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「つながらない自由」と「つながる欲求」、両方叶える共同住宅。青豆ハウスはなぜ“いい湯加減”なのか

子育てや介護など、家族だけで背負うのはけっこうしんどい。それに、家族関係が閉じてしまうと、傷つけ合う関係になることもある。

だから「ほしい家族をつくる」ことは、「家族以外で支え合える関係をつくる」こととセットで考える必要がある…

ということを、これまで連載を通して感じてきた。

でも、「理屈はわかるけど…」と思ってしまう。なにしろ、僕はたくさんの人とコミュニケーションをとるのが得意じゃないのだ。シェアハウスに住んでみたものの、会話が億劫で自室に閉じこもり、共有スペースにほとんど顔を見せない“隠れ住人”になったプチ黒歴史もある。

僕のような人間が、それでも家族以外の人と支え合う関係性をつくれるんだろうか?

そう考えていた矢先、出会ったのが「青豆ハウス」だ。青豆ハウスは、7世帯が集まって暮らす共同住宅。だけど、「人見知りで、『あんまりシェアハウスとかも好きじゃなかった』って住人も多いんですよ」と、大家の青木さんは言う。

人見知りでも、みんなで幸せに暮らせる共同住宅。いったいどんな場所なんだろう?

独立した世帯が、ゆるやかにつながる共同住宅


住宅街を歩いていると、ぱっと視界が開けた。ひろびろとした畑の向こうに、3階建ての建物が見える。モダニズム建築のような洗練された佇まいでありながら、木造の壁がぬくもりも感じさせる。ここが青豆ハウスだ。

区民農園の向こうに見えるのが、青豆ハウス

東京練馬区、平和台駅から徒歩10分ほどの場所にある青豆ハウスは、木造3階建てのメゾネット2棟に、全8戸(後述する理由で、現在は7戸)が入っている共同住宅。2024年6月現在は7世帯、21人が暮らしている。

青豆ハウスに着くと、大家であり住人でもある青木純(あおき・じゅん)さんが玄関から出て待っていてくれた。「雨が上がってよかったですね!」と、さわやかな笑顔。実は取材の数日前に著書『パブリックライフ』を出版したばかりで、最近は出版記念イベントのため全国を飛び回っているのだとか。

青木さんは、インタビューの前に、少し青豆ハウスを案内してくれた。

「青豆」という名前の通り、空に向かって伸びる豆の木のようにメゾネットが絡まりあう姿をイメージしてつくられたという建物の1階には、共用スペースである中庭がある。

ここでは普段、住人たちが会話を交わしたり、子どもたちが遊んだりする光景が見られ、時には外の人も招いたイベントの舞台にもなるそう。住人たちでつくったピザ窯もあって、「ここでピザを焼いて、ときどき一緒にごはん食べるんですよ!」と青木さん。

毎年開催している夏祭り「青豆祭」の様子。中庭は住民やその知り合い、地域の人々で賑わう

2階に上がると、各住居の玄関が。各戸は独立した2LDKだが、共用デッキでゆるやかにつながっている。なるほど、がちゃっと玄関を開ければ自然とコミュニケーションが生まれそうだ。

共用デッキは住人たちのコミュニケーションの場になる。写真はコロナ禍での様子

青豆ハウスの目の前にあるのは、練馬区が管理する田柄一丁目区民農園。235区画あるひろびろとした農園では、青豆ハウスの住人たちも野菜を育てている。

住宅を、みんなで育てる


住んでいる7世帯のうち、青豆ハウスがオープンした2014年3月から入居しているのが4組。前の入居者と入れ替わりで入居した世帯が3組。もともとカップルや結婚を機に夫婦で入居した世帯が多かったが、現在は6世帯が子育て中だという(でも、子育て世帯に特化した住宅ではない)。

青豆ハウスがユニークなのは、「育つ賃貸住宅」をコンセプトにしていること。「住む人はもちろん、ご近所さんやゲストたちにも開かれ、多くの人に愛される家であってほしい」という願いのもと、住人たちみんなで青豆ハウスの成長を見守っている。

青豆ハウスは、10年ですくすくと育ってきた。たとえば、夏には住人たちの手作りで、地域の人々や住人の友達を招いた夏祭り「青豆祭」を開催。あとで詳しく紹介するが、最近では1階でまちのキオスク「まめスク」の取り組みも始まった。

青豆祭は綿あめやかき氷、ヨーヨー釣りなどの出し物もあり、かなり本格的な“お祭り感”がある

「みんなで住宅を育てる」ための営みは、日常でも見られる。たとえば、住人が協力して行う水やりや落ち葉掃き。一見、面倒ごとが増えるように思えるが、落ち葉を掃いていると「こんにちは〜」と挨拶が生まれるなど、住人同士や地域の人々と関係性が育まれるきっかけになるそうだ。

パブリックという依存先

現在は共用になっている「lens(れんず)」の部屋で、青木純さん、そしてパートナーと娘さんと一緒に約10年青豆ハウスで暮らしている刀田智美(とだ・ともみ、通称とみー)さんに話を聞かせてもらった。

青豆ハウスで暮らす人たちの関係性を言葉であらわすと、なんなのだろう?

青木さん うーん…説明がむずかしいですね。「友達」とはちがうし。でも、「家族」って言うのもちょっと大袈裟なんですよ。

ここはシェアハウスと違って、個々の家族の独立した住居があって、ある程度関係性が区切られています。だから、普段は挨拶を交わすくらい。だけど、楽しい催しのときとか、誰かがピンチのときにはぎゅっと結束するような関係なんです。

友達ではなく、家族でもなくて、いざというとき、ぎゅっと結束する…青豆ハウスで育まれているそんな関係性を理解するヒントは、「パブリック」という言葉にありそうだ。

青木さんはこれまで著書や講演で、繰り返し「パブリック」の大切さを語ってきた。パブリックとは、一般的には「誰もが出入りできる、ひらかれた場所」といった意味。たとえば公園や街路、水辺などがパブリックスペースの代表例だ。

ただ、青木さんがいう「パブリック」は、もう少しユニークな意味を含んでいそうな気がする。たとえば馬場未織さんとの共著『パブリックライフ』のなかで、こんなふうに語っている。

依存と自立は一見相反する言葉のように聞こえるけれど、依存先がたくさんあるから自立していられるんじゃないかと思う。家や飲食店、公園やストリートにいつだって会いに行ける、頼れる存在=よい湯加減のパブリックがあれば、もっとしあわせに暮らせるのではないか。(『パブリックライフ』,19頁)

つまり、“いつでも頼れる、ひらかれた場所”が、青木さんが考えるパブリックなのだろう。

近頃では、高齢者の孤独や孤立、子どもや若者の幸福度の低さや自殺の多さなどが問題になっている。身近に「パブリック=いつでも頼れる、ひらかれた場所」があることは、そうした孤立・孤独の問題を解決する手がかりになるはずだと、青木さんは考えている。

そして、どうやら青豆ハウスも、住人にとって“いつでも頼れる、ひらかれた場所”=パブリックであるらしいのだ。

青豆ハウスがパブリックという依存先になった

「パブリックとしての青豆ハウス」を象徴するようなコロナ禍のエピソードを、青木さんととみーさんが教えてくれた。

青木さん 住人の誰かが「コロナに罹患したかも」って言ったら、他の誰かが検査キットとか、食べ物、飲み物をあげてた。都から送られてくる食料品よりよっぽどいいものが集まってきてたよね(笑)。

とみーさん あれ助かった、本当に!

青木さん あと、緊急事態宣言のときは学校も保育園も行けなくなったじゃないですか。そしたら、大人たちがメッセンジャーで「今日予定あいてるよ!」って連絡しあって、リモートワークの合間に交代で子どもの面倒をみたんだよね。

とみーさん そうそう、中庭でプラレールやったりしてたよね(笑)。子どもたちは普段より大人たちがたくさん遊んでくれるから、たぶん楽しかったんじゃないかなぁ。

コロナ禍はデッキが大活躍!各家庭の子どもが集まり、予定の空いている大人が一緒に遊ぶ場所になった

コロナ禍でも、中庭で子どもたちが元気に遊びまわっていた

こうしたピンチのときの助け合いに加えて、外出ができないからこそのユニークな催しも開催された。

たとえば、青木さんの知り合いである大分のシェフと各家庭をオンラインでつなぎ、仕入れた素材をその場でレシピを教わりながら調理して食べて楽しむオンラインレストランのような企画が開催されたこともあったそうだ。

オンラインで各家庭をつないで開催された飲み会の様子

こうした催しもあってか、青木さんもとみーさんも「コロナ禍はけっこう楽しい時期だった!」と口を揃えるから驚きだ。

とみーさん ほんと、「青豆ハウスって、こういうときのためにつくったんじゃない?」ってくらい、有事のときに強いって思った。普段より家に長くいれるから、心地いい生活ができるし。大変な思いをした方もたくさんいるからあんまり大声じゃ言えないけど、私たち家族にとっては結構幸せな期間でもあったなぁって思う。

青木さん うん。出勤がある日常に戻らなくちゃいけないのが、ちょっと辛かったよね。

臨床心理士の信田さよ子は、コロナ禍では街での接触が避けられるなか、私的空間である家は例外扱いされ、感染症対策や監視から自由だった結果、家庭内での閉塞感が高まり、日本でもヨーロッパでも家族内での問題が顕在化したと指摘している(参考『家族と厄災』)。

つまり、逃げ場としてのパブリックが制限されることで、多くの人々が家族に閉じ込められた時期がコロナ禍だったのだ。

しかし青豆ハウスでは、共同住宅のなかに家族からの逃げ場としてのパブリックがあった。だから、住人一人ひとりが家族に閉じ込められることなく、結果的にいつも通りの家族の関係も保たれたんだろう。

みんなと、つらいことも分かち合っていきたい

「パブリックとしての青豆ハウス」を象徴するエピソードがもうひとつ。それは、青豆ハウスに以前住んでいたある家族にまつわるものだ。

青豆ハウスはもともと8戸だが、現在住んでいるのは7世帯。残りの1戸、現在は共用のスペースなっている「lens」という部屋には、ある家族が住んでいた。

青豆ハウスの住人たちから「レンズファミリー」と呼ばれるその家族は、けんけんさん、くにーさん夫妻と、はなちゃん、うたちゃんという双子の女の子の4人家族。竣工時から青豆ハウスに住み、みんなの暮らしの風景を写真やムービーなど文字通り「レンズ」を通して記録してきたレンズファミリーは、住人みんなから愛される存在だった。

しかしあるとき、くにーさんに重い肺の病気が見つかる。そのことをけんけんさんから打ち明けられた青木さんは、突然の知らせに「どう受け止めていいかわからなかった」という。同時に考えたのが、「青豆ハウスの住人に伝えるべきだろうか?」ということだ。

「どこまでシェアするか」という問いは、共同住宅につきまとう。病気や事故、家庭内の問題など、プライベートな事柄までは他の住人に共有しないも多いところも多いはずだ。

しかし青木さんは、「自分から、レンズファミリーのことを青豆ハウスのみんなに伝えよう」と決めた。けんけんさんも、そのことを受け入れてくれた。

青木さん 「青豆ハウスのみんなとは、こういうことを話せる関係でいたい」と思ったんですよ。

他のシェアハウスもそうだと思うけど、一緒に住んでいれば楽しいことがたくさんある。それはそれでいいんだけど、 やっぱり生活がそこにあるので、楽しいことばかりじゃなく、つらいこともあるじゃないですか。

それをさらけ出してもいい関係、 「弱さを出せる」関係って大事な気がするんですよね。じゃないと、安心して生活できないから。「みんなと、つらいことも分かち合っていきたい」と思ったんです。

日本で特に自殺率の低い徳島県旧海部町(現海陽町)には、古くから「病は市に出せ」という言葉が伝わっているという。病気や仕事、家族関係など、なにかしらの悩みを抱えたとき、ひとりで抱え込まずに誰かに話してみる、つまり、“つらさをパブリックに出してみる”。そうすることで、助けてもらいやすくなって、結果的に自殺するほど追い込まれる人が少なくなるそうだ。

青豆ハウスにも、「病は市に出せ」的な、つらさを言える関係性がある。そうした関係性が育まれたひとつのきっかけが、レンズファミリーだったのかもしれない。

つらさをパブリックに出すための工夫

レンズファミリーの状況を聞いた青豆ハウスの住人たちは、みんなでできる限りの支援をすることに決めた。しかし、青豆ハウスでは海部町と違って古くからの慣習があるわけじゃないから、いきなり「病は市に出せ」と言われてもむずかしい。そこで、ある仕組みが導入された。

青木さん くにーが病院から帰ってこれないなかで、双子の世話もしなきゃいけなくて、けんけんは本当に大変な状況なはず。でも、彼はその弱さをあんまり言わないんです。たしかに、いくら「助けるよ」って声をかけられても、気を遣って遠慮したくなるよなって思って。

だから、それぞれの家のドアノブにかけておく札をつくろうとなり、とみーがつくってくれました。その札がかけてあれば、「今は声をかけていいよ」っていうサイン。けんけんだけじゃなくて、他の住人も声をかけてOKです。その札があることで、「買い物お願いしていい?」みたいな会話が、住人同士で自然に生まれるようになったんですよね。

「声をかけていいよ」の札は、つらさをパブリックに出すための工夫だ。そんな札の効果もあって、住人みんなでレンズファミリーの買い物や子どもの世話をする体制が生まれたのだった。

当時ドアにかけていた札

札以外にも、入院しているくにーさんを元気付けるためにみんなで手紙を書いたり、おもしろい動画を撮って送ったりと、住人みんなでレンズファミリーを支えた。青豆ハウスは、一人の、ひと家族のつらさを受け止めるパブリックになっていった。

その後、くにーさんは無事退院。しかししばらくして、コロナ禍がやってきた。くにーさんが患ったのは肺の疾患だったため、共同住宅での暮らしはリスクが大きく、泣く泣くレンズファミリーは退去することに。

しかし、レンズファミリーは今でも青豆ハウスにとって大事な存在だ。現在、「lens」は共用の部屋になっている。賃貸住宅でひと部屋を欠番にすることは、大家である青木さんにとって大きな決断だったはず。それでも、「レンズファミリー以外にこの部屋を貸したくなかった」のだという。

「lens」はレンズファミリーが帰ってきた時使う以外に、打ち合わせをしたり、英会話教室が開かれたり、子どもたちの面倒をみたりする場所になった。そして1階部分では、後述するまちのキオスク「まめスク」が開かれている。

いい湯加減のパブリックを育てる

青木さん、とみーさんの話を聞いていると、青豆ハウスのような「パブリックとしての共同住宅」に住むことは安心感があるし、楽しそうだなぁと思えてきた。

一方で、「でもな…」とも思ってしまう。冒頭で書いたように、僕は日常の中でたくさん人とコミュニケーションをとるのが得意じゃないのである。

僕のような人間は、「パブリックとしての共同住宅」の暮らしは向いてないのでは?

そんな疑念を察したかのように、青木さんは「青豆ハウスって、“陽キャじゃない人”が集まってるんですよ」と言う。

青木さん 「青豆ハウスに住んでる人って、みんなコミュニケーションがすごく得意で、“パーリーピーポー”みたいな感じなんでしょ?」って、よく言われます(笑)。でも、ぜんぜんそんなことない!どっちかっていうと、そういう空気が苦手な人が集まってる気がしますね。

共同住宅やシェアハウスと聞くと、「みんなでわいわい交流するのが好きな人たちの暮らし」というイメージを持つ人も多いはず。でも、青豆ハウスでは、かならずしも“陽キャ”じゃない人たちが、それでも集まって、楽しく暮らしている…ってことなんだろうか。

だとしたら、いったいどうしたらそんなことが可能なんだろう?

以前、青木さんが知人に言われて腑に落ちたのが、「青豆ハウスって、“ つながらない自由”と“つながりたい欲求”が両方満たされる場所だよね」という言葉だそうだ。

青木さん “つながらない自由”と“つながりたい欲求”のバランスを、自分で調整できるのが青豆ハウスなんです。ご飯会があっても「今日はみんなとご飯食べるのちょっと…」って思ったら家にいればいいし、やっぱり来たくなったら途中からくればいいし。

そうか。“つながらない自由”と“つながりたい欲求”は、どちらかを選ばなきゃいけないわけじゃない。「自分でつながりの塩梅を調整できる場所で暮らす」という選択肢もあるのか。

青木さんはそんな「“つながらない自由”と“つながりたい欲求”」のバランスをとれる環境の居心地の良さを、「ちょうどいい湯加減」という言葉で説明している。

日常の暮らしを長く続けていくには、刺激や興奮などがもたらす熱っぽさではなく、肩の力を抜いてリラックスできる「ちょうどいい湯加減」が大事なのだ。

たとえば、突出してはしゃいでいる人がいたら、きっと誰かが冷めるだろう。その時は、熱を冷ます。逆に、場が冷たくなったら、適度に温める。8組の家族がちょうどいい湯加減で集まって暮らすためにはそういうコントロールを誰かがしなければならないだろうと思っていた。(『パブリックライフ』,119頁)

自立した個人が集まるから、パブリックになる

青豆ハウスでは、「ちょうどいい湯加減」を大家である青木さんだけでなく、住人一人ひとりが意識しているらしい。それも、「青豆ハウス全体の湯加減を調整する」のとは、ちょっとちがう。

とみーさん 全体の湯加減を気にするんじゃなくて、一人ひとりのまわりの湯加減を気にしてる感覚です。

「自分が『青豆ハウスをこうしたい!』って熱くなりすぎてるから、他の人と対話してちょっと冷まそう」とか、 「あの人、最近ご飯会にも来なくて、元気がないかもしれないから、話を聞いてあたたかくしよう」とかいう感覚。一人ひとりが居心地よくいられるかをみんなが意識してるから、青豆ハウス全体としてちょうどいい湯加減になってるんだと思います。

住人同士のご飯会も、よく開催されるらしい

話を聞きながら思い出したのは、「バウンダリー(自分と他者の境界線)」という言葉だ。

ソーシャルワーカーである鴻巣麻里香さんは、バウンダリーとは「自分と他者を区別するもの、違いでありその違いを守るもの、つまり『私は私』という境界線」だという。

そして、「バウンダリーの存在を認識でき、相手に応じてその強度や厚さを調整して自分を守り、また相手のバウンダリーを大切にすること、それが『コミュニケーション力(コミュ力)』」だと書いている。(引用:「自分と他者を区別する境界線「バウンダリー」とは?ソーシャルワーカー鴻巣麻里香さんによる解説 | こここ」

僕が集まって暮らす生活にむずかしさを感じたのは、このバウンダリーの問題が大きかった。自分のバウンダリーが侵害される不安と、誰かのバウンダリーを犯してしまう不安。このふたつがふくらんで、過度に他者に対して壁をつくってしまっていた。

ひるがえって、銭湯でお風呂に浸かっているときのことを考えてみる。「いい湯だなぁ〜」とため息をつくとき、僕はちょうどいいバウンダリーのなかにいる。同じ湯船に浸かる人と、会話するでもなく、でもそれぞれの境界線をなんとなく意識して、銭湯という場を共有してる。そのことによって生まれる、ひとりでありながら誰かと共にいるような、独特の感覚…

もしかしたら青豆ハウスでの暮らしにある「いい湯加減」も、そんな感覚なんだろうか。

青木さんは、こんなふうに言う。

青木さん いい湯加減のパブリックは、自分の興味だけを叶えたい人の集まりじゃ成立しない。自立した個人の集合体じゃないとうまくいかないんです。

自立した個人が集まるから、依存先であるパブリックが生まれるし、パブリックがあるから自立した個人でいることができる。「自立と依存は二項対立じゃなくて、補い合う関係だ」って理解できてる人たちが集まっているから、青豆ハウスにはいい湯加減があるんだと思います。

一人ひとりが、自分や相手のバウンダリーを大切にして、居心地良くいられることを意識している。だからこそ、青豆ハウス全体が「いい湯加減」になっているのかもしれない。

ちなみに青豆ハウスには、明確な管理規約はない。あるのは「無理せず気負わず楽しむ」という家訓だけ。それでも、いや、ルールがないからこそ、他人任せにせず、一人ひとりがバウンダリーを気にかけ合う関係性が育まれている側面もありそうだ。

パブリックを生む鍵としての中庭

自分や相手のバウンダリーを大切にできる、自立した個人が集まるから「いい湯加減のパブリック」が生まれる…。

でも、だとしたら、他人とうまく境界線を引けない僕のような人間にとって、「いい湯加減のパブリック」は夢物語なんだろうか?「結局、個人のコミュニケーション力次第だよね!」っていう、自己責任論みたいな話になってしまうのか…?

いや、そうじゃない、と信じたい。なにか仕組みにヒントがあるはずだ。ここからは青豆ハウスの成り立ちもちょっとたどりながら、設計面での工夫を探ってみよう。

35歳でそれまで勤めていた会社を辞め、家業の大家業を継いだ青木さんは、会社で所有していた平和台の土地の活用方法を考えていた。

当時この土地には、ハウスメーカーの古いアパートが建っていた。広い土地にアパートがポツンと立つ土地に、「ここでなら、人や建物と僕自身がつながるような“実業”ができるんじゃないか」と可能性を感じていた青木さんは、数多くのリノベーションを手がけてきたブルースタジオの大島芳彦さんに相談。“集まって暮らす豊かさ”を提案する賃貸住宅、という方向性を固めていった。

現在青豆ハウスがある土地にもともとあったアパート

“集まって暮らす豊かさ”を育てるためにはどうしたらいいのか。ブルースタジオとともに設計を考える上で、一番時間をかけたのが中庭だった。“集まって暮らす豊かさ”を実現するためには、コミュニティの醸成が必要で、そのためには中庭が鍵になると考えたのだ。

1年以上の議論の結果、中庭を中心に、コミュニケーションが自然に生まれる距離感があり、地域との境界線も低く緩く設計されたデザインが生まれていった。

中庭を中心に描かれた、青豆ハウスの理想の日常

青木さんたちが思い描いた通り、中庭は青豆ハウスのオープン前から人々の交流の舞台となった。

2013年8月に開催した上棟式は、夏祭りと合わせて開催。上棟式は施主と工事関係者で行われるのが一般的だ。しかし「上棟式イベント」と企画されたこの催しには、大家である青木さんやブルースタジオの人々だけでなく、その家族、知り合い、入居検討者、地域の人々、青豆ハウスを見守る人々など、子どもから大人まで集まり、「小さな夏祭り」らしい盛り上がりを見せた。

上棟式の恒例行事である「餅まき」も、みんなで楽しんだ

他にもヨーヨー釣りやかき氷など、訪れた人が楽しめる工夫がたくさん盛り込まれた

同じ年の11月には、新米のおむすびを芋煮とともに味わう「まめむすびの会」を開催。こうした催しを通して、住人になることを検討している人や地域の人々、見守ってくれる人々との関係性が育まれていった。

こうした関係性づくりの甲斐もあって、2014年3月中旬から5月初旬にかけて、8世帯が次々に入居。そのなかには青木家の姿もあった。もともと通いで大家をする予定だったが、「自ら住んだほうが柔軟に運営でき、“集まって暮らす豊かさ”を実現できるし、楽しそうだ」と考えたのだそうだ。

家族を閉じ込める「nLDK」という住宅形式

2014年春にオープンしてから10年。コロナ禍という大きなピンチもあったが、住人同士で協力して乗り越え、だんだんと「いい湯加減のパブリック」が育まれてきた。それは、どうやら中庭の存在と無関係ではなさそうである。

建築家の山本理顕は、「nLDK」に代表されるようなこれまでの住宅の設計は、「1住宅=1家族」を前提とした住宅だと指摘している。

現代に生きる僕らからすると当たり前に思える「nLDK」の住宅は、実は19世紀の産業革命以降に普及した、「夫婦が子どもを産んで育てるための、労働力の再生産のための住宅」だという。(参考:『脱住宅』)

産業革命後、資本家や国家がすぐれた労働者を確保するために、限られた土地に効率よく労働者を収容し、かつ、家族のプライバシーを守る住宅が求められた。そこで発明されたのが、夫婦の寝室と子どもの部屋、食事のためのダイニングを想定して構成された「nLDK」という住宅の形式だった。

そんな住宅で重要視されたのが、プライバシーを守ることだ。たとえば隣近所の音はなるべく聞こえないほうがいいとされるし、会話が生まれる空間もない。その結果、現代では「お隣さんの顔もわからない」という状況が珍しくなくなっている。

でも、家族のかたちも多様化した現代では、プライバシーを重視するこうした住宅は、家族や個人を家の中に閉じ込めてしまう。

そこで、山本が提案するのが「閾(しきい)」という空間だ。

「閾」は家という私的領域の中にあって、公的領域に開かれた場所。つまり外側の空間と交流するための空間で、日本の家屋では客間や座敷、玄関のたたきや式台、縁側などにあたる。

こうした「閾」を住居の中に持つことによって、家族や個人が住居に閉じ込められず、コミュニティとつながることができると山本は考えた。

「つながりながら距離を保つ」ための中庭

青豆ハウスにも「閾」のような空間が設けられている。それが、中庭だ。

それぞれの住居に住む家族や個人が、中庭を舞台に他の住人と挨拶を交わしたり、おしゃべりをしたり、ときには外の人も招いてお祭りをしたりする。この中庭があることで、家族や個人が住宅に閉じ込められず、家族以外の人々とつながりをつくることができているんだろう。

青豆祭では、中庭で「青空落語」が開かれてきた

一方で、中庭は「つながりをつくる」だけじゃなく、「距離を保つ」ためにも役立っていそうだ。

政治学者の齋藤純一は、「公共的なモノというのは、人と人とをひとまとめにするという意味で結びつけるのではなく、それぞれの距離を保ちながら結びつけていく」という。(「いま、2018年の公共性について考える【齋藤純一インタビュー:前編】 – ソトノバ | sotonoba.place」)。

青豆ハウスでは、自分と相手のバウンダリーを大切にしあう関係性が育まれていて、だからこそ「いい湯加減」が生まれている。それは、中庭が「つなぎながら距離を保つ」役割を果たしていることも影響しているんじゃないだろうか。

たとえばコロナ禍の青豆ハウスでは、中庭があることでソーシャルディスタンスが保つことができた。「最初は住人と会うときもマスクをしてたけど、だんだんつけなくなった。でも、集団感染みたいなことは起きなかった」(青木さん談)というが、それは中庭が距離を保っていたからこそだろう。その一方で、コロナ禍でも子どもたちと遊んだり、ちょっとした会話をしたりと、家族以外の人たちとのつながりが中庭を舞台に生まれた。

「バウンダリーを大切にする、自立した個人でいよう」という題目だけでは、いい湯加減のパブリックを生むことはむずかしい。青豆ハウスにおける中庭のような、「つながりながら距離を保つ」空間を設けることは、集まって暮らしながら、他者とのあいだにちょうどいいバウンダリーをつくることを助けてくれそうだ。

中庭の模型

まちのキオスク「まめスク」

いま、青豆ハウスであたらしい「閾」が育まれている。それが、まちのキオスク「まめスク」だ。

レンズファミリーが住んでいた「lens」の部屋で、住人の持ち物を売るフリーマーケットや、“流しの洋裁人”による洋裁、「まちの本棚」というブックポストの設置など、地域に開かれた企画が行われているのだ。主催しているのは、とみーさんはじめ青豆ハウスの住人である。

ある日は、全国各地を訪れ即席で洋服を製作している“流しの洋裁人”原田陽子さんが出店していた

青木さんも、「今、まめスクをどうしていくか住人みんなが日々話題にしてるんです!」と興奮気味に語る。

青木さん コロナ禍で、1年に一度の夏祭りもできなくなっちゃったから、もっと地域との接点を日常的につくりたかった。それで、「ちびまる子ちゃんに出てくる駄菓子屋みたいな、地域にひらかれた場所をつくろう!」って話になったんです。

ある日のまめスクでは、青豆ハウスの住人のひとりである「hoko.ちゃん」こと熊谷奈保子さんが毎年つくっているカレンダーを展示する個展が開かれた。熊谷さんがまめスクにいると、興味を持ったご近所の人が立ち寄ってくれ、それをきっかけに普段も挨拶を交わすような関係が生まれたらしい。

道路に面した窓は、青豆ハウスの住人から「番台」と呼ばれてる。道ゆく人と会話が生まれる接点になりそうだ

またある日は、住人の持ち物を売るフリーマーケットが開かれた。僕も取材の後日、足を運んでみたのだが、器、服、雑貨など、センスの良いモノたちが並んでいて、器はひとつ100円など、超安い。儲けることが目的じゃなく、住人自身が楽しむこと、訪れる人との会話が生まれることを目的としているんだろう。

こちらはフリーマーケットが開かれたときのまめスク

また、住人のひとりであるゆっきーさんが「人がいなくても成り立つものがあった方がいい!」と提案し、「まちの本棚」を置くことに。だんだんと足を止める人も増えてきたそうで、最近では青豆ハウスの前の区民農園の帰りに寄ったおばあちゃんが「もうちょっとやさしい本がほしい!」とリクエストしてくるなど、常連もあらわれ始めているのだという。

まちの本棚をきっかけにコミュニケーションが生まれている

ネイバーフッドコミュニティを地域に広げていく

こうしてまめスクで生まれつつある地域とのつながりを、青木さんは「ネイバーフッドコミュニティ」という言葉で説明してくれた。

青木さん 生活の中で日常的に顔を合わせる人たちの関係性が、ネイバーフッドコミュニティ。まめスクがあることで、ネイバーフッドコミュニティがじわじわと広がっていけば、依存先が増えていくんですよ。

「ご近所付き合いなんてわずらわしい」と言う方もいるだろう。だけど、顔の見える関係性の有無が生死に関わる問題だということは、東日本大震災などの災害の事例を見ても明らかだ。

ネイバーフッドコミュニティを育むことは、家の前の道の掃き掃除をしたり、挨拶をしたりといったことから始められる。そしてもうちょっと踏み込んだアクションが、まめスクみたいに「家を地域にひらいて、経済活動をしてみること」だ。

ふたたび山本理顕の言葉を引くと、彼は「住宅に住みながらそこで小さくてもいいから経済活動をすることが、コミュニティのためには極めて有効」と言っている。(引用:『脱住宅』182頁)。経済活動をするためには、地域の人から受け入れられることが欠かせない。だからこそ、経済活動をすれば必然的にコミュニティとつながることになるのだという。

まめスクのような“家を地域にひらいた経済活動”を続けていけば、だんだんと「顔の見えない関係性」が「顔の見える関係性」に変わっていくはずだ。青豆ハウスの住人や地域の人々が、より安心して、楽しく暮らしていくことを叶えてくれる「ネイバーフッドコミュニティ」は、ゆっくりと、でも着実に育まれている。

目標を手放す

約10年、少しずつ育まれてきた青豆ハウスの「いい湯加減のパブリック」。次の10年はどうなっていくのだろう?

そう尋ねると、青木さんは「それは、わかんないですね!」と、気持ちよく即答した。

青木さん 目標に執着したら、湯加減は整えられないですよ。

以前、クルミドコーヒーの影山知明さんが、僕の主宰する「大家の学校」で「事業計画を立てるのやめた」ってお話しをされたんです。なぜかというと、事業計画を作った瞬間、数字ばかり追いかけて、目の前のお客さんや一緒に働く仲間のことを見なくなるから。すると、結果もついてこなくなるんだと。僕も本当にそうだと思ってます。

それに、先のことなんかわかんないでしょ?状況は常に変化するものだから、目標じゃなくて状況に最適化しなきゃいけない。目の前の状況に常に向き合い続けることが、湯加減を整えること。 「結果を手放して、目の前を見ろ」ってことなんです。

パブリックが、「閉じられた家族」から僕らを自由にしてくれる

今の青豆ハウスが持つ雰囲気や関係性は、青木さんやここに住む住人たちだからこそ育むことができたものだと思う。

じゃあ、「いい湯加減のパブリック」は、青木さんたちじゃなきゃつくれないのか?といえば、そんなことはないはずだ。

“つながらない自由”と“つながりたい欲求”を両立させること、つらさも出せる工夫をすること、「閾」となる場をつくること、地域にひらくこと、目標を手放すこと、すれちがったときに挨拶をしてみること…

そういったヒントをもとに、自分たちで「いい湯加減のパブリック」を育てていく。全部はむずかしいけど、きっと人見知りの僕でも、できることはある。

5年、10年、いやもっとかかるかもしれない。けれど、そうして育んだパブリックは、きっと僕やあなたを「閉じられた家族」から自由にしてくれるはずだ。

(写真:すべて青豆ハウスご提供)
(編集:れい)

参考文献

青木純,馬場未織 著『パブリックライフ: 人とまちが育つ共同住宅・飲食店・公園・ストリート』,学芸出版社,2024
信田さよ子 著『家族と厄災』生きのびるブックス,2023
山本理顕,仲俊治 著『脱住宅: 「小さな経済圏」を設計する』平凡社,2018
「自分と他者を区別する境界線「バウンダリー」とは?ソーシャルワーカー鴻巣麻里香さんによる解説 | こここ
「いま、2018年の公共性について考える【齋藤純一インタビュー:前編】 – ソトノバ | sotonoba.place」