阿東地区は山口県の中でももっとも人口の少ない過疎地域のひとつで、遠くまで視界の開けた田園地帯が四方の山々に見守られた美しい“村”です。
 
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阿東文庫の体育館に集まった参加者たち。写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by rumi tanabe

青い空が澄み渡ったこの日、インドネシアチームのリーダー、シンギーさんは日本人約30人とインドネシア人21人の参加者に言いました。

シンギーさん 世界を見回すと都市型の国は非常に少数で、多くの国は農村型、つまり村型の国です。理想的な村は、新しくなにかをつくり出すことではなく、今あるものを活かすことでつくることができる。環境に負荷を与えない文化的な生活は、村から始められるということをみなさんと分かち合いたいと思っています。

シンギーさんの言う「村での文化的な生活」とは、工業化や田舎暮らしのためになにかを犠牲にする生活ではなく、その両方のバランスを取って豊かに暮らしていく生活のこと。それはつまり、近代化の恩恵を受けつつも環境と共生した、持続可能な暮らしと言えます。
 
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地図を片手に自転車に乗り込む。写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by rumi tanabe

シンギーさんの宣言のあと、両国の参加者は外に飛び出し、校門前に用意された自転車に乗り込みます。

この日のプログラムのメインは、阿東地区に繰り出し、なぜそこにそれがあるのか、どんな意味があるのか、地域の外からの視点と外国人という視点で、自然と人とがつながる村のデザインを探っていくことです。
 
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国を超えて結成したチームで地域を観察する。Photo by atsuhiro isoki

地元の人にとっては当たり前の風景も、彼らにとっては新鮮に映るものばかり。「神社の下に集落があるのは神様を守るため?」と予想したり、途中、地域住民との思わぬ交流が生まれたりするなど、自らの肌で阿東の空気感に触れていきました。

自転車から始まった、村を再び元気にする活動

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プロダクトデザイナーのシンギー・カルトノ。写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by rumi tanabe

村を巡るために自転車を使った理由には、実はシンギーさん自身の体験が元になっていました。

シンギーさんはインドネシアの大都市ジャカルタで働いたのち、故郷のために自分ができることをしようと村に戻ったデザイナー。そのとき、彼が使ったのが自転車でした。自転車は小回りが利くため、村人の困りごとを聞いてまわるのに好都合だったのです。

困りごとをひと通り把握したあとのシンギーさんの行動は速く、バイタリティに溢れたものでした。

村にはロウケツ染めの伝統技術がありましたが、跡取りがおらず途絶えかけていたところにデザイナーを招いて継続させたり、竹かごづくりの名人に依頼し、荒廃してゴミ捨て場になっていた竹やぶの竹を使ったかごを村のあちこちに置くことで村人が自然と環境美化するようにしたり。(国の環境大臣が視察に来るまでになったそうです!)

また、村に昔からあった石畳が廃れて道がデコボコになり、行政から道路整備のお達しがきたときには「行政が道路をつくるとコンクリートで固められた道になってしまう」という危機感から伝統を復活させ、村人と一緒に石畳の道までつくってしまいます。

さらに、地域の林業の問題にも手をつけました。それは、木材という原料の輸出だけでは売価が安く、村に充分な利益が残らないという問題でした。そこでシンギーさんは、「magno(マグノ)」というブランドと工房を立ち上げて、地元の木材で村の人々と木工製品の生産・組み立てを行い、販売を始めます。
 
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「magno」のラジオ。シンプルなつくりには、「手さぐりでチューニングを合わせることで、自分だけのラジオになっていけばいい」という思いがある。Photo by atsuhiro isoki

コンセプトは、「Less Wood, More Works.(より少ない木材で、多くの仕事を)」。

するとモダンでシンプルな「magno」のラジオが“小さくて機能的な木工製品”として、世界各国のデザインアワードで極めて高い評価を受けるように。

こうして身の回りの資源を活かして地域にお金が落ちる仕組みをつくり、今ではもともと木工技術を持たない人たちを教育して村で数十人の雇用を生むまでになっていきました。

それまで誰も知らなかったような小さな村に、視察や観光に訪れる人も増え、宿泊可能なコテージも自分たちでつくったそうです。

これらの村おこしのきっかけとなったのが自転車でした。

シンギーさんは現在、地元の竹で自転車をデザインし、工房でつくっています。そのバンブーバイクに付けられた名称は「spedagi(スペダギ)」。

スペダギとは、「朝の自転車(早朝サイクリング)」という意味で、シンギーさんの“村を再び元気にする活動”すべての総称でもあります。自転車は、いまや村の活性化の象徴なのです。
 
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スペダギの自転車 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by rumi tanabe

インドネシア発の多様な活動

2日目には阿東文庫の教室を使って、インドネシアチームと、山口県で活動するチームそれぞれの講演が行われました。参加者は、自分の興味のある取り組みについての話を聞こうと各教室を行き来し、熱心にメモを取るなどして真剣な表情で聞き入りました。

ザイニー・アリフはゲームデザイナー。子どもたちが伝統的な遊びやゲームについて学ぶ場「Komunitas Hong」を推進する社会起業家でもある彼は、インドネシアの伝統的な遊びとそれを残していく意味について紹介してくれました。
 
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ゲームデザイナーのザイニー・アリフ
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by atsushi tanabe

ゲデ・クレスナ・ナタ・ドイジャクサラは、ジャカルタとデンパサールにおいて、建築家として活動した後バリの村に戻り、地図やドキュメント、地域の知恵を保存する取り組み「Rumah intaran project」を進めています。
 
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建築家のゲデ・クレスナ・ナタ・ドイジャクサラ
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by atsushi tanabe

エギ・ヘグリアナは、西ジャワ州に位置するスカブミ村の村長の息子です。農業を通じた人づくりと国づくりを目指す国際NGO「OISCA(オイスカ)」のスタッフでもある彼の講演は、自らの住む、伝統的な村の価値観を大事にしながら自立するコミュニティモデルについて。「米は売らない」「移動しながら暮らす」という暮らし方は参加者に驚きを与えました。
 
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村の若者のリーダー的存在であるエギ・ヘグリアナ
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by atsushi tanabe

講演は、場所を阿東文庫から地域交流センターに移して、さらに続きました。

spedagi(スペダギ)バンブーバイクのマーケットマネージャーでもあるアラ・クスマは、村でつくられたさまざまな製品について、洗練されたデザインを加えてブランディングすることで、価値を大きく生まれ変わらせ、村に活力を与えられることを事例を交えて伝えます。
 
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アラ・クスマは、インドネシアのジャワ島中部の都市サラティガで活動する若干18歳。Photo by atsuhiro isoki

また、フランシスカ・カリスタは千葉大学で文化デザインの修士を卒業。その後、シンギーさんの考えに共感し、竹林の中で行う地域のマーケット「Pasar papringan」を主催するようになりました。「村でしか食べられないものや伝統文化という宝物を地域の中から探し出すことが目的」と話し、コミュニティの活性化にも取り組んでいます。
 
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フランシスカ・カリスタの主催するマーケット。Photo by atsuhiro isoki

日本からは、東京サイクルデザイン専門学校の生徒によるプレゼンもありました。日本の竹でつくった自転車をお披露目し、「親子でつくることができる」といったコンセプトに、会場の参加者からも関心が寄せられました。
 
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東京サイクルデザイン専門学校の生徒によるプレゼン。
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by atsushi tanabe

モノは輸出しないが、考え方は輸出する

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「村から始めよう」とシンギーさん。Photo by atsuhiro isoki

そして、ここで改めてシンギーさんのスピーチ。少し長くなりますが、抜粋します。

シンギーさん 人間には精神性と合理性という2面性がありますが、現在はこのバランスが崩れて物質主義に傾いている時代です。しかし人々はバランスの崩れに気づき、今、再び都市から村に向かうようになっています。

それを可能にしたのはIT技術と交通網の発達で、都市に住まなくてもやりたい仕事ができるようになったのです。

環境にやさしい暮らし、経済、行政で一番大事なのは持続可能性であり、人間による自然に対する態度です。私たちは問題を解決する仕事をするべきで、けっして問題をつくる側に回ってしまってはいけません。

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YCAMに展示されていたバンブーバイクに「これ、いくらなんだろう?」と興味津々の親子。でも、日本で購入することはできません。Photo by atsuhiro isoki

問題をつくる側になってはいけないという言葉を行動で示すように、彼がデザインした、村の竹と技術でつくるバンブーバイクは、輸出の問い合わせが多かったものの、環境面と持続可能性に配慮して輸出することを選ばなかったといいます。

また、実はバンブーバイクは輸出以前に、販売すら行われていません。これは、村に人を呼び込むためであり、自分自身の手でつくり上げてほしいとの思いからです。

ときおり別の場所で製作ワークショップを行うことはあっても、都市では行わず、都市から離れた村で行うことにしているそうが、これも、人々が村に関わるきっかけをつくるためです。

「モノは輸出しないが、考え方は輸出する」。この理念から「世界ヴィレッジデザイン会議」が始まったのです。

インドネシア人の満ち溢れるエネルギー

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リズムに乗って手を叩き合うインドネシアの遊び。Photo by atsuhiro isoki

初日と2日目、食事のときや移動時間、合間の時間には、日本人とインドネシア人の交流も盛んに行われました。

なかでもぼくが個人的にもっとも印象的だったのは、2日目の夜の出来事。時刻はまだ20時をまわった頃でしたが、あたりはすでに真っ暗闇の中、宿泊先に移動するための車をインドネシア人たちと待っていたときのことでした。

ワイワイと雑談に興じる中、ひとりがおもむろにピアノを弾き始めると、伴奏に乗って徐々にみんなが声を揃え、次々といろいろな曲を歌い始めたのです。

インドネシア独立の歌、唱歌、ポップス。大笑いしながら延々と盛り上がる様子に、聞いているだけでじんわりと幸せな気持ちに。
 
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泣くほどに笑い合い、手を叩いて歌う。Photo by atsuhiro isoki

真面目モードだった昼間の素晴らしい講演とはギャップのある、子どものように無邪気な姿に、今の日本人に必要な、エネルギーと素朴さを痛感したのです。

そのうち、インドネシアでもポピュラーだという日本の唱歌「ふるさと」の伴奏が始まり、「歌えるか?」と、そのまま輪に入って一緒に歌うことに。こうして迎えの車が来るまでの間、心豊かな合唱大会は続いたのでした。

「やればできる。かつての日本もそうだったんだから」


会議を締めくくるシンポジウム。写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]Photo by atsushi tanabe

最終日には、一般参加者も招いたシンポジウムで意見交換が行われました。

登壇したのは、シンギーさん、阿東文庫代表の明日香健輔さん、今回のフィールドワークの設計をおこなった建築家の笠置秀紀さん、東京サイクルデザイン専門学校の高橋政雄さん、自転車で日本2周の旅をした阿東在住の郭传灏さん、山口情報芸術センター[YCAM]の井高久美子さんと石川琢也さん。

「spedagi(スペダギ)は自分たちのできることをやってしまうというゲリラ的な始まりから、どんどん広くネットワーキングしていっていることに可能性を感じる」と話す井高さんに、「地域の資源を活かしてできることがあるのは国や地域が違っても同じ。今後の阿東でもできることはあるはず」と笠置さん。

明日香さんは「阿東の情報はインターネットではほとんど得ることができないからこそ逆手に取ってなにかやってみたい」とこれからの展望を語ります。

活発な議論は、インドネシアの村と阿東の今後の協力を確認して閉会となりました。

20代の参加者に3日間の感想を尋ねてみると、「過疎地域でのフィールドワークを楽しみにしてきましたが、なによりインドネシア人との交流が有意義でした。“日本の田園風景はとても美しい”と同世代に言われて、日本の田舎に誇りを持っていいんだと思えた」と、手応えを感じた様子。
 
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Photo by atsuhiro isoki

そして、参加者を迎え入れる側だった阿東文庫代表の明日香さんからは、この3日間でヘトヘトになりながらも精神的充実を感じさせる言葉が聞けました。

明日香さん 結局は、自分たちでやるんだという気持ちですよね。シンギーさんたちのバンブーバイクも最初はまさにハンドメイドだった。やればできる。かつての日本もきっとそうだったんだから。元気な彼らを見て、日本が置き去りにしてきたことはそれじゃないかと感じました。

「自分たちでやっちゃおうよ!」というシンプルなマインドと、なんでも楽しんでしまうエネルギー。「世界ヴィレッジデザイン会議」に関わった人すべてが3日間で得た種は、きっとどこかの村で芽を出す日が来るはず。

みなさんは、日本の唱歌「ふるさと」を歌うことができますか?
その最後の一節に「忘れがたき、ふるさと」とあります。さて、あなたの村はどこにありますか?