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福島は、日本の閉塞感をブレイクスルーする、唯一で最後のフィールド。小高ワーカーズベース・和田智行さんと移住支援センター・藤沢烈さんが語る、福島12市町村ローカル起業の現在地

東日本大震災と原発事故により、大きな被害を受けた福島12市町村(※)。

事故から10年以上の時を経て、避難解除も進み、住民が戻りまちが動き出しているだけでなく、この地域の資源をつかって生業をつくる「ローカル起業」がいま、新たな段階に入っています。

今回から始まる新連載「ふくしま12 ローカル起業物語」では、ゼロから地域をつくっていこうと取り組む起業家の姿をお届けしていきます。

福島でユニークな事業に取り組む起業家たちが口を揃えて言うのが「自分にとって起業に最適な場所が、この地域だった」ということ。震災復興や被災地支援といった言葉はあまり出てきません。

なぜいま、福島12市町村に起業家たちが集まってきているのか。
これから、この地域にはどのような可能性があるのか。

連載の1本目では、これまでの12市町村での起業家たちの歩みと、いま、この地域で起業する意義について、小高ワーカーズベースの和田智行さんふくしま12市町村移住支援センター長の藤沢烈さんに語ってもらいました。

※「福島12市町村」とは、福島第一原子力発電所の事故により避難指示等の対象となった、南相馬市、田村市、川俣町、浪江町、富岡町、楢葉町、広野町、飯舘村、葛尾村、川内村、双葉町、大熊町。(画像提供:ふくしま12市町村移住支援センター)

双葉町の避難解除。新たな段階を迎えた福島12市町村

対談をお届けする前に、福島12市町村の現状を見てみましょう。

2022年8月30日、12市町村の中でも全町避難が唯一続いた双葉町の避難指示が解除されたことで、福島県から住民ゼロの自治体がなくなりました。帰還困難区域内に設定された特定復興再生拠点区域でも、除染とインフラの復旧・再生整備が進み、徐々に避難指示が解除されました。

そうして今、福島12市町村の復興と再生は新たな段階に移っています。

現在の浪江町。かつては道路の両側にはお店が並んでいた

2020年、9年ぶりにJR常磐線が全線運転再開し、新しくなった双葉駅舎

2021年、地域の次の担い手をこの地に招こうと「ふくしま12市町村移住支援センター」が設立されました。センターでは、移住、生活、仕事への支援を行ってきましたが、これからより注力していくのが「起業」。避難指示により住民が移住、移転し、一度ゼロになった地域のため、店舗も企業もさまざまなものが不足しています。だからこそ、新しい事業に思いきってチャレンジできる場でもあります。

サポートも充実していて、たとえば起業支援金は他地域の2倍となる最大400万円、移住検討の際の交通費等補助や移住支援金も全国トップクラスの手厚さです。また、住民自身も移住・移転を経験しているからこそ、移住者など新しい人を受け入れるしなやかさがあり、挑戦を心から応援するのも、この地域の大きな特長です。

市町村ごとに見ると、たとえば人口の一番多い南相馬市ではロボットやドローンなどの先端産業や、1,000年の歴史をもつ伝統祭礼「相馬野馬追(そうまのまおい)」をいかして馬にまつわる観光事業が生まれています。

他にも、川内村では震災後に新産業としてワインづくりを始めていたり、川俣町では特産物であるトルコキキョウや川俣シャモの生産に関わる移住者に支援金を用意するなど、12市町村それぞれで地域資源をいかした事業を育てています。

さて、ここからは和田さんと藤沢さんの対談をお届けします。南相馬市小高区で8年以上も活動を続けている和田さんと、福島だけでなく全国で復興や地方創生事業に携わってきた藤沢さんは、福島の12市町村をどのように眺めているのでしょうか。まずは震災が起きてからの11年数カ月を振り返るところから、話が始まりました。

和田智行(わだ・ともゆき)<写真左>
株式会社小高ワーカーズベース 代表取締役。南相馬市小高区(旧小高町)出身。大学入学を機に上京しITベンチャーに就職。2005年、東京でIT企業を創業。同時に自身は小高にUターンしてリモートワークを開始。東日本大震災に伴う原発事故で自宅が避難区域となり、川越市や会津若松市に避難。その後、小高区で創業し、2014年5月に避難指示区域初のシェアオフィス「小高ワーカーズベース」を開設。以来、数々の事業を立ち上げる。2017年からは創業支援にも注力。
藤沢烈(ふじさわ・れつ)<写真右>
ふくしま12市町村移住支援センター長。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立し、NPO・社会事業等に特化したコンサルティング会社を経営。2021年7月の福島12市町村移住支援センター設立以降、センター長を務める。移住に関する発信・ツアーやイベントの実施・求人の発掘事業などを指揮する。一般社団法人RCF代表理事、新公益連盟事務局長、PwC財団理事。

8年間言い続けた言葉。この地域は社会をつくる「フロンティア」だ

和田 僕が株式会社小高ワーカーズベースをスタートした2014年頃は、まだ小高区(南相馬市)の避難指示が解除されていなくて、日中の立ち入りはできるものの、居住はできないという段階でした。昼間でも誰も外を歩いていないし、夜になると、街灯も家の灯りもないので、 本当に真っ暗闇の中にぽつんと自分たちだけが灯りをつけてる状況でした。

立ち上げた当時から「この地域はゼロから新しい社会がつくれるフロンティアだ」と言って、そこに共感してくれる人たちが集まって、思い思いの事業を立ち上げてきました。最初はこんな地域で起業するなんていう人間は僕しかいなくて、大抵の人は笑っていましたが、今ここで起業すると言っても馬鹿にする人は誰もいない。そういう意味ではすごく感慨深いですね。

小高ワーカーズベースでは創業当初から、旧避難指示区域に将来帰還する住民の生活環境整備として、仮設スーパーや食堂事業などを実施。さらに「魅力的な生業づくり」を目指したガラス製品の製造・販売や、「創業支援・コミュニティ創出」として、コワーキングスペース「NARU」簡易宿舎「小高パイオニアヴィレッジ」、起業型地域おこし協力隊「Next CommonsLab 南相馬」事務局の管理運営などを行う(画像提供:小高ワーカーズベース)

藤沢 最初に「フロンティア」という言葉を使ったのが和田さんで、それこそ初めて会った時に言っていましたよね。当時の状況でフロンティアという言葉を使うことは勇気も必要だったし、なかなか見通しも立てづらかったと思うんですよ。それでも最初から使い続けて、いまではフロンティアという言葉が、この地域で普通になっている。それってすごいことだと思います。

和田 逆張りをする必要があるなと思っていたんです。とてもネガティブな状況に対して、 他の地域にはない可能性があることを示すのが、僕は非常に大事だと思ってました。

被災地支援や復興支援の文脈だと、単にかわいそうな人たちを助けるために一時的に地域に関わるところまでしか世界観が広がっていかないなかで、この地域はある意味フロンティアだから、あえてここでチャレンジしていこうと。復興支援に興味がないとしても、 チャレンジしたいことがある人にとっては、すごく可能性のある地域だと思ったんです。

と言うとかっこいいんですけど、根底にあるのは反骨心です。 僕も避難生活を余儀なくされて、それまで全く関わりのなかった政府や電力会社など、一部の人間に人生を振り回されていることに対する反骨心みたいなものがありました。

地域差があるからこそ、今からでもチャレンジできる。福島12市町村、それぞれの変化

和田 小高での復興の道のりや立ち上がってきた事業を振り返ると、3つか4つのフェーズで変化してきました。ひとつ目は生活環境の整備。最初は本当に何もない状態だったので、食堂をつくったりスーパーをつくったりして、それがある意味呼び水になって、他の飲食店やコンビニなどが再開してきました。そこである程度、「今は避難指示が出ているけど、解除されれば最低限の生活はできそうだ」という見通しが持てるようになりました。

一方で生活環境が整っても、どうせ若い人たちは帰ってこない、という諦めの気持ちも蔓延していました。そこで若者にとって魅力的な仕事をつくろうと考え、ガラス工房を始めました。特に子育て中の女性をターゲットに、彼女たちが働きやすい環境や、やってみたいと思えるような仕事をつくってみたところ、そういう仕事があればわざわざ働きに来ることが掴めました。

まだ飲食店やスーパー・コンビニがなかった小高区で、避難指示区域初の食堂として2014年にオープンした食堂「おだかのひるごはん」。地域での役割は終えたと判断し2016年3月に閉店(画像提供:小高ワーカーズベース)

ハンドメイドガラス工房「iriser」で働く方々(画像提供:小高ワーカーズベース)

和田 僕ら小高ワーカーズベースは「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」をミッションにしていて、最初は自分たちだけで100の事業をつくろうと思ったんですが、これは大変だなということに当たり前ですが気づいて。 やっぱり仲間を増やさないといけないということで「Next Commons Lab 南相馬(※)」をスタートさせて起業家を呼び込み、創業支援を始めました。さらに起業家たちのハード面の受け皿として、コワーキングスペース付き簡易宿舎「小高パイオニアヴィレッジ」をつくりました。

このように、まず生活環境の整備をして、 若者に魅力的な仕事をつくり、起業家を誘致して、去年からは若手人材の支援をスタートさせています。日本全国どこでも、地方に関心のある層の呼び込みが始まっているので、 呼び込むだけではなくて育てないといけないということで、人材育成というフェーズに移っているのが現在地ですね。

(※)Next Commons Lab南相馬(以下、NCL南相馬)とは「予測不能な未来を楽しもう」をテーマに、地域課題や資源に焦点をあてたプロジェクトを推進する、南相馬市の起業型地域おこし協力隊事業。

藤沢 少し広い視点で震災後の福島12市町村を眺めると、段階的に住める場所が広がってきているんですね。まず2014年に田村市、川内村の避難指示が解除され、続いて、この小高ワーカーズベースのある南相馬市も人が戻ってきて起業の促進も少しずつ始められるようになった。その次が楢葉町、4年ほど前に浪江町、富岡町。最後に大熊町や双葉町、さらにその周辺地域も避難指示が解除されて。

まだ人の数は戻りきってはいないですが、 少し安定してきている地域もあるし、最後に解除となった大熊町や双葉町はまだまだこれから。そういう視点でいうと、市町村ごとに復興の状況はまだらではあります。

藤沢 大熊町や双葉町のようにこれから復興が始まる市町村では、それこそ和田さんが最初に食堂をつくったような段階なんですよね。

和田 ある意味乗り遅れても、次のチャンスがある。今からスタートしても、やることはたくさんありますよね。

藤沢 ありますね。南相馬市や田村市、川内村のようにある程度生活環境が安定している地域では、地域の現状を踏まえたうえで新しい取り組みをしないといけない。けれども大熊町や双葉町はあらゆるものを必要としてる地域なので、本当にチャレンジングな人は、以前、和田さんが小高区でやったようなことを今、することもできる。いきなりそこからだとチャレンジングすぎるので、もう少し整ったところからスタートしたいのであれば、小高区のように既に先輩もたくさんいるなかで相談を受けながら事業をスタートすることもできます。

和田 それに、12市町村それぞれが独自で動いているのではなく、地域間の人の流れも感じますね。最初に小高区に来て事業を立ち上げてきた人たちが、他の市町村に動いていくとか、 そういうL字型の動きが出てきています。

僕らの「Next Action→ Social Academiaプロジェクト」(※)に参加した人たちが、小高区を経由して浪江町や大熊町に移住したり。「小高区はある程度整ってきているから、自分は別の地域に行こう」という動きもあったり、小高区をきっかけにした他市町村への動きを感じます。

(※)「Next Action→ Social Academiaプロジェクト」では、福島の課題から浮き彫りになる社会課題の解決に関心を持つ16歳~29歳から、次世代リーダーを発掘し、事業創出支援などを行う。

藤沢 12市町村それぞれ個性的で、お互いに刺激し合いつつリスペクトして、時に助け合う。そんな関係性を持った人が各地域にいるという感じですよね。

南相馬市や浪江町以外の動きを見ると、田村市が起業型地域おこし協力隊(※)を今年からスタートしますね。あと楢葉町は、移住・定住促進にかなり力を入れていて、全国から人が集まってきています。

(※)起業型地域おこし協力隊とは、地域おこし協力隊の一種として、地域で事業を起こして活動するスタイルの協力隊。特定の業務があるわけではなく、自らのアイデアで地域活性化につながるような事業をつくり、その地域で新たなビジネス創出を目指す。詳しくはこちら

先駆者たちが築いた、暗闇の中の「灯台」

和田 福島への関わり方って、いろいろあるんですよね。僕はもともと小高区の住民ですし、震災復興の現場にいるというよりは、避難を終えた生活の延長線上に自分の事業があるという感覚です。あとは繰り返しになりますが、ここがフロンティアだということ。日本でこんなフィールドは二度とできないだろうし、できちゃまずい。そういう意味で、日本の閉塞感をブレイクスルーするとしたら、それができる唯一で最後のフィールドだと思っています。生活とやりたいことと仕事といった全部がここにあるのが、僕が小高区という現場にこだわっている理由です。

藤沢 僕は、もともと東京の復興支援団体をやっていて、 行政に政策提言をしたり、企業に東北の復興支援を呼びかけたりと、東京にいてもできることをやっていたんですよね。

でも東京で何か考えても、それが現場にきちんとつながることってなかなかないんです。もちろん国が方針を決めている復興支援もあって、お金という意味での支援はできるけれど、東京だけではだめだと。同時に現場でもやるんだという思いがあるなか、ふくしま12市町村移住支援センター長に就任することになり、これは両軸から関わることができるなと思ったわけです。

ここでつくっていく事業にしても、現場目線で発信することは本当に大事です。僕は住民ではないのですが、和田さんのように長くお付き合いさせていただいてる現地の方もたくさんいます。そうした方の思いや考えを移住支援センターという組織として伝えることはできるかなと思っています。

ふくしま12市町村移住支援センターが運営する本サイト「未来ワークふくしま」に、起業に関する特設サイトがオープン

和田 福島で起きていることを客観的に眺めてみると、もともと住民としてその土地に暮らしていた人がUターンして、そうした人が核になって、それに藤沢さんのように外から支援をしてくださる方がいて、さまざまなレイヤーのプレイヤーが協業しているという感じですね。

藤沢 そうですね。地域で起業をするときには、その地域の方とどれだけ関係性があるかという、関係レベルがものすごく重要なんですよね。一度は住民が避難した地域で、最初に一歩を踏み出す人というのは、もともと住民の方で、東京で働いていたけど戻ってくる、そんなケースが多いんですよね。最初はそういう方でないと地域のこともわからないし、地域側からの信頼も得にくいし。

そうした方々が最初に足がかりを築いてくれたので、必ずしもその地域にこれまで縁がなかった人たちも集まれるようになってきた。和田さんたちは「灯台」のような存在ですね。暗くて方向が分からなくても「そこに行けばいいんだ」っていう。

和田 最初は圧倒的にUターンの方が多かったのですが、仮設スーパーをやり始めたころから、それまで足重く復興支援で通っていた人たちが移住してスーパーのスタッフになってくれたり、その社員も移住してきたり、縁もゆかりもないけど新卒で入りたいという人が出てきたり。

ガラス工房も、最初は地元の女性たちにゼロから技術を習得してもらうというコンセプトでやっていたんですが、ガラスの専門学校や美大を卒業した人が来るようになった。被災地とか復興支援といったことが関係なく、この仕事がここにしかないから移住してきたんです。

藤沢 最近はUターンよりもIターンのほうが多いですよね。9割型Uターンだったのが、逆転しつつある。まずはUターン中心に形をつくって、移住者コミュニティができてくることで、外の人も関われるようになる。Iターンの方には、今がまさに関わりやすいタイミングだと思います。

起業の前から地域とつながるための起業家コミュニティ

藤沢 「コミュニティ」というのも大きなキーワードですね。さっきも言ったように、Iターンの人がそのまま入ってきても、地域の方もどう接したらいいかもわからない。そこで、和田さんたちのように既に地域と関係を持っている方を経由して、地域の方ともつながる。

移住者に慣れている方が多い地域ではありますが、間に立ってきちんと翻訳してくれる人の存在は大きくて、そういうコミュニティがあると、ちょっと尖った人だって入っていける。そうしたコミュニティが用意されているというのが小高区が福島の移住・定住におけるモデルたる所以ですね。

和田 NCL南相馬でもそこは意識しています。起業というただでさえ難しいチャレンジをしているのに、生活面でも困難があると難易度が上がりすぎるので、事業以外のところは何の不安もないように環境を整えてあげることが重要だと思っています。日々大変なことがあるなかで、一緒に酒を飲みに行く友人がいるとか、気にかけてくれる仲間がいるとか、実はそういうところが大切なんですよね。

わざわざ地方で起業するということは、そこでやることに意義があったり、地域の特徴や資源を活用する必要があったりするわけです。逆にそれがないなら都市で起業したほうがいい。そう考えたときに、地域との接続をいかにスムーズにできるかは、何よりも大事です。

NCL南相馬のみなさん(画像提供:小高ワーカーズベース)

藤沢 日本政策金融公庫による地方での起業についてのレポートによると、 移住して創業する成功要因のうちもっとも重要なのは、「起業する前から、地域の方々とどれくらいつながっているか」だというんです。 起業してからつながりをつくろうとしても少し遅くて、起業する前からその地域に入って、住むだけじゃなくて地域の方々と接点があることが大事だ、と。

そういう意味では、通いでもいいと思います。住む、住まないが本質なのではなくて、通いでもいいので、地域の方々と深い意味でつながっているかどうか。例えば地域で店舗を開業するときに、サービスや商品がいいことは重要ですが、「あの人のお店だったら行ってみよう」という評判もとても大切です。事業を手伝ってくれるのも地域の人だったりしますし。

和田さんは「飲み会をやる」とさらっと言いますが、それが本質であり、この地域の難しさでもあるんですよね。まだ飲食店の少ない地域も多く、「あそこに行けば誰かいる」という場所が少ない。だからこそ和田さんたちがつくっている、Iターンで入ってくる起業家と地域をつなぐ役割をもつコミュニティは重要ですよね。

仲間づくりの場となっている小高パイオニアヴィレッジの様子(画像提供:小高ワーカーズベース)

3年先の起業支援を、どうつくるか

藤沢 少し未来の話もしてみたいと思うのですが、僕は3年後を見据えてどうするかを考えるときに、和田さんが次に何をしようとしているかが気になるんですよ。最近考えていることってありますか?

和田 これまでの事業は、言葉を選ばずに言うと、50点から70点の形でも始めることが大事でした。そこから先に進んで、これからは一つひとつの事業を進化させたいなと思っていて、そのために組織やチームを変革させていきたいと考えています。

藤沢 これは結構難しいですね。これまでの事業のつくり方をいったん全部捨てないといけない。

和田 そうですね。これまではある意味ゼネラリストをたくさん抱えて、いろんな事業を駆け持ちしながらやってきたんですが、それぞれ経験や専門性が必要になってくると思います。
具体的にいうと、今までひとつの会社で複数の事業をしていたのを、事業ごとに分社化していくとか、先輩起業家やアクセラレーターによる創業支援は既に日本中で出揃っているので、別のことをやりたいと考えています。

一番必要だと思うのが、バックオフィス支援です。わかりやすいところだと領収書の整理をするとか、SNSで発信するとか、そういうつい後回しにしてしまうけれど、やらなければならないことってたくさんありますよね。そうした業務をサポートするバックオフィス集団の機能を持つことが、100の事業をつくることを考えたときに必要かなと。

藤沢 “思い”先行で、ある意味勢いで事業をスタートしてみようというところから、もう少しプロフェッショナルというか、実務的なところもしっかりするというところに切り替えようとしているんですね。

和田 世の中にアクセラレーターはたくさんありますが、メンタリングよりさらに踏み込んで支援するところはあまりないので、 強みになると考えていて。起業したい人に対して、ハードとコミュニティとバックオフィスの機能、これらが提供できればいいのではないかと思っています。

藤沢 やっぱり両輪ですよね。とにかく思いを大事にして「やっちゃおうぜ!」という部分と、「お金や仕組みは大丈夫?」という部分と。“思い”先行でいろいろな支援も集まりやすいと思いますが、反面、補助金をいただく機会も多いので、それをきちんとしておかないと、途端に足をすくわれるリスクがあるとも思います。

復興のため、地域のためより、自分のやりたいことを

和田 この地域でこれから起業を考える人に伝えたいのは、地域のためとか住民のためではなくて、自分のためにやるということを一番大事にしてほしい、ということです。

どんなに素晴らしい場所でも、やりきるとか続けるって強力なモチベーションが必要なのに、地域や住民という顔の見えないものを対象の支援を目的にしてしまうと、手応えを感じづらいんですよね。せっかくいい事業だとしても軌道に乗せなければ食べていけないので、「自分はこれをやりたいんだ!」と心から思えることにチャレンジしてほしいです。

藤沢 同感ですね。この地域に何か関わろうと思ってくれるIターンの方は、福島の復興という文脈を持っていると思うんですよ。でも、そのためだけにやると、うまくいかないことが多いですね。誰かのためにやると、イメージと違ったと感じた場合、前提から変わって続かなくなってしまう。だけど、自分のやりたいという思いからスタートすると、その思いが変わらなければ続いていく。起業って続けることが大事だからこそ、自分の気持ちを大事にしてほしいですね。

こういう地域だからこそ、こんな事業が必要だ、と考えていると、事業のことで頭がいっぱいになってしまうと思うんです。そんなときに、他の地域の誰かに話してみるといいかなと思います。人と話すことが事業のヒントになることもあります。この地域にはチャレンジングな事業がたくさんあって、そうした事業をつくる和田さんのような人がいるので、サポートをしてもらいながら、自分のやりたいことを、この福島12市町村で実現してほしいと思います。

和田 都市部は仕事と暮らしの境界線が明確に分かれていると思うのですが、地方ではわりとその境界線があいまいなので、 そうした状況を楽しめるといいですね。すべてを仕事のためにやると苦しくなるので、地域での暮らしと、地域での起業の両方を楽しんでほしいです。

(対談ここまで)

福島12市町村内を車でまわっていて目につくのは、広大な耕作放棄地に設置されたソーラーパネルや、廃墟となった大型店舗でした。それは一見、育てることをあきらめた土地、集うことがなくなった場であるかのように見えました。

震災復興や被災地支援という目線で眺めるとそう映る景色が、和田さんや藤沢さんの話を聞き、実際に福島で起業をしたみなさんの活動を見るなかで、どんどん変わってきていることを感じます。支援すべき場所という捉え方ではなく、自分らしい仕事や暮らしを実現する場所として、この地域を選んだ一人ひとりが発しているエネルギーを感じられるようになってきました。

一方でおふたりが言う「今からでも関わることはできる」という言葉は、原発事故が起きてからずっと抱えている後ろめたさや、東北の地に縁がないからどう関わっていいかわからないという言い訳に、改めて向き合わせてくれました。まずはこの連載をとおして福島12市町村の起業家たちの姿を追っていくことで、自分の関わり方を探っていきたいと思います。

あなたの中に「いつか、何かを始めたい」という思いがあるなら、福島12市町村で起業することも考えてみてください。福島に住んでいる人も、住んでいない人も、いつからでもチャレンジできる土壌がここにあります。

(写真:中村幸稚)
(編集:増村江利子)

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