12/14までのgreenz people入会で『生きる、を耕す本』 vol.01「エコビレッジという実験場」とvol.02「うんこが地球を救う?だっ糞ダ!」を2冊同時にプレゼント!→

greenz people ロゴ

気候変動を止めるために、できることをどこまでも。働く母の小さな疑問から始まった、人生を変える大きな挑戦

人生の転機は、ときに思いがけずやってくることがあります。
転職や移住は珍しくない時代ですが、人生を賭けて取り組みたいと思えることに出会ってしまったら……。横浜市に住む、二児の母親である梶本寛子(かじもと・ひろこ)さんの人生は、気候変動に関心を持ったことをきっかけに大きく変わっていきました。ライフワークとなった気候変動への取り組みとそこへ至る心の変化をおうかがいしました。

自分がゴミを減らすだけで、ホントに環境問題を解決できるのか…?

梶本さんは、もともと環境問題や気候変動に関心があったわけではありません。気候変動について考えるようになったのは、出産のため岡山に里帰りをした2018年に、西日本豪雨が起きてから。身近な地域が浸水被害に遭い、それまではあまり意識していなかった気候変動が一気に自分ごとになりました。そこで、ごみを減らしたり、コンポストを始めたりと、まずは自分でできることに取り組み始めます。

けれども梶本さんは、それだけで環境問題のような大きな課題に対して何か変化を起こすことができるのだろうか、と疑問に感じ始めます。この素朴な疑問が、後々の大きな選択につながっていくとは、本人も想像していなかったでしょう。もっと自分にできることを探していた梶本さんは、ある日、生活協同組合の生活クラブが開いていた再生可能エネルギーについてのセミナーに足を運びます。

梶本寛子さん(画像提供:ご本人)

梶本さん そこで、誰もが再生可能エネルギーを使用できる社会にシステムチェンジしていこうという話を聞いて、すごく共感したんです。誰だって二酸化炭素を出したくて出しているわけじゃないですよね。だけどいまは、電気を使うと二酸化炭素を出すことになってしまっている。そんな構造を変えること、つまりシステムチェンジが重要なんだとわかったんです。

そのセミナーに登壇していたのは、「ゼロエミッションを実現する会」のメンバー。「ゼロエミッションを実現する会」は、ゼロエミッション、つまりCO2排出実質ゼロを目指す市民たちのグループです。国際環境NGOグリーンピース・ジャパンに事務局を置き、全国の市区町村にいるメンバーが、それぞれの地域でゼロエミッションをめざして、自治体へ働きかけるなど精力的に活動しています。

梶本さんは、セミナーで楽しそうに活動しているメンバーと仲良くなりたいといった気軽な気持ちから、「ゼロエミッションを実現する会」に参加することにしました。“楽しそう”という第一印象のおかげで、ひとりでも躊躇なく参加を決めることができたそうです。

動き出すことで新たな発見が。ロビイングに署名、広がる活動

「ゼロエミッションを実現する会」の活動は実践的で、とてもアクティブ。気候変動を止めたいという同じ目的を持った仲間とつながれるだけでなく、具体的なアプローチを教えてもらえたり、相談を持ち掛けたりすることができます。この活動を通して梶本さんが初めて知ったのが、ロビイング。ロビイングとは、一般市民やNGOやNPOなどの団体、企業などが政治家に働きかける活動のことです。

各自治体にゼロエミッションを求めるためにロビイングは重要な活動ですが、日本では市民運動があまり根づいていないこともあって、ロビイングも一般的ではありません。梶本さんはロビイングについて何も知らなかったので、「こんな方法があるのか。気候変動を食い止めるには、このほうが効率がいい!」と感激します。そして、「ゼロエミッションを実現する会」の活動にどんどん積極的に活動していくようになりました。

2023年には、横浜に住んでいる「ゼロエミッションを実現する会」のメンバーが中心になって、「学校の断熱改修を、早急に進めてください」という署名を開始します。学校の教室へのエアコン設置が進んできましたが、断熱が行われていないためにエアコンが効きにくく、電気代がかさむといった状況が起きています。そこで、全国すべての教室における断熱を行政に求める動きが始まったのです。梶本さんは実行委員会のメンバーとして、表に立って活動することになりました。

実行委員会のメンバーとお子さんと、文部科学大臣に署名を提出に(画像提供:梶本寛子さん)

梶本さん これから就学する子どもを持つ母親が言ったほうが、世の中に対してアピールできるだろうという戦略的な考えもありましたし、説得力があるのかなとも思いました。その翌年から自分の子どもが小学校に入学することもあって、私も興味があったんですね。実際に子どもが暑い小学校に通うのはイヤだなとも思っていました。

2023年8月29日、梶本さんたちは永岡桂子文部科学大臣(当時)に、約27,000筆もの署名を手渡しました。その模様はNHKや朝日新聞など、さまざまなメディアに報道されました。現在もこの署名は継続されているほか、梶本さんら横浜在住のメンバーは、神奈川県議会や横浜市議会の議員への面談を続け、2024年度には神奈川県の8つの高校・特別支援学校で、最上階の教室の天井の断熱工事が決定されるところまでこぎつけたのです。

もっとできることがある。気候変動を止めることに自分の時間を使いたい

梶本さんは会社勤めをしながら二人の小さな子どもを育て、さらに「ゼロエミッションを実現する会」の活動に取り組んでいました。かなりハードな日々だったのでは、と想像しますが、「メンバーのみんなとおしゃべりしたいと思うので、オンラインミーティングも楽しみなんです」と、当時もいまも、義務感や責任感ではなく、あくまで楽しみながら活動を続けていることがうかがえます。社会を変えたいという情熱だけで続けるのは難しかったかもしれませんが、仲間との楽しいふれあいがあったからこそ、モチベーションを維持して活動を続けられているのでしょう。

そんな梶本さんに、また転機が訪れます。きっかけは、「ゼロエミッションを実現する会」のメンバーがイベントに登壇するために同行した長野でした。そこで、同じイベントに参加していた一般社団法人Protect Our Winters Japan(以下、POWJ)のスタッフと知り合ったのです。POWJはプロスノーボーダーが始めた団体で、「アウトドア アクティビティに情熱を注ぎ、そのフィールドやライフスタイルを気候変動から守るために行動する仲間たちの力となる」をミッションとし、日本では2019年から活動を始めています。

スノーボードなどウィンタースポーツに関わっている人たちの気候変動対策アクションは、これまで梶本さんが触れてきた環境保護団体などの活動とはスタイルなど異なる点が多く、梶本さんには「カッコよく」映りました。そこでまた新たな発見があったのです。

梶本さん こういうアプローチだと、気候変動を止めたいと思って加わってくる人がいっぱい増えるだろうなって思ったんです。気候変動のような大きな問題に取り組むには、たくさんの人が関わっていけるような空気感をつくることがすごく大事だと思うんです。それができているのがすごくいいなって。

そんな刺激を得てから、長野から横浜へと戻って日常生活が再び始まると、梶本さんは何かが違うと強く感じるようになりました。「仕事に戻ってみると、こんなことより、気候変動を止めることに自分の時間を使いたいなって思うようになっちゃったんです」という梶本さんは、それまで勤務していた会社を退職すると決めます。

その時点では、退職後の具体的な計画は特にありませんでした。それでも退職という大きな決断につながったのは、気候変動に取り組む活動をするうえで、梶本さんがこだわっているひとつのポイントがあったから。それは、梶本さん自身が気候変動に取り組むことそのものよりも、その結果として何らかの変化やインパクトを生み出すことです。

こんな方法があるのならもっとできる。新たな出会いや発見があるたび、梶本さんは、その希望とそこにある可能性に大きく突き動かされてきました。生活クラブのセミナーでシステムチェンジの重要性を知ったときも、「ゼロエミッションを実現する会」でロビイングを始めたときも、そして長野でPOWJと出会ったときも。

新たな知識や経験を経て、自分の中の意欲がふくらみ、さらなる活動へとかき立てられていく。自分が活動しているということだけでは満足せず、自分の中の情熱に従うように、会社を辞めるという大きな決断を経て、梶本さんは次のステージへと歩みを進めていきます。

社会をよくするための働き方を、自分もやってみる

「ゼロエミッションを実現する会」に参加してから、およそ3年。その間に急速な変化を遂げていく梶本さんを、周囲の人はどう見ていたのでしょうか。特に、一番そばにいるパートナーの目にどんなふうに映っていたのか気になるところです。

(画像提供:梶本寛子さん)

梶本さん 仕事を辞めると言ったときはビックリしてましたけど、忙しい仕事がなくなればゆとりができるだろうと思ったみたいでした。私は、新しいことを始めるから変わらないと思っていたんですけどね。すごく応援してくれるとかじゃないんですけど、理解はしてくれていると感じています。私が出かけたいと言えば、それに合わせて子どもたちを見てくれますから。

パートナーにとっては寝耳に水だった退職ですが、実は梶本さん自身も想像すらしてないことでした。それまで転職を考えたこともなければ、ましてや気候変動というとてつもない大きな環境問題に向き合うために退職するという選択は、さすがに考えていなかったからです。

そんな梶本さんの考え方に少しずつ変化をもたらし、最終的に背中を押してくれたのは、「ゼロエミッションを実現する会」で出会った人たち、特に、グリーンピース・ジャパンに勤務し、長く環境問題に取り組んできたスタッフでした。

梶本さん 退職を決めたことは、自分でもビックリですよ。人生ってこんなに変わるんだと思っています。

でも、ゼロエミで出会った人から生き方を教えてもらったんですよね。これまでは、会社に入って利益のために働くことやキャリアを積んでいくという、どちらかというと自分や会社が中心にあって、その周りに働くという概念がついているような感じの、ワンパターンの生き方しか見たことがなかったんですけど、ゼロエミに入っていろんな人に出会って、たとえば環境NGOで働いて社会をよくするという働き方もあるんだと知ったんですよね。そういうふうに生きていくのは、気持ちがいいんだろうなって思ったんです。

退職後、梶本さんは再生可能エネルギーに携わる企業でのインターンを始めました。二酸化炭素の排出量を減らすことはもちろん重要ですが、再生可能エネルギーの普及に取り組みたいと考えたからです。

現在は、その会社で業務委託の形で仕事をしながら、自身で再生可能エネルギー事業を立ち上げることを考えています。ゼロエミッションを実現する会で出会った仲間と一緒に、資金調達のために融資元を探すなど、具体的な計画に向けて動き出しました。

再生可能エネルギー事業と言えば、太陽光発電や風力発電などを思い浮かべますが、ただ再生可能エネルギーを発電することだけを考えているのではありません。そんな発想がとても梶本さんらしく、彼女の一貫した強い意志を感じます。

梶本さん 再生可能エネルギーを生み出す仕事をしたいんですけど、ひとりだけでは発電量に限界がありますよね。だから将来的には、私みたいに再生可能エネルギーを増やしたいと考えている人を支援するような事業をやりたいと思っています。いつかは、再エネ事業を計画している人に伴走するような動きを組織化していきたいです。

再生可能エネルギーを生み出す人たちを支援することで、もっとたくさんの再生可能エネルギーを生み出したい。そして、システムチェンジを実現したい。常に、より大きなインパクトを生み出すことにフォーカスする、梶本さんらしいビジョンです。

©Suzuki Chica/Greenpeace

この大きなビジョンは、ふとした疑問をきっかけに2021年にセミナーに足を運び、「ゼロエミッションを実現する会」に参加したことから始まりました。その始まりはささやかなもので、それが大きく成長することを想像していたわけではありません。けれども、家庭や会社の一歩外に出てみれば、新しい何かが見えてくることもあるのです。それはきっと誰にとっても。

人生にある程度見通しが利くようになった頃こそ、立ち止まって自分の疑問を大切にして、関心ごとをとことん掘り下げてみる。そして一歩踏み出してみる。それが新たな気づきや発見をもたらして、現在の暮らしの当たり前を見直すきっかけになるでしょう。より豊かな人生につながる変化は、そんな一歩から始まるのです。

(トップ画像:©Suzuki Chica/Greenpeace)
(編集:丸原孝紀)