2025年8月、東京農工大学のキャンパスの一角をお借りして、「森のカンファレンス」が開催されました。「森という自然資本をどう捉え直すか」「森の持続可能な経営モデルをどうつくり直すか」という問いから始まった、今回のカンファレンス。林業にとどまらず、デザインやまちづくり、食など多様な視点から、森と人との関わりを1日かけて、参加者とともに考える場となりました。
参加申込の開始後すぐに満員御礼となり、関東近郊のほか、遠くは北海道や屋久島などからも参加者が集った1日。森への熱意と関心の高さが感じられる時間となりました。今回は、アーカイブ配信の問い合わせが多く寄せられましたため、会の言い出しっぺである株式会社Zebras and Companyの阿座上陽平さん(あざかみ・ようへい、以下、阿座上さん)と、カンファレンスの企画を担ったグリーンズ編集長・増村江利子(ますむら・えりこ、以下、江利子)による振り返り対談をダイジェスト版としてお届けします。
「森の経営モデルをどうつくるか」と題されたセッションから始まり、「遠くなってしまっている私たちの暮らしと森を近づけるためには、どうしたらいいのか」、「森と無関係と捉えられがちな都市部において、どのように森をつくっていくのか」など森に関する幅広いセッションが複数行われた「森のカンファレンス」。
そもそも今回のカンファレンスが企画されたのは、阿座上さんや江利子をはじめ、森の社会的共通資本の実現のために集った仲間で、月に一度のペースで議論を続けていた延長でのことでした。議論を経るなかで見えてきた、森に関する一次産業に携わる人たちの苦労や、収益が上がりにくい現状、担い手の減少といった課題。また同時に、各地での挑戦を通して少しずつ芽生えている希望や、知恵、実践。それらを互いに持ち寄り、学び合う“合流の場”として開かれたのが、今回のカンファレンスです。
自分の日常に森はあまり関係ないな…と距離を感じている方にとっても、「森との関わり」をあらためて感じ直すきっかけになればうれしいです。
Zebras and Company 共同創業者/代表取締役、ユートピアアグリカルチャープロデューサー、ブラックスターレーベル理事
メディア企業、デジタルエージェンシー、メーカー、スタートアップ企業に従事。2018年に独立後、社会課題の解決と自立的経営の両立を目指すゼブラの考えに共鳴し、田淵良敬、陶山祐司とともに2021年にゼブラアンドカンパニーを創業。
greenz.jp 編集長/グリーンズ共同代表。国立音楽大学卒。執筆、編集、デザイン、プロデュース、地域活動。さまざまな領域を横断し、編集家として社会を見つめ、コモンズをつくる。ミニマリスト。「Forbes JAPAN 地球で輝く女性100人」に選出(2018年)。信州大学で農学修士を取得(2024年)。環境再生医。
さまざまな立場から、ともに森について考える
阿座上さん 森が身近で、森で過ごすことが好きという人も少なくないと思います。しかし、実際に林業に携わる人は減っている。では、どうすれば森が持続可能でいられるのか。そんな問いをきっかけに、森に関心を持つ仲間が増えてきたいま、小さなモデルでもいいから、みんなで一緒に考えてみようと思いました。
この発想に至った個人的な土台には、経済学者・宇沢弘文さんの「社会的共通資本」(※)という考え方があります。医療や道路、そして森のような、社会にとって不可欠な資源は専門家が誠実に考え、責任を持ってマネージしていく必要がある。とはいえ、その責任を専門家だけのものにもしないという考え方です。
宇沢さんの説く、行政だけが管理するのでもなく、市場に任せきるのでもない「資本主義と社会主義の良いところを合わせたようなモデル」が、僕たちが日頃大事にしている思想ともすごく近いと感じました。だからこそ、「社会的共通資本」の考え方をもとに、森という“コモンズ(共通資本)”をどう維持していけばよいのかを考えたいと思ったのです。
直面している課題も、使い方の問題もそうですが、森というのは、“その土地にしか答えがないもの”であり、“コモンズ(共有資本)”として捉えていかなければ、社会の持続性そのものが成り立たなくなっていくもの。そう強く思います。
※社会的共通資本…経済学者・宇沢弘文が提唱した概念で、人びとが尊厳と自立を保ちながら、ゆたかで安定した社会を維持するための基盤を指す。自然環境や社会的インフラ、教育や医療などの文化的制度を社会全体の共通財産と位置づけ、市場原理や官僚支配に偏らない持続可能な社会の実現を目指す
江利子 同感です。いま私たちは、自然資本に本気で向き合わなければならない時代を迎えています。林業や漁業など一次産業を担う人たちは、収入の不安や予測困難な環境変化に直面しながらも、現場に立ち続けている。その眼差しを忘れてはならないと思うんです。現代はそうした現場から切り離されがちですが、もう一度、そこをつなぎ直したい。
今回のカンファレンスを開催してみて、「森に関わる人たちが出会う場がこれまでなかった」という仮説が正しかったと実感しました。実際、当日はさまざまな立場の人が集まり、「こういう場があってよかった」という声を多くいただきました。だからこそいま、次にどうつなげていくのかを考える段階に来ていると感じます。
“知識”ではなく、“身体”で森を理解する
阿座上さん 最初のトークセッション「森の経営モデルをどうつくるか」では、共同体自治を再定義し、再生可能な地球の状態を取り戻すことを目指す株式会社paramitaの林篤志(はやし・あつし)さんが、概念で語るだけで終わらせず、人を現地へ連れて行き、森のことを“知識”ではなく“身体”で理解してもらうことが必要だと言っていました。
自治体の職員、上場企業の社員、環境保護に取り組む人たちなど、異なる立場の人びとがせっかく集まっても、しばしば噛み合わないのは、使う言葉や見ている現実が違うから。そうしたすれ違いは、ともに森に足を運び、実際に森と関わっていくことで、身体を通じた共通言語が育まれると少しずつ解消されていくと。
江利子 自然に触れないことで、いつの間にか人は身体感覚を失い、暮らしの技術を手放してきた。だからこそ、崩れているものをちょっと直せるような技術であったり、コミュニティの力で環境を回復できるような知恵を取り戻していく必要があるという話もされていましたね。
また、暮らしを通して森づくりに取り組む、株式会社やまとわの奥田悠史(おくだ・ゆうじ)さんも、身体感覚と言語感覚がつながっていないことを指摘していました。それゆえに、たとえば、田舎の田園風景とお茶碗のお米がつながっていかず、そこに関わる問題を実際の現象として理解できない。そうした分断をどうつないでいくかが大切だという話もありました。
江利子 近年、paramitaの林さんや、やまとわの奥田さんのように、これまでの林業のど真ん中ではない人たちが、新しいかたちで森や山の領域に関わり、事業を立ち上げる動きが生まれています。10年前にはいなかったプレーヤーたちが、森との関わりを自分たちなりに再構築しようとしている。
また、今回のカンファレンスのように、領域を横断する人びとが集う場が増えているという社会的背景の中で、“自分たちだけではどうにもならない”という感覚を共有する人たちが、共創によって、行き詰まりを打開していこうと動き出しているとも感じています。重要なのは、こうした議論や動きが机上の空論にならず、地域に根ざした身体性を伴っていくこと。具体的なアクションを起こす可能性を高めるためにも、欠かしたくない視点です。
だからこそ、もしカンファレンスの次があるとしたら、今度は議論にとどまらず、実際に森に入り、手を動かすことにこだわりたいと思っています。「人を森に連れていく」ようなフィールドワークを企画したい。実際に森の中で環境再生に取り組むような、まったく新しいかたちになるかもしれません。
森を考えることは、私たちの未来や生き方を問うこと
江利子 私は、トークセッション⑥「森のビジョンをどうつくるか」で、森林の有効活用や木材利用の促進などに取り組む株式会社モリアゲの長野麻子(ながの・あさこ)さんが語っていた、「それぞれの現場で森との関わりを考える必要がある」という話も印象に残っています。森との向き合い方に唯一の正解はなく、現場ごとの答えがある。そういう意味で、森を考えることは、私たちそれぞれの未来や生き方そのものを問うことでもあります。
阿座上さん 当日、参加者に提供したお弁当をつくってくれた実行委員メンバーのご実家が、岩手で苗屋をされていて。そのお父さまと会話した時に「君たちは森の話ばかりだが、人間のことを考えないといけない」と話してくれました。その言葉が印象的だったので、僕は「森のビジョンが人間と森の営みの中にあるのなら、あなたにとって『人間とは何か』を教えてほしい」と、セッション⑥で登壇者に問いかけました。
江利子 それを受けて長野さんは、「人間とは悪の根源」と切り出し、だからこそ関わり方をよく考えないと森は悪化する、といった趣旨のお話をしていましたよね。これまで人間は、自然に負荷をかけ、人間都合の効果や効率を追い求めてきた。それが周り回って自分の首を絞めていることがわかってきたのが、いま。人間の身の丈を知るために「森へ行け!」と思っていると。
阿座上さん 足るを知ることに気づき、「森が森であることを大事にする」ということをちょっとだけみんなが思えば、森が残っていくはずという言葉もありましたね。森づくりに正解はなく、みんなで考える訓練であり、そのときに大事にしたいのは地域の人がどう思うかだと。

「もともと、人間も自然の一部だった。それを忘れちゃって、人間だけで生きているような気持ちになっている我々が学ぶことができ、気持ち良さを感じられる場でもあるのが森。森に行ってみれば、なぜ先人が大事にしてきたかがわかる」と語った、長野さん(写真左)
江利子 私は、人間は森や自然を再生できる役割を担えるとも思っています。だからこそ、私たちがどういう目線を持つのかが、大きな意味を持ってくる。
これまで私たちは、自然環境をコントロールしようとして、たとえば、川の流れさえも変えてきた。でも結局、川の氾濫は私たちの制御だけでは止められない。コントロールできない。そういうものだという前提に立つことが必要なのだと思います。
かといって、自然と共生しましょう、というきれいごとだけでもダメだなと。企業も含め、地域外の人が、山や森への関わりに力を入れ始めていますが、本当は地域の人がもっと考えなければいけないのではないでしょうか。地域の人たちが、目の前の自然に当たり前に向き合うために、仕組みごとつくり直さないとならないのではと考えています。
森は社会的共通資本だから、本来は、食、エネルギーなど、私たちが生きていくための何かしらと絶対につながっているはず。いまはつながっていない、その補助線を自分自身でもつことが、始まりだという気がしています。
自分がいなくなった先も残っていく森との関わりを、実験し続けていく
阿座上さん 多様な職に就く人たちが登壇してくれた一方、何百年と続く家業を背負う若手の林業家として、田島大輔さん(たじま・だいすけ、田島山業株式会社)の、これから何を成していくのかという林業ど真ん中のプレイヤーの覚悟や想いにも触れられたのも、印象的でした。
森は、自分がいなくなった先も残っていくものだという捉え方、そして、こういう関わり方があるんじゃないかと、小さくても実験し続けていくこと。それがいつ花開くかはわからないけれど、共感してくれる人、違う分野の人たちと接点を持ちながら動き出す一歩が、未来につながるのではと語ってくれました。
江利子 自然や森、木を前にすると、自分の無力さを思い知らされます。自然は人間の思い通りにはならず、生きている時間の流れも、私たちとはまったく異なります。現代の経済は、ますます短期的なサイクルで動いていて、長期的な見通しを立てることは難しいうえに、気候変動の影響もあり、森の未来を想像することは、より難しくなっていると感じています。
だから、これが正解という答えは存在しないし、そもそも一人の人間が人生をかけても、木の一生を見きれない以上、正解をつくることもできない。それでも、それぞれの現場で「こうしたらいいのではないか?」と手を動かしながら考え続けることこそが、大事なのだと思いました。
また今回のように、仕事としてではなく手弁当で集まっても、本気で向き合えばカンファレンスもできるということを実感したので、森に限らず、同様の取り組みがさまざまなテーマで立ち上がっていけば、良い未来につなげていけるのではとも感じました。
阿座上さん あらためて、カンファレンスのコンテンツはどれも良かった。具体事例、学術的な相対化、行政の関わりなど、森に関わる全体像がよくわかる構成だったと思います。私たちは、ここを対話と実装のスタートにできるはず。森に関心のある人たちの前提を揃え、次の一歩を一緒に考える場を、また設けたいです。
「この1日で正解が出るものではないけれど、ヒントを持ち寄ることで、その延長線上に未来が変わっていくはず」という、阿座上さんの言葉から始まった今回のカンファレンス。ここで交わされた対話は、ほんの小さな始まりかもしれませんが、それぞれの土地で根を張り、次の森へと育っていく“種まき”のような1日だったと感じます。
特に、いまも私に響き続けているのが、カンファレンスのなかで出ていた「森に関わる人が増えなければ、課題は再生産され続けてしまう。だからこそ、どうすれば多くの人が森への愛着を持ち、暮らしの中にそのつながりを取り戻せるのか考えなければいけない」という投げかけです。
普段、千葉の里山で暮らす私は、月明かりの眩しさや、初夏に広がる青々とした田んぼの美しさを味わうことはあっても、林業に携わっているわけでも、畑を持っているわけでもありません。そんな自分に何ができるのかと考えたとき、取れる行動として浮かんだのは、「地に足のついた暮らしを営むこと」でした。
家庭菜園を充実させたり、コンポストを取り入れたり、朝や夕に近所の里山を歩いて季節の移ろいに目を向けたり。仕事として関わったり、事業を起こしたりといった大きなアクションには程遠いけれど、身近な自然に関わり続けること。そして可能な限り、手を動かす小さな行為を重ねながら、身につける暮らしの技術を増やしていくこと。
こうした季節にふれる小さな行為の積み重ねが、暮らしの中に自然へのまなざしを取り戻すことになり、いまは遠くに感じてしまっている森を想うことと地続きになっていく。そのために、足元から何を変えていけるのかを問い、暮らしをつくり続けたいと思いました。
(撮影:廣川慶明)
(編集:村崎恭子)









