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笑える牡蠣から塩害に強いトマトまで!”伴走型”&”相互多重型”の支援で被災地を盛り上げる「共生地域創造財団」

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事務局長の蓜島さん(右)とコーディネーターの小笠原さん

特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした東日本大震災。大切な家族や住まい、仕事、そして生まれた町まで失ってしまった人たちに必要な支援とは――。復興への長い道のりの中、震災から2年が過ぎた被災地では、求められる支援の在り方は、震災直後の物資支援や人的支援から、複雑に変化してきています。

「笑える牡蠣」や塩害に強いトマトなど漁業や農業のほか、手仕事などの産業復興支援、孤独死をなくす見守り、介護研修などの福祉支援など、多岐に渡る分野で支援活動を続けているのが、今回ご紹介する公益財団法人「共生地域創造財団」です。

生活クラブ生協、グリーンコープ生協、ホームレス支援全国ネットワーク、各々が震災後すぐに支援活動に入り、2011年6月に三団体で協力した支援活動を開始。そして2011年11月に一般財団設立、2012年10月より公益財団として活動しています。

それぞれが震災前から「共生」「地域創造」という共通の課題に取り組み、設立に当たり、同財団が支援活動方針の第一にあげたのは、「もっとも小さくされた者」への偏った支援を、小さくても継続して行うということでした。

出会いには責任がある。現地の人とともに歩む伴走型支援

「被災地の状況は刻々と変わります。一方的な支援にならないよう出会った人に寄り添い、現地から学ぶ姿勢を大事にしています」と話すのは、事務局長の蓜島一匡(はいじま・かずまさ)さん。

蓜島さんは、震災当時、NPO法人セカンドハーベスト・ジャパン(以下2HJ)のスタッフとして、ワンファミリー仙台など宮城で以前から関係のあった団体を支援するために被災地入りしました。

毎日トラックを運転して物資供給にまわりましたが、大きな避難所や仮設住宅ではなく、数名で身を寄せ合う小さな地区の集会所や在宅被災者、みなし仮設住宅、被災は免れたものの沿岸部での仕事を失った人などを探して配りました。中には一年間、支援物資が届かなかった方もいたそうです。

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仮設住宅にて

2HJで食品会社などから譲り受けた食品を児童養護施設や障がい者福祉施設をはじめ、生活困窮者へ供給するフードバンク活動をしてきた蓜島さん。支援や情報がなかなか届かない人、つまり行政の手の行き届かない「もっとも小さくされた者」へ目を向けることは必然でした。

いつか笑える日のための「笑える牡蠣」

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折浜・蛤浜のかき共同作業場

宮城、岩手、福島の3県で進行している支援プロジェクトは20件近くありますが、すべて人との小さな出会いから生まれ、継続する関係の中から立ち上がったものだそう。

例えば、津波で壊滅状態になった宮城県石巻市の蛤浜。9世帯(現在は3世帯)という小さな浜への物資支援から始まった出会いは、ガレキの撤去を手伝い、漁業の再開支援へ。蓜島さんたちは、蛤浜の一人の漁師さんの気持ちを応援し、隣の折浜の3人の漁師さんと共に再建へ動き出しました。

足踏み状態の他の浜に先駆けて2011年7月にはカキの養殖筏が設置されました。そのことが行政をも動かし、再建計画から外されたこの小さな浜で、港のかさ上げ工事やカキ加工場の建設に結びつきました。いつか笑える日のためにと、「笑える牡蠣」と名付けた殻つきカキは今年860箱が完売しました。

「農家には農業しかない」に応える塩トマト

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亘理の塩トマトで作ったピューレとジュース

宮城県の南部の沿岸地域、亘理町では、被災したイチゴ農家の人たちで設立された、農事組合法人マイファーム亘理協同組合と出会いました。津波が押し寄せた土壌でのイチゴ栽培は難しく、ビニールハウスや必要な資材もない状態。それでも「農家には農業しかない」という被災農家の言葉に応えるために、塩害に強いトマトの栽培を提案しました。

市場で需要の高まっている加工用トマトとして、生協とトマトジュースなどで提携している(株)長野興農と全量買い取り契約を結び、生協本体の協力を受け地元ブランドの商品化(トマトジュース、トマトケチャップ)にも成功しました。

被災した人がこの状態を何とかしたい、立ち上がりたいと“自分ごと”として気持ちが動いたとき、その思いを共有し寄り添う人がいると一歩を踏み出せる。津波で何もかも流され、漁業を再開するなんて到底無理だと言っていた漁師さんも時間の経過や状況によって、気持ちに変化が出てきます。

必要なタイミングで道具を揃え、人手が足りないとなればボランティアを募り、一緒に汗も流しました。また、意欲的に仕事に取り組むためには最終的には販路を見つけなければなりませんよね。最初に背中を押して終わりではなく、継続してずっと一緒に歩いていないと本当の自立、復興につながる支援ができないんです。

縁あって出会った現地の人とともに悩みともに歩む。それを私たちは、「伴走型支援」と呼んでいます。

助け、助けられる“お互い様”の関係

生活再建が進まない中、長期にわたり支援を受け続けると、慣れてしまって働く意欲をなくしてしまう人や、お返しができない自分をだめな人間だと思う人もいます。人が社会で生きていくためには自分が誰かの役に立っているという自己有用感が大切なのです。
 
そこでカキ加工場では、現地の雇用だけでなく、生活困窮にある若者の働く場を生み出しました。共生地域創造財団の支えで漁業を再開し、カキをつくれるようになった折浜・蛤浜の人たちは、復興に励みながら、就労訓練の場を提供することでホームレスや引きこもりの状態の人の自立を支援することができる仕組みです。これは亘理のトマト栽培の現場でも取り組んでいます。

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トマト畑にはのべ1000人のボランティアが参加

支援を受ける一方だった漁師さんや農家さんが生活困窮者の自立を助け、生活困窮者の人たちは自立を目指しながら、被災地の復興を助ける。しばらく就労経験が途絶えていた人にとって、身体を動かす作業は社会的にも心身にとってもリハビリになります。

お互いさまの気持ちで互いに助け合う関係。支援する側される側の関係を固定化しないことで、絆でつながった対等の関係を目指しました。

加えてもうひとつ。このカキやトマトジュース、ケチャップを購入する人には、被災地の復興と生活困窮者の自立の両方を支援できる付加価値がつきます。互いに支援し合える関係を多重に築く。「相互多重型支援」を産業復興のカギにしました。

東北では漁業や農業などの産業に従事する人の高齢化が進み、震災がなかったとしてもいずれ後継者不足で衰退するのでは…という問題を抱えていました。それは食の生産現場を軽視して来た日本の社会全体が持っている問題です。

被災した地域をもとに戻すのではなく、農業や漁業を軸とした新しい産業やコミュニティーを創る。蓜島さんたち、共生地域創造財団が目指す新たな共生社会の創造は、日本の他の地域にもヒントとなるはずです。

(Text:関口幸希子)