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原発事故からの復興を自分たちの手で! 福島県富岡町で住民が立ち上げたメガソーラープロジェクト「富岡復興ソーラー」が市民ファンドの募集をスタート!

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プロジェクトを実施する福島県双葉郡富岡町の夜ノ森地区。名所として知られた桜のトンネルは、花見客が訪れなくなっても鮮やかに咲く

わたしたちエネルギー」は、これまで“他人ごと”だった「再生可能エネルギー」を、みんなの“じぶんごと”にするプロジェクトです。エネルギーを減らしたりつくったりすることで生まれる幸せが広がって、「再生可能エネルギー」がみんなの“文化”になることを目指しています。

全国をめぐって自然エネルギーの取り組みを取材しているノンフィクションライターの高橋真樹です。
今回は、原発事故からの地域の再生のために地域住民が立ち上げたビッグ・プロジェクトをお伝えします。

福島県富岡町は、福島第一原発のすぐそばにある町で、事故から5年以上たつ現在も、住民は全町避難を強いられています。しかし、放射能汚染され、農作物はつくれない土地でも発電なら可能です。町の未来を託してエネルギープロジェクトを立ち上げたご一家を、避難先の福島県いわき市に訪ねて話を聞きました。
 
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「富岡復興ソーラー」を立ち上げた地権者の一家族、遠藤さんご一家。右から遠藤道仁さん、遠藤陽子さん、遠藤美音さん。陽子さんは、事業主体である「一般社団法人富岡復興ソーラー」の代表を務める

「国に捨てられた」という思いを乗り越えて

「広がる田園風景を眺めながら、のんびり過ごせるところが好きでした」。

故郷、富岡町のことを思い返してこう語ったのは、太陽光発電プロジェクト「富岡復興ソーラー」を立ち上げた遠藤陽子さん(66)です。

遠藤さん一家は、陽子さんと夫の道仁さん(60)、ひとり息子の美音さん(30)、そして道仁さんのお母さんである綾子さん(83)の4人暮らし。陽子さんは富岡町の中学校の音楽の教員、道仁さんは同じく美術の教員として働き、2010年の3月に2人とも退職しました。

陽子さんは地元の仲間たちと、演奏家を招くコンサート活動をしていました。道仁さんも、趣味のアウトドアをめいいっぱいやろうと計画していました。さあこれから第二の人生を楽しもうという矢先に起こったのが、福島第一原発事故でした(2011年3月11日〜)。

二人の住んでいた地域は、原発から7キロの距離にあります。震災直後はすべての電気が止まり、外部の情報がまったく入ってきませんでした。どれほど酷い状況になっているかを知ったのは、3月12日に最初の避難先となった川内村でテレビを見たときのことです。その後、川内村も全村避難が決まり、一家は郡山市の避難所に移りました。

しかし事態の長期化や高齢の母を連れた避難所生活のリスクを考え、つてをたどって千葉県に移動。さらに東京での生活を経て、同年5月末頃から、使っていなかった別宅のあるいわき市に住み始めました。道仁さんは、移動を転々と繰り返した避難生活を振り返ってこう言います。

道仁さん 原発のそばに住んでいたので、危機感はありました。それでもまさかこんなことになるとは…。避難所や仮設住宅にいると比較的注目や支援が集まりやすいのですが、私たちのように自力で逃げた人は放って置かれっぱなしです。「国に捨てられた」という思いが強いですね。

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富岡町の至る所に並ぶ、除染土が入った袋

陽子さんは、今も続く避難生活と他の地域に住む人との感覚のギャップにとまどうと言います。

陽子さん 今も福島では9万を越える人が避難しています。でも、西日本を訪れて人と話すと、もう過去のことのように考えている人が多いことに驚きます。

時間だけはどんどん過ぎていくのに、状況は良くなりません。お金の問題だけではなく、こんな形で故郷が奪われて、心が満たされないという思いでいっぱいです。この歳になってなんでこんな目にあわなきゃいけないのか、本当に悔しいです。

富岡町の一部では、来年には帰町することのできるエリアも出てきます。しかし、2015年に実施されたアンケート(回答率約51%)によると、3年以内に町に戻りたいと答える住民はわずか7%でした。そして、そのほとんどは高齢者です。

放射能の値はまだ高く、さらに住宅にはネズミなどの被害が広がっています。家にそのまま戻るというわけにはいきません。

政府の方針としてはっきりと決まっているのは、ここが廃炉作業の前線基地になるということです。廃炉のための作業員宿舎ができ、大勢の作業員がこの町で暮らすことになります。

富岡町民にとっては、廃炉作業員ばかりの中に戻っても、元の暮らしが成り立つのかという不安もあります。揺さぶられる故郷への思いの中で遠藤さん夫婦が考えたのが、ここで太陽光発電ができないか、ということでした。
 
greenz_tomioka04地域の将来についての不安を語る遠藤陽子さん(左)と道仁さん

避難した地権者を探し出して、日本全国を廻る

遠藤さん一家は、田んぼを所有していました。仕事の関係で自らは農作業ができないので、震災前までは農地を人に貸し地代を得ていました。ところが放射能の影響で何もつくれなくなりました。この先何十年も農作物がつくれないと、収益はないのに雑草の管理をしなければならなくなります。

また、今現在は人が居住できない地域に指定されているので土地には税金がかかりませんが、近い将来に避難指示が解除されると、農作物をつくれなかったとしても税金が課されるようになります。

「国は何もしてくれない。だから、農作物をつくれなくなった田んぼを使って自分たちで収益を生み出し、地域の将来に活かせないか」。遠藤さん夫妻には、そんな思いがありました。

そこで考えたのが太陽光発電です。富岡町の自宅の屋根に、2010年にソーラーパネルを設置して売電を始めた経験があり、抵抗はありませんでした。自分の所有する農地の広さで計算すると、およそ2メガワット(一般家庭約600世帯分)の電力を生み出せることがわかります。

そのプロジェクトを実現しようと模索するうちに、知人の紹介で自然エネルギー事業の専門家である飯田哲也さんと出会います。飯田さんは、NPO法人環境エネルギー政策研究所(ISEP)所長として、数々の地域エネルギー事業を成功に導いてきました。

飯田さんは遠藤さん夫婦に、もっと多くの地権者に声をかけて大きな事業にした方が、地域貢献につながるとアドバイスします。
 
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事業計画地の航空図。福島第一原発から近いことがわかる

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グーグルマップで見た事業計画地

遠藤さん夫妻は、およそ1年かけて東北から関東、四国まで日本全国に散らばってしまった40世帯近い地権者の居所を探し出し、一軒一軒家庭訪問をします。そしてプロジェクトに賛同してくれるよう話しました。道仁さんは当時の苦労を語ります。

道仁さん 大変でしたね。やっと探し当てて話に行ったのですが、怪しまれて門前払いにあったこともありました。話を聞いてくれた人でも、理解はしたけれど私は参加しないと言われたこともあります。警戒されていたのでしょうね。

しかし、農地を所有していても農作物はつくれず管理費だけがかかるという悩みは遠藤さんたちと同じだったため、次第に興味を示してくれる人が増えていきました。遠藤さんらは、富岡町の議員の協力も取り付けながら説明会や自然エネルギーの学習会を開催。参加した地権者の方たちの姿勢は、積極的になっていきました。

「富岡復興ソーラー」のプロジェクトは最終的に、地域住民が主体になった自然エネルギー事業としては桁外れに大きい、33メガワット(一般家庭約1万世帯分の電力)という大プロジェクトになりました。この事業は、富岡町の土地をどのように利用していくか、という復興計画にも入れられました。

陽子さん 私たちが動き出したのが、富岡町が復興計画を立てる前だったので、うまく取り入れてもらうことができました。地域の将来のためにと、本当にさまざまな人たちに協力してもらいました。このタイミングでなければ、事業は実現できなかったと思います。

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城南信用金庫の吉原毅相談役も「富岡復興ソーラー」事業を応援している(2016年7月24日)

次の世代に富岡の未来をつなげたい

富岡復興ソーラーの設備工事は、2016年秋には着工開始、2018年の3月頃には発電を開始する予定になっています。プロジェクトの総事業費は90億円以上、地域の住民が主体となった事業としては日本で最大のものです。

資金調達は銀行からの融資に加え、一部には全国の市民から出資を受ける「市民出資」という仕組みを取り入れます。応募する市民出資の目標額も13億円と、過去最大規模です。市民出資は、「自然エネルギー市民ファンド」という会社が窓口になっています。

この事業の実務を進めるために設立された事業会社「株式会社さくらソーラー」でプロジェクトマネージャーを務める小峯充史さんは言います。

小峯さん 富岡町ではほかにも太陽光発電事業が予定されていますが、地域住民の方たちが立ち上げたこの富岡復興ソーラーは、売電収益を地域貢献につなげるということがはっきりしているので、他の事業とは意味合いが違います。

設備ができあがって終わりではなく、そこからどのように富岡町の未来につなげていくことができるのかが大切です。市民出資で応援してくれる方も含めて、20年間しっかりと見ていただけるような仕組みをつくりました。

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事業会社「株式会社さくらソーラー」の小峯充史さん。小峯さん自身も、原発事故を機に勤めていた会社を辞め、自然エネルギー事業に身を投じた

発電事業による収益は、20年間合わせると30億円を超える見込みです。収益は、遠藤陽子さんが代表を務める「一般社団法人富岡復興ソーラー」を通じて、地域の自立をめざす復興支援事業に使うことになります。

地域貢献のアイデアとして、具体的に検討されているのは次の2点です。

ひとつは、避難指示が解除された後、富岡に戻る人をサポートする送迎サービスです。どうしても故郷に戻りたいと考える高齢者の方はいますが、商業地や病院などに行くための移動手段がありません。そこで、ワゴン車での送迎サービスや買い物の代行などといった生活支援を行います。 

もうひとつは、若手の農家が自立的な経営ができるための支援です。富岡町は大半が農地(田んぼ)なので、これを次世代に残したいと思う地権者は多いのですが、すでに述べたように現状では食べるものを生産するのが難しくなっています。

そこで、食用ではない花を育てたり、エネルギーになる原料を育てることで、農地を荒廃させずに残そうと考えているのです。これについては時間をかけて町と協力しながら、調査、提言をしていく予定です。 

事業の実現のために奔走したお二人が言います。

陽子さん もちろん地権者の生活再建が第一ですが、収益の使途はそれだけではありません。地域でお金を回して、地域の未来のために投資する。この事業がなかったら収益はゼロだったのですから、こんなに素晴らしいことってないと思います。

道仁さん 事業を通じてたくさんの人たちにお世話になり、新しいつながりもできました。私たちにとってそのことが大きな財産になっています。“一生懸命やると誰かが助けてくれる”といいますが、それは本当なんだと実感しました。

今ではそれぞれ異なる場所に住んでいる富岡町の人々ですが、多くの人々がこのプロジェクトに賛同し、実現にこぎつけた背景には、お金や土地を、富岡の次の世代になんとかバトンタッチをしていきたいという共通した思いがありました。

福島第一原発事故から5年半、走り始めた富岡復興ソーラープロジェクトが、新しい福島の未来のあり方を模索しています。
 
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道仁さんが描いた故郷、富岡町の風景画。ここにメガソーラーが建設されることになる

(Text: 高橋真樹)
 
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高橋真樹(たかはし・まさき)
ノンフィクションライター、放送大学非常勤講師。世界70カ国をめぐり、持続可能な社会をめざして取材を続けている。このごろは地域で取り組む自然エネルギーをテーマに全国各地を取材。雑誌やWEBサイトのほか、全国ご当地電力リポート(主催・エネ経会議)でも執筆を続けている。著書に『観光コースでないハワイ〜楽園のもうひとつの姿』(高文研)、『自然エネルギー革命をはじめよう〜地域でつくるみんなの電力』、『親子でつくる自然エネルギー工作(4巻シリーズ)』(以上、大月書店)、『ご当地電力はじめました!』(岩波ジュニア新書)など多数。2016年7月25日に新刊『そこが知りたい電力自由化・自然エネルギーを選べるの?』(大月書店)が発売された。