初めてお会いした金子潤さんは体格のよい人だった。手も足も長く、そして足も大変大きかった。
それは、靴の中に窮屈に閉じ込められた足とは違う、本人曰く、古代人の足。土踏まずがくっきりとして、指が大きく開く。
金子さんは、はだしを研究し、自らもはだしで走り、山を登り、この足になったという。
そんな立派な足を持つ金子さんがナビゲーターとなり、八ヶ岳南麓のカラマツが林立する尾根をはだしで歩くという会に参加した。
靴を脱ぎ、裸足になって地面を踏むと、土のひんやりとした感触が足裏に伝わってきた。地面の起伏、落葉が分解した意外なほどにさらさらとした腐葉土の触感、意外なほどに痛みはなく、むしろ心地よくて楽しい気分になった。
短い距離だったが、靴を脱ぐだけでこんな気持ちよい体験ができるとは驚いた。しかし、こんなに簡単なことなのに多くの日本人は、はだしで山に登ることはしないし、街中をはだしで走るなんて思いもしないだろう。
逆に金子さんは、なぜそれができたのだろうか。お話を伺ってみた。
一般社団法人ミチヅクリ代表。はだし探究者 / 早稲田大学大学院人間科学研究科修了 / 日本体育協会公認アスレティックトレーナー / 環境再生医 / 八ヶ岳観光圏・観光地域づくりマネージャー / キープ協会理事
2021年4月、清里に移住。自ら「はだし」で野山を歩きながら、「はだし」をキーワードに森づくり、体験ツアーを始める。観光を通じて、人、社会経済、自然が循環する仕組みづくりとしてエコツーリズムに取り組む。https://michizukuri.or.jp/guide/kaneko/
世の中を変えたい
ーー金子さんは大学でスポーツ科学について学んでいたんですよね?
金子 もともとスポーツトレーナーになりたくて、スポーツ医学の中でもバイオメカニクスという人間の動きを力学的に研究する学問やっていました。ジャンプの動きをコマ送りで撮影して、筋肉や骨がどういう動きをしているのかを分析するような。
ーーとても科学的に学んでいたのですね。
金子 はい。一方で、大学2年の頃からバスケの実業団チームに入り、トレーナーの先輩のお手伝いもしていました。バスケは足の怪我がすごく多いので、選手にシューズのインソールを処方するのですね。いい靴を履いて、インソールを入れてあげれば、パフォーマンスが上がるという実感を積み上げていました。その後、修士の2年時に、チームがプロチームに昇格して、トレーナーとして雇ってもらいました。
ーー念願のトレーナーになったのですね。
金子 そうですね、きちんとお金をもらって。そういうちょっと華やかな舞台のサポート役にはなれました。
ーーでもそこにとどまらなかったのはなぜなんですか?
金子 プロバスケチームのトレーナーになりたいという目標は叶ったんですけど、それだけだと世の中が変わらないような気がしてしまったんですね。
ーー世の中を変える? なにか、社会に対して思うところがあったのでしょうか。
金子 子どもの頃から、世の中の流れがどうやったら変わるのかということを考えていました。たぶん親父の影響だと思いますが、物事を斜めから見るのは小さい頃からです。
ーーお父さんはどんな方なんですか。
金子 親父は政党職員として政治に関わる仕事をしていました。学生運動からはじまり、ずっと闘ってきた人。いつも遅くに帰宅するし、休日もほとんど家にいなかったですけど、たまに家にいるときは、ニュースを見ながら、よく政治の話をしていました。でも、子ども心に「反対ばかりしても何も変わらないじゃないか」とも思っていました。社会を変えるなら別のアプローチもあるのでは、と考えていました。
ーーそれがスポーツトレーナーだった?
金子 スポーツが好きでしたし、トレーニング次第で、確実に変化が起きるのがスポーツですから。
ーーでも、トレーナーの道ではないと。
金子 はい。修士の身でもあったので、修士論文とトレーナー職の両立が大変で、いろいろ考えて、研究に専念するために博士課程に進みました。でも、基礎研究が中心の研究室で、それまでのトレーナー経験を活かそうと試みたのですが、実力が全く通じず思い悩んで、精神的に追い詰められてしまいました。体重が1ヶ月で10キロくらい減ってしまい、心療内科に行ったら自律神経失調症という診断がくだされて、「もういいから休め」と。そこから3年間ほとんど学校に行けませんでした。
ーーホームページにモラトリアムな時期があったと書かれていましたね。そこではだしランニングに出会うのですか?
金子 ええ。でもその前に、靴のインソールの勉強を始めるんですよ。体調も戻ってきたので、トレーナー時代にやっていたことをちゃんと勉強してみようと思ったんです。アメリカでは「足病医学」という学問があって、専門の医師もいるぐらい盛んに研究されています。糖尿病が進行して足の骨を部分的に切断する人も多いので、足をサポートする靴やインソールが発達しているんですよ。それで、受講した講習会の先生と仲良くなって、その先生の研究を手伝ううちに、足にはまっていきました。
足にはまる
ーーどういうところにはまったんですか?
金子 インソールを入れて、土踏まずの形がよくなる、つまり足の土台がしっかりすると、気分的にも安定するんです。足の形と気質は関係があると実感がありました。極端な例でいえば、自閉症傾向が強い人は土踏まずが硬く、心身が緊張していると足のカタチにも影響がでるというところにも興味をもちました。また、アメリカに仕事で行く機会があって、そこで、今日履いてもらったビブラムの五本指靴に出会ったんですよね。
ーーもともとは川などで遊ぶための靴ですよね。
金子 そうです。第一印象はあんなペラペラな靴を履いたら危ないと思ったんですけど、履いて歩いみたら、靴自体が軽いのと足裏の感覚があって、体が動きたくなったんですよね。
ーー体感があったんですね。
金子 ええ。でも私はインソールを勉強していたし、良い靴を履いて、良いインソールを入れて、ちゃんと体を守っていくのがパフォーマンスとしても健康のためにも大事だという考えは持っていました。でも、ちょうどその年(2011年)にアメリカでベストセラーになった『BORN TO RUN』という本を読んだんですよ。
この本に廃タイヤを切って、革紐を通してぐるぐる巻きにした靴(ワラーチ)で野山を駆け回るメキシコ先住民の話が出てくるんです。今まで自分が考えてきたこととは逆のことが書かれていて、え? と思ったんですよ。
ーーこの本、日本でも流行っていましたね。
金子 半信半疑でしたけど、ちょっとやってみようと思って。東京に裸足ランニングクラブというはだしで走る人たちのグループがあったので、代々木公園の陸上競技場のトラックで5キロ走る日に参加してみたら、体が多少疲れた程度で、それほど苦痛じゃなかったんですよ。でも、足の裏を見てみたら、土踏まずがいつもよりくっきりしていました。疲れたはずなのにふくらはぎやももの裏側も柔らかくて。疲労すると土踏まずが垂れるという勉強をしてきたので、不思議でした。なぜはだしだとそうなるのか調べてみても、そういう研究がほとんどなかったので、じゃあ自分でやろうと思いました。
はだしにはまる
ーーどうやって始められたんですか?
金子 まず自分がはだしで走ることを始めました。あと、千葉にある大学の教員に就職が決まったので、はだしで過ごす取り組みをしている小学校で子どもの足型をとるようになりました。
ーー子ども時代は足の骨が未熟で、思春期ぐらいにやっと足は完成するという話を聞いたことがあります。はだしで過ごすかどうかによって、足の変化はかなり大きいのでしょうか。
金子 そうですね。(骨格模型を取り出して)これは人間の足なんですけど、かかとの骨の距骨という骨が大体13歳頃で大人の骨になるんですね。距骨が出来上がるまではかなり足は柔軟だとは言われています。
金子 ただ、はだしで過ごす人たちのデータを取っていて思うのは、何歳であっても体にはそういう変化が起きるということもわかってきて。私も30歳からはだしで走ることを始めて、いまの足になってきたので、もちろん若いほど反応はよいですが、大人になったらもう変わらないというわけではないんです。
ーーどういう足に変化してくるんですか?
金子 一つは指が開いてきます。靴を履いてないと、指は当然広がります。当初、私も足の指が閉じていたのが、今は1本1本間が空いて、指を動かす可動域が広がりました。あとはかかとが小さくなります。かかとって骨は少しだけで、周りを包んでいるのは脂肪なんですよ。普段からクッションがたくさんある靴を履いてると、包んでる脂肪が広がっしまうのですが、はだしだと体重をかけてもきゅっと締まったままで、潰れにくくなります。また、つま先や指に脂肪がついて肉球が出来上がり、自前のクッションが増えてつま先が広がった扇型の足になります。
ーー見事な扇形ですね。
金子 弥生時代の田んぼに残った足型が発見されているんですけど、古代人の足って、こうだったみたいですよ。ですから、大人になったら何も変わらないんじゃなくて、人間は生きている限り環境に適応するように身体を変化させることができるんだと思うんですよ。
ーー大人でも足を変えていくことができる。しかも古代人の足に近づくことができるんですね。
金子 それと、はだしで過ごす子どもたちのデータを取っていて気づいたことは、はだしの子どもたちって元気なんですよ。インフルエンザの発症が少なかったり、視力がいい子が多いんです。一度アンケートをとったら、「大寒を過ぎると地面が暖かかくなる」という子どもがいて驚きました。季節の変わり目に地面の温度が緩やかに変化するのがはだしだとわかるんだと思って。それまで私は足を運動器として捉えていたけど、そのときに初めて、足は感覚器なんだって気づいたんですね。それが10年ぐらい前です。
ーー足が感覚器だったら、何の感覚をつかさどるのでしょうか。
金子 一つは触覚です。最近では皮膚自体が五感を持っているとも言われていますよね。皮膚の中でも足裏は、地面との唯一の接点なので、環境を把握するための装置としてはすごく大事だと思っています。
ーーたしかに、今日森を歩いて、足の裏から感じとる情報は意外に多いなと感じました。森の中から出てきて、整備された庭を歩いたときのギャップもものすごく感じました。ビブラムの靴を履かせていただいたので、アスファルトの上を歩けましたけど、はだしで歩くのは足を痛めそうで怖いなと思いました。金子さんは、10年前だと、まだ都会に暮らしていますよね。どうやって、はだしを取り入れていったんですか?
金子 はだしでランニングをしていました。家の近くの公園を走ってたんですけど、アスファルトなので、最初の頃は走っては血豆を作ることが多かったです。
ーーやっぱりアスファルトとはだしは相性が悪いですか。
金子 悪いです。未舗装路であれば砂利などがまいてあっても地面が動いてくれるので、足をおける場所が比較的多いんですけど、アスファルトやコンクリートの上は、地面が動かないので、できるだけ凹凸のない場所を探しつつ、ずっと集中して全身をうまく動かし続けないと行けないので、すごく疲れます。気を抜いた瞬間に、アスファルトの中の尖った砂利とかを踏んで血豆ができるんですよ。
ーーうわー痛そうですね。ちなみに、アスファルトの上ではだしで走っていると、周りの目とか気にならなかったですか?
金子 それはないですね。普通に靴を履いてる人と同じぐらいのスピードか、それより早くはだしで走っていたので。
ーーそうか、そこはお父様ゆずりの反骨心ですね。世の中に対してはだしだって行けるんだぜ、みたいな。
金子 ええ。「靴に負けねぇぞ」みたいな感じですね。靴を履かないと走れない人を「あぁ、お前らそんなもんなのか」みたいな風に見ていたり……。だいぶ偏った考えを持っていたと思います。
ーー笑。大会にもはだしで出ていたんですか?
金子 そうですね、それこそ年に1回はだしのマラソン大会があったり、あと飯能で、箱根駅伝を走ったランナーなども出る駅伝大会があるんですけど、はだしで早く走れる人たちを集めたはだしのチームの一員としてで出ていました。
痛みを乗り越える
ーーちなみに、はだしで登山もされているんですよね。初めてはだしで入った山はどこですか?
金子 高尾山です。でも、全然痛くて。登山は小学生くらいから一人で山に登るくらいよくやっていたことなので、足を引きずって歩いたのがすごくショックでしたね。
ーーみんなが歩いている登山道ですか?
金子 そうです。メインの登山道で頂上までいった後は、帰りは6号路という沢沿いでちょっと砂利道がある、自然豊かな道でしたけど、痛くて全然駄目でした。
ーーやっぱり痛いんですね。今日歩いた道は、すごくはだし向きの環境だったということですね。
金子 あそこまで腐葉土がふかふかな場所はあんまりないと思います。
ーー痛かった理由は砂利ですか?
金子 砂利もあるし、今思えば、体の使い方がなってなかったと思います。足もまだまだ肉球ができていない頃で、厚みもないし、動きも硬かったんですよね。よく「膝を抜く」とか言うんですけど、膝が伸びきった状態で着地したり、衝撃を全部足の裏だけで受け止めるような歩き方をしていました。
だからはだしで走り始めても、最初の頃は、結構怪我をしていました。そこそこ速く走れるのでスピードが出すぎるし、足裏に伝わる衝撃が強すぎて、ふくらはぎの筋肉痛がひどくなったり、足の甲がものすごく痛くなって1ヶ月ぐらい走れなかったり。多分疲労骨折したんだと思うけど。
ーーえっ骨折ですか……。でも体を壊してまで続けた理由って何ですか?
金子 やっぱり、できないのが悔しかったんですよね。トレーナーとして走り方を指導するくらい、理想的なランニングフォームはわかっていたつもりだったのに、はだしでは走れない。なぜできないのか、改善するところがあるんじゃないかなと思っちゃって。
ーーどうやって改善したんですか?
金子 ストレッチをいろいろ試したり、足のケアをしたり、あとはアフリカのランナーたちの動画をひたすら見て、自分とどこの動きが違うのか分析しました。その流れで行き着いたのがシステマというロシアの武術です。妻の会社の社長が英国特殊部隊出身で、システマのインストラクターでもあったので、教えてもらいました。
ーーシステマって、ロシアの軍隊で取り入れられているという?
金子 そうです。お笑い芸人が「殴っても痛くないです」といっていたあれです。あれは、殴り合ったときに背骨やお腹を柔らかく使って、当たった痛みを他のとこに散らすんです。
ーーやってみてどうでしたか?
金子 最初は僕の体がガチガチで、うまくできなかったです。でもこれをマスターしたら、痛みの受け止め方が変わるかもしれないとも思い、システマの練習を取り入れてみました。
ーーどういう動きをするんですか。
金子 ちょっとやってみますね。最初私がぜんぜんできなかったやつを。(床にうつぶせになって)この姿勢から後ろに転がるんですけど、足を上げるときに腹筋を使わないで、背骨を1個ずつ曲げていくような動きをするんです。
システマってロシアの特殊部隊が第二次大戦で生き延びるために、コサックなどのロシアの伝統武術を全部組み合わせて開発したものなんです。戦場を想定しているので、体を低くして移動するために、背骨を柔らかく使うんです。足をあげてしまうと、銃弾が飛んできますから。
ーー独特の柔らかさですね。それにしてもロシアって昔から肉体を鍛錬することを尊びますよね。ほかにはどんな練習をするんですか?
金子 模造ナイフを使ったりしましたね。模造ナイフを近づけていった時に身体が恐怖を感じてどういう反応をするのか観察するんです。
ーーうわー実践的ですね……。
金子 はい。恐怖を感じたときって人間はフリーズするじゃないですか。でもその場でフリーズしたらやられちゃうから、生き延びるための体の動きを引き出すためのトレーニングなんですよ。
ーー突発的な事態にも対応できる……。
金子 あと冷水シャワーを浴びたり、氷の風呂に入ったりするんですけど(笑)、まず、自分が一番嫌なところに水を当てるんですよ。私はこのへん(胸)が嫌なんですけど、最初は水が当たると固まっていたのが、だんだん慣れてくると、自分はここが弱いとわかるから、当たる前からほぐしておけるんです。
ーーどうやるんですか?
金子 気持ちと、あと呼吸を乱さないようにする。ウッとなって息を止めると力が入っちゃうから。全速力で走った後の犬みたいにフッフッフッフッ(吸うのと吐くのを小刻みで行う)とやったりとか。バースト・ブリージングって言うんですけど、これで血圧が上がらなくなります。
ーー治療に使えそうですね。
金子 はい、だから私も風邪をひきそうなときは、今の呼吸を組み合わせながら、息を止めてスクワットをやるんですよ。20回ぐらいやって、その後バースト・ブリージングをやると体温が上がるんですよ。
ーー息を止めて20回スクワット? すごいですね。
金子 一番体温を上げたいときは、冷水シャワーを浴びた状態で息を止めて20回スクワットする。大体そうすると、一晩寝れば大体治ってます(笑)。
ーー自然治癒力が高まる?
金子 そうですね、免疫力を上げる。実際、このやり方とはだしで走るのとを組み合わせて、平熱が0.5度上がりました。36.2だったのが36.7ですかね。
ーーすごい!
金子 視力も戻りましたしね。0.8だったのが、1.5くらいをずっとキープしています。
ーーそれはシステマをやったからそうなったのか、それともはだしだったから?
金子 視力は確実にはだしですね。以前は、パソコンばかり見ていて目が悪かったのですが、はだしで森に入るようになってから、周囲をいろいろ見るようになったので。
ーーシステマで体をやわらかくし、はだしで感覚を研ぎ澄ませるような感じですか?
金子 システマで体を改造しつつ、実戦として山にはだしで走りにいって検証したという感じですね。PDCAサイクルみたいなもんですよね。
ーーそれによって、痛みの受け止め方を変えることができたと。
金子 というよりも、痛いときに体がどうなるのかを自分なりに把握することができたというのかな。痛みを感じると、体のどこかがこわばるということや、その場所をあらかじめほぐしておくと、同じ刺激を与えても痛みが緩和されることがわかりました。肩がこわばるなら、肩を緩めた状態にすると、痛くないとかね。結局、痛いことは痛いんですよ。どうやったってね。でも、痛みを敢えて感じるようにすることで、周囲を観察するようになるし、また、自然に対する謙虚さも生まれてくるというか。だから痛みの感覚は、私にとってとても大切なことでした。
野生動物に教わる
ーー今日の森歩きのときに、下を向かないで鹿のように上下左右に目を動かすんだと話をされていましたよね。野生動物から何か教わるみたいな気持ちはどうやって芽生えてきたんですか。
金子 森や山に入って、もっと効率よく動くことを追求していくと、やっぱり野生動物が気になってきます。だって彼らは何もトレーニングをしてるわけじゃなくて、生き延びるために餌を食べながら生きているわけですよね。しかも別にムキムキなわけでもない。理想の体型はそっちなのかなと。
ーーたしかに。山で動物と遭遇したら、やはり観察しますか?
金子 クマはさすがに観察してる余裕はないですが、鹿はよく追いかけますね。全然追いつかないですけど。
ーーどういうことですか、追いかけるって?
金子 目があったら、鹿は逃げるので、ちょっと追いかけてみます。全然追いつかないし、崖が来たらやめますけど。ちょっとヒントをもらおうかなっていう。
ーー動物からもらったヒントって何ですか?
金子 四つ足のように動くことは動物からもらってるヒントですかね。さっきも斜面のところでやりましたけど、やっぱり手と背骨は常に連動しているので、足だけではなく手も組み合わせることはすごく大事だなと思ってます。
ーー斜面だったら手も使ったほうが安全だったり?
金子 そうですね。その方が早いし、あと呼吸が楽なんですよね。手を前に出せば肺が広がるので、吸って、戻したときに吐けばいい。動きに合わせて呼吸すれば、息を吸おうとしなくてもいい。
ーー動きに合わせて、呼吸が連動していくんですね。
はだしをセンサーにして森の再生をはじめる
ーー金子さんは環境再生のことに取り組んでいますよね。それははだしで足裏の感覚が高まったからこそ、環境のことに気持ちが向くようになったのでしょうか。
金子 はだしで山を登り始めたときに、小学生の頃に登ったときと比べて、乾いていたり、荒れた感じがしたんですね。たとえば八ヶ岳はもっと苔がたくさんあったと記憶しているし、スギ・ヒノキの人工林の森は、手入れがされていなくて土がどんどん流れている。はだしで歩いてみても、心地よくないんですよ。ですから、はだしで歩いて心地良い森を増やそうというふうに思い始めました。
ーー足がセンサーのように働くのですね。
金子 自分のはだし感覚というか、野生がベースですね。。もちろんいろいろな本を読んで、勉強もしているんですけど、足裏が気持ちいいと感じられるかどうかが重要なんですよ。
ーー最初は、どういうところから始められたのでしょうか。
金子 八ヶ岳に来る前は、愛知県の大学で教員をしていて、過疎地域の里山に古民家を借りて住んでいたんです。そこは、家のすぐ裏手が森で、ちょっと雨が降ると土砂が流れてきたり、猪が山から降りてきて畑を荒らしたりするような土地でした。いざ森に入ろうと思っても藪がすごくて森の入口がないような状態で。まずどんな森か見てみようと思って、薮かき分けて入ってみたら、馬を通していたような道が普通に残っていて、元々使われていた森だったことがわかりました。
そこで、毎月のようにその森に入り、道をふさいでいる倒木を切ったり、繁殖しているツルを取ったりして手入れをしたら、1年ぐらいしてクロモジがたくさん生えてきたんですね。ちょっとやっただけでも土地に変化が起きることがわかってからは、まずは関わることだなと思うようになりました。
ーー今日歩いたときに、食べられる植物についてもすごく詳しかったですよね。もともと興味があったんですか?
金子 妻のおばあちゃんが秩父の山間部で、薪で風呂を沸かすような自給自足生活をしていました。そこで山菜について少し教えてもらったりしたんですよね。意外に食べられるものが多いんだなと思って、そこから本を買って調べて、食べられるかどうかを実際に口に入れて勉強していきました。
ーーその頃は、はだしをはじめた頃ですか?
金子 そうですね。ちょうど東日本大震災のあたりで。震災のように、突然世の中が終わってしまうようなことがあっても後悔しない生き方をしたいと思ったし、これがないと生きていけないみたいなものをなるべく減らしたいと思っていた時期でもありました。
そういうタイミングではだしで走れることを知ってしまったので、「なんだ、靴はいらないのか」と思ったし、当たり前に使っていたものがそれほど必要ではないものだったり、自分の目でちゃんと確かめようという意識になっていたときなんですね。
はだしで走り始めたタイミングで、電気をなるべく減らそうと思って、電子レンジをやめて、炊飯器もガスに変えて。掃除機はバッテリー式のものに戻ってきちゃいましたけど、一度やめて、全自動の洗濯機を2層式にして、ということを一通りやりましたね。
ちょうど結婚する前だったので、子どもが生まれるなら、なるべくデトックスした状態で迎えられたらいいなという話になって、遺伝子組み換え食品とか農薬などの食べ物のことも勉強して、添加物をなるべく控えたり、洗剤を使わないようにしたりとか、そういう暮らしにシフトしていきました。なんといっても、妻と最初のデートで見に行ったのが、『フード・インク』でしたから(笑)。
ーー『フード・インク』を見たかったのはどちらなんですか?
金子 私です。アメリカの大規模食産業の裏側を描くっていう……ラブストーリーとかじゃないですから。でも、そっぽ向かれなかったから大丈夫だったのでしょう。
ーー東日本大震災が起こり、結婚という大きな出来事もあり、はだしを暮らしに取り入れながら、体を改造し、はだしで歩きたくなる森を作りはじめている。大きな変化でしたね。
金子 そうですね。より世の中を斜めから見るようになったと言った方がいいかもしれません(笑)。ただ、自分の性格以上に、自分で試して体験を通して検証できたことが大きかったと思います。
今の時代は、情報があふれていますが、その情報が正しいかどうかはやってみないとわかりません。でもはだしは、自分の体感がものをいう世界ですから、はだしをきっかけに、情報ではなくて感覚として自然を大切だと思える人を増やしていきたいんです。
ーーはだしでの体感を大事にすることで、情報にも惑わされないで済むのですね。ところで、金子さんは、最近、清里のキープ協会の理事になられましたよね。伝統あるキープ協会の理事に近年移住した金子さんが着任されたのはどういう経緯だったんですか。
金子 コロナの頃にビールを飲みにたまたま立ち寄った「萌木の村」のレストランで、オーナーと意気投合し、清里にピンと来て移住することになったのですが、そこの社長がキープ協会の理事なんですよ。また別の理事の方が同じ大学のOBだったという縁もありました。
ーー縁だけでは、なかなか理事には推薦されないと思いますが。
金子 最初に移住してきたときに長老たちの前で、はだしで歩ける森をつくりたいとプレゼンをしたら、すぐに地域の共有林を貸してくれたんです。清里は開拓地で、住んでいる人たちも開拓者の末裔が多いということもあり、私のような新参者も受け入れてもらえたのかもしれません。清里の先輩たちから、「金子さんはいろんなことを経験していて、多様な視点を持っているから、意見を言ってもらえたら、もっと清里が良くなるから」と言っていただけました。そんな期待を背負っております。
ーー今後、地域の再生にも力を入れていくのですか。
金子 そうですね。森を元気にするだけではなく、人間も元気にしないと、土地の空気は良くならない。そういう意味で環境再生って森だけじゃないなと思っています。
以前は、親父の活動に対して、政治だけでは社会は変えられないと思ってきたけど、1周回ってきて、やっぱり地域や政治にも関わらなきゃ駄目だなと思うようになりました。何かだけに偏らず、生きている限りやれることはやってみたいというのが、今のスタンスです。
金子式はだし生活のススメ
1.日々のくらしのポイント
2.はだしチャレンジ
3.はだし生活の注意点
(撮影:廣川慶明)
(編集:廣畑七絵)