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小林武史

アーティスト、「ap bank」と幅広い活動を続ける小林さん。彼の描く夢とは……
多くのアーティストを手がける音楽プロデューサーである一方、2003年に低金利で環境保全事業に融資する非営利の金融機関「ap bank」を立ち上げた小林武史さん。立ち上げの動機や今後のご自身の夢について語っていただいた。

―― ap bank は華麗なるチャレンジですよね。前人未到のことをやっているようだと思います。

小林 僕は歌謡曲というものがない家で育って、子供の頃からロックとかをよく聴いていました。大阪万博まではなんとなく未来に希望があったんだけど、万博以降は現実生活の中で未来があまり広がらなくなった。だからイマジネーションが、日常を離れて非現実の中に入り込んでいったんだと思うんです。ロックにもそんなところがあって、想像力の中ではいろんなことが展開できるから、僕はどんどん「その中」に入り込んでいったんですね。

ジョン・レノンみたいに気持ちを開いていくということは、小さい頃からずっと持っていて、経験もしてきたことだけど、現実の社会の中では あきらめていたことだった。でも9・11やいろんなきっかけで、「あきらめてる場合じゃない」「うそぶいてる場合じゃない」と思ったんです。現実とイマジネーションの間に潜っていた部分が自分の中でつながりだしたんだと思う。桜井和寿という人間も、音楽に対して悩みを吐露するところと、エンターテイメントビジネスとの両輪を持っていたから、「ap bank 」をつくることで僕らの中でいろんなことが循環しやすくなったんだろうね。

――循環ということやap bank のような新しいつながりに興味を持ち始めたのはいつごろからですか?

小林  そういう意識を持ち始めたきっかけは、ごく身近なことにもありますよ。例えば、透明な袋でごみの分別が始まった時、「やっかいだな」と思ったんですよね、透明な袋じゃごみも見えちゃうじゃん、とかね。でも別の言い方をすれば、人のせいにしても仕方ないんだなと思った。そこから、とりあえずごみの分別だけはきちんとやるようになった。

マナーの問題というのは、人が好き勝手に生きていいからこそ、工夫していく必要があると思うんです。そういうことは人一倍やるほうだったので、まずは人のせいにしても仕方ないからやりだした、そんな感じでした。一緒にやっている桜井とはもう20年近くの付き合いで、音楽の中にも、潜在的にはそういった要素は入っていたんですが、そのうちに会話の中にも環境や社会のことがあがるようになっていったんです。

――ap bank のような活動に共鳴する人たちはどんどん増えているし、何かが「始まったな」という感じがしています。どういうことがきっかけだったんでしょう?

小林 僕はクラシックをはじめとした西洋の音楽で育ってきて、ちょうどビートルズのジョン・レノンがソロ活動を始める頃に物心がつきだした。兄の世代には学生運動があって、 ちょっと上を見れば60年代のカルチャーもある時代だったので、大枠を通してでも精神を開放していくことが重要だってことがわかってたんですよね。

大阪の万博以降、非日常の中に潜っていった気持ちを音楽にしたり、非日常の中で組み立てていた自分があったんです。音楽を仕事にして、恋愛もする。大人になるまでそういうことを続けていて、一方で日本はバブルの方向に向かっていた。自分の中では日常の部分とは遊離したまま。今やっているap bank の活動のような重要性も感じてはいたけど、結論としては「どうせ人間ってバカなんだからしょうがない」みたいなあきらめの気持ちというのがどこかあったような気がするんです。

ところが、90年代のバブルがはじけて自殺者が増えていって、ものの見事に暗い社会になっていった。初めは「それ見たことか」と暗い気持ちになったけど、日本人としてこの感じっていうのは、自分もまわりも辛いと思ったし。何か重いものがのしかかってきていたんですよね。

それで、レニー・クラビッツをやっていたヘンリー・ハッシュと一緒にNYにスタジオを作って、Yen Town Band (映画「スワロウテイル」に登場するバンド) をやった。僕にとってそれは「インターナショナル」ではなくて「グローバル」なことなんです。ボートピープルや移民で入ってきたところから人間の文化の交流って始まると思うから、そんなことを自分でも音楽を通して体現してたんですよ。岩井俊二がYen Town (映画「スワロウテイル」に登場する無国籍な都市)でやろうとしたことと呼応したのもそういうところからでしょう。

以前はアメリカを地球国家の原型みたいなものとして捉えていた時期もあるし、自分の音楽のルーツからもそういうアメリカに期待してたこともあって、スタジオができたと同時 に住居もアメリカに移して、1999年までしばらく住んでたんです。それで2001年になった。9・11の時は、家族はNYに残っていて、僕は日本に戻ってテレビで観てたんですが、あまりの出来事に驚いたし、家族の生命を本当に心配した。その時に刻まれた危機感というものがあったんです。

9・11が起こったことで、お金のことも、期待してたアメリカのことも、これは人ごとではなくて、その弊害も含めてすべてがつながってるんだと思った。そこで、エネルギーのこと、環境問題のことに自然と心が向かっていった時に、こじれちゃってどうにもならないだろうと思っていた世界の歪みが、「何とかできるんじゃないか」と感じはじめたんです。自分にも何かができるんじゃないかと。それでもう一度NYに行って、坂本龍一さんとの交流も始まって。そこからですね。

未来バンク (1994年に設立された事業組合。参加する人が組合に出資し、同じ組合員に融資する) の田中優さんと会って話を聞いた時に、僕が今までに稼いできたお金を、良い循環に使っていくのは有りなんじゃないかと思ったんです。それが ap bank を設立するきっかけです。そのことでいろいろなことを知っていくのは自分にとってリアルだし、融資をすることで、よりよい社会をつくろうとしている人たちとつながっていくことならば、音楽活動をやりながらでも継続していけるかもしれないと思ったんですよ。

自分たちの社会貢献のあり方としてのap bank がある。「これをやったら人間は楽しいよね」ということではなくて、今の社会をみつめた、ネガティブなところからスタートしているんです。

――気候変動や環境問題にも関心を持ってらっしゃるそうですね。

小林  そう。以前山本良一教授 (東京大学国際・産学共同研究センター) とお話をする機会があったんですが、気候変動の話には驚きましたね。深刻ですよ。50年後には気温が2度上がって、人間以外の生物と人間にもかなりのダメージを与えることになる。 温暖化が温暖化を呼ぶことになるので、それを防ぐリミットは、ここ2年くらいではないかと言われています。

ジェームズ・ラブロック博士に言わせると、「それはすでに過ぎてる」と。気温が2、3度上がるというのは科学者の間ではかなり言われていることなんですよね。気温の上昇によって引き起こされることを僕らは経験していないから、気候変動は対処する優先順位が高い。国の政策レベルでも、こういうことを最終的に取り上げていかないと変わっていかない。ある車メーカーも2010年までに 10%燃費をよくするなんて言っているけど、僕らが石油を使う量を10%減らしただけでは温暖化は解決できないみたいなんですね。世界の平均にあわせると日本は80%減らさなきゃならない。現実はシビアなんだなと思います。

面白いなと思うのは、気候変動とか地球に起こっていることはお金が絡んでいるということですね。合理性を持ってお金に向かっていこうとすることで、歪んでいくことはたくさんある。今の地球は熱を出しているような状態ですよ。この熱を冷ましていくことをちゃんとやると、歪んできた構造もなおっていく。なおしていくためにはそれだけの知恵も使わなくちゃいけないんですけれど。

その方程式みたいなものは見えてこないけれど、それが面白いよね。お金についても、環境に関わるものには税金をかけ、その税金は環境対策にまわしていくというように、見える形でお金をまわしていくシステムなんかがあるといいと思います。ap bank fesが終わった段階で自然と浮かんだのは、「ガラス張りにすること」「ホスピタリティ」「ダイアローグ」、そういったキーワードでした。そういう気持ちでこれからの活動をやっていけば、なんとかなるな、 と思っていますよ。

――環境問題は世界各国でさまざまな取り組みをやっていますね。日本はアメリカのフォローをすることが多いようですが、北欧ではまた違うスタイルで興味深い取り組みも多いようですね。

小林  日本は江戸時代から百姓文化というのがあって「難しいことは上の人が決める」「政府もどうせ自分のことが一番大事なんだ」、というあきらめに近い空気が流れていた。本当に議論をして民主主義を勝ち得たわけじゃない。でも、ホスピタリティみたいなものは昔から持っている。今は方針がでてこないだけで、アメリカ型がいいのか、北欧型がいいのか、国民のコンセンサスを得れば、各論の問題も答えが出やすいと思うんです。

ところがそれをしないから、ひとつひとつどうしたらいいかわからない。曖昧で多様性を含んでいる。アメリカ型も限界が見え隠れしているけど、もう一方の北欧型に移行していくためには、国民が議論をする素地がない。投票で勝ち得ていくための戦術を考えなければならないと思う。

――小林さんが活動を続けている原動力というのは、「こうあるべきじゃないか」という思いがあるからだろうと思いますが、小林さんのこれからの夢をおしえてください。

小林  理想郷のような未来のモデルを夢見ていたのではないんですよ。ワクワクできるということとしての「ポップ」や「ロック」がもともと持っている反抗精神などから学んできたものは、社会が既成概念や価値観で人に与えてくるものとまた違って、「ひとりひとりが好きなように生きていいんだ」ってこと。僕自身がそう思っているし、人に大きな迷惑をかけることでなければ、好きに生きていいと思う。

社会を司ってるのはやっぱり個人だから、個人のレゾナンス (共鳴) がこれから重要になってくると思うんです。企業の行き過ぎた部分を変えていくのも個人のレゾナンスなんだと思う。右肩上がりじゃない経営のあり方を模索している企業も増えていますしね。ワクワクしながら責任を持って共鳴しあっていくことが求められてるし、そうなっていかなくちゃならないと思う。

ブログにみんなが自分の意見を書くのも有効な手段だと思うし、社会にも政治にも、どんどん発言して積極的に参加していかないとだめですから。世の中を変えていくために世論は重要だし、そういう意味でもこういうポータルサイト (greenz.jp) はすごく楽しみですね。

個人的なことを言うと、僕は幸運にも自分の好きなことを目一杯やってきたけど、お金を持たなくても楽しめることはたくさんあるっていうこともよく知っているし、それをみんなにも知ってほしい。将来は自給自足のようなライフスタイルを始めてみたいですね。

<プロフィール>
1959 年生まれ。音楽プロデューサー、キーボーディスト。Mr.Childrenをはじめ、サザンオールスターズ、大貫妙子、井上陽水等、日本を代表する数多くのアーティストのレコーディング、プロデュースを手がける。1991年OORONG-SHA設立。Mr.Children、My Little Lover、レミオロメン、Salyuのマネジメント、レコーディング及びライブステージのプロデュースを行う。映画「スワロウテイル」(1996)、「リリイ・シュシュのすべて」(2001)、「メトロに乗って」(2006)等、映画音楽も多数手がける。2003年には櫻井和寿と中間法人「ap bank」(http://www.apbank.jp)を立ち上げ、環境NPOに対する融資のほか、初の環境野外フェス”ap bank fes“を2005年から2回に渡って成功させる。2005年に環境と消費を考える場として“kurrku project(クルック プロジェクト)”を神宮前に立ち上げた。