みなさんは「西粟倉村」ときいて、どんなイメージを思い浮かべるでしょう?
村という単位から寂れた限界集落しょうか?
人口1500人の過疎化が進むド田舎でしょうか。
9割以上が人工林で占められている情景から、のどかな森林の村を思い浮かべるでしょうか。
すべてそのとおり。西粟倉村は本当に小さな小さな村ですが、ソーシャル界隈では「ローカルベンチャー(地域起業家)が集まる村」として注目されています。
ソーシャル界のシリコンバレーと呼ばれる西粟倉村のローカルベンチャーのプラットフォームづくりを仕掛けてきた西粟倉・森の学校の創業者であり、2016年5月1日より、より地域プラットフォームを構築することに特化した会社「A0(エーゼロ株式会社)」を立ち上げる牧大介さん。
この小さな村が50年先まで生き残るために掲げた指標「百年の森林構想」を実践するために、牧さんがみつけた「個人が目指したい幸せのかたちが起点になった地域づくり」について、各地域で実践できそうなアイデアからえげつない失敗談を交えてお話をお伺いします。そして牧さんがたどり着いた未来と、これから歩き出す未来をじっくり伺います。
1974年生まれ。京都府宇治市出身。京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けてきた。06年から地域再生マネージャーとして西粟倉村に赴任。09年より株式会社西粟倉・森の学校を設立と同時に代表取締役就任。15年株式会社森の学校ホールディングスを設立。16年に森の学校ホールディングスをA0(エーゼロ株式会社)と改める。
未来を諦めないことを決めた村は、未来を見つける人のための村になる
2006年、西粟倉村は平成の大合併で合併を拒み、1500人の小さい村が自立の道を歩むことになりました。
彼らが選んだ生き残るための術は “地域資源を生かして循環させること”。そこで、村の主要産業である林業を軸とした理念「百年の森林(もり)構想」を掲げることに。森林から出た木材に付加価値をつけて、小さな村の主軸産業として成り立たせることが使命でした。
「百年の森林(もり)構想」の立ち上げ前から西粟倉村に関わっている牧さんは、2009年に「株式会社西粟倉・森の学校」を設立。
西粟倉・森の学校の主な業務は、木製品の製造販売、地場産品の営業・マーケティング・企画です。人口約1600人の岡山県西粟倉村で生み出される、主な資源である資源から製品をつくり、木材に付加価値をつけて、全国に西粟倉の木を流通させることを使命として生まれました。
それを皮切りに牧さんは、村に起業家やベンチャー企業をこの村に集めて「ローカルベンチャーの生態系」をつくります。それが村を変え、人を育て、その結果、いま、エネルギー問題も解決につながる筋道ができているのです。
牧さん 自立を選んだ時点で、この小さな村だけで人やお金の流れを生み出していかなければならなかった。そのわかりやすい指標として「百年の森林(もり)構想」を掲げて、「西粟倉村は森の再生で未来をつくっていくんだ」という意思表示をしました。
実際のところは、地域課題を解決するために森さえなんとかすればいいわけではないけれど、勢いというか、みんなの心をひとつにするためにはそうせざるを得なかったんです。
そして2015年現在、「百年の森林(もり)構想」を掲げてから7年経ちますが、結果的に言うと、「森をよくするために、みんなで頑張り続けようよ」ということがだんだん響かなくなってきました。
それはこれまで7年間の道程や結果を踏まえると「50年後を目指してがんばろう!」という気持ちは、ぶっちゃけサステナブルではないなと(笑)
みんなが同じ気持ちで、同じように、50年後を目指すなんてどんなに素晴らしいことでも不可能ですよ。
ありとあらゆる課題が山積している地域社会。地域社会を解決するにはアイデアという名の人力がたくさん必要です。地域で楽しく暮らす人が増えるためには、もっと多様性が高まっていかなければならないと牧さんはいいます。
牧さん 「百年の森林(もり)構想」は「地域を諦めない」という宣言でした。森林という長い時間がかかるものをやり続けるという、気の遠くなるような宣言です。確かにシンボルとして良いものだった。でもそれは所詮シンボルなのだと思います。
一番大事なことは、これから先、諦めずにやり続けるんだ、継続していくんだという意思と多様性。そのためには地域に眠っている“可能性”を掘り起こしていく作業が必要です。
「百年の森林(もり)構想」は、この村に森林がたくさんあったところから生まれた地域資源発信のものです。まちづくりやむらおこしは地域資源を起点に組み立てていく流れでしたしね。
どこの地域も「地域資源の活用を〜」って、ステレオタイプ的にそう言い続けてきたでしょうけど(笑)
今は、もっと人間起点で地域の価値を捉え直すことをやらなければいけない時期に来ています。そこで生きるひとたち、生きようとするひとたちの内的要求や目指したい幸せのかたちが起点になって、それぞれが元気にがんばって地域で生きていく。
そのひとたちは狭い地域の中、身の回りにあるものでなんとかしようとするじゃないですか。それが結果として生きていくなかで、地域資源が掘り起こされて地域が循環する。資源ありきでモノを考えるより、人ありきで資源を掘り起こしたほうが、より無理のないプロセスですよね。
だから、地域に入っていこうと思っている人たちには、地域課題の解決がどうたらとかではなく「あなたはあなたらしく生きればいい」と言っていくことが、結果的に近道だと思っています。
それは森林の生態系になぞらえるとよくわかります。木、植物、虫、動物、そして人。森を形づくる生態系は、みんな太古の昔から脈々と受け継がれた生き方をただ粛々と全うすることで多様性が生まれて、互いをつなげて森が栄え育っていく。それは地域社会も同じであると牧さんは捉えています。
そうやって自分らしく生きていくことを続けた“人の集団”ができあがった結果、気がつけば、山が再生されていたり、空気が美味しくなっていたり、川に魚が戻ってくることにつながるのだと牧さんはいいます。
最近、牧さんがイメージする、地域のための「森」
鈴木菜央(以下、菜央) greenz.jpで、いろいろな分野の人を取材すればするほど実感するところですけど、その人がまず自分の中にある可能性を開花させて、それが周りのひとの感性も開花させていく。そういう人しか、社会をつくっていないんですね。
牧さん そうですね。まず個人レベルでの活性化がないと、いきなり地域が活性化することなんてありえません。個人が活性化していけるようなインフラをどう整えていくかは、西粟倉村役場と連携してそのインフラづくりを進めてきた僕らの役割だと思っています。
A0(エーゼロ株式会社)本社前。旧影石小学校の校舎を再利用。背後に「百年の森林(もり)」が迫る
菜央 どの時点でそういう方向性になったのでしょうか。やっているうちに見えてきたということでしょうか?
牧さん そうですね。「百年の森林(もり)構想」を掲げた2008年当時は、僕自身、割と真面目に「林業をなんとかしよう」と思っていました。僕自身の関心として、地域に寄り添う気持ちはあったものの、地域社会の森とか林業を、どうしていくかというテーマに挑むという意識のほうが強かったかもしれない。
ただ、やっていく中で、林業って短期的にどうにかなるものでもないので、どうしていけばいいんだろうって悩みました。あと、西粟倉・森の学校を勢いで設立してしまって、行きがかり上、責任を背負わせていただいて、とてもとても大変でした(笑)
西粟倉・森の学校は、「地域に木があるけれど、丸太のまま売っても儲らない。それならば付加価値をつけ、商品にして売っていくしかない」ということで始まった事業です。しかし、それをやろうとすると高額設備が必要になるし、在庫も自分で抱えることになります。
何億ものリスクを背負ってやっていかなくてはいけない上に、木と人材と技術と商品と販路と顧客…様々な要素をゼロベースから揃えなければならなかった。ある種アクロバットな企業形態をとってしまって、ほとんど勝ち目の見えない進み方をしてしまった。実際に経営状態は厳しかったですし、倒産しなかったのが奇跡です。誰にもおすすめできません(笑)
西粟倉・森の学校の業績悪化によって、人材もどんどん流出してしまいました。でもその辞めた人材の中にも、なんとか村に踏みとどまって自分の好きな事をやりはじめる人たちが現れまして、経営者としては複雑ですが、反面、楽しそうでよかったなと思えるところもありました。最終的には「みんなもっと辞めて、好きな事をやって元気になればいい」と思うしかなかった。
でもその時に「そもそも、それが本質だ」と思い出したんです。地域で起業しようというひとが増えないと地域がおもしろくならないって。
そもそも「株式会社西粟倉・森の学校(以下、西粟倉・森の学校)」の前身だった「西粟倉村雇用対策委員会」は「村の人事部」というコンセプトで立ち上げたものでした。
この村で挑戦していく人たちを増やそう、移住者や起業家を呼ぼう、移住者の受け入れを進めようというベースが西粟倉・森の学校の本来の姿だったのです。
牧さん 「林業をなんとかしなければいけない」という部分に入り込みすぎて、元々、僕がこの村でなにをやりたかったのか忘れてしまった時期があったということです。
今は、「林業をなんとかしなければいけない」というモチベーションの高い井上達哉くん(西粟倉・森の学校代表取締役社長)に、そのあたりはパスをして、あらためて、地域の起業家の生態系やベンチャーエコシステムみたいなものを再構築していくというところをやり直していきたいのが現在です。
西粟倉・森の学校は、西粟倉村の間伐材を商品に変えて、原木のときの7倍ぐらいの価値にして販売しています。A材と呼ばれる良材は建築資材や家具資材として加工します。また置くだけで無垢の床にリフォームできる「ユカハリタイル」というヒット商品もあります。
ユカハリタイルは50cmの長さの板で商品にできるので、B材という少し質の落ちる木材でもある程度使うことができますし、ユカハリタイルやフローリングを製造した時に発生する端材は「ヒトテマキット」など、アイデア商品に生まれかわります。そして、いわゆる低質材のC材は、西粟倉村でエネルギー利用されています。
これからの地域資源の付加価値は、その人がそのひとらしく頑張って、生きていくための出口をつくること
牧さん うちの製材所で受け入れができない間伐材は村楽エナジーさんの出現で、燃やすことによってエネルギー化して価値を生めるようになりました。(村楽エナジーの記事はこちら)
この村がいつかバイオマスの熱利用に舵きりすることは最初からわかっていたけれど、僕が思っていたよりも早かったですね。来年以降はうちの製材所でもエネルギー分野でのチャレンジをはじめますよ。
菜央 たとえばどんなことに?
牧さん A0(エーゼロ株式会社)は、森、田畑、川、海などの自然と向き合い、自然資本を高めていく生き方と暮らし方を開発し普及させていきたいと考えています。そのため、自然が持つ可能性を多面的に引き出していくために、農林業従事者のための副業的な魚養殖事業の研究開発に挑戦することにしました。西粟倉・森の学校の木材加工場から出る木屑を燃料にしてナマズとウナギの養殖が可能になります。
森林からうなぎが生まれる?これが地域循環生態系の面白さ
牧さん 西粟倉・森の学校という木材加工事業と肩を並べるような規模で、シナジーが出せる様々な事業が横に並ぶようにしていくことが重要だと思っています。林業以外にも、農業や水産など、事業を横につないでいく作業を続けてきます。
続けていく中で、「いらない」ものが、別のプロセスが横に立ち上がってくることで「資源」に代わる局面が多々あります。そういうことが連鎖していくなかで地域全体の生産コストが低減されていくのが理想的。要は面白いことをやって、横の連携が取れて、低コストで高品質なことがたくさんできるということです。その作業を円滑に進めるため、新たにA0(エーゼロ株式会社)を設立しました。
菜央 新たな地域プラットフォーム会社を新設して、西粟倉・森の学校が分社化するということですね。グループとしてシナジーを共有しながら、かたや地域づくり、かたや木材加工業に特化して行って、どんどん連鎖していくということですよね。それはワクワクします。また、地域内のローカルベンチャーとの連携も気になります。村楽エナジーという存在は、この地域に可能性を増やすという意味で欠かせない存在になりつつありますよね。
牧さん エネルギーでちゃんと基盤になれる会社が村にあるということはとても大きいですね。地域のエネルギー利用の他にも、会社単位でエネルギーの相談ができますし。今後も、配電盤のような役割を持つローカルベンチャーやインフラになるローカルベンチャーが増えてくる気がしています。
村のローカルベンチャー企業「村楽エナジー株式会社」は、村の温泉施設「遊〜とぴあ黄金泉」の薪ボイラーに毎日2回、薪でエネルギーを供給している
菜央 西粟倉村は地域熱供給がはじまるという話もあるじゃないですか。牧さんはどんな風に捉えていますか?
牧さん ひとつは、熱源になるものが山に余っている事実があります。そういう意味では、木材というよりはエネルギーが大量に余っている地域と言えます。
菜央 なるほど! 山を見る目が変わりますね。
牧さん そう考えるとエネルギーをたくさん使う事業が成立しやすくなりますよね。西粟倉村だったら安価で熱供給が受けられるというと、エネルギーが必要となる会社が立地しやすくなるので、西粟倉村を挑戦の場として選ぶ会社や組織が増える。僕はそこに興味があります。個人レベルから始める場合のインキュベーションのプロセスで僕らが絡むことがあるかもしれないし、そこはもう勝手に、場所があって安価なエネルギーがあるところであれば…と、アイデアをここに持ち込んでベンチャーを立ち上げるひともいるかもしれない。
食品加工などの工場ができたり、居酒屋チェーンのセントラルキッチンができたりという可能性があるかもしれない。熱が大量に余っているからできることってたくさんあります。
森林という資源が大量に余っていることが、安定した熱がたくさんある、ここはそういう村に変わろうとしています。
そんなふうに変化したのは。林業が栄えているからだけではなく、西粟倉村が「百年の森林(もり)構想」を掲げたことで、その旗のもとに人が集まり、村役場が森林を資源として使えるように交渉したからです。
ひとりひとりできることを積み上げて、人と人の色んなつながりがあったからこそ生まれた西粟倉村のエネルギー。そしてそんなエネルギーだからこそ、安価に成り得たのです。地域熱供給という新しいインフラは、また村全体の暮らしをつくり、仕事をつくり、幸せをつくります。これこそが循環型社会なのです。
また、事業が育っていくと、実行する人が必要になります。ひとづくりという面で、西粟倉村として特筆すべきなのが「地域おこし協力隊」制度の柔軟な運用です。西粟倉村では、現在15名の地域おこし協力隊が村内で活躍しています。
起業型地域おこし協力隊として、なぜか西粟倉で酒屋をやっている「酒うらら」
彼らは「起業型」と「就職型」に分かれています。「起業型」はずばり西粟倉村で起業する人です。自分の好きなことをこの村でおもいっきりやりたい。そんな人のために地域おこし協力隊の制度を使い、3年間活動費補助をします。
「就職型」は、成長が見込めるローカルベンチャーに就職させるもので人選などは企業側に一任します。(※2016年度より研修生型、起業準備型なども追加する予定)西粟倉村役場が国の制度をフル活用して起業家たちを支援しているのです。
菜央 僕は、公(おおやけ)が担うビジネスにならない領域と、民が担うビジネスになる領域と、両方とも連携を取りながらこの村を形づくるものをつくっているところがスゴいところだなと思います。
牧さん 起業家の立場でいえば、この村はやりたいことをやらせてくれる村です。それは、なにものにも代えられないやりがいにつながるし、生き甲斐になります。小さい村ながらも、お互い関わり合いながら成立するような循環型の経済というのは、この村だからできることだと思っています。市町村合併をすることでスケールメリットを追求していくよりは、小さい村だからこそ生み出せるスモールメリットがありえるんじゃないでしょうか。
そして、西粟倉村だって最初から前向きで挑戦的でポジティブだったわけではありません。過疎化が進む地域で人口減少が避けられない中、2007年に積極的な移住者の受け入れを決めたときも一般の市町村並に反発があったといいます。
牧さん 最初は「うちの村じゃ無理だ」とか言っていたけれど、見切り発車で我々が血まみれになりながらなんとか結果を出してきた。するとリスクを前向きに捉えられるひとがじわじわ増えてくる。今では、すっかり、みんな開き直ってしまって「いいじゃんやっちゃえば」ってなっています(笑)
何度か危機を乗り越えて、地域の寛容さは磨かれてきている気がします。小さい村の中の可能性を掘り起こしていく作業ができてよかったと思っています。
「お互いを生かし合う関係性」のデザイン
菜央 自然を観察すると、ものすごい関係性でなりたっていることに驚きます。
例えば、木の松って、ただただ松らしくいるだけじゃないですか。そして松茸は松茸らしくあるだけなのに、いつのまにか、松茸は松が栄養を吸収することをを助けているし、松は松茸に炭水化物あげることで助けている。そんな関係性が無数にあるのが、繁栄する生態系だと思うんですが、西粟倉村の話を聞いていると、なんだか生態系っぽい(笑)
牧さん みんなそれぞれ一生懸命生きているだけなんですけど、それぞれが生き抜いていくために結果として関わりを持つしかない。勝手に草は生えるし木は伸びるし、それくらい、人もその場所でそれなりに生きていくし、そう生きて行くんだと信じた方がいいと思います。ローカルベンチャーでもこの子たちこのままこの方向性で生きていって大丈夫かな?って、心配になる人たちいっぱいいますけど、まあ、生態系だから生き死にもあるでしょう。
だから、地域とか社会は、生き物の生き方をデザインできないように、デザインできない。厳密にいうと、デザインしすぎないほうがいいんですよね。行政が動くとわりとデザインしすぎて機能しない計画とかをついつくっちゃうんですよね。
菜央 ほしい社会をつくるために、今すごく大事だなと思うのが、「生かし合う関係性のデザイン」なんです。デザインというものが、それ単体をどうつくるか?という考え方に加えて、いかにそれぞれ生かし合っていける関係性を構築するか、という考え方に進化していかなかいと、これからは幸せになれない。たとえば、庭にピザ窯を置きたいとする。どんな窯を買って、庭のどこに置くか?、というのは単体の話。
関係性のデザインに広げて考えると、講師に頼んで、近所のみんなを集めて手づくりでつくれば、材料費のみで済む。自分で修理ができる。みんなもピザ窯がつくれるようになる。地域につながることができて、ピザパーティのピザが断然おいしくなる。ここから色々な価値が生まれるんですね。
ちょっと手をつないだだけでみんなが価値に気がついて、豊かさの範囲が広がっていく。いくつもの相互的な生かし合いが生まれていくと、そこの多様性と強さと意味が出てくるなと思っています。
西粟倉村は、そんなデザインを自然にやっているのではないか? と思っていて。そういう考え方、方法論が、いわゆる「地方創生」にも必要だと思うんですよね。
牧さん そうですね。僕の場合、個人的な興味でしか動けないので、この村とこの村の人たちを心の底から愛している、そのために働きたいのかと言われれば、…まあほどほどの愛は持っているんですけど(笑)難解な問題を解きたいというモチベーションでやっている節があります。解けないかな?って思いながらやり続けていて、まだ解けない。
でも手がかりがみつかりつつあって、その社会実験フィールドとして西粟倉村以上のところをつくり直したり見つけ直したりするのは難しいと捉えています。だからこれからも、この土地でがんばらせていただければと思っています。
牧さんはこれからも、生かし合う関係性を尊重しながら西粟倉村というフィールドで色んな局面の地域課題を解決できるプレイヤーを増やしていくでしょう。牧さんがつくり上げた生態系のもたらした価値観は、いよいよ西粟倉村を飛び出して日本中にソーシャルインパクトを起こすことを期待されています。
地域で自分らしく生きること。それを追求した先に、地域の未来が続いていくことを、牧さんとこの村はこれからも体現していくことでしょう。
そして、わたしたちも、豊かな暮らしを実現するためにももっと「自分らしさ」を追求しても良いのではないかと思わずにはいられませんでした。
みなさんも、自分らしさについて、地域で生きることについて、考えてみませんか?