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いま耳を傾けるべき、アウシュビッツを生き延びたユダヤ人の証言。ドキュメンタリー映画『メンゲレと私』が、混迷の21世紀に突きつけるもの

第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所でユダヤ人たちの身に何が起きたのか、多くの人が歴史上の事実として知っているはずです。では、その人たちが感じたことや考えたこと、その目に映ったものについてはどうでしょうか。『メンゲレと私』は、強制収容所を生き延びた当事者の語りによるドキュメンタリー映画です。そこで彼は何を目撃し、どのように死を免れたのか。本人の口から語られるからこそ感じ取れる経験の凄み、歴史の重さに触れてください。

生死を分けたのは直感だった。先の見えない人生を決めるのは、ほんのささいなことかもしれない

『メンゲレと私』に登場するのは、ユダヤ人のダニエル・ハノッホさんただひとり。現在91歳のダニエルさんはリトアニアに生まれ、国内のゲットーを経て、12歳でアウシュヴィッツ強制収容所に連行されました。金髪の美しい少年だったことから、ナチスの医師、ヨーゼフ・メンゲレに気に入られ、九死に一生を得ます。

「死の天使」との異名を持つメンゲレは、アウシュヴィッツ強制収容所で、ユダヤ人の子どもたちに非人道的な人体実験を試みました。その一方で、ダニエルさんのように一部のユダヤ人の子どもたちを可愛がったことも記録に残っています。

戦況の悪化とともに、命からがら収容所を移動し、終戦を迎えたダニエルさん。想像を絶するようなカニヴァリズム(人肉食)をはじめ、この世の地獄ともいえる光景を目にしながら、同じように生き延びた兄と奇跡的に再会し、イスラエルへと逃れました。

さまざまな幸運やタイミング、偶然など、人間には計り知れない僅かな差によって、六百万人とも言われるユダヤ人の死者とは違う人生を、ダニエルさんは手にすることができました。その背景には、彼の性格や考え方、行動といったものの影響があるように感じられます。

何もかもが混乱し、誰もが判断に迷い、大半の人が多勢に流されていくような状況でも、彼は“何となく”感じる直感を信じ、自分で判断し、行動できる子どもだったようです。その一瞬の判断が生死を分けたこともあったでしょう。映画での語りの中に時折見受けられる、きっぱりとした断定的な物言いからは、意志の強さや自分に対する信頼や信念が感じられます。

当時、ユダヤ人たちが経験したようなことは二度とあってはなりませんが、一寸先さえわからない人生を歩んでいるという点については、程度の差はあれ、誰しもに通ずるはずです。そこで如何に自分を信じられるか、多勢に流されないでいられるか。先行きがますます不透明になっている現代社会において、過酷な運命を生き抜いたダニエルさんから、そんなオルタナティブな選択の方法を学べると言えば大袈裟かもしれません。ただ彼からは、平穏な人生を生きている人とは異なる、内に秘められた力が漂っているようにも感じられるのです。

記憶を語り継ぐことが未来をつくるとともに、現在への解像度を上げる

実は、この作品の上映にあたり、ダニエルさんを日本に招き、講演を行う企画が配給会社によって進んでいました。けれども、彼が自宅で転倒したことにより、イスラエルからの長い旅程をこなすことは難しいとの判断から、中止が決定しています(監督による講演は予定どおり実施)。このことからも、戦争体験者の語りを生で聞ける機会が難しくなっていることを改めて実感します。それだけに、この作品の重要性は今後ますます大きくなっていくでしょう。

そもそもこの作品は、ホロコースト証言シリーズの一環として制作されました。直接証言が聞けなくなる前に、映画として残していく貴重な試みです。すでに、加害者であるナチス側の当事者が語る『ゲッペルズと私』、4つの収容所を生き抜いたユダヤ人が語る『ユダヤ人の私』が制作され、日本でも上映されました。それぞれに登場した二人はすでに亡くなっています。

21世紀に生きる私たちは、第二次世界大戦を経験した人たちの声に耳を傾け、記録し、語り継いでいく必要があります。そうしなければ、確実にその声は消えていき、忘れられてしまえばきっと、同じ悲劇が繰り返されるでしょう。

すでに現在、ハマスによる攻撃の報復として、イスラエルがガザに侵攻、子どもを含む多数の犠牲者が出ていることが連日報道されています。病院までも爆撃しているイスラエルに国際的な非難が起こる一方で、アメリカをはじめイスラエルを擁護する国や、反ユダヤ主義への警戒から、ドイツのようにパレスチナ支持の行動が禁止されている国もあります。

イスラエルは第二次世界大戦後、ユダヤ人のための国家として建国されました。ダニエルさんのようにヨーロッパで迫害され、行き場のなかった多くのユダヤ人たちは、ようやく自分たちの国を持つことができたのです。けれども同時に、パレスチナとの強い軋轢が生まれ、幾度も戦争が繰り返されてきました。その影には、かつての植民地政策の影を引きずる西欧諸国の外交政策があり、日本はアメリカに追随してきた/いることを忘れてはならないでしょう。

過去から学び、現在起きていることを知り、そして自分の頭で考える。『メンゲレと私』を観ることで、ダニエルさんの語る内容から歴史を学び、困難をくぐり抜けた彼の生き様に触れ、その歴史の延長線上にある現在のガザでの戦争に思いを馳せられたら。観る人によって、作品の持つ意味を幾重にも膨らますことができる映画です。その目で観て、その耳で聴いて、そして自分の頭でじっくり考える。そんな機会を、劇場に足を運んでつくってみてはいかがでしょうか。

(編集:丸原孝紀)

『メンゲレと私』
監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー
2021年/オーストリア映画/96分/配給:サニーフィルム

ホロコースト証言シリーズ3部作
https://www.sunny-film.com/shogen-series

– INFORMATION –

12/3日より全国順次公開
あわせて監督来日、舞台挨拶ツアーを開催!


12/3(日)より東京都写真美術館ホールにてロードショー 以後、全国順次公開予定。
12/6(水)より大阪・第七藝術劇場、12/9(土)より大阪・桜坂劇場にて公開。

クリスティアン・クレーネス & フロリアン・ヴァイゲンザマー監督 舞台挨拶は以下のとおり。

12/3(日) 東京都写真美術館ホール(映画公開:12/3〜)
12/6(水) 大阪・第七藝術劇場(映画公開:12/9〜)
12/8(金) 広島・横川劇場(映画公開:12/30〜)
12/10(日) 沖縄・桜坂劇場(映画公開:12/9〜)

以下、順次公開。
横浜シネマ・ジャック&ベティ、京都シネマ、福岡KBCシネマ、フォーラム仙台、フォーラム福島 、フォーラム山形