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不完全こそ求心力! “へなちょこエネルギー”で地と知をつなぐ、「余市エコカレッジ」式・連携ソーシャルデザイン

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わたしたち電力」は、これまで“他人ごと”だった「再生可能エネルギー」を、みんなの“じぶんごと”にするプロジェクトです。エネルギーを減らしたりつくったりすることで生まれる幸せが広がって、「再生可能エネルギー」がみんなの“文化”になることを目指しています。

あなたは、必要な条件が何も揃っていない状態で、夢に向って踏み出す勇気がありますか?

この記事では、数々の「ネガティヴな状況」を「夢を叶える資源」に変えてきた一人の女性の実例をもとに、ピンチをチャンスに変えるヒントや、人間界における“究極かつ最大の再生可能エネルギー”と言える「人間エネルギー」の可能性を探っていきたいと思います。

原料は、「ないないづくし」

技能がない、資金がない、人手がない、土地もない…。

そんな「ないないづくしの現状」から「北海道に持続可能なくらしとコミュニティが息づくエコビレッジをつくりたい!」という夢に向って踏み出し、その約5年後には、様々な技能を持つたくさんの支援者、自然と農地と地域エネルギーに恵まれた2万坪の土地、職人の手仕事と無垢の道産木が盛り込まれた新築の活動施設などを持つまでになった、北海道余市町在住の坂本純科さん。

彼女のはじめの一歩は、「夢を叶えるために必要なものが何ひとつない」という厳しい現実から、自分自身が「教わりたい!」と思った技術や知恵の持ち主たちを講師に招く数々の講座と、受講料をベースにした会員制の運営システムを考え、技能と資金と仲間がいっぺんに集まる学びの場「エコビレッジライフ体験塾」を立ち上げたことでした。

その塾について精力的に広報した結果、講座内容と彼女の熱意に共鳴した同志たちが少しずつ集まり始め、活動開始から3年後、坂本さんは塾の仲間たちとともにNPO法人「北海道エコビレッジ推進プロジェクト(HEPP)」を設立します。
 
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NPO法人「北海道エコビレッジ推進プロジェクト(HEPP)」の代表者、坂本純科さん。

その後、HEPPを基盤に活動を広げていった坂本さんのもとには、技術、知恵、人脈、労働力、資金、まなざしといった有形無形のサポートエネルギーが道内外のみならず海外からも集まるようになり、それらの結晶のひとつとして、2014年の秋には新築の「泊まれる学び舎」が完成。

その翌年であるこの4月からは、そこを舞台とした持続可能な生活技術とコミュニティづくりの体験学習場「余市エコカレッジ」がいよいよ本格稼動することになったのです。
 
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余市エコビレッジのシンボル「泊まれる学び舎」は、坂本さんの想いに共鳴した設計士たちの協働設計図に基づき、“道産材や古材の活用”と“職人の手仕事”をモットーとする道内では珍しい工務店・武部建設が施行したもの

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壁や床などの内装は仲間を募って自分たちで施行。分厚い断熱材、土壁、無垢材フローリング、木製サッシ窓、土間のコンクリートなどの断熱効果と蓄熱効果で、真冬でも晴れた日は朝晩少しストーブを焚くだけで一日中暖かだそう

活動開始から約5年間、長沼町において「持続可能なくらし方」と「コミュニティづくり」につながる体験プログラムとして、畑やエディブルガーデン(食べられる植物が美しくデザインされた庭)づくり、収穫物を使った様々な保存食づくり、バイオトイレの制作、農的なくらしやエコロジカルな共働生活を営む先駆者たちに直接学ぶ講座……などを毎年開催してきたHEPP。

その活動の一端は、以前一度グリーンズでも紹介したことがあるので覚えている方も多いかもしれませんが、坂本さんは2011年3月の東日本大震災を機に、「非常事態でも安心して生きられる道であるエコビレッジの考え方を、今こそもっと広めたい!」と強く思ったのだそう。

将来のエコビレッジ建設を目指してより広い敷地を探し、この余市町に活動の場を見つけたのだそうです。
 
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2万坪の一角につくられた「余市ハル農園」。手前には野菜畑、向こうにはブドウやモモの果樹畑が

でも実は、縁あって好条件で借りられることとなったこの余市町の広大な土地も、「後継者がいない」というピンチに直面していた場所。

愛してきた土地を活かしてくれる人がいなくて困っていた大家さんと、新しい活動地を求めていた坂本さんたちの想いが距離を越えてつながり、ここにHEPPメンバーが移り住んできたおかげで、限られた人しか訪れることのできなかった土地が、多くの人々に開かれたコミュニティフィールドに生まれ変わったのです。
 
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みんなの夢を盛り込んだ、途中段階の「未来予想図」

その結果、貸し手と借り手のニーズが満たされただけでなく、この場所は国内外から人々がやってくる「人間エネルギースポット」となりました。
 
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畑づくりに精を出す講座参加者やサポーターたち。便利な場所とは決して言えない立地にも関わらず、いつもあちこちからの訪問者が絶えず、“地でつながった大家族の別荘地”という感じ

例えば私が取材に訪れたほんの数日間だけでも、坂本さんが関わった各催しの参加者としてこの地域を訪れた訪問者数は、合計約300名!

彼らは道内のみならず全国各地や海外からやってきた老若男女で、その内訳は、HEPPメンバーや講座の参加者、農業ボランティアやサポーター、学生や教員、留学生グループ、福島から保養に来た子どもたちやケアスタッフ、地域イベントの参加者や関係者、近隣の果樹農家さんや住民たち、国内外からのウーファー(寝床と食事を提供する代わりに働いてくれる旅人)など、実に多種多様でした。
 
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イモ掘り体験に夢中の、被災地から保養に来た子どもたち。自分たちの手で収穫した野菜で自作したカレーは、保養期間中の「おいしかったものランキング」第一位だったそう

その訪問者のほとんどは、坂本さんがこの地で活動を始めなければ、この地を訪れることはなかったかもしれない人々。一人の決意が仲間を引き寄せ、その仲間がまた別の仲間を引き寄せ…というように、人が人を呼び、輪が広がっているのです。
 
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視察に訪れた人々に敷地内を案内する坂本さん。このグループ内にも、海外からの留学生が

各地からゾクゾクと集まってくる人々を目の当たりにして、一人一人が持つ人脈エネルギーの大きさに驚かずにはいられませんでしたが、彼女たちの取り組みには、なぜこんなにも人を呼び寄せるエネルギーがあるのでしょうか?

地域ぐるみの自給自足

坂本さんたちのモットーは、「地域ぐるみで支え合うこと」。自分たちのコミュニティ内で自給自足しようとは考えていないのだそうです。

閉じられたコミュニティ内だけですべてをまかなおうとすると大変ですが、その地域で暮らす住民みんながそれぞれの得意分野を持ち寄って支え合えたら、その地域全体の暮らしがラクになり、可能性も広がると思うんですね。

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地域内でまかなえないものは周辺の地域と交換すればいいし、近隣が一体となって、その土地に根ざした経済のかたちをつくれたらいいな、と思っているんです。

でも、実はこれは、「自分たちだけではやっていけない」という現状から生まれた苦肉の策から培われてきた考え方なのだとか。

私たちの活動を支援してくださる方々が各地に増え、たくさんの方がここを訪ねてくださるものの、例えば、講座の受講者さんたちのランチをつくるスタッフや、農業体験プログラムの指導者など、ここに来る人たちの対応をする常駐スタッフは実は全然足りていないのが実情でした。

だからそれらの役割をこの地域の農家さんやお料理屋さんなどにお願いするしかなかったのですが、そうやって仕事を分担していった結果、それが地域全体の活性化につながっていくことに気づいたんです。

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地域の農作物や魚介を使ったお料理が自慢の地元の旅館に注文した、受講者たちのある日のランチ

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添えられたお品書きの手書きの文字に、心づくしがあふれています

特に、ふだんから忙しい農家さんに最初に協力を仰ぎに行った時などは、「新参者からの突発的な相談など引き受けてもらえるだろうか…」と断られるの覚悟だったのだとか。でも、皆さん喜んで仕事を引き受けてくださって、結果的に新しい出会いと交流が生まれ、「これでいいんだ」と気づけたのだそうです。

不完全だからこそつながりができ交流の輪が広がっている、という坂本さんたちの実話に、共生のヒントと勇気をもらった気がしました。

“へなちょこ”の効能

不得意なことは得意な人に、できないことはできる人に分担し、地域全体の人間エネルギーを循環させてきた坂本さんの活動の一端を興味深く見てきましたが、取材を進めるうちに、一見“エネルギッシュなスーパーウーマン”に見える彼女の意外な一面を通して、この活動の核心に触れることができました。

彼女は決してスーパーウーマンではなく、どちらかというと不得意なことをたくさん持ち合わせている“へなちょこリーダー”だったのです。

私は腰痛持ちなので重いものは持てないし、力仕事や大工仕事も不得意。

HEPPの活動地に通って田舎暮らしのスキルを学んではいたものの、余市に移住するまでは都会のマンション暮らしが長かったので日々の雪かきも不慣れで、薪ストーブの扱いもこの冬でやっと慣れた、という感じなんです。

しかも本当は事務仕事も計算も大の苦手で人一倍時間がかかってしまうし、実はちっとも経営者タイプじゃないんですよ…。

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初めての薪ストーブ生活にワクワクしつつも、手つきは思いっきり初心者の坂本さん

ふだんは事務仕事や打ち合わせばかりしているので仲間には意外に思われるかもしれませんが、こう見えても公務員を退職後はイギリスでエコビレッジに長期滞在して農作業に没頭する毎日を送っていたので、重労働はムリでも畑仕事自体は大好き。

本当は事務仕事なんかじゃなく、畑で一日中土いじりしていても飽きないタイプなんです。

実は、NPOを立ち上げて以来ずっと、書類書きや企画・広報など運営上の事務仕事に追われていて、自分が提案している農的なライフスタイルを自分自身が実践できていない矛盾に葛藤してきたのだとか。

昨年やっと思い切ってここに移住してひと冬を過ごし、最初は面食らうことや心細い気持ちもあったものの、地域の人々をはじめたくさんの仲間たちに支えられながら無事に楽しく冬を越えることができ、田舎暮らしにも少しずつ慣れてきたところだそうです。
 
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雪をかぶった「泊まれる学び舎」

この冬は、スノーシューをはいて銀世界の家の周りを散歩することが日課になり、ここでの暮らしを楽しむゆとりも持てるようになってきました。

これからはぜひ事務仕事や力仕事が得意な人々ともつながって、不得意な申請書書きに追われる時間をどんどん減らしていけたらと思っています(笑)

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窓の外には、“スノーシュー散歩”にぴったりの風景が

市役所で働く公務員だった経歴や夢に向って猛進する姿から、何でもこなす敏腕リーダー、という印象を受ける坂本さんでしたが、人は見かけによらないものですね。

でも、だからこそ、ここに集まってきた人たちはそんな彼女のヘナチョコぶりに触れて自ずと自分の役割を見出し、この場所を自分の活動の場として自発的に関わるようになるのだな、と感じました。

余市にベースを移して活動を広げるに当たっての話し合いでは、「身の丈以上のことをやろうとしている」「無謀すぎる」と強く反対して離れていくメンバーもいて、考えさせられたり、自分をふり返ったりもしました。

でも、私はやっぱり、やりたいと思ったことにチャレンジしてみたかったんです。

できないかどうかは、やってみなくちゃわからない。力を合わせれば、新しい道を見つけられるかもしれない。保障はないけれど、可能性をあきらめたくない。そんな気持ちでした。

そのまっすぐな声と明るいまなざしの奥に“信念の泉”のようなものを感じ、私はハタと、出会ったころに聞いた彼女の身の上話を思い出しました。

坂本さんは20代のころパラグライダーを楽しんでいて不慮の事故に遭い、肝臓が破裂。九死に一生を得たものの、再起不能とも思われるほどの状態で2ヶ月間寝たきりになりました。

若さも手伝ってその後は幸い順調に回復したそうですが、半年間の入院生活では、車椅子なしでは動けない障がい者として過ごしたそうです。

その体験をきっかけに、回復後は車椅子の入手が難しい世界中の肢体不自由者に車椅子を送る「飛んでけ!車いす」活動をはじめ、福祉、国際援助、まちづくりなど、「どんな人でも安心して暮らせる社会と環境」をつくるための様々な取り組みに関わるようになり、その延長線上に、現在の「エコビレッジづくり」があるのです。

そんな坂本さんの口癖は、「やりたいと思ったらすぐやらなきゃ!」。その言葉や可能性をあきらめない姿勢には、一瞬のうちに多くを失った経験を持つ人の、切実な想いから来る信念が感じられました。

発展途上国と言われる国々で、障がいを抱えて生きる人々と出会った時のことも忘れられない体験でした。

そこで、モノもお金もない困難だらけの状況を自分たちの創意工夫で乗り越えている力強い人々や、いろんな個性を持つ人々が自分らしさを発揮しながら互いに支え合うコミュニティを目の当たりにしたんです。

彼らは私たちよりずっと多くの不自由を抱えているにもかかわらず、イキイキと輝いて見えました。

いろんな“不得意”を持つヘナチョコな自分も承知の上で、「みんなの力を持ち寄ればきっと乗り越えられる」と信じ、可能性に向って行動しつづけてきた坂本さん。

「できないこと」や「ないもの」の多さに押しつぶされそうになる日があっても、「やってみなくちゃわからない」とまた立ち上がり歩みを進めてきた彼女の先に、世界中の「ヘナチョコエネルギー」が手をつないで輝き合っている未来図が見える気がして、胸が熱くなりました。
 
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これからのコミュニティに必要なのは、「やりたいこと・できることを持ち寄って一人ではできないことを実現する」という共通理念だけでなく、それが“多様性と主体性”に基づいていることじゃないかと思うんです。

いろんな人が主体的に集まっていれば、きっとみんなで得意・不得意を補え合えるはずですよね。

人にはそれぞれいろんな想いや事情があり、入ってくる人、抜ける人、しばらくしてから戻ってくる人…と変化もいろいろ起きて当然。それらにしなやかに対応できるコミュニティこそが、持続可能なのではないか。

そんな想いを、坂本さんはこんな言葉で結びました。

実際、HEPPのスタッフやエコカレッジ参加者たちも、田舎暮らしが希望の人、学びを事業化したい人、週末や夏の間だけ住みたい人、単発でイベントに参加したい人、買物で生産者を支えたい人など様々ですし、地域住民や各界の専門家など、会員ではない人々との関わりも多様で、どれも大切な存在。

そんな、一見バラバラに見えるいろんな立場や想いを持つ人々が「楽しみや喜び」を軸に自主的に関わろうとするコミュニティは、規則や役割や罰則で一丸となる集団よりもずっと強い。私にはそう思えるんです。

坂本さんの言葉には、多様性の調和で成り立つ「生態系のしくみにそったコミュニティづくり」のヒントが散りばめられている気がしました。

「余市エコカレッジ」の2015年度の通年プログラムは、全8回の宿泊講座で、作物栽培や加工、エコ建築、再生エネルギー、起業やコミュニケーションなどの各種座学や実習を並行し、パーマカルチャーの理論を応用して持続可能な地域デザインの実戦ワークに挑戦するそうです。

今まさに、長期インターン生も募集中とのことなので、若干のお給料をもらいつつ持続可能なコミュニティづくりに参加してみたい方は、ウェブサイトの募集要項を見て、ぜひ問い合わせてみてくださいね!