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どんな難題も、大喜利だと思えばいい。福島県南相馬市に戻り、飲食店・サウナ・宿を開業した川口雄大さんの芸を磨きつづける生き方

今回「ふくしま12 ローカル起業物語」で紹介する川口雄大(かわぐち・たけひろ)さんは、高校卒業とともに故郷の福島県南相馬市を離れ、東京の専門学校へ進むも中退。東京で働いていたものの、東日本大震災を機に南相馬へのUターンを決断しました。

現在は故郷の南相馬市で飲食店「川口商店」とサウナ「発達」、宿泊施設「宿巣(やどす)」の3つの事業を運営しています。

以前「ローカル開業&起業カレッジ」のトークイベントにも登壇してくれた川口さんは、聞き手が話に夢中でつい時間を忘れてしまうほど、語り上手な人です。取材当日もまるで落語が始まるかのように、座布団の上にあぐらをかいた姿勢で話を聞かせてくれました。

川口さんが地元の南相馬市に戻ってきた理由や飲食・サウナ・宿と事業を増やしていった経緯、そして動きつづける川口さんの原動力はどこにあるのでしょうか。

川口雄大(かわぐち・たけひろ)
福島県出身。南相馬市原町区で小さな飲食店「川口商店」とサウナ「発達」、宿泊施設「宿巣」を営む。東日本大震災と原発事故により、自身の家業である3代続く町の米穀店「川口商店」が休業を余儀なくされたことをきっかけに小学校時代からの夢であった川口商店の屋号を継ぐ。現在は業態をガラリと転換し、自分たちの得意とする飲食やサウナを通じお客様に楽しんで頂く取り組みを行なう。
URL:川口商店 / サウナ発達

飲食店、サウナ、宿。『ハウルの動く城』のように、常に変わりつづける場所

今回取材で訪れたのは、福島駅から車で約1時間の福島県南相馬市。南相馬を含む福島県相馬地方では「野馬追(のまおい)」という、1,000年余の歴史がある夏祭りが開催されます。飲食店「川口商店」は、お祭りの際に約400騎の騎馬武者達が進軍する「野馬追通り(のまおいどおり)」に面していて、バーカウンターにはお酒が並び、川口さんの妻であるみどりさん手づくりの、地元の食材を使ったごはんをいただくことができます。

「川口商店」の奥には、川口さんたちが住むご自宅を挟んだ先に、1日1組限定の貸切サウナ「発達」と宿泊施設「宿巣(やどす)」があります。

「宿巣」の入り口には、宿泊費との物々交換として船で運ばれてきたという置物が。川口さんたちが自らの手でつくったこの宿は、何と言っても情報量が多く、不思議な世界が広がります。

洞穴のような寝床、そこかしこに敷いてあるカラフルで異国情緒あふれる絨毯たち、昔持っていた懐かしいおもちゃもあれば、見たこともない飾りがぶら下がっていたりもする。この部屋は川口さんの私物もしくは、震災時に持ち主を見失った、“もともとは誰かのもの”だったモノでできているのです。

宿泊施設「宿巣」の洗面台。冷蔵庫や電子レンジ、ドライヤー、歯ブラシなど備品も充実している

中でもオフィスの一角のようなトイレは、思わずみんな、声をあげて笑ってしまいました。そんなお客さんの様子にしめしめといった表情を浮かべる川口さん。彼はこれまでも、こうやってたくさんのお客さんを楽しませてきたのでしょう。

奈良時代には、洞窟や洞穴で焚き火をし、温まった空間の中に人々が入り汗をかいていた。サウナ「発達」は「アースバック」の手法により、昔の日本の入浴体験ができるサウナとなっている

「宿巣」の横にあるサウナ「発達」には、壁や床が土でできた洞窟のようなサウナと、世界各国からやってきたお面に囲まれた水風呂があります。「入る頃にはベストな状態にしておきますからね!」と伝えられたサウナはとても熱く、川口さんのお客さんをもてなす気合いが伝わってきます。土でできているため岩盤浴効果もあり、寝っ転がると全身にその熱が広がりました。

一方、水風呂はこの地域の地下水を汲み上げたものです。これまた、とびきり冷たい。

ひとしきりサウナを楽しんだあとは、寝転がれる椅子やハンモックが揃うスペースへ。「裸で福島を体感してほしい」という川口さんの言葉通り、ほてった体を横切る福島の夜風はとても気持ちの良いものでした。

川口さんはこれら一体の施設のことを『ハウルの動く城』のようなものだと表現します。常に誰かが手を加え、次に訪れたときには前回と様子が変わっている。まるで生き物のようなこれらは、どんな経緯を辿って生まれたのでしょうか。

「帰れなくなるのは嫌だ」震災で初めて気がついた地元への愛

いま飲食店、サウナ、宿の3つの事業を展開するこの場所で、川口さんは生まれました。小さな頃から人を笑わせることや表現活動が好きだった川口さんは、高校卒業後、お笑いをやるか服屋をやるかの2択で服屋を選びます。しかし、服飾系の専門学校に入った3ヶ月後、学校主催のファッションショーでモデルとして出演したその足で退学届を提出しました。

川口さん 自分、その頃めちゃくちゃ尖ってたんですよ。あるクラスメイトの誕生日祝いを強要されたときに、学校辞めようって思って。黒板に「ハッピーバースデー」って書いて、みんなで歌おうっていうサプライズはよくあるじゃないですか。でも、俺、歌えなくて。本当に心からおめでとうって思ってなきゃ歌えないんですよ。

いまでも、自分が本当に悪いと思ってない限り「ごめんなさい」って言えないです。正直に生きることが自分にとっては大切で、強要されるのは無理なんです

「何か爪痕を残して退学しよう」。そう思った川口さんは、ランウェイの最中にロックユニット「B’z」の『ultra soul(ウルトラ・ソウル)』をかけ、ファッションショーなのになぜかランウェイ上で服を脱ぎました。下着姿でひと笑いをとったことが、学生生活最後の思い出となったのです。

その後、東京に残りエアコン清掃や絨毯、服の販売の仕事をしていたとき、東日本大震災が起きます。川口さんは4年ぶりに地元の南相馬に帰ることを決断しました。2014年のことです。

川口さん 実家が本当に嫌だったから上京したんですよ。いまでは家族を受け入れているけど、僕の家は決していい環境といえるようなところではありませんでした。

でも、震災が起きて南相馬市が避難指示区域になったとき「一生家に帰れなくなるのは嫌だ」って強く思ったんです。俺、地元のことすごい好きだったんだなって、そのとき初めて気づいたんですよね。

いざ地元に帰ってみると、震災前とは景色が異なっていました。エアコン設置業の仕事は、エアコンさえ機能していない家々を前に何の役にも立たず、絨毯や服を売ることも、誰にも求められていなかったのです。

「いま、何をしたらこの人たちは喜んでくれるだろうか」。川口さんはこの一点に集中しました。そこで生まれたのが、飲食店「川口商店」です。

川口さん 「川口商店」は我が家で代々引き継がれてきたお米屋さんでした。卒業文集の「将来の夢」には、いつも「川口商店4代目の店主になる」と書いてたんです。でも、俺が帰った頃にはお店はもうありませんでした。震災をきっかけに父が休業を決めたんです。

でも、自分がこの場所で何かやるならやっぱり「川口商店」がいいなと思って、お米屋さんという形態ではありませんが、「川口商店」という名を引き継いで飲食店を開業しました。

「川口商店」の店内。入って左手にはバーカウンターがある

震災直後、住民は少なく夜遅くまで営業している飲み屋はほとんどありませんでした。川口さんが考えた戦略は「一番遅くまでやっている飲食店」として、お仕事帰りの地域の人を喜ばせることでした。

とはいえ、川口さんの飲食経験はゼロ。オープン当日のメニューは、スルメなどの「乾いたやつ」と缶詰の「濡れたやつ」と「お酒類」の3つだけでした。お酒の種類もわかっていなかった川口さんは、焼酎の水割りを注文したお客さんに日本酒の水割りを出してしまい、オープン初日のお客さんから「グーパンチ」というお叱りを受けます。

川口さん その日のことはもう一生忘れませんね(笑)。「このままじゃさすがにダメか!」と思って、お酒の種類などをゼロから人に教えてもらいました。料理は妻がすごく上手なので、いまはもう任せています。

「発達」という名に込めた2つの意味

周りの助けを頼りに「川口商店」は軌道に乗り始めます。しかし、今度は新型コロナウイルス感染症の流行で、「川口商店」の売り上げは9割減まで落ち込みます。そんな中で、次なる手として誕生したのがサウナ「発達」でした。

敷地入り口にあるサウナ「発達」の奇妙なマネキンも、震災後にゴミとして処分される予定だったものだ

川口さん自身がサウナが好きだったこと、そして当時学んでいた「アースバック」という土を使った建築方法が結びつき、土でできたサウナを自分たちの手で完成させました。昨今のサウナブームに乗り、多くの観光客が足を運んでいます。

「発達」という名には、「地域とともに発達する」という意味が込められています。サウナ「発達」が面する通りは、かつて商店街として賑わっていた場所でした。しかし、震災を機に一時的に人口がゼロとなり、お米屋としての「川口商店」と同様、幕を閉じてしまったお店も多くあります。

そこで、もう一度まちのみんなで、南相馬を盛り上げたい。震災を機に地元を離れた人たちが戻ってきたときに、「南相馬はこんなにいい場所だったんだ」と誇りに思ってほしい。

そう考えた川口さんは、地域のお店の人たちと少しずつ手を組みはじめていると言います。

川口さん みんながみんなではないですが、僕らがつくるものを面白がってくれる地域の人たちもいるんです。いまは、宿泊する際のオプションという形で、この商店街の人たちに力を貸してもらっています。

例えば誕生日などのお祝いをしに発達や宿巣にきてくれた人は、ここから近くのお菓子屋さんがつくるケーキをオプションとして注文することができます。

あとは、「川口商店」ではなるべく地域の食材を使うようにしているんです。サウナから上がったあとのごはんってめちゃくちゃおいしいじゃないですか。一番おいしく食べられる状態で、地元のおいしいものが食べられたら、みんなこのまちをもっと好きになってくれると思うんですよ。

サウナ「発達」のWEBサイトより、南相馬市にあるお店がつくったケーキやお菓子をオプションとして注文することができる。左のお面のチョコレートは、川口さんの無茶振りに答え、お店が「発達」のために特別に用意したもの

「宿巣」には、地元の農家さんからもらったフルーツの皮でつくったデトックスウォーターや地元のお茶が置いてあります。「サウナをきっかけに南相馬のことを知ってもらいたい」という川口さんの気持ちは、細やかなところから垣間見ることができます。

実は「発達」という名には、もう一つ隠れた意味があるのだそう。それは「発達障がい」という言葉からとった「発達」です。川口さんは、身近にいる何かしらの障がいを持った人たちが「自分はどうせできないから」と夢ややりたいことを諦める姿を目の当たりにし、ずっと悔しい気持ちを抱いてきたと言います。

川口さん 障がいがあってもなくても、人は得意なことと苦手なこと、言うなれば「発達」しているところと、していないところの両方を持っている存在だと思います。

僕の父は、アルコール中毒で昔からいろいろと問題を抱えている人ではありますが、米屋をやっていたときは、すごく人当たりが良くて営業上手な店主だったんです。父から、人を喜ばせる接客というものを教わりました。僕としてはもう一度、父にお店に立ってもらいたいと思っています。せっかく得意なことがあるのに、それをいかせず自暴自棄になっている状況は見ていて悔しいんですよ。

妻が得意な料理をいかして活躍してくれているように、僕はその人の発達した部分を存分に発揮できるステージを用意したい。きっとそれがその人にとっての生きがいにつながるんじゃないかと。

サウナ「発達」内にあるトイレ。好きな漫画の1コマを追加したり移動させたりすることで、新しい物語をつくることができる

「人間には、必ず凸凹がある」。川口さんは自身の凹んでいる部分は、人の手を借りることで乗り越えてきたそうです。だから、他者の凹んでいるところやどうしようもないところは、否定をせずに丸ごと受け入れる。その上で、突き出ている凸をより尖らせられるステージを用意してあげればいい。

サウナ「発達」と宿「宿巣」が『ハウルの動く城』のように変化しつづける理由は、ここで働く人たちが自分の得意をいかして手を加えられる余白を用意しているから。「一生完成しない場所」として、ずっと発達し続けたいという願いが込められているのです。

この場所は、社会を変えるための“巨大な名刺”

未経験からの飲食店、手づくりのサウナ、宿など、南相馬に戻ってから常に動き続けてきた川口さんですが、その原動力は一体どこにあるのでしょうか。

川口さん 僕は、本気で社会を変えたいと思っています。飲食もサウナも宿も、いずれ社会を変えるための“巨大な名刺”のようなものです。僕がどんな人間なのかを体験できる名刺です。

川口さんが社会を変えるために選んだもの。それは世界中のどこにでもある「土」を使って家をつくることでした。家というのは、私たちにとって人生で一番高い買い物と言えるかもしれません。場合によっては、何十年というローンを抱えることになります。だからこそ、「家のもち方を変えることが、その人の人生を大きく変えることになる」と、川口さんは考えます。

川口さん この世の中は、ある程度みんなの我慢の上で成り立っていると思います。僕はその我慢の総量をなるべく減らしたいんです。

我慢を減らし、やりたいことをやろうとするときに、誰もがぶつかるのがお金の問題です。家は何千万という買い物になりますよね。もし、家を買わずに自分たちでつくることができたら、そのお金を自分がやりたいことに使えるはずなんです。

「アースバック」という手法を使えば、1年程度で家は完成し、費用は数百万程度で済むと言います。しかも、増築や取り壊しも自分の手で簡単にできるのです。

川口さんが目指すのは、“家は自分でつくる”のを当たり前にすること。そして、家にお金をかけないことで、手元に残るお金で自分の好きなことができる社会です。

現在、サウナ「発達」では温泉を増築中。自分たちの手でコツコツと日々作業を進めている

川口さん 僕らがやっている「アースバック」はイタリアのコロッセオやパルテノン神殿と同じやり方です。耐久性を心配されることもありますが、それらが今でも残りつづけていることを考えれば、かなり強固な建物になります。昔からの建物がずっと残っている地域は、いつかは世界遺産や遺跡として重宝される未来も来ると思うんです。

それに、人間って、自分のことを知って欲しいから表現活動をするんだと思うんです。だから、自分がつくった家やお墓が後世に残るというのは、自分が生きた証を世の中に残せることだと思うんですね。それは人類にとって大きな喜びになると思います。

川口さんの夢は、福島を超え、日本を超え、時空さえも超えていました。家やお墓を自分たちでつくる文化を根づかせること。手づくりのサウナと宿は、それができることの証明であり、川口さんのポートフォリオそのものなのでした。

どんな失敗も“おいしい”。根底に流れる芸人の精神

Uターン後に苦労したことを聞いてみると、少し言葉を詰まらせたうえで「大変だった幼少期と比べると、いまなんて楽しくて仕方がない」と川口さんは答えました。

川口さん 好きなことばっかりやってるから、あんまり苦労とは思っていないですね。一つあるとしたら、地方ってどこか都会よりもゆるそうなイメージを持たれる人も多いかもしれませんが、そうでもないんですよ。規制や暗黙のルールみたいなものは結構あるんです。

でも、僕はそういうのをどんどんぶっ壊していきたい。「立ち入り禁止」のテープに足を入れる1人目でありたいですね。もちろんお叱りを受けるんだけど、いずれ笑い話になるから、どんなお叱りも失敗も“おいしいな〜”って思っちゃいます。だから怖いものはないですね。

川口さんを人に紹介するとしたら、どんなふうに表現すればいいのでしょうか。「川口商店4代目店主」ではあるけれど、土を触っていることもあれば、汗だくでサウナの準備をしていることもあるし、今回の取材のように話術で人を笑わせていたりもします。子どもたちが学校から帰ってくれば、父親の顔にもなるのです。

ただ、川口さんとしては「もし許されるのであれば芸人と名乗らせてほしい」と言います。

川口さん 「芸人」を自分の芸で人を喜ばせる人と定義するなら、テレビに出たりコントをやっていなかったとしても、「芸人」と名乗らせてもらいたいです。

僕にとっての芸事は、飲食やサウナなどの事業そのものですね。1年に一つ、人を喜ばせることのできる芸事を増やすことを目標にしていて、飲食、サウナ、宿ときて、次は温泉の建築を進めています。できる芸事が増えれば、喜ぶ人も増える。温泉ができれば、地元の方や子どもたちなど、もっと間口が広がると思っています。

川口さんの根底には、人を喜ばせたいという芸人魂が染みついていました。人を喜ばせるためであれば、目の前に立ち現れるどんな課題も“大喜利”のようなものだと言います。

地域の目やお金のこと、震災やコロナ、両親のこと、自分の知識経験不足など、前に進もうとすると必ず何かしらの課題にぶつかります。「この手だったらどうかな」とあれこれ答えを用意しては実践し、ダメだったらまた別の方法を試す。そして、自分が芸人である限りは、その失敗の過程も人を笑わせる“おいしいネタ”になるのです。

最後に、新しい生き方や働き方に挑戦したいけれど勇気が持てない人へアドバイスを求めてみました。

川口さん 自分の強みっていろいろあると思いますが、僕は素人だからこその強みってすごくあると思います。例えば僕がもし建築の仕事をしていたとしたら、この宿もこんな様相には仕上がらなかったはずです。

素人だからこそ、常識や先入観なしにフラットにものを見ることができる。だから、やってみたいことがあるならどんどん始めたらいいんじゃないかなって思います。

少なくとも僕は、あれこれ悩んで立ち止まってるほうが不安ですよ。人間って一箇所にとどまりつづけるほうが苦しい動物なんじゃないですかね。小さくても、つたなくても、常に動きつづけたほうが心も安定すると僕は思っています。

何かしらの課題にぶつかったとき、私たちの多くは「う〜ん」と悩み、身動きが取れなくなってしまうものです。しかし、川口さんの場合は「悩む」のではなく、できることを「考える」、そして「手を動かす」。

どんな難題にも“物は試し”で打ち返していく姿勢は、新しいことに挑戦するうえでの大きなヒントになりそうです。

また、これら3つの事業は、お客さんを喜ばせるだけでなく川口さんがどんな人間なのかを表した、川口さんの人生そのもののようにも感じました。「芸事を一つずつ増やしていく」という事業展開のあり方は、収益性の向上や事業の拡大だけではない、新しい開業や起業のあり方を先陣を切って体現しているようにも感じます。

福島12市町村は、カフェや服屋、飲食、宿泊施設など、まだまだ“足りていないもの”が多い現状です。他の場所では「もう他の人がやってるし……」と手が止まってしまうアイデアだったとしても、この福島12市町村であれば、川口さんのように“物は試し”で動きつづけることができるかもしれません。

(写真:中村幸稚)
(編集:増村江利子)

[partnered with ふくしま12市町村移住支援センター]

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