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ぼくたちが忘れてきてしまった”あいだ”を探して。辻信一・建築集団「SAMPO」鼎談から見えたこと

ふたりは諦めていないでしょ。それこそが希望であり、社会が変わっていくきっかけなんだ。

とある賃貸の一部屋を舞台に、「SAMPO」、「TSUMUGI」、「NEUT Magazine」3組のクリエイティブユニットが1週間にわたって、暮らしをサステナブルにハックしたプロジェクト「エシカル暮らすメイト」。

参加ユニットのひとつ「SAMPO」は人や都市をアクティベートする建築集団と自らを説明します。軽トラの上に乗った動く家は、単純な「モバイルハウス」の枠に収まることはありません。人の営みに関わる全てのアップデートを企てる、まさしくクリエイティブなチームです。

そんな彼らのクリエイティビティに強く共感したのは、greenz.jpでもおなじみ、文化人類学者の辻信一(つじ・しんいち)さん。もっとSAMPOのことを知りたい! ということで、東京都荒川区の東日暮里にあるSAMPOのアトリエを見学。


鼎談前の見学の様子。画像クリックで拡大できます

暮らし、デザイン、建築、音楽、民族文化、小商い…次々と繰り出される縦横無尽な要素をたっぷりと浴びたあと、ヒートアップしたままの勢いで、SAMPOの塩浦一彗(しおうら・いっすい、以下、いっすい)さん村上大陸(むらかみ・りく、以下、りく)さんとの鼎談へ…。

行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らし続ける環境=文化アクティビストと、柔軟で創造的な20代の建築集団の対話は、いったいどこに行き着くのでしょうか。

辻信一(つじ・しんいち)
環境=文化アクティビスト。文化人類学者。「ナマケモノ倶楽部」代表。「スローライフ」、「ハチドリのひとしずく」、「100万人のキャンドルナイト」、「しあわせの経済」、「ローカル・フューチャー」などのキャンペーンを展開。著書に『スロー・イズ・ビューティフル』、『常世の舟を漕ぎて』など、映像作品に『アジアの叡智』(DVDブックシリーズ)など。DVDブック『レイジーマン物語―タイの森で出会った“なまけ者“』、『「あいだ」の思想』が6月に刊行された。
SAMPO inc.
SAMPO incは人や都市をアクティベートする建築集団である。我々は「暮らす」BeBopを意識する。ダイヤルを慎重に回してみる。唯一のヘルツを求め。我々が提供するのは「動く家」ではない。人の営みに関わる全て。思考、所作、衣服、モノ、音 etc.それらが上手く歯車のように噛み合った時「文化的な最低限の生活が保障される」 Web:https://www.sampo.mobi/

数字から見えてこない、体感としてのエシカル

 SAMPOが他の2組と取り組んだ7日間のデザインチャレンジの様子を見て、さらに今日はここに来てふたりの話を聞いて、とにかく興奮しています。あらゆる領域に広がる要素が、あちらこちらに散らばっていて、そのすべてが可能性に満ちているね。

りく フランスの哲学者ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)は「人間は考える葦である」という言葉を残しましたよね。ちっぽけで弱い葦のような存在である人間の最大の強みは、想像力。この想像力こそが、乱雑な状態を飛び越え、マジカルな“なにか”を生み出すんじゃないかと思うんです。

 なるほど。ぼくたちを取り巻く生態系もまさに、多様でレジリエントでマジカルだ。

左から辻信一さん、塩浦一彗さん、村上大陸さん

りく ちょっと前に、屋根の一部に穴を空けたキッチンカーをつくったんですね。

雨や太陽光が入るために空けた穴の下には小さな畑があって、料理で使うミントやしそ、バジルのようなハーブだけでなく、野菜や果物、例えばブロッコリーや桃やみかんが育てられるんです。

その過程でふと「この制作に、一般的な電気をつかっていいんだろうか」という迷いが生まれたんです。地球環境に負荷をかけながらつくっている電気を使って、地球から借りた土でハーブを育てる…。それって”倫理的(エシカル)”にどうなんだろうか。

自分でつくった囲いの中で生きてもらう植物にも、地球に根を張り生きる植物と同じくらい喜んでもらいたいじゃないですか。

だから、太陽光で工具を充電して、制作に使うことにしたんです。この思考の過程で、ものづくりやDIYという領域を超えて、なにか“マジカル”なものに達したような感覚がありました。

 なるほど。ものづくりにもエシカルを問われることはたくさんあるよね。きみたちふたりは、気候変動やエコ、エシカルといったことを、普段から意識している? 最近は、若い人たちの間でも、関心が高まっていると思うのだけど。

りく ぼくらの世代は、生まれたときから環境問題が深刻だと言われてきたので、意識というより、無意識に考えていることかもしれません。でも、学校でいくら数字や事象として教えてもらっても、本当の意味でエコロジーやエシカルを考えられるかと言うと、そうではないと思います。

ぼくは、日本各地を訪れる中でさまざまな自然に触れ、人間のちっぽけさと自然の偉大さを体感した。そもそも人間だって、自然がつくりだしたひとつの要素ですよね。じゃあ「人工物」ってなんだろう。人工物と自然物って、対比される概念じゃないと思うんですよ。人工物も自然物のひとつ。そんな視点から、エシカルとものづくりを考えています。。

7日間のエシカルライフハックで、どんな発見があった?

いっすい 7日間のチャレンジでは、今回初めて一緒に同じ場所をつくったチームとも、エシカルや自然、社会、日常生活など、さまざまなことを話しました。

TSUMUGI
未来の食卓に向けて、自分にも自然にも無理のない「善い暮らし」を探求する生活共同体。野菜を育てる、一汁三菜を作る、生ゴミを堆肥に戻すなど、ひとりでは実践が難しい循環型の暮らしを、少しずつ身近に感じられるような体験を、仲間と共に深めていきます。

Photo by Misii / NOSE art garage

Photo by Misii / NOSE art garage

TSUMUGI 私たちは「Well-Being starts from the table(食卓からウェルビーイングを)」をテーマに、7days Challengeに取り組みました。実際やってみて感じたのは「これはよい、これはダメ」とゼロヒャクでは決められないということです。

エシカルだろうと思ってつくったアクリルたわしは、マイクロプラスチックの問題を生んでしまう。野菜の皮を使った草木染は、ポリエステルを染めることはできない。ミツロウラップをDIYしたことで、ビニールラップの便利さにも気づきました。

やってみなければ、わからないこともある。できることから試行錯誤することが大事だと思いました。

NEUT Magazine
「NEUT Magazine」は既存の価値観にとらわれないオープンでフラットな視点を常にアップデートしていき、それぞれの視点が尊重されニュートラルに見られる場となることを目指すオンラインマガジン。“Make Extreme Neutral(エクストリームをニュートラルに)”。

Photo by Misii / NOSE art garage

Photo by Misii / NOSE art garage

NEUT Magazine ぼくたちが掲げたテーマは「LIFE WITH SMALL BUSINESS」。エシカルなスモールビジネスから、日常を共にしたいプロダクトをピックアップし紹介しました。ハンドメイドの石鹸、遊びに来る人と一緒に楽しめるお菓子やクラフトジン、アーティストと共に空き瓶をアップサイクルしてお花を飾ったり、白いTシャツをエシカルに丁寧に洗うワークショップも開催しました。

日用品を、大量生産大量消費を前提にしたものから、個人の思いが宿ったものにスイッチする。たくさんのスモールビジネスがあり、それを買える場所もあるんですよね。つくり手の顔の見えるブランドだけでも、生活は成り立つんだと実感できました。

Photo by Misii / NOSE art garage

Photo by Misii / NOSE art garage

SAMPO SAMPOでは「Bricolage your ephemeral identity」をテーマに掲げ「Identity」「Ephmeral」「Meta etical」という3つの切り口で空間づくりを担当しました。原状復帰できるように壁や天井を傷つけることなく、また住環境が圧迫されないように工夫しつつ、空間をつくっていきました。

いっすい ぼくらが普段一緒にいるのは、アーティストやクリエイターばかり。自分たちの「コミュニティ」にはいないタイプの同世代と話すことで、また新しい発見もありました。

提供: 原亮介

「家」の寛容さがコミュニティを拡張する

 ぼくは最近、作家の高橋源一郎さんと一緒に『「あいだ」の思想:セパレーションからリレーションへ』という本を出したんだ。これまでも世界はあらゆることを二元論的に分断しようとしてきた。いま、その弊害が限界にまできているんだと思う。

世界人口の半数以上が都市に住む今、伝統的な「コミュニティ」という人と人の“あいだ”はすっかり衰退して、隣に住んでいる人も知らないことが普通になっている。ソーシャル・ディスタンスはコロナの前からどんどん広がっていたよね。コロナ以前に孤立・孤独のパンデミックが世界を覆いはじめていたんじゃないかな。

その中で、最近、「コミュニティ」を語る若者たちが増えて、コミュニティづくりのいろんな試みが起こっているでしょ。「エシカル暮らすメイト」の前夜祭でも少し話したけど、改めてふたりの「コミュニティ」への考え方について聞かせてほしいな。

いっすい 例えば、裸一貫で街に飛び出したとしても、魅力のある人の周りには人が集まります。濃いコミュニケーションが生まれて、エネルギーが集まり、ハプニングが起こり、なにかが始まる。それがコミュニティになっていくと思うんです。なのでコミュニティはまず人ありきなのだと思います。

このスペースにも日々、魅力的な人たちが集まってくる。アーティストやクリエイターはもちろんですが、近所の子どもが興味を持って、入ってきたりします。おじいちゃんを連れて入ってくる子もいたり。

 ここは、だいぶ異質な空間であるはずのに、なぜだかこのエリアに馴染んでいるよね。路地を入って最後の角を曲がり、この建物を見つけたとき「そうそう、ここだよな」って、妙にしっくりときたんだ。

りく 近所の人とのほどよい関係は、ぼくが生まれた村の雰囲気に似ています。ぼくが生まれたのは、福岡の山奥にある村でした。3歳のときに父はいなくなってしまったのですが、村の人たちが「それらなら俺らで面倒見るべ」と、毎日違う“お父さん” に育てられました。たまたま大工が多くて、小さい頃から工具の使い方やものづくりのノウハウを教わってきたからこそ、いまの活動につながっています。

 いっすい君にいただいた本にも「村」という表現が出てくるんで新鮮だったんだけど、この言葉に、きみたちは過剰に監視し合う息苦しさや、利権の独占や排他性といった悪いイメージを持たないのかな?

いっすい ぼくは都市に生まれて都市で育っているので、村という言葉に原体験があるわけではないですが、少なくてもぼくらのまわりで起きていることは、村上が言うように村っぽさがあると思います。本当にいろんな人がいるんですよ。腹が減ったなぁと思ったら、料理が得意な人がいるし、野菜がほしいと思ったら八百屋がいる。服がほしいときだって、服屋も、服のつくり手もいるし、布屋もいる。

 なるほど。いまでは若い人の間でシェアハウスが広がっているけど、ぼくが30年前に日本に久しぶりに帰ってきたときには、当時の日本の若者にまったくそういう発想がないので、逆に驚いた。共同体や村、コミュニティのあり方について、新しいようで、同時に懐かしいような感覚が生まれつつあるのかもしれない。

いっすい ぼくらの活動を見た人に「懐かしい」とよく言われるんですが、懐古主義でもなんでもなく、ぶっちぎりの最先端にいるつもりなんですけどね(笑) ぼくらは昔を知りませんから。

りく ハードウェアとしての「家」が、共同体のあり方を変えているのかもしれません。この場所に人が集い、物や技術が交換され小さな経済が生まれているのも、寛容性が高い「家」があるからこそ。


実はこれも部屋。針金とボンドを固めた層が幾重にも重なり、大きな繭のよう。画像クリックで拡大できます

 ここで言う家は「一軒家」というより「長屋」に近いかもしれないね。人々が程よい距離感を保ちながらも、一緒に暮らしている感覚を共有しているような、家のあり方。

りく そうだと思います。去年から続くコロナ禍でさらに、長家のような「家」を求める人は増えている気がします。いま外にいるときはマスクをしていますが、家に帰ればマスクを外す。家族とは近い距離にいるけど、マスクをしない状態でコミュニケーションを取りますよね。マスクなしで会える人は家族くらいしかない。ぼくらの暮らし方は、家族が拡張しているようなものです。みんな、マスクを外してコミュニケーションを取りたいんじゃないでしょうか。

都市だけでも、地方だけでもなく、その“あいだ” にあるもの

アトリエで作成中のキッチンカーの前にて

 ふたりはいま、主に東京で活動しているよね。でも、地方のほうが、家賃も生活コストも安くて生活しやすいと考える人もいる。そもそも村的な生活をしたいなら、まさしくすでにある村に行けばよいかもしれない。地方での生活を考えたことはないの?

いっすい いまはとにかく都市でチャレンジしたいって気持ちが大きいですね。都市は人がたくさんいておもしろい分、問題も多い。とくに東京は、核家族、少子化、家賃の急騰や、空き家の増加…など、都市の課題に世界に先んじて直面している。東京で諦めちゃったら、建築の未来も、人類の未来もなくなっちゃうって感覚がずっとあるんです。だから、東京でいろいろやりたかったんですよ。実際にやってみたら、いろいろできた。

りく ぼくらはふたりともホームレスの経験があるので、家って地球そのものでしょ? って感覚が根本にある。もちろん、どこに住むか決めるっていうのはとても大事だと思うんですよ。それは豊かさに直結する。でも、どこに住むか決めるっていうのは、ひとつの土地に縛られることとイコールではない。移動できる箱に定住すれば、定住と移動は両立できます。

ぼくたちが提案しているのは、軽トラの上のモバイルハウスだけじゃないんです。モバイルハウス生活のもうひとつの拠点となる定住の基地。いざとなったら移動可能だけど、より定住に違いコンテナハウス。そういったものを組み合わせて、柔軟に「家」を考えればいいと思っています。二拠点居住じゃなくて、無限拠点居住ですね(笑)

いっすい 移動することにも、まったくストレスがないですから。東京から新潟ぐらいなら、近所ですよ(笑) むしろ、場所と場所をつなぐプロセスにこそ、楽しさがある。モバイルハウスの話をすると「自動運転技術で、家が勝手に動いてくれたら便利だよね」とか「呼んだら家やお店が自ら来てくれるなんてすごい!」って言われるんですよ。でも、ぼくらがやりたいことは、そうじゃない。移動のあいだに存在する、アナログなハプニングこそがおもしろいんです。そこを効率化してどうするんですかって。

りく いくらデジタルで効率化しても、現実の複雑さのほうが圧倒的におもしろいんですよね。それに気づいたからこそ「SAMPO」がはじまったんです。

 というと?

りく 実は、SAMPOを始める前から、軽トラに上に家を積むモバイルハウス生活をしていたんです。そのころは、VR領域で起業していました。ある日、友だちが「バーチャルで川をつくった」ってSNSを投稿していたんです。それは見事に美しい川だと思いました。そのときちょうどタイミングよく、川沿いにモバイルハウスを置いていたんです。だから、ドアを開けて、本物の川と見比べてみたんですよ。

そうしたら、全然違ったんです。水しぶき、周りの木の揺れ、湿度、音…複雑な要素がすべて合わさって「川」なんですよ。いくらデジタル上でパラメーターをいじって「それっぽい」ものをつくっても、リアルにはかなわないってことに気づいちゃって。だからVR事業を畳んじゃったんです。そのすぐあとに塩浦と出会い、SAMPOをはじめました。

 いやぁ、それはいい話だなあ。それは本当に大事なことだと思う。

合理性や効率性や均質性の罠に気をつけないとね。都市の雑さや多様性が失われたスマートシティなんて面白くない。「たった2軒しかいない集落のために、インフラの維持費はこんなにかかる」なんていうエリートのもっともらしい言葉の裏で失われていく、多様な人々の生活から目を背けてはいけないと思う。

いっすい 自分たちにとっての心地よさを得るためには、デジタルとアナログの使い分けが必要なんです。

デジタルとアナログの最大の違いは、偶然が発生するか、しないか。

デジタル技術は、混乱よりも整理の方向に向かうし、レコメンドの精度が上がれば上がるほど、フィルターバブルに陥ってしまう。逆に、アナログは偶然だらけ。誰かに会って誰かを紹介されたり、本屋で買おうと思っていた本の隣にあった本を買ってしまったり。

かといって、デジタルとアナログに、優劣があるわけではありません。デジタルもアナログも「ツール」や「方法」でしかない。使い方によって、豊かにもその逆にもなりうる。

自然と人工、デジタルとアナログ、都市と地方、働くことと暮らすこと。効率化や資本主義のルールでは、一見対立しているように見えるけど、実はそんなことないと思うんですよ。丁寧に紐解けば、どっちかに決める必要もなければ、そもそも対立構造でない場合もある。

人と人がうまくやっていける知恵を取り戻す

いっすい 世界では市民の力やリテラシーで、効率化や資本主義のルールに抗う事例も生まれています。ベルリンのクロイツベルクでは、ジェントリフィケーション(※)を起こしてしまうような超巨大企業を、住民がデモを起こして追い出したんです。ロンドンでは、住民の意に反した商業施設には、人が寄り付かず、テナントも入らない。だからそもそもつまらない商業施設が生まれないんです。 

ぼくらはここ数年で、いろんなことをやってみて、かなりおもしろい現象を生み出せたと思うんです。とは言え、社会全体を見ると効率化や資本主義のルールに翻弄されている。いったいどうすればいいんだろうと途方に暮れることもあります。

(※)ジェントリフィケーション: 都市の富裕化・高級化現象のこと。治安の向上などのメリットがあるとされる一方で、地価・家賃の上昇により低所得者層が追い出される弊害も指摘されている。


画像クリックで拡大できます

 資本主義的な市場とは、損得勘定に基づいて合理的な判断をくだす、利己的で、限りない欲望に突き動かされたバラバラの個々人の集合だと想定されている。

かつての伝統的社会を特徴づけていたような様々な“あいだ”から解放された個人たちが、でもいまや、その断絶や孤独に耐えられなくなってきている。またその一方では、自然界から自らを分断し、その制約を着々と克服してきたはずの人間たちが、そのしっぺ返しを受けている。

そんなセパレーションの時代の中にあっても、人と自然、人と人の「あいだ」をつなぐリレーションの知恵や文化はぼくたちのうちから消えてなくなってしまったわけじゃない。何千、何万年と続けてきた「共同体」や「村」「コミュニティ」の知恵がきっと生きていると思うんだ。

適者生存という理論があるでしょ? 英語では「survival of the fittest」。では何が適者かといえば、これまでは世界の1%の大金持ちのことかと思われがちだったけど、デューク大学のブライアン・ヘア(Brian Hare)という進化人類学者なんか、「survival of the friendliest」、つまり、友好的な人間こそが生き延びると言っている。他者との協調性、友好、良いコミュニケーション、協同などが、種が生き残るために重要だったというわけだ。

 クリストファー・ボームという人類学者は、339のフィールド調査の結果を総合して、人間はもともと、自由を尊び、固定的な権力や、上下関係をつくらないようにすごく気を使っていた、と結論している。

とはいえ、ぼくたちはもう、かつての「村」的なつながりをもうほとんど失っている。その中で、きみたちSAMPOは移動と定住、都会と田舎の「あいだ」を行きつ戻りつして、ゲリラ的に人と人、人と自然のリレーションを再発見しようとしているんじゃないかな。

りく 一見、仲良くなれなそうな人とも、話したら意外と仲良くなれる。相手を十分に知らないと分断が起きると思うんです。とくにコミュニティ同士だと、どうしても団結も強くなるし、その分、分断もより深くなる。

でも、いまは個人でいくらでも動ける時代です。わかりあえないと思うような相手だとしても、個人同士なら、ひとつくらい共通言語があると思う。それをどう見つけるか。フィルターバブルになって、同じような価値観の人としか出会わなくなっているいま、とても大事なことだと思います。

 あいだをつなぐこと。見知らぬ人であっても、顔を合わせて挨拶してちょっと言葉を交わす。部外者とも顔見知りになり、仲良くなれたら、その経験によって、人は変われるはず。そういうことを諦めてはいけないんだろうな。きみたちふたりは諦めていないでしょ。それこそが希望であり、社会が変わっていくきっかけなんだ。

(鼎談ここまで)

想像力こそが、乱雑な状態を飛び越え、マジカルな“なにか”を生み出す── 。鼎談の最初に村上さんが話してくれた言葉を、読み終えたいま、もう一度思い出してください。

3人が語った暮らしを取り巻くあらゆる要素は、あなたにとってどんな意味があったのでしょうか。それを受け取ったままでは、きっとなにも始まらないのです。都市と地方を、デジタルとアナログを、共同体と個人を、さまざまな”あいだ”を行き来すれば、もっともっとエシカルなライフハックをしかけていける。

あなたの創造性が、マジカルな変化を起こすとき、またきっとこの記事が読みたくなるはずです。

(撮影: 関口佳代
(編集: greenz challengers community

(本取材は6月30日(水)、緊急事態宣言が解除された時期に行い、写真撮影時以外はマスク着用を必須とし、その他ソーシャルディスタンスやアルコール消毒など感染対策につとめました。)

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– INFORMATION –

エシカル暮らすメイト

未来の地球のことも考えながら、毎日を楽しく生活したい。
これからの暮らしを考える次世代クリエイティブユニットが環境に配慮した積水ハウスの住空間に滞在し、自分も地球も豊かになる「エシカル・ライフハック」をデザインする7日間。

1週間の「エシカル・ライフハック」の前後に開催したオンラインイベント2回のアーカイブ映像を公開中です。https://www.sekisuihouse.co.jp/ethicalclassmate/index.html


エシカル暮らすメイト│7Days Challenge #DAY0 KICKOFF│ エシカルな暮らしはどうできる?活動前夜に語らう。https://www.youtube.com/watch?v=0h5yY9LiIeE


エシカル暮らすメイト│7Days Challenge #LAST DAY OUTPUT│エシカルな暮らしはどうできた? デザイン成果を報告! https://www.youtube.com/watch?v=53VVapV1-ME