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ほしい家族をつくるために、まず自分を愛する。英国で同性婚したKanさんが抱え続ける葛藤と、セルフラブ

愛する人と結婚すること。好きな場所に住むこと。家族のそばにいること。

そんな「ほしい家族をつくる」権利は、あなたにはありませんー。

そう言われたら、どう感じるだろう。「そんなのおかしい!」と憤るかもしれない。そんな「おかしい」状況におかれている人が、実際にたくさんいる。

たとえば、日本では同性カップルの法律婚が認められていない(2023年4月現在)。そのため、同じ国で暮らす資格が得られなかったり、パートナーが重い病気になったときに医師から話を聞くことが許されなかったり、相続ができなかったり…といった不利益がある。

そんなふうに、社会から「ほしい家族をつくる」ことを許されないとき、僕たちはどうふるまったらいいのだろう?

今回話を聞いたのは、Kanさん。人気リアリティ番組『クィア・アイ in Japan!』に出演したので、ご存知の方もいるかもしれない。(なにを隠そう、僕も番組のファンなのだ)

性的マイノリティの当事者として、SNSでの発信や企業・学校での講演などを行っているKanさんは、2021年6月にパートナーのTomさんとイギリスでの同性婚を発表。同年9月に結婚し、現在はふたりでロンドンで暮らしている。

僕は、Kanさんが『クィア・アイ』で吐露していたこんな言葉が、ずっと胸に残っていた。

セクシュアリティの面で、日本は住みにくいなって思うけど、今自分はここに生活があって、大好きな友達がいて、大好きな会社がある。そこを全部捨てるっていうか、離れないといけなくなっちゃうっていうのは、すごく悲しい。
(『クィア・アイ in Japan! クレイジー・イン・ラブ』)

ロンドンへの移住を決意したKanさんだが、その背景には、もしかしたら「ほしい家族をつくる」ことをめぐる、決して小さくない葛藤があったんじゃないだろうか。そう思って、取材をお願いした。

追い出されたなって思います

普段は買い物客や観光客で賑わう横浜・桜木町も、この日はまだ新年をむかえたばかりで、日常をとりもどす前の束の間のしずけさをたたえていた。すれ違う人の足どりも、心なしかゆっくりだ。

そんなまちの、ある雑居ビルの前で、僕はひとり緊張していた。『クィア・アイ』で知っていたKanさんの、「年末年始、日本に帰ります」というツイートを見つけ、思い切って取材打診をしたのはいいものの、「どんな方なのだろう…」と、不安半分、楽しみ半分で待っていたのだった。

あらわれたKanさんは、猫(?)のニットを着ていた。

え、そのニット、すごくかわいいですね! と、思わず反応する。

「あはは! ありがとうございます! Twitterでバズってて、『可愛い!』と思って買っちゃって!」と、少しはにかみながら話すKanさん。よかった。クィア・アイでみたのと変わらない、やわらかい空気をまとった方だ。

場所を雑居ビルのなかの貸し会議室にうつし、取材、というかおしゃべりをはじめる。Kanさんはこの年末年始、実家に帰省していたらしい。「日本で友達とか家族と会えて幸せなんですけど、前にロンドンから帰ってきたときよりも、ちょっと気持ちが落ち着いたんですよね」。

気持ちが落ち着いた、とは?

前回帰ってきたときは、日本が恋しくてたまらなかったんです。ほら、ファミリーマートに入ると、音が鳴るじゃないですか。あの音を聞くために、何回も出たり入ったりしてたくらいで。でも、今回の帰国ではさすがにしなくなりましたね(笑)

Kanさんが、ニコニコしながらファミリーマートを出たり入ったりしている姿が目に浮かぶ。こちらの問いかけに、屈託のない笑顔でこたえてくれて、取材する側の僕がすっかり緊張をほぐしてもらってしまった。

けれど、話が「イギリスで暮らすと決めたことについて、どんなふうにとらえているか」という話題に差し掛かったとき、Kanさんの明るかった表情が少しくもった気がした。うーん…と、すこしためらったあと、真剣な表情で応えた。

「ちょっとつよい言葉かもしれないですけど…追い出されたなって思います」。

思いがけず発せられた強い言葉が、じん、と耳にのこる。「追い出された」というのは、誰に、なぜ、どんなふうに…?

まずはKanさんが「追い出された」と思うに至るまでの過程を、すこしたどってみたい。

幼少期から感じていた生きづらさ

Kanさんが生きづらさを感じたのは、幼少期にまでさかのぼる。幼稚園での、「男の子はなんとかレンジャーごっこ、女の子はおままごと」といったふりわけにモヤモヤを感じていた。

そのモヤモヤが、セクシュアリティからくるものだと気づいたのは中学3年のころ。クラスの男子といわゆる「恋バナ」をするなかで、「あ、僕は男性が好きだな」と気づいた。同時に、「これは言わない方がよさそうだな」、とも。

自分がゲイであることに気づいたKanさんは、誰にも打ち明けられず苦しむなか、家族に助けを求めた。高校生の頃、両親にカムアウト。家族は、「KanはKanだから、 大丈夫だよ」と受けとめてくれた。

優しかったなぁと思いますね。戸惑ったと思うんですけど、受け止めてくれた。

だけど…と続ける。

僕は、なんていうのかな… 自分の人生に希望を持ちたかったんですよね。だから親に助けてほしかったんです。だけど、 当時は今ほど性的マイノリティについての情報もないから、親もどうしたら助けられるのかわからなかったと思います。

「性的マイノリティでも、幸せに生きられる」と気づく

大学進学を機に上京したKanさん。「東京にはいろんな人たちがいるから、生きやすくなるのでは」という希望を抱いていたものの、生きづらさは変わらなかった。

「じゃあ海外にいってみよう」と、家族ぐるみで付き合いがあった知人を頼り、21歳のときにカナダのバンクーバーに一年間留学をすることに。

すでに同性婚が認められていたカナダでの経験は、Kanさんにとって「180度人生が変わるような経験」だった。自分のセクシュアリティを、オープンに話す人がたくさんいたのだ。

セレクトショップでバイトをしたんですけど 、そのお店のマネージャーがゲイの方で、自分の恋愛の話を職場ですごく幸せそうに話すんですよ! 聞く側も、過剰に驚いたりしないで「パートナーはどんな人なの?」って、自然に会話してた。それが衝撃でした。

性的マイノリティでも、幸せに生きられるんだー。それまで「自分が性的マイノリティである限り、幸せに生きられないんじゃないのか」と思っていたKanさんに、希望が見えてきた。

カナダ留学時代の写真。右がKanさん(写真:Kanさん提供)

希望を持って帰国したKanさん。だが、日本ではまた、生きづらさを感じるようになってしまった。

もう自分らしく生きていいんだ! って思ってたのに、日本に戻って来たらまた生きづらくて。なんなんだこれは!? ってびっくりしたんですよね(笑) 逆カルチャーショックみたいな感覚でした。

日本にいてもカナダにいても、自分自身は変わっていないのに、生きづらさが変わった。ということは、自分ではなくて社会の方に問題があるのかもしれない。そう考えたKanさんは、日本でLGBTQ+の権利向上を目指したサークルを立ち上げたり、出張授業に取り組んだりするようになった。

差別の複雑性に気づく

活動をする中で、ジェンダーやセクシュアリティについて学ぶことの必要性を感じたKanさんは、2016年から18年にかけてロンドンの大学院に留学をする。

ロンドンでの経験は、Kanさんにさらに立体的な視野をもたらした。たとえば、日本で経験したようなセクシュアリティにもとづくマイクロアグレッション(明らかな差別には見えないけれど、先入観や偏見で相手を傷つける行為)は、ロンドンではほとんど経験しなかった一方で、アジア人であることで差別や偏見を経験したのだ。

どうして、こうした差別や偏見が生まれてしまうのか。Kanさんは、「インターセクショナリティ」という言葉と出会い、理解できるようになったという。

「インターセクショナリティ」とは、人種や性別、性的指向、階級や国籍、障がいなどの属性が交差したときに起こる、差別や不利益を理解する枠組みのこと。この枠組みを通してみてみると、差別や偏見は「同性愛か異性愛か」「男か女か」「欧米人かアジア人か」といった二項対立ではなく、さまざまな特性が交差して起こっていることが見えてくる。

ロンドンに行くまでは、自分が性的マイノリティであるか否か、白か黒かで考えていた。でも実際は、経済的な環境や人種や国籍、ジェンダーといった要素が複雑に絡み合っているんです。

たとえば、僕はセクシュアリティに関しては抑圧されているけど、留学にいけるくらい経済的に恵まれていたりする点では、特権を持ってる。そんなふうに、差別や偏見について立体的に見る視点が持てるようになったんです。

3年というゴールを決めて、遠距離恋愛に

のちに結婚することになるTomさんと出会ったのは、ロンドンに渡ってすぐのこと。マッチングアプリを通じて出会い、すぐに付き合い始めた。「出会ってすぐ、この人と一緒にいたいなと思いましたね」と、ちょっと照れながらKanさんは振り返る。

当時のKanさんとTomさん(写真:Kanさん提供)

大学院を修了したあとも、イギリスに残る方法を模索したが、当時はビザの関係で外国人留学生の卒業後の滞在が認められていなかった。あいにく、就労ビザをとるために必要なスポンサー企業もみつからない。まずは、日本の企業で働くことを決意した。

それは、Tomさんと遠距離恋愛になることを意味した。

「付き合う時点でいつか遠距離になるのは覚悟はしてましたけど、つらい決断でしたね」とKanさん。終着地点の見えないままの遠距離恋愛はお互いにとって負担が大きいと考え、「3年」というゴールを設定した。

3年後に、お互いと社会の状況をみて考えようねって。もしかしたら日本でも同性婚が認められているかもしれないし。認められていなければ、僕がイギリスに移住して結婚しようって決めて、遠距離恋愛を始めました。

イギリスで結婚。ロンドンに移住する

そのあとの社会の状況は、ご存知の通り。いまでも日本では同性婚が認められていないし、もっと予想外なことが起こった。新型コロナウイルスの世界的な大流行だ。

遠距離恋愛を始めたとき、3ヶ月に一回はどちらかのもとを訪れるかたちで会うことを約束していたKanさんとTomさんだが、2019〜2020年の年末年始にKanさんがロンドンを訪れて以降、海外への渡航が制限され、会うことができなくなった。

きつかったですね〜。まったく会えなくなっちゃいました(笑) 僕がロンドンに移住する2021年の7月末まで、約1年半会えなかったんです。ははは!

笑いながら話すKanさんだが、寂しさはどれほどだっただろう。ただでさえ遠距離なのに、たまに会う機会すら奪われてしまったのだ。それも1年半。

会うことが叶わない日々をすごすうちに、ゴールだった3年がきた。離ればなれの日々が続くなかで、会いたいという気持ちがますます強くなっていった。ふたりが選んだのは、「イギリスで同性婚をして、ロンドンで暮らす」という選択だった。

結婚してなくてビザもない状態だと、なかなか会えない。だから結婚しようと。でも、日本では同性婚が認められていないので、ふたりが一緒にいるためにもイギリスで結婚して僕がロンドンに引っ越すのが一番いいと思ったんです。

KanさんとTomさんは、2021年6月にイギリスでの同性婚を発表し、2021年7月にKanさんはロンドンに移住。9月に結婚した。

もし遠距離をはじめるとき、3年じゃなくて5年ってゴールにしてたら、会えない期間がもっと続いてたかも。ゴールを決めておいてよかったですね(笑)

2021年にロンドンで結婚式を挙げた(写真:Kanさん提供)

ロンドンでの新生活が始まってから、およそ1年半。はじめは帰国したら「ファミマのあの音」を何度も聞くほど日本が恋しかったというが、ロンドンの家に自分のモノがふえ、友達ができ、仕事も始めるなかで、だんだんと心の安らぎを感じるようになってきたらしい。

「それじゃあ、今はロンドンが心のホームになってるんですか?」と聞くと、Kanさんはうーん、と考え込んだ。

いまはどうなんだろうな… ちょっと宙ぶらりんな感じです、正直。物理的なホームは、ロンドン。でも心のホームはどこかといえば、まだまだ日本かなぁ…。


KanさんはTomさんとのロンドンでの生活を、YouTubeチャンネルでも発信している

「ほしい家族をつくる」権利を奪われていた

話は、冒頭の「追い出された」という言葉に戻る。

日本で結婚できなかったこと、暮らせなかったことを、Kanさんはどうとらえているのか。そのことをたずねると、それまで笑顔で話していたKanさんの表情が、真剣なものになった。言葉を選ぶように少しの沈黙したあと、こちらの目を見て、ゆっくりと言葉を吐き出す。

ちょっと強い言葉かもしれないですけど…追い出されたなって思います。

自分が生まれて、育った場所に、同性愛者だからっていう理由で住めない。「犠牲」っていう言葉は使いたくないですけど、ロンドンに引っ越したことで失ってしまったものもあるんです。大好きな家族も友達も日本にいて、大好きな仕事もあったので。

僕たちは同性カップルっていうだけで、自分の国を離れなきゃいけない。その状況が悲しいし、悔しいです。

同性婚の権利を主張する人にたいして、「今の状況が嫌なら、国を出ていけばいい」という言葉を投げかける人がいる。けれど、その言葉を投げかけた人と同じように、家族も、友達も、仕事も、慣れ親しんだ風景も、ここにあるのだ。なのになぜ、出ていかなくてはいけないのだろう。

2022年に日本に帰国した際、KanさんとTomさんは初めてKanさんの親、そして弟家族と集まることができた。パンデミックの影響で、Kanさんの家族はイギリスでの結婚式に来ることができなかったのだ(写真:Kanさん提供)

KanさんもTomさんも、日本に住みたいという気持ちがあった。しかし、同性婚が認められていないため、叶わなかった。「イギリスで結婚し、ロンドンで暮らす」という選択は、自ら選んだというより、限られた選択肢の中で選ばざるを得なかったものだ。

ふたりは、ほしい家族のかたちを自ら選び取る権利を奪われていた。その悔しさが、「追い出された」という言葉からにじむ。

僕たちには、日本で生活するっていう選択肢がなかった。僕が日本で働き続けるなら、遠距離恋愛をしなければいけないし、遠距離が難しければ別れるしかなかった。すごく悔しいし悲しいのは、選択することに関して、主体性を持てなかったことなんです。

Kanさんを「追い出した」のは、おそらく同性婚を認めない法制度だけではない。社会の雰囲気や、周りの人々から投げかけられる何気ない言葉や行為も、Kanさんをくるしめていた。

たとえば、イギリスで同性婚することを公にしたとき、「えー、渋谷に行けば結婚できるじゃん!」という言葉を何人かから投げかけられたという。2015年に渋谷区でパートナーシップ制度が導入されたことを受けての発言だったのだろう。

おぉー…って思ったんですよ(笑) パートナーシップ制度には法的な効力がないってことを知らないんだなって。でも、結婚できる人からしたら、結婚の権利があることがどれだけ特権なのかが理解しにくいんでしょうね。

Kanさんの言葉にドキリとして、思わず目を逸らしてしまう。ヘテロセクシャルである僕は、どこかで当たり前のように、恋愛の延長線上に結婚があると思っていた。たとえ結婚しないにしても、「するかしないか」を選べることに、疑いを持っていなかった。

でも、そもそも選ぶ権利が許されていない人たちがいるのだ。その無理解によって、これまで誰かを傷つけてきたのかもしれない。Kanさんを「追い出した」のは、自分ではないとは言い切れない。

「ほしい家族をつくる」の壁

ロンドンでの暮らしは、日本に比べて、多様な家族のあり方を受け入れるような雰囲気を感じているそうだ。

たとえば病院にいって、緊急連絡先でパートナーの名前を書くとき、関係性を「husband(夫)」と書いても、「え、旦那さん?」みたいに言われることがないんですよね。

けれど、日本から追い出され、イギリスで受け入れられたという、単純な話ではない。Kanさんは『クィア・アイ』でも、「イギリスで『アジア人は嫌い』と言われ、助けを求めて日本人コミュニティにいったらオカマの話が出てきた」というエピソードを涙ながらに語っていた。

「インターセクショナリティ」の考え方が示しているように、差別や偏見は複雑な要素が絡み合って生まれる。そのもつれた糸は、住む場所を変えたからといってほどけるものではない。

日本ではセクシュアリティで差別され、イギリスでは人種で差別され…。もし僕がそんな経験をしたら、どちらの場所にも全力で寄りかかれないんじゃないか…と思う。そう伝えると、Kanさんはため息混じりにこたえた。

そうですね。 そういう感覚はあります。 ……悩んでます(笑) どうしたらいいんですかね…

ほんとうに、どうしたらいいんだろう。

Kanさんだけの悩みじゃない。同性カップルだけでも、結婚を望む人だけの悩みでもない。僕も、きっとあなたも、ほしい家族をつくろうとすれば壁にぶちあたることがある。法律や制度、慣習、文化といったシステムという壁に。

たとえばある社会では、階級を超えた結婚はタブーだっただろうし、ある社会では子どもを複数産むことが制限されたりする。ある人にとっては制度や文化が追い風となることもあるだろうけれど、ある人にとっては大きな壁になることもある。その壁の前では、僕らは卵のようにちいさな存在だ。

「ほしい家族をつくる」ことの前に壁が立ちはだかったとき、僕たちはなにができるんだろう?

戦い続けるために、自分を愛する

できることのひとつは、システムの変更を求めて声をあげることだろう。日本でも、2019年から始まった「結婚の自由をすべての人に訴訟」や、性的マイノリティへの差別を禁止する法律の制定を求める動きがある。

Kanさんも、それらの動きについて「できることをしたいし、手を取り合って行動していきたい」と語っているし、SNSやメディアで積極的に声をあげている。

だけど、違和感を持ちながらも声をあげることをためらう人もたくさんいる。「そうした人に伝えたいことは?」と聞くと、ちょっと意外な答えが返ってきた。

自分の幸せとか、心の安全、身体の健康を、まずはできる限り確保しながら、できることをやっていくのがいいと思ってるんです。自分の活動を振り返ると、誰かに足を踏まれて痛い時やものすごく苦しい時は、自分の幸せや安全などを考える余裕なく声を上げることや、上げられないこともあったので、あくまでも理想ですが。

社会を変える活動というと、自分の心身をすり減らして行うアクション、というイメージを持ちそうになる。けれど、Kanさんは言う。「自分がほどほどに幸せな状態でないと、他人の幸せって願えないですよね」。

あぁ、本当にそうだ。自分が今日を生きる余裕がないときには、誰かに手を差し伸べることができない。違和感を感じることがあっても声を上げることはできないし、ましてや、社会を変えようとするアクションはできない。

だから、まずは自分の幸せを確保すること。

ライターの竹田ダニエルさんは、社会をよくするアクティビズムは「セルフケア」「セルフラブ」の延長線上にある、という考え方を紹介している。

社会のために戦い続けられるように、そしてより多くの人にケアを届けられるように、まずは自分を愛する。自分をリスペクトすることと、常識とされている社会規範を疑うことは、一見関係ないように見えて、根本では深く結びついているのだ。
竹田ダニエル『世界と私のAtoZ』18頁

「戦い続けるために自分を愛すること」、「アクティビズムの延長線上にあるセルフケア・セルフラブ」を、きっとKanさんも大事にしている。

それは、InstagramやTwitterの投稿からも垣間見える気がする。そこではTomさんとのデートの様子、餃子をつくったこと、洗濯物を干したこと、英語の勉強をしたこと…などが投稿されている。そこには、すこやかな暮らしがあって、見ているこちらまで笑みがこぼれそうになる。

アクティビズムと、「すこやかな暮らし」は、一見馴染まないように思うかもしれない。でも実は、「すこやかな暮らし」が土台にあってこそアクティビズムなのだ。

KanさんのTwitterの投稿には、日常で起きた嬉しいことがたくさん。最近は餃子についての投稿も多い。いやはや、美味しそう

関係性を、「家族」という言葉よりも前におく

この連載では、「心の安全基地」という言葉をたびたび使ってきた。不安や恐怖にさらされたときに、逃げ帰れる人や環境である「心の安全基地」があるから、僕たちはリスクがあることにもチャレンジできる。

Kanさんの話は、「自分を愛すること」がそんな「心の安全基地」づくりの出発点になり、社会に対して声をあげ、行動することにつながるという可能性を示している。

だからまず、「自分を愛すること=セルフラブ」からはじめる。そして同時にKanさんは、「ラブ」の射程をひろげるように、パートナーとの関係性をつくっている。ここでも大事なのが「セルフ」、つまり自分たちで決めることだ。

Tomとの関係では、「自分たちの関係性を、家族という言葉よりも前におく」ことに気をつけてるんです。

「家族なんだからこうしなきゃ」とか、「家族なのになんでそんなことするの」って言葉が出てきたら、関係性があやういなと思ってます。世の中の常識に従うんじゃなくて、「自分たちがそうしたいからそうする」っていうふうに、人生を歩んで行きたくて。

わたしとあなたの、個別で具体的な関係性を、一般的で抽象的な「家族」という言葉よりも前におくこと。たかだか言葉の使い方の話のように思うかもしれないが、ミシェル・ド・セルトーが『日常的実践のポイエティーク』で書いたように、こうした言い回しのような日常の細ごまとした行為にも、人々がシステムを反転させる工夫が潜んでいるのだ。

「心の安全基地」をつくる

「セルフラブ」から始まり、パートナーとの関係をつくる。けれど「心の安全基地」は、自分とパートナーだけでは心許ない。

実はKanさんも、かつてロンドンに留学してた時代、Tomさんしか頼れる存在がおらず、つらい時期を過ごしていたという。けれど今では、職場での仲間や、国際結婚で移住した日本人たちと知り合い、支えてもらえる関係がいくつもできたという。

たとえばつらいことがあったときに、日本から移住した人に相談すると、似たような経験をしてるのですごく助けられて。話せる人がいると一人じゃないと思えたり、解決へのヒントがみえたり、希望を持てたりするので。心の支えになってます。

きっとKanさんは、Tomさんや友人・知人たち、そして日本にいる家族といった「心の安全基地」があるから、声をあげ、行動し続けることができているのだろう。そしてその起点には、「セルフラブ」、つまり自分を愛し、リスペクトすることがあるんじゃないだろうか。

「セルフラブ」も「心の安全基地」も、壁としてのシステムを直接変えることにはならないかもしれない。けれど脆い卵のような存在の僕らが、壁にぶつかってつぶれてしまわず、それでも声をあげ、行動を起こし続けるためにも、自分を愛すことや支え合える関係性が欠かせないんじゃないだろうか。

ひとつ一つの声や行動は小さくても、「セルフラブ」と「心の安全基地」を土台に続けていけば、やがて「ほしい家族」をめぐる大きな壁も動かしうる。そう信じたい。

めでたしめでたし、で終わらせないために

自分を愛することから始めて、だんだんとKanさんは「心の安全基地」をつくってきた。その過程は、ロンドンが「物理的な帰る場所」であるだけじゃなく、「心の帰る場所」となっていく過程でもあった。

でも、それでも。「できるなら日本に住みたいし、日本で結婚したいですね」と、最後にKanさんは打ち明けてくれた。

その背景には、親の存在もある。

今は親が元気ですけど、これからどうなるか分からないですし…。介護って、突然やってくると思うので。

それが、「結婚認められてないからできないんだよね」ってなっちゃうと、自分の行動に責任が持てなくなると思うんです。

そうだ、「愛する人と結婚できて、帰る場所ができて、めでたしめでたし…」ではない。

自分が、この人たちと、この場所で、こんな関係性を築きたい。そんな「ほしい家族」のかたちを主体的に選ぶ権利が、社会によってそこなわる状態が解消されないと、どこに住んでも、生きづらさは残り続けてしまう。

これはKanさんとTomさんだけの話ではなく、そして同性カップルだけの話でもなく、僕の、あなたの話だ。「ほしい家族をつくる」権利が奪われてしまうことは、誰にだって起こりうる話なのだから。

だんだん、日本じゃなくてロンドンを心のホームだと思えるようになってきてる気がします。8対2とか、7対3くらいかな。これから、その割合が増えたらいいなって気持ちもあるんです。

別れ際、そんなKanさんの言葉にふれたとき、複雑な感情が胸にわいてきた。祝福したい気持ちと、寂しさと、安堵感と、申し訳なさと…。あの混ざり合わない絵の具のような感情を思い出しながら、この文章を綺麗にまとめたくなる衝動をぐっとこらえる。

Kanさんの話を、めでたしめでたし、にしてはいけない。
めでたしめでたし、で終わらせないために、僕らはなにができるんだろう。

参考文献

竹田ダニエル 著『世界と私のAtoZ』講談社,2022

(編集:佐藤伶)

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