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森と人の仲介役として生きる。東京・奥多摩っ子の土屋一昭さんが、ふるさとで始めた「森の演出家」という仕事とは?

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「まず深呼吸しましょう!」と、森の演出家・土屋一昭さん。「ツッチー」の愛称で親しまれています。

特集「マイプロSHOWCASE 東京・西多摩編」は「西多摩の未来を考える!」をテーマに、西多摩を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介し、西多摩での新たなイノベーションのヒントを探る羽村市・青梅市との共同企画です。

東京から奥多摩方面に向かう電車に揺られていると、だんだん車窓の緑が増えていき、やがて都内とは思えないような秘境にたどり着きます。軽快なハイキングウエアに身を包んだ人たちと一緒にJR青梅(おうめ)線の「御嶽(みたけ)駅」に降り立つと、土屋一昭(つちや・かずあき)さんが笑顔で迎えてくれました。

駅から数歩の「つちのこカフェ」を拠点に活躍する土屋さんの名刺には、「森の演出家」とあります。この一風変わった肩書きには、どんなミッションが込められているのでしょうか。
 
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森や生き物の話になると、38歳とは思えない少年のような瞳になる土屋さん

命名されて「森の演出家」に

肩書きについて問うと、「森は演出されたがっていないけど」と土屋さん。あるアナウンサーが、手広く活躍する土屋さんの仕事を総称して「森の演出家」と命名した時は、少し違和感があったものの、やがて自らも納得して名乗るようになりました。

森の演出家の活動には、「食育」「森育」「人育」という3つのコンセプトがあって、そのすべてのベースに自然があります。

都心の小学校の出前授業では、稲刈り体験の後、害虫と呼ばれるイナゴもこの米を食べていると教えて、佃煮にします。生徒の何人かが、おいしい! と言い出せば、結局、全員が食べますよ。

いつでも大切にしているのは、体験や体感です。五感で感じることのアシストをするのが、僕の仕事なんです。

「森の演出家」として手掛けてきた仕事は多彩。小中学校の課外授業、企業研修、料理教室、そば打ち教室、豆みそづくり教室、苔玉づくり教室などの講師。それから、地域活性化のプロデューサー、自然観察指導員や森林セラピーガイド、古民家合宿のプロデューサー、カフェのオーナー。

さらには、火おこしマイスター、テレビの釣り番組や自然番組の制作アドバイザー、アウトドア・ウェディングのシェフ兼プロデューサーなど。確かに、大きなくくりの呼称でないと収まりません。

だから、何者? と聞かれても、ひとことでは説明できないんですよ。まぁ、あえて言うなら、「野生児」です(笑)

お話を聞いていると、鳥と会話ができる、川の中が見えなくても気配で魚のいる場所が分かる、クマやイノシシやヘビの存在は臭いで分かる、昨晩はシカをさばいて刺身で食べた……など、どうやら「自称・野生児」はギャグではなさそう。

自称と言っても、最初に「野生児」と呼んだのも第三者でした。

高校の先生がフライフィッシングの第一人者で、よくテレビに出ていたんです。その先生の紹介で、高校2年生の時に、フジテレビの番組に何回か出させていただきました。

そのとき、川に入って手づかみでヤマメを捕まえたら、当時フジテレビの人気レポーターだった益田由美さんに、「東京最後の野生児」と呼ばれたんです。

実は土屋さん、今までに、NHK「ダーウィンが来た!」「さわやか自然百景」、NHK-BS「アインシュタインの眼」、日本テレビ「ザ!鉄腕!DASH!!」、フジテレビ「晴れたらいいね!」「なるほど!ザ・ニッポン」など複数の自然番組の制作に携わり、フジテレビや日本テレビ、テレビ朝日などの番組に出演。各局から引っ張りだこです。

木はこのアングルから見たら美しい、コケは胞子体が可愛らしい、とか、どこに何がいる、いつ行けば会える、といった動物のことなどを番組制作チームにアドバイスさせてもらいました。

一度、トノサマバッタを30匹用意してほしい、という依頼もあって。トノサマバッタは川から川へ移動するほど飛翔能力が高いから、みんな捕獲を嫌がるんです。でも、雨で羽が冷えると、あまり飛べない。それを知っていたから納期を守れました(笑)

そんな豆知識、いったいどうやって身に付けたのでしょう。

原点は奥多摩の自然

僕は青梅市の今井で生まれ、ちょっと行けばホタルが飛んでいるような環境で育ちました。

祖父母は西多摩の山間にある檜原村(ひのはらむら)の人で、父の代から青梅市です。だから、このあたりには親戚がたくさんいます。

父は元消防士で、夜勤明けに、よく釣りに連れて行ってくれました。おやじも鳥と話せるんですよ。僕も小学2年生ぐらいで鳥と会話できるようになりました。

青梅市で育った土屋さん。西多摩の山間部には、今でもクマやイノシシ、シカ、タヌキ、キツネなどが生息し、身近にシジュウカラやメジロなど野鳥がいて、オス鳴き、メス鳴き、など変化に富んだ美声を響かせています。

求愛シーズンのウグイスの「ホーホケキョ」にも方言があり、土屋さんによると、奥多摩のウグイスは「ホーホケピョ」と、最後が「ピョ」で終わるそう。
 
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御嶽駅前の道をくだるとすぐ、清流が音を立てて流れる渓谷に出ます。手にしているのは、河原に自生するクレソン。

小中学校時代は、学校の勉強よりも、ニワトリの卵を温めて上手にかえす自作の実験などに夢中でした。でも当時はちょうど、ファミコンが流行り始めたころ。高学年になってもゲームに興味を示さず、体も小さかった土屋さんは、いじめに遭います。

どうやって克服したか? たとえば森の中のハチの巣に石を投げて自分は逃げたんですよ。こうすればハチが襲ってくるって、経験上、分かっていたので。

その他にも、落とし穴を周囲に溶け込むように仕掛けてみるなど、身近な自然を味方に付けた独特な方法で、いじめっ子を撃退したそうです。

当時の青梅奥多摩には、お山のがき大将が健在で、森で過ごす仲間は何人かいたものの、自然遊びをそのまま仕事に昇華して森に留まったのは、土屋さんだけでした。

「森の演出家」が誕生するまで

森の演出家になるそもそものきっかけは、ラグビーの過酷な練習をしていた高校時代に体調を崩して、通学を中断したことでした。土屋さんは否応なしに森に戻り、自らの命と向き合うことになります。

難病指定の「重症筋無力症」の疑いがあり「二十歳まで生きられないかもしれない」と言われました。ホルモンバランスの崩れが原因で病気ではないと分かるまで、モルモットみたいに検査されて、どんどん弱っていくのが分かりました。

でも、じつは病気じゃなかったから、森に入る時間が増えたら元気が戻ってきたんです。もう生きられないという怖れからか、五感が研ぎ澄まされました。改めて自然のありがたさを感じ、自然に対してちっぽけな自分を見つめ直しました。

その後、手に職を付けようと調理師免許を取得。病院食をつくる仕事に就きましたが、食べる人の顔も見られない厨房での激務が続き、野生児は再び、元気を失いかけます。

でも、森に入ると落ち着く。何か科学的な根拠があるのではないかと感じました。それで、2009年に森の癒やしの裏付けを学んで資格を取り、奥多摩町の第1号の「森林セラピーガイド」に認定されました。

その後は、副業として森林セラピーガイドを続けながら、プロの釣り師を目指して大会に出て、高価な釣り竿を買うために夜間の警備員バイトをしたり、八百屋になって農家を訪ね、畑で野菜をつくり、料理教室を始めたり。森への思いを温めつつ、職を転々とした土屋さん。

自動車メーカーにネイチャーガイド兼アウトドア・シェフとして雇用され、睡眠を削って仕事に打ち込んだ時期。知人に呼ばれて、東京移転後のムツゴロウ動物王国で働いた時期。それら全ての経験が、いろいろな仕事をこなせる「森の演出家」を形成しました。

転機となったのは東日本大震災です。震災後、ガソリンも不足して、人々は山遊びから遠ざかりました。

でも僕は、今こそ、森の中でリラックスしてもらいたいと思いました。

そんなとき、御嶽駅そばの築150年の古民家の住人が震災を機に地元に帰ると知って、貸してもらえないかと交渉しました。最初は独身だからか信用されなくて。偶然、隣の人が料理教室の元生徒さんで仲介してくれたから、借りられたんです。

疲れている人たちに、古民家を拠点とした自然体験を提供するというミッションが、自分に降りてきた感じがしました。

ひょんなご縁に助けられて、2011年7月から古民家暮らしをスタート。「御岳山の森が大好きで、ここで仕事をするのが夢だった」と語る土屋さんが、ついに地元の森で独立を果たしました。「森の演出家」と命名されたのも、この頃でした。

心を癒やす森の力を一人でも多くの人に

土屋さんが手がける仕事は多岐に渡ります。たとえば、ある病院の先生の紹介で、うつ状態の患者さんたちを自分が暮らす古民家に受け入れたことがありました。

早寝早起き、早朝から体を動かす雑草抜きの作業、地産地消の食事、これを1週間繰り返したんです。

まず、目つきが変わりました。ほとんど眠れない重症の人も、3日目の夕方にはあくびが出て眠くなり、4日目には御岳山で登山ができました。今その人は結婚もして元気になっています。

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土屋さんがスタッフと切り盛りする築150年の古民家が、設立したばかりの「森の演出家協会」の拠点です

その他にも、火がおこせないと食事にありつけないなど、自然の中でこそ見えてくる本質を重視した合宿や研修を、家族や企業を対象に実施。その評判は口コミで広がっていきました。

「帰ってもらう時に本当に癒やされる旅であること」だけを念頭に置き、毎回ゲストの様子を見てメニューを組み立てる土屋さん。日本には四季があるので、いろいろなプログラムが組めると言います。

僕が誰かを救ったわけではなくて、それが、自然の持つ力なんです。自然に触れると、誰でもワクワクしてくる。僕は、それを媒介しているだけです。

自分自身が自然の中で楽しんで笑顔でいると、一緒にいる人も笑顔になってくる。それで、一人ひとりを元気にすることができるなら、これが僕の天職だと思います。

奥多摩っ子、世界へ飛び出す

土屋さんの拠点のひとつ「つちのこカフェ」の一角には、高級感ただよう黒いパッケージの和菓子やTシャツなどが並んでいます。そのどれにも、平仮名の「ゆ」が象徴的に描かれています。
 
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2014年5月にオープンした御嶽駅近くの「つちのこカフェ」。手づくりハーブティーや軽食が楽しめます。「多摩ゆず軍鶏カレー」(1200円)は、32種類のスパイスと軍鶏(シャモ)の脂の旨味を生かし、土屋さんが7カ月かけてレシピを開発した逸品。

「ゆ」は、ゆず、友情、勇気、夢に共通の頭文字です。多摩地区の「澤井ゆず」は、とても香りが強くて、加工すると風味豊かなゆず食品に生まれ変わります。

名産の梅は、2009年にプラムポックスウイルスで壊滅。一方で、青梅市には、山ほど実っては捨てられているゆずがありました。「銀座かずや」店主の古関一哉さんは、西多摩在住の土屋さんに声を掛けてプロジェクトを立ち上げ、2012年に、このゆずで和菓子をつくりました。

これは、十数軒のゆず農家を束ねるJA西東京からゆずを購入し、障がい者就労支援NPOの「多摩草むらの会」に加工の一部を委託し、多摩地域に貢献する和菓子です。

プロジェクトは、のちに「東京・多摩国際プロジェクト」と名付けられ、地元企業やアスリート、アーティストたちを巻き込み、多摩を盛り上げる一大プロジェクトに成長。2015年には、収穫祭を開催して、地元のゆずを約5トンも買い上げました。
 
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青梅市名産の澤井ゆずを使った「多摩ゆずわらび」と「多摩ゆず最中」。この商品から始まった「東京・多摩国際プロジェクト」で、土屋さんは多摩本部代表を務めています

多摩のモノを応援して世界へ送り出すには、地元クオリティじゃなくて、ブランド力が必要。だから、商品デザインも、世界の一流ブランドに対抗するぐらいの意識でつくりました。

とか言って、実は僕、当初は日本を出たこともなかったんですけどね(笑)

幸せそうに自然を愛でていると、いつも誰かに背中を押してもらえる土屋さん。講演ではよく「出会いは人生を加速する」と話すそうです。初の海外も、森から引っ張り出されるようにして、突然経験することになりました。

2014年のある日、「サンマリノ共和国で執り行われる『神社建立記念式典』に出席して、日本の代表団の一員として日本の自然の良さを伝えてほしい」という依頼を受けました。

最初、僕はそんな器じゃないと断ったんですが、都知事が来た日に青梅市の職員の方が、「器は自分で決めるもんじゃない、人が決めるもんだ」と発破をかけてくれまして。

それで、生まれて初めての飛行機にガタガタ震えながら行ったわけです。

安倍首相のお母さまなどのVIPと共に、イタリア半島のサンマリノ共和国に降り立った土屋さんは、早速、さえずり合って現地の鳥とご挨拶。欧州初の本格的な神社建立を記念する式典に参列しました。

そして「東京・多摩国際プロジェクト」の一員として、地域活性化や農業促進などを世界平和につなげていく同プロジェクトについて語りました。多摩のゆずを使った和菓子も、各国の大使たちに大好評でした。

その後、たびたび国内の大使館に呼ばれて講演するようになった土屋さん。英会話のレッスンも始め、活躍の場を広げつつあります。

最近は、日本の魅力を英語と日本語で発信する情報サイト「いいね!JAPAN」の地域プロデューサーを兼任し、出張が増えているそう。地方創生のため、各地で癒やしの空間もプロデュースしています。また、さらに活動を広げるため、2015年9月には一般社団法人「森の演出家協会」を設立しました。

日本は、社会環境や生活環境などの変化によって、うつ気味の人が増えています。でも各地に古民家や豊かな自然があるので、それを活用しない手はありません。全国に「森の演出家」を一人ずつ増やしながら、たくさんの人のストレスを軽減して、笑顔を増やしていきたいです。

国土の7割を森林が占める日本。奥多摩町に至っては94%が森林です。都心で日々ストレスを感じている人も、電車に少し揺られれば東京都内で大自然に触れることができます。

「森の演出家」の仕事に興味がわいたら、まずは身近な自然の中に、ちょっと身を置いてみませんか?

(撮影:横田みゆき)