これまで誰かにアドバイスをお願いすると、なんだか落ち込んだり、逆に勇気が出たり、なにかと影響されやすく振り回されやすい部分が私には多かったように思います。
最終的に責任をとるのは紛れもなく私であるのにもかかわらず、どうしてこんなにも他人の意見に振り回されているんだろう、と我にかえったとき、外にアドバイスを求めるだけでなく、自分自身との対話の必要性を感じました。
そのとき受講していた講座終了後、雑談中に主催者の口から出た言葉を聞いたときに、アドバイスをする・される関係性ではない、その場でのコミュニケーションを通して自分と向き合えるんじゃないか、と感じました。
これは、greenz.jpでコラム「デンマーク語からひも解く、幸せのA to Z + Æ Ø Å」を連載中のニールセン北村朋子さん(デンマーク・ロラン島在住)が主催する「いまを生きる手習い塾」(以下、「手習い塾」)でのことでした。「手習い塾」は現在、第三期が開講中です。
2ヶ月間、全6回に渡る講座では、デンマークのゲスト講師によるレクチャー回と、自分自身や参加者同士での対話がメインのワーク回が半分ずつ行われ、ゲストにはデンマークの食・環境、メディア・政治、教育・家族の分野で活躍する3名が登壇しました。
この講座から、私はタイムリミットがある人生の中で、どう生きていくかという大きなテーマに等身大で向き合えたように感じます。その学びの内容をみなさんにシェアしていきます。
「手習い塾」は一つのテーマを集中的に学ぶのではなく、領域を横断した講義が展開されています。人間や社会など複雑に絡み合っている物事は、一つの分野を深く学ぶだけでは事足りないからこそ、領域を横断して複数のテーマを学ぶことの意味を感じました。
参加者の背景もさまざまで、企業の代表者、保育士、市役所職員、会社員、脚本家、専業主婦、学生など多様な参加者の多くが「印象的な回だった」と口にしていたのが、「メディア・政治」に関する講義でした。
情報の根を見つめて、実を選び取る。
ゲスト講師のヘンリクさんとニールセンさんから、情報を受け取る側としての「情報ソースに対する7つの疑問」という観点がありました。これは、新聞や雑誌、WEB記事などの情報に接するときに、頭の片隅に置いておくといいフィルターのようなものです。
「7つの疑問」のうち印象的だった項目が以下の5つです。
情報の内容を受け取る前に、そもそもこの情報は正しいのかどうかを考える指針となるようなもので、その具体的な情報に対する疑問が挙げられています。
例えば、ネット上のブログと言っても、個人のブログもあれば、企業の公式ブログもあります。それぞれの情報はどういう意図で、いつ、誰に向けて書かれたものなのかなど、情報に接する上で検証できることはたくさんあるんです。
また、自分自身が情報源となっている情報である一次情報は、自分の目で見たことや経験したことを指します。一方で、誰かから聞いた情報である二次情報は、他人から聞いた情報です。
新聞やテレビの情報はたとえ一次情報をもとに制作されているとしても、編集してまとめられていることがほとんどなので、二次情報が多い、と言えます。いま読んでいただいているこの記事も、講座を通して学んだ一次情報を編集してお届けしているため、二次情報となります。いま読んでくださっている方はぜひこれを機に、自分が触れている情報が一次情報なのか、二次情報なのかを考えてみてもらえたらうれしいです。
実際に私も受講後は、ネット上で調べものをするときに意識してみたところ、「作者が実際に経験したことなのか、それとも間接的に知ったことか?」があいまいな情報が多かったように感じました。また、いかにいままで「正しそうな」「信頼できそうな」情報を雰囲気で受け取ってきたことにも気付かされました。
「7つの疑問を意識することでより情報の核心が見えてくる」とニールセンさんも言うように、表面に出ている情報の「根」を見つめることで、自分に必要な、そして知るべき情報である「実」を取捨選択できるようになると思います。
ブログやSNSで発信する人、必見
デンマークのジャーナリストが指針にすること
続いて、上記画像の真ん中、ゲスト講師ヘンリクさんとニールセンさんから、自分が情報発信をする側に立ったときに気を付けたいことが紹介されました。SNSやブログで誰でも簡単に自分の考えなどを発信できる私たちですが、どんなことに気を付けて発信していけばいいのでしょうか。
デンマークで活躍するプロのジャーナリストの多くが、Per Knudsen(ペア・クヌセン)さんという方が発表した「ジャーナリストの10か条」を指針として参考にしている、とニールセンさんが共有してくれました。
ここでは、ジャーナリストという職業でなくても発信する上で気を付けたい項目を2つ、そして報道に関して大切な項目を1つ取り上げていきます。
特に、「自分の先入観に対して批判的」であることは、意識していないとなかなかできることではなく、「○○は、こういうものだ」という先入観は、自分に安心感を与えてくれるものかもしれませんが、本当にそうだとは限らず、常に自分が想定しているものが事実と一致するとは限らないと認識していることが必要かもしれません。
ここでの「知るべきこと」とは、ジャーナリズムの目的とも重なり、市民がよりよい市民生活を送るための情報です。
芸能人の不倫報道などは、多くの人の関心を引くものであっても本来市民が「知るべきこと」ではなく、プライバシーの尊重という視点から考えても、目的なく広めるべき情報ではありません。自分自身がSNSに投稿する内容が、他人のプライバシーを侵す恐れがあるのであれば、一度立ち止まって本当に投稿すべきかどうかと考えることも必要です。
最後の項目は、社会における報道機関の役割について述べられています。
立法・司法・行政という三つの国家権力に加え、それらを監視する役割を報道機関は持っており、それが三権に続く「4番目の目」つまり、第四の権力です。
民主主義という言葉自体、堅苦しい印象があり、自分に関係があるとはいままであまり考えたことがなかった私。しかし、国民に政治の主権を委ねる国家体制という意味を持つ民主主義はむしろすべての人に関係するもので、3つの権力が正しく機能しているかを監視し、報道機関が事実を報道することで国民が三権の活動を知ることができ、それによって初めて国民が政治の主権を持つことができます。
2の「知るべきこと」と「知って嬉しいこと」の違いにも通じることですが、情報を受け取る側からすると、自分にとって「知って嬉しいこと」を受け取りたくなってしまうものだと思います。
それに甘んじて、報道する側が長期的に見て「知るべきこと」を伝えず、多くの人々がいま「知って嬉しいこと」を報道しているのを見ていると、その情報は未来にどう繋がっていくのだろうと思ってしまうことがあります。情報は消費され続けるものなのでしょうか。
このように考えると情報を受け取る側の視点も、発信する側の視点もどちらも重要で、つながっていることに気付かされました。
人生のスピードを一人で調節するのは難しい
手習い塾のレクチャー回では、現地のデンマークの方から話を聞くことで、デンマークの文化や考え方を、異なる地域のこととして聞くことで、「私だったらどうしたいだろう」「どういうことをしたらより心地よい方向に行けるんだろう」と考えることができたように思います。
また、農家さんの声や、安全に議論できる土台など、新しい知識を得たあと少人数で感想を共有し合う時間があり、その日の学びをグッと自分に引き寄せることができました。学んだことの輪郭がより鮮明になっていく感覚が心地よかったです。
こんなふうに多くの学びを感じられた私ですが、正直にいうと受講前は、「手習い塾」のコンセプトである「立ち止まる・呼吸する・整える」ことが自分に必要だとは感じていませんでした。日常的に日記をつけていることもあり、私は毎日立ち止まって考えることができている、と思っていたからです。
ところが実際に参加してみると毎回急ブレーキをかけられる感覚になりました。終わってないタスクがあったまま受講しているときもあったのですが、ペアを組んだ方から話を引き出してもらうことで、半ば強制的に立ち止まって、過去や未来の自分に向きあう機会ができたことはとても貴重な機会になったと思います。
そして、全6回に渡る講座の最後にニールセンさんが口にした言葉に私は希望を感じました。
「幸せへの道はない」
人生は地続きで続いていくもので、劇的に変わることはなく、自分の行動やそれによって生まれた周りの状況によって導かれていくもの、という意味で力強くも優しいメッセージを参加者に与えてくれました。だからこそ私は、望む方向に進みたい、と強く感じました。
「手習い塾」は現在第3期が始まりました。単発参加可能なレクチャー回などもあるため、気になる方はウェブサイトをご覧になってください。
いまどんな状態であっても、立ち止まる習慣を持ち、新しい知識とともに、自分自身や仲間とのコミュニケーションを通じて、どう生きていくかという大きくて複雑なテーマに向き合う時間を取ってみてはいかがでしょうか。
“いま”から地続きに続いている未来は、“いま”のあなたにしか掴めないのですから。
(Text:茂出木美樹)