今朝、目を覚ましてから、あなたはいくつのニュースに触れましたか?テレビ、新聞、Facebook、Twitter、友達との噂話…私たちはたくさんの情報に囲まれて暮らしています。
想像してみてください。日々の生活に温かな驚きをもたらしてくれるニュースが、ある日突然ぱったりと途絶えてしまったら…。
2011年3月11日からの岩手県大槌町は、まさにそんな状況でした。まちのニュースを扱っていた「岩手東海新聞」が東日本大震災で被災。輪転機も水没してしまい、新聞の発行ができなくなっていたのです。
「隣の家に赤ちゃんが生まれた」「町でイベントが行われる」。生きていくのに必要不可欠な情報ではないけれど、新聞がなくなって町のどこで何が起こっているかわからない。離ればなれになってしまったご近所さんが今どこに住んでいるのか、そもそも生きているのかどうかすらわからない。会いに行けないし連絡も取れない。だから本当に寂しい。すごく寂しい。
そんな町の人の声を聞いて、創刊されたのが「大槌みらい新聞」です。新たな地域メディアとして、大槌で情報発信をおこなっています。
日本ジャーナリスト教育センターで情報発信の勉強をしていた木村愛さんは、コミュニケーションを活性化させる力になりたいと、ジャーナリスト藤代裕之さんの呼びかけによって「大槌みらい新聞」の立ち上げ活動に参加しました。
コンセプトは“まちの人とつくる新聞”
当時、大槌町では二つの問題を抱えていました。
1.県都・盛岡からも車で数時間かけて行くしかないというアクセスの不便さや地理的な要因が災いし、大槌の現状が外部へきちんと伝わっていないこと。
2.仮設住宅への入居に伴い、もともと深いつながりのあったコミュニティが離散し、町内でのコミュニケーションがなくなってしまっていること。
それを解決するために、まちの人たちが町内・外へ向けて情報を発信すればいいのでは…木村さんたちはそう考えました。
最初に決まったのは「まちの人とつくる新聞」というコンセプト。町で頑張っている人や、ほっとするような情報を載せていきたい。現地責任者として立ち上げに参加した元茨城新聞記者の松本裕樹さん、公募で来てくれた学生インターンとともにまずは創刊準備号を約二週間で制作し、数百部を町内に配布しました。
「あ、この人、◯◯さんの息子だ!」知り合いの顔を見つける度に、まちの人からは笑みがこぼれました。反応は上々。いよいよ新聞づくりにも関わってもらおうと、町民レポーターを探す活動を始めた木村さん。しかし、そこには大きな壁が待ち受けていました。
100軒の仮設住宅に、一軒ずつチラシを渡しながら「町民レポーターやってくれませんか?」とお願いして回ったけど、全部断られて。“まちの人とつくる新聞”なのに、一緒につくりたいと思ってくれる人がいない。この活動は本当に必要とされているのか、一緒に情報発信しようなんて押し付けじゃないのか…と悩みました。
それでも地道に呼びかけを続けていた木村さん。突破口になったのは、9月に開催した写真教室でした。「カメラなんて絶対に無理!」というおばあちゃんにも声をかけ、なんとか参加者を集めてカメラを渡すと「思ったより簡単だった」「楽しい」という声があったのです。そこで、カメラを貸し出し、「何か面白いものがあったら撮ってきてください」とお願いをすることにしました。
「撮るものなんてなにもない」から、ニュースのタネを
木村さんのもとには、町民レポーターから様々な写真が持ち込まれるようになりました。仮設住宅のイベントで先頭を切って歩く90歳のおじいちゃん。庭で拾ったどんぐりやひまわりの種。まちの人の目線で切り取られたちょっとユーモラスな大槌の日常は、Facebookでも評判を呼び、東京など外部の人からもたくさんの「いいね!」がつくように。
そんな中で、まちの人にも少しずつ変化が起こり始めました。「撮るものなんてねえ」と言っていたおばあちゃんが、被写体を探すうちに「この仮設住宅はここが良いから伝えたい」「隣のじいちゃん頑張ってるよね」など、自分の周りにある明るいニュースに目を向けるようになったのです。
おばあちゃんの発案から、東京・横浜・大槌で写真展も開催しました。
10月には文章教室を開こうということに。“文章教室“なんていうと、なかなか参加してもらえないので「イベントに来ませんか?」と、とぼけて呼びかけをしてみた木村さん。パーティだと思ってお菓子をいっぱい持ってやってきた参加者に「今日は文章教室です」と伝えると「え?このお菓子どうするの?」なんてやりとりもあったそうです。
この話には後日談があります。
「今までいっぱい撮ってきた写真を見ながら、これだったらどうやって伝えるかな、どうやったら伝わるかなと考えるのがすごく楽しくて、あのあと家に帰ってからも2時間くらい記事を書いちゃいました」って、その参加者さんからメールが来て。騙しちゃったけど、よかったなって(笑)。
未来へ向けてタネを蒔く
木村さんは大学を休学して活動に取り組んできましたが、2013年4月に復学し、現在は横浜から「大槌みらい新聞」のサポートを行っています。
紙版の「大槌みらい新聞」は2013年7月発行の第10号を最後に終了し、関わったメンバーで新たに地元の住民を中心としたタウン誌「三陸かもめ通信社」も創刊。日本ジャーナリスト教育センターの方では、引き続きウェブ版の「大槌みらい新聞」の更新を行ったり、地域での情報発信のワークショップを続けているそうです。
新聞や情報誌はあくまでもプラットフォーム。
形はどんな風に変わっていってもいいけれど、これまで築いてきたつながりやまちの人が「楽しい」と思えるような活動は残っていってほしい。
と木村さんは言います。
活動を通して一番嬉しかったことは?と尋ねると、年齢や性別に関係なく、町の人と新聞をつくる仲間になれたこと、そして「大槌みらい新聞」の運営という形で大槌の人と関わる中で、人が変わっていく瞬間を見れたことが一番嬉しかったことだと話してくれました。
復興の兆しが見え始めた東北は、いま、大きく変わろうとしています。同時に、昔からある歴史や文化…人々がその土地で営んできた「暮らし」は今も脈々と息づいています。
変わっていくことと、変わらないもの。その二つが交わり合いながら存在する東北には、数えきれないほど多くのニュースが溢れています。ほんの少し目を凝らして、自分の目で東北を見つめてみれば、あなただけのニュースがきっと見つかるはずです。