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ベストセラーはたったひとりの熱狂から生み出せる。兵庫・明石の小さな出版社「ライツ社」が自分たちのアイデアを信じ“見たことのない本”をつくる理由

「電車で寝てしまって遅れました。本当にごめんなさい!」

7月初旬のある日、兵庫・明石の小さな出版社、ライツ社にて。大塚啓志郎(おおつか・けいしろう)さんと高野翔(たかの・しょう)さんに、私は深々と頭を下げていました。

自宅のある京都市内からライツ社まで、電車で約2時間。大阪の高層ビル街、緑豊かな阪神間のモダンな住宅地、そして神戸随一の繁華街・三宮。小気味よく、車窓の景色は移ろいます。取材メモを2回見直すと、おだやかな須磨の海。きらめく波を眺めて、文庫本のページをめくる至福に浸っていたら……寝落ちして乗り過ごしてしまったのです。
(注:こんな失態はライター人生初です)

寛大にも、怒りもせずに大笑いしてくれたおふたりに、「ミスから始まる記事って読みたくなるし、絶対書いてください」と念を押され、この書き出しを約束したわけです。そして、電車で考えてきた最初の質問を切り出しました。

「2016年9月7日に、ライツ社を創業するまでの経緯を振り返ってお話しいただけますか」

一生忘れない大切な日付に、ふたりの雰囲気が変わりました。「じゃあ、いつもと違う感じでしゃべろう。9月7日から戻っていこう」。まずは、京都の出版社から独立して、明石で出版社を立ち上げるまでの物語を聞かせていただきましょう。

平謝りする私の目に映っていたのはこちら。この体験を100円で売りたかった…。詳しくは7月の新刊、宇津呂鹿太郎作、sakiyama絵『怪談売買所〜あなたの怖い体験、百円で買い取ります〜』をどうぞ

高野翔(たかの・しょう)
ライツ社 代表取締役社長 営業責任者。1983年福井県生。関西大学文学部哲学科卒業。神戸大学大学院を経て、京都の出版社で営業マネージャーを務めたのち、33歳で独立しライツ社を創業。
大塚啓志郎(おおつか・けいしろう)
ライツ社 代表取締役社長 編集長。1986年兵庫県生。関西大学社会学部を卒業後、京都の出版社で編集長を務めたのち、30歳で独立。自らの地元・明石市でライツ社を創業。

人生ではじめて無職になった「あの日」

ライツ社は、JR明石駅から徒歩10分ほど。大塚さんのおじいさんが建てた古いビルの1Fにあります。ここにオフィスを構えたのは2016年9月1日。ふたりは家族とともに同じビルの住居階に引っ越して、仕事と暮らしを一新したのでした。

大塚さん 会社は、8月20日付で辞めました。最終出社日になった8月19日、ふたりで喫茶店に入ったんです。高野が「ちょっとビール飲んでいいですか?」って飲みはじめて。

高野さん 8月19日は僕の誕生日で、33歳になると同時に人生で初めて無職になったんですよ。ビールを飲んでいる間だけは現実を忘れて、「ここからがんばろう」みたいな感じだった気がします。

独立を決めたのは、さらにその2ヶ月ほど前。出版事業部長だった大塚さんは、会社から給与カットの通達を受け取りました。出版事業部の売り上げは伸びていましたが、他事業部の停滞から、会社全体の業績は悪化の一途をたどっていたのです。

大塚さん 会社はすごく好きだったけど、給与カットには納得がいかなくて。お互いに子どもが生まれたばかりだったし「これはもう厳しいな」というのがふたりの見解でした。

高野さん 「出版事業だけで小さく独立したら黒字になるんじゃないか?」という気持ちはありました。そういうのって確かめたいじゃないですか。

「退職、無職、引越、創業」と、人生の節目をぎゅうぎゅうに詰めこんだ2016年夏、ふたりは新しい道を歩きはじめました。

「どんな人とでもベストセラーをつくれる」という原体験

ふたりが転職ではなく独立を選んだのは、「好きな本だけつくって売りたい」という、とてもシンプルな思いからでした。

ライツ社代表取締役社長 営業責任者 高野翔さん

高野さん 僕は大塚のつくる本が好きだったんです。どんなジャンルでもいったん飲み込んで、その著者のいいところを最大限に引き出そうと超一所懸命にやるんです。そんな本を売るのが楽しかった。

たとえば、大塚さんが前職時代に初めてヒットさせた『僕が旅に出る理由』(日本ドリームプロジェクト編)という旅エッセイの本。当時一番売れた旅の本になりました。

大塚さん 『僕が旅に出る理由』は、著名人でもインフルエンサーでもなんでもない、ごくふつうの大学生100人に旅の文章を書いてもらって編集しました。この本でどんな人とでもベストセラーをつくれると思ったしそれが楽しかったから、今もコツコツやることに違和感がないんです。

高野さん 書店さんに営業しに行くと「これってただの大学生の本だよね?」って言われるんです。「そうなんです。めっちゃ面白くないですか?」「たしかに面白いね」みたいな会話をして。この本は、4万3000部売れました。

ライツ社の棚には、もうボロボロになった『僕が旅に出る理由』がありました

本づくりに手間隙をかけることをいとわない姿勢は、ライツ社になってからも変わらず。むしろ、その手のかけ方は増しているようにも見えます。

たとえば、本山尚義さんの『全196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』。一般的に「世界のレシピ」と題する本は数十ヵ国ほどの料理を扱いますが、本書は、日本が当時、国家として認めていた196ヵ国すべての料理を紹介しています。196種類のすべての材料をそろえ、本山さんに料理してもらい、味見をして文字に起こす、気の遠くなるようなつくり方です。(本山尚義さんのインタビューと『196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』はgreenz.jpの記事でも紹介しています!)

全196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』より。「タイめし?」と思ったらなんとザンビアのごはん!コピーも秀逸です

ふたりからは「出版の仕事とはこうあるべき」という囚われが感じられません。既存のノウハウに答えを求めない編集と営業のスタイルは、どのようにかたちづくられてきたのでしょうか。

大塚さん 前職の出版部門は、もともと詩人でもある社長の作品を出すためにできました。社長以外の書籍をつくることになって、新卒の僕が最初の編集者として入社しました。教えてくれる人がひとりもいなかったので、自分とみんなのアイデアで、見よう見まねで本をつくりはじめて、だからちょっと特殊な姿勢になっていったんでしょうね。もちろん、最初のうちはあらゆる失敗をしていましたけども。

高野さん それは僕も同じです。当時は勝ち筋がまったくわからないなかでやっていて。だけど、本が面白ければ書店員さんに通じるし、一緒に売ってもらえるはずだという単純な発想で営業していました。

高野さんは、他の出版社や書店の人たちとの飲み会にはできるかぎり顔を出し、「どうやって売れているんですか?」と聞いていたそう。手探りで自分なりの答えを見つけていくのはとても勇気がいることです。だけど、その経験があるからこそ彼らは自信をもって本をつくり、売ることができているのだと思います。

組織は小さく、部数は大きく

現在のライツ社は、編集3人、営業2人、事務2人の7人体制(高野さん、大塚さん含む)。全員が参加するLINEグループがあり、面白いアイデアを思いついたらすぐに送り合うそうです。このLINEグループがあるので、定例会議などはなし。繁忙期以外は残業もしていません。従来の出版社とは異なる働き方は、メディアから注目を浴びています。

ライツ社代表取締役社長 編集長 大塚啓志郎さん

大塚さん 一番は、僕たちがマネジメントという仕事をしたくなかった。そうしたら「好きに働いてください」としか言えないんです。早く帰れるのは、必要な仕事を絞り込んでいるから。それぞれに意味のあることだけをしています。それをメディアが美談として捉えてくださるので、僕たちが乗っかっているだけなんです(笑)

高野さん わざわざ他のアプリを入れて慣れるのもめんどうだから、すでにみんなのスマホに入っているLINEを使うのが一番効率的かなと。小さな会社だし、スピーディじゃないと負けてしまう。できるだけ削ぎ落として、本質的な部分だけをやりたいんです。

「目的はベストセラーを出すこと」だと大塚さんは言います。会議に忙殺されて編集する時間を減らすよりも、できるだけ軽やかなほうがいい。この「軽やかさ」で、ライツ社はベストセラーを次々に生み出しています。

組織は小さいけれど、部数は大きく。ライツ社は、年間刊行点数よりも重版率を重視。業界平均1〜2割のところ67%を達成しています。その秘訣は「見たことのない本」をつくることです。

大塚さん タイトル、表紙、中身、デザインのいずれかに必ず驚きを含ませています。たとえば、筧裕介さんの『認知症の歩き方』はコンテンツそのものが見たことないものになりましたし、リュウジさんの『リュウジ式悪魔のレシピ』は、料理書の常識を覆す黒い表紙でつくりました。驚くと同時に、完成したときに「こうあるべきだったよね」という形で生み出されるのが理想的だと思っています。

高野さん 「見たことがない」レベルまでいくと売れます。だけど営業としては、楽しいと同時に不安もあるんですよ。『認知症世界の歩き方』はめちゃくちゃ評判良かったけど、テキストみたいな本が多い医学書の棚で楽しそうな表紙が明らかに浮くんですね(笑) 大丈夫かな?と思いました。また、『リュウジ式悪魔のレシピ』は「太りそう」と言われるかと思えば、「めっちゃ面白い!」と言われるのでドキドキしていました。

料理本の常識を覆した『リュウジ式悪魔のレシピ』の黒い表紙。「人間をダメにするウマさ!しかも半数が低糖質」とコピーが踊る

「見たことがない本」を売り込めるのは、営業である高野さんが、企画が生まれた瞬間から本の完成までのプロセスを一緒に体験しているから。本づくりのストーリーを、自分の言葉で熱っぽく語ることができるのです。その熱が本を愛する書店員のみなさんに伝わらないはずがありません。

明石という「日常」が足場になる

今も昔も、出版業界の中心といえば出版社の9割がある東京です。そこから遠く離れた明石というローカルで、小さな出版社を営むことにどんなメリットを感じているのでしょうか。

『温かいテクノロジー AIの見え方が変わる 人類のこれからが知れる 22世紀への知的冒険』は世界初の家族型ロボット「LOVOT(らぼっと)」の開発者・林要さん(GROOVE X)の著書。

大塚さん 僕にとっては地元ですし、明石市は子育てにも手厚い。あまり生活の心配をせずに、仕事に集中できるのは大きいと思います。今年5月に出した、『温かいテクノロジー』の著者である林要さんが「ライバルがいるとものづくりは競争になってしまう」と言っていました。なるほどなと思って。僕らは明石にいるとライバルを意識しないから、自分たちのアイデアを信じられるのかもしれません。

高野さん 営業としては、人に会うことを大事にできている感じはします。わざわざ東京から明石にお客さんが来てくれたら「あなたという存在がすごい時間をかけてここまできてくれたんですね」とその方とじっくり向き合えるみたいな。その時点で何か面白いことが起こりそうな感じがします。

情報量が多く、スピードの速い東京との距離は、自分たちのペースを守ることにもつながっています。東京という非日常で得たものを、明石で過ごす日常に持ち帰って反芻し考えるので、「焦りの渦に巻き込まれることがない」と大塚さんは言います。

地元・明石で特に関わりが深いのは、駅前にある書店・ジュンク堂明石店。「ライツ社フェア」をたびたび開催するなど、全力で応援してくれているそうです。

ジュンク堂明石店の「ライツ社5周年フェア」(2021年9月開催)。レジ横の一等地で大々的に展開されました

高野さん 新刊ができたら最初に持っていって見てもらうのも、ジュンク堂明石店さんです。どの棚に置いてもらえばいいかなど、いつもアドバイスをいただいています。

2023年1月には、明石といえばこの人、前市長・泉房穂さんの本『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』を出しました。明石市民として、当事者目線で編集した他の出版社にはつくれない一冊です。

実は、大塚さんにはずっと「政治の本を出したい」という思いがありました。

大塚さん 「一票入れても意味がない」「政治は若者を無視している」と言われながら、言われっぱなしのまま何も行動に移せていなくて。泉さんとなら僕らが自分ごととして、政治の本を出せると思ってオファーしました。会いに行ったら、ライツ社を知ってくださっていたようで「もっと早く声かけにこんかい!」って言われました(笑)

地元でも知られるようになり、温かく応援されているライツ社。『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』は現在4刷、25,000部に達しました。もっと多くの人に読まれてほしい一冊です。

『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』出版記念サイン会にて、著書にサインする泉房穂さん

元気な人が入ってくる出版業界であってほしい

今年の9月7日で、ライツ社は8年目を迎え、刊行点数は50点に近づいています。これからは、「もっと会社を大きくする」「他の地域に支社をつくる」とか、そういうことも考えているのでしょうか?

高野さん あ・うんの呼吸でやれるのが好みだから、組織的には小さい方がいい。だけど、つくった本は大きくベストセラーを狙って営業しています。そういう両極をやらせてもらえる業界であることはすごくありがたいですね。

大塚さん 大きくなろうとは思っていなくて。ただ、僕らのような小さい出版社が成立するのは、大きな出版社がつくってくれた流通システムのおかげなんです。取次会社が配本してくれるからベストセラーを出せるんですよね。

出版不況がはじまってもう20年以上になります。ふたりは「いいとき」を知らない世代。だからこそ、出版の仕事の面白さ、本の可能性をまっすぐに見つめています。

高野さん 業界の状況がめちゃくちゃ厳しいのは認識しながらも、なぜか最近は「本の素晴らしさは変わらないんだから」と希望を感じています。どういうマーケットになるかはわからないけど、「本っていいよね」「物語っていいよね」と改めてなる可能性はあるんじゃないかな。縮小はすると思いますけど、そこでがんばって物語をつくって会社を続けられたらいい。状況に関係なく、心持ちとして希望はあるんじゃないか、みたいな。

大塚さん 最近、読書というのはすごく原始的な行為だからいいんだろうなと思うんです。今の時代は、一方ではデジタルの発達を、他方ではキャンプ、サウナ、旅行とか原始的なものを楽しむのが、人生の楽しみ方になっているような気がしています。だから、ここで僕らがデジタルに寄っても何の価値もないだろうなと思います。

近ごろ、ライツ社のもとに「出版社をつくりたい」と相談に来る人が増えているそうです。出版業界を愛するふたりにとって、新しい人がどんどん入ってくれるのはうれしいこと。よろこんで相談に乗り、高野さんが一緒に書店への営業に回ることもあります。

大塚さん 著者、あるいは編集、営業の「ひとりの趣味」が何十万部になってみんなに届くのが本なんですよ。「私はこれが大好き、あなたはどう?」「これおもしろいでしょ、あなたはどう?」を繰り返す。1万人を狙ってつくるわけでもなくて、結果として1万人、10万人に届く。一人ひとりの「面白い」や「新しい」の無限さが本なんですよ。出版社はマスコミじゃない。超個人的なものが商売になるのが本の面白いところです。

「そう聞くと出版社やりたくなりますよね」と高野さんはうれしそうに笑っていました。「私はこれが大好き」「これおもしろいでしょ」と本気で思っているから、「あなたはどう?」と差し出せる。読者にちゃんと届けたいから、みんなでアイデアを出して、手間のかかる編集作業も営業活動もコツコツやれる。その結果が、67%という飛び抜けた重版率につながっているのだと思います。

スマホやパソコンの画面で読むことが多くなった今、電源もWi-Fiもいらない紙の本のポータビリティ、印刷の解像度の高さ、ページをめくる心地よさが「特別なもの」になりつつあります。特に、電車に揺られて本を読み、ページから顔を上げて車窓の風景を眺めるなんて最高です。何しろ、うっかり寝てしまうくらいですから!

“「writes」「right」「light」。書く力で、まっすぐに、照らす“――ライツ社の合言葉のとおり、彼らの本は書店の棚からまっすぐに読者に届く力があります。その力は、彼らが自分たちの本づくりを信じる力そのもの。だからこそ彼らの本は、出版業界の状況がどうあっても、読者のもとに届く強さがあるのではないでしょうか。

今までどおりのやり方でなくていい。自分が納得できるやり方で、仲間と一緒に信じられることを、コツコツと「超一所懸命」にやり抜く。誰かから受け取った「熱狂」、あるいは自分自身の「熱狂」を「私はこれが好き、あなたはどう?」と差し出す。他人の目や評価なんか目に入らないくらいにまっすぐであることが、逆境を照らす光になるのだと思います。

まずは、ライツ社の「あなたはどう?」を受け止める、読者のひとりになりませんか? 彼らがつくった本は、本屋さんの棚できっとあなたに見つけられる瞬間を待っています。

(撮影:藤田温)
(編集:村崎恭子)