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みんなでお金から自由になる。「廃材エコヴィレッジゆるゆる」傍嶋飛龍さんとの対話(後編)

NPOグリーンズの合言葉でもある「いかしあうつながり」とは、関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性のこと。それをみんながデザインできるような考え方、やり方をつくり、実践し、広めるのが、NPOグリーンズの新しいミッションだ。

とはいえ、それってどんなこと? 発案者の鈴木菜央も「まだわからない(笑)」という。「わからないなら、聞きに行こう」というわけで、鈴木菜央が「いかしあうつながり」「関係性のデザイン」に近い分野で実践・研究しているさまざまな方々と対話する連載。第3回目は「廃材エコヴィレッジゆるゆる」の傍嶋飛龍さんです。

ゆるゆるのはじまりとその全貌について伺った前編に引き続き、後編をお届けします。これからのコミュニティのあり方について二人の対話は深まりました。

傍島飛龍さん

「それぞれ好きなことをやっているだけで
成り立つコミュニティ」をデザインする

鈴木菜央(以下、菜央) パーマカルチャーは資源を生かすって考え方じゃない。飛龍くんは参加者の側の、面白がりたい、楽しみたい、つながりたい、仲間つくりたいとか、そういう気持ちを上手につなげて、流れにして形づくってる印象があるね。

傍嶋飛龍(以下、飛龍)さん そうかもね。だから、観察はすごいしてるかもしれない。それで何か問題が起きた時には、言葉でいうんじゃなくてデザインで解決しようとするかな。

例えば、入り口からの地面が土っぽくて、人が大勢来ると泥を靴で引っ張ってきちゃって、ゆるゆるの中がすごく汚れてたんだよね。毎回掃除が結構大変で、これは掃除をさせるっていうデザインよりも、汚れないデザインをどうつくるかが大切だと思った。それで庭に置き石をつくったら、汚れが1/10ぐらいになったね。そういったデザインで解消できることがあると思っている。

DIYした庭の置き石

菜央 それすごい良いポイントだね。例えば、「土の上通らないで、こういう風に歩いてきてくれ」って1人ずつに説明すれば、その場は解決するけど、ずーっと言い続けなくちゃならない。あとは例えば怒るとか、いろんな選択肢がある中で、ナチュラルに行動を促される方法だよね。デザイン用語でいうとアフォーダンスっていうけれど、アフォーダンスをつくるみたいな。普通に歩いてきたら、自然と土を持ち込まない。そういう言葉とかではなくて、デザインで解決するっていうのは、素晴らしいね。

飛龍さん 世の中がルールだらけで息苦しくなってるから、うちはほぼルールをつくらないようにしてるんだよね。そこはポリシーを持っていて。

菜央 ルールじゃないんだね。

飛龍さん そう。自然と良い流れが生まれていくにはどうしたらいいだろうって考えて動いてるかな。ルールに合わない人が排除されているように感じてしまったり、義務感を感じてしまうような状況を生ないようにしたいというか。だから、みんなが基本的に好きなことをやっていて成り立つデザインって何だろう、ということをすごく考えてるんだよね。

菜央 なるほど。それは一番、高度な方法だね。

飛龍さん そう、ある種高度だなと思いながらね。だから、みんなそれぞれ好きなことをやって、基本的にはやりたくないことはやらないでいいと思ってるんだけどね。それで「今日疲れてるからやりたくない」ってみんなが言える雰囲気であることがすごく大事かなと思ってる。

ゆるゆる村民集合写真

菜央 現代社会のベースになってる哲学は、「人間は放っておくとろくでもないことをするから、ルールや罰則でしばろう」というものだと思うの。学校でも、大人になって社会に出てからも、そういうベースにある中で、みんなが好きに動くことで成立するとか、みんなが好きに動くことで幸福度が増すっていうのは、なかなか受け入れられない哲学だと思うんだよね。むしろ排除しようとする力が働くぐらいの、はっきりいって革命なんだよね、これは。

みんなが好きに動くっていうこと、これ僕らもグリーンズで一部実践してるし、僕の地元の「パーマカルチャーと平和道場」でもこれが大きなテーマなんだよね。みんなが好きに動くことを通じて、どうしたらハッピーな社会が続いて、より大きくなっていくか、ということを考えてるんだよね。

「指標は幸福でお金はツールになる」
これからのお金との付き合い方

菜央 うつ病に代表されるような現代社会の病って、ほとんどみんなが好きに動けない、魂を解放できないからなってしまうことがめちゃくちゃ多くて。「僕はこれやりたくない」とか、「これは僕には合わないから拒否する」とか、言えないんだよね、社会の中で。それは、お金というシステムへの従属とセットになってると思う。

お金というシステムに従属していて、お金を使って食べ物も買わなきゃいけないし、家も維持しなきゃいけないし、子どもの教育も実現しなきゃいけないし、なんなら冠婚葬祭とか、友だちの結婚式、葬式もお金が必要。すべてにお金が必要。そのシステムを拒否する動きで、今引きこもりとか、YouTuberもそうだと思うけど、いろんな新しい動きが出てきてる。みんなが好きに動くことを通して、本当に社会が実現するのかっていうのを実験するっていうの、僕はすごく大事だと思う。

飛龍さん うん、そうなんだよね。実際にやってみると、結構心地良いい空気になる感じはあって。それからお金というのは、幸福度を下げるツールだなという感じがやっぱりするね。

ゆるゆるでも色々試したのよ。地域コミュニティ通貨をやったり、ブロックチェーンを使ったピースコインというアプリもやって。だけど気持ちや感謝を数値化してやりとりすることは、自分自身は少し違和感を覚えた。数字があることで比較が生まれてしまうから。

そこで数字をやめたコミュニティ通貨のアプリの話を聞いたんだけど、数字の代わりに木や森なんだって。何かすると、「じゃあ、木をあげるね」とか、そこに鳥がいるとかそんな感じ。自分のアプリを開くと、気がついたら森ができてってるっていう。それはいいなあと思ったんだ。でもそういう感覚が成り立つためには、ベースとしての安心感をどうつくるかということが大事だよね。

経済を拡張させるために、大家族というコミュニティがばらばらになって、そうすると子育てのデザインで苦しむことがあって、そこでまた離婚が起こって、より孤立化が進んでいく。その先に、幸福度が低い社会がある。大元はお金からやらされてる、ってことがすごくあるんじゃないかなという感じがしていて。これからは脱経済というか、指標が幸福であって、お金というツールがおまけである、というぐらいになっていくべきだな、と思っているね。

敷地内での野菜の自給プロジェクト。廃バケツや壺の廃材をプランターにしている

菜央 そうだね。お金は超便利でさ、お金がない世界はそれはそれで大変だと思うんだよね。パイロットの友達がいないと飛行機乗れない、みたいな世界は大変でさ。お金払ってるから、友達じゃないけど来たタクシーに乗ることができるとか、そういう部分も当然あるんだけど。

お金というのが数ある幸せをつくり出すやり方の1つで、それを上手に使う。お金に関わると不幸が増す、と考えたときに、自分のお金との関わり方の量を調節できるといいよね。今月はもうちょっと働いておこうかなとか、今月はいいやとか、ちょっと最近疲れたからもうちょっとしばらく違うことしようとか。そんな風にお金と関われたらいいよね。

「これからのコミュニティのベースは信頼」
安心して自分を表現できるようになるには

飛龍さん 新型コロナウイルスが流行し始めて、みんなが自粛していて車に乗らないし、工場も動いてないから環境が良くなってるって話があるよね。新型コロナウイルスの流行前は、経済が過激になっていて、これ以上右肩上がりにはならないっていう状態だった。少し陰謀論めいた方向から見てみると、このままの経済モデルを続けると地球が壊れてしまうから、どう沈下させるか考えた先に、今回の疾病騒動が生まれたんじゃないかなとも思えるよね。この状況になって、みんなが立ち止まったところがある。

菜央 本当にそうだよね。大体の病気の原因は孤独らしいんだけど、孤独と、お金への依存と、自分を殺して働くこと、結局それが病として現れるっていうのが、全部つながっててさ。孤独をまず1番最初に解消すべきなのは、自分自身と出会ってない人が多すぎると思うのね。自分が本当に何を求めてるのか、自分の心が、ワクワクして止まらなくなるようなことが何かを聞けていなかったり、見つけるのが怖かったりして、見つけてないんだよね。見つけると今の生活が破綻しちゃうから。

だけど、本当に自由になって、何してもいいよと言われると、はじめて、あ、俺何やりたいんだろう? と考えるようになる。これに心惹かれるなとか、これは心惹かれないなとか、感じているうちに、だんだんどうしようもなくこのことがやりたくてしょうがないぞ、ということがわかってくると思うのね。そういうことをみんなができる場がある、そういう社会になってほしいんだよね、僕は。

集落の耕作放棄地をお借りして大豆と麦の二毛作と藍を育てる部「あの畑部」部活風景

飛龍さん うんうん。人間の最初の感情って、恐怖だって言われてるんだよね。お腹から守られてて、産まれ出された時に恐れで泣くっていう。生物のデザインとして、恐れっていうのは生きていくためには必要な感情で、怖がってないと崖から落ちたり、何かやらかしたりしてしまうから、生物としては必要なデザインがされていて。

その後にあるのが、信頼。親との関係性で、「よしよし」ってされて、この世界で生きていても大丈夫だよっていうのが育まれることによって、この世界に安心して生きていけるようになる。

虐待を受けた子どもの話で、基底不安っていう言葉があって、最初に「よしよし」されない状態はこの世界が恐怖でしかない。そういう視点でしかこの世界と関われなくなった場合、精神も病みやすい状態になってしまう。児童福祉の話でも、虐待されてる子たちが施設に預けられたときに、まずお試し行動っていうのがあるんだよね。わざと悪いことをして、それでもこんな自分を受け入れてくれますか? っていうことをする。それでも「よしよし」されることによって、大丈夫なんだ、生きてていいんだってことを感じると、そのままでもいいんだ、と徐々にお試し行動がなくなっていく。すると基底不安が徐々に和らいでいって、この世界を安心でみられるようになる。

心の世界が変わることによって、構造が変わってくる。恐怖から信頼へ。今の社会自体が、もっとみんながつながりあって、「よしよし」しあえるというかさ、そういうデザインであると、自然と自分たちを表現できるようになるんじゃないかなって俺は思ってるんだよね。みんなでつながりあって、大丈夫、大丈夫って言ってると、なんかちょっと前に足が出始めるようになってくるっていうかさ。そういうつながり、幸せを指標にしたコミュニティデザインや人のつながりのデザインが、幸福度においてめちゃくちゃ大事かなって思ってるけどね。

菜央 そっか。じゃあそれの実践がゆるゆるなんだね。

飛龍さん そうだね。だから「みんなどんどんやってこうぜ」って言っていて。モバイルハウスで生活したいみたいな人が来たら、応援するぞって。そうやって自分を表現できる人が増えていった先に、それを見てはっとする人たちもたくさんいるんじゃないかな。またそこで村民たちが助け合いながら、あ、なんか自分を表現してていいじゃん、っていう空気感が、どうしたら自然とつくられるか、ということをよく考えてるね。

「心が揺さぶられてアクションを起こす人を増やしたい」
アートプロジェクトとしての廃材エコヴィレッジ ゆるゆる

菜央 これは意地悪な質問なんだけど、「飛龍くんだからできるんじゃないの?」って言われたらどう答える?

飛龍さん そうだね、場づくりって発起人の思想の影響が強いと思うんだよね。藤本遼くんが書いた『場づくりという冒険』(グリーンズ出版)を読んで面白かったんだけど、あれも、それぞれの場づくりをした人たちの人生に色々あって、その思いのもとに場をつくってるんだよね。多様なコミュニティが存在していて、自分に合うところを見つけられるのがすごく理想的だなと思ってる。

自分は自分でこの廃材エコヴィレッジっていうスタイルをやってるけど、他に例えば、すごいアニメ好きが集まるコミュニティがあっても良いと思うし、起業家たちのコミュニティとかさ、そういう自分に合う場みたいのが自然と見つけられたらいいよね。さっきの孤独の話じゃないけど、例えば引きこもりの人たちだって、ネットを見ることによって人とのつながりを感じることがあって、やっぱり人はつながりを求めてると思うんだよね。

菜央 例えば、コミケみたいな同人誌コミュニティとかあったりするわけじゃん。それは居場所になってると思うし、自己表現の場になってるし、すでにやってみなよの世界があると思うのね。でも印刷にお金かかったりとか、普段の暮らしで大変さを抱えてる人もいっぱいいる。

好きなことにのめりこんでるからこそ、普段の生活は仮面を被ってなんとか凌がないといけない人も、いると思うんだよね。要は、自分自身でいることができる場所とか、やってみなよって言ってくれる場所はあるんだけど、お金システムの中で生きざるを得ない難しさがある。

ゆるゆるはさ、お金システムから抜け出す方法を実験していて、だからこそ余計に自由になれる。ゆるゆるが特別だなって思うところは、具体的にお金依存から脱却することを楽しみながら学べてるんだよね。

パーマカルチャーって言葉が良いかわかんないんだけど、自然とつながる技術とか、人とつながる技術とかを、みんながちょっとずつ学んでいって、環境を毒さないかたちで好きなことをやれる。環境も悪くならないし、みんなが食っていけるし、困った人がいれば助け合える余裕があるし、みたいな社会を、グリーンズとしてはつくりたいと思っていて。そのための手法として、関係性のデザインとか、いかしあうつながりのデザインがあると良いんじゃないかと思ってるんだよね。

孤独には、自分自身とつながってない孤独と、人とつながっていない孤独と、自然とつながってない孤独っていう3種類があると思うのね。自然から生かされてる感じとか、周りの人とお互いに助け合って、自分の居場所にもなってるし、誰かの居場所もつくってあげられてる感覚。それをつくり直すには今僕らがどういう風にお金と向き合うのかとか、どういう風に暮らしをデザインするのか、どういう風に自分の周りのコミュニティをデザインするのか、っていうのを学べるような場所をグリーンズでつくりたいのね。

だからこの記事がまさにそうなんだけど。記事読んだだけで人生変わるわけじゃないけど、入口として、そこから興味もって次に動いてくれたり、きっかけになると思う。学べる場をみんなでつくったり、ゆるゆるみたいなことを、僕の興味分野でやってみたいっていう人を増やしたいのね。

だから、ゆるゆる的には、その、飛龍くんだからゆるゆるが実現してるんじゃないかみたいなことに、ぜひ反論してほしいわけ。

ゆるゆる外観

飛龍さん 俺は芸術一家で育ってるから、アートの視点で物事を捉えているんだけど、廃材エコヴィレッジ自体も、1つアートみたいなものだと思っているんだ。アートって人に何かを感じさせるものなんだよね。

菜央 ほう。

飛龍さん 心を動かすものじゃん。だから自分はここを表現することによって、人の心が動くことを実現したいと思っている。だからちょっと僕自身も独特な感性でアプローチしてるところがあるから、難しいね。この場に来て体験してもらった先に、心が動いて何かを始める人がいたりとか、今回のグリーンズの記事でも、ちょっと1回行ってみよう、みたいな感じで現場を感じてもらったりして、何かその人の心が揺さぶられて、アクションを起こす人が増えたら、俺はそれでもう、1つアートとしては成功してるなって思うかな。

釘抜き作業中

菜央 なるほどね。作品なんだね。

飛龍さん そうそう、作品として捉えてるかな。

菜央 完成した、額縁の中の作品じゃなくて、常に動いてて。

飛龍さん そうそう、終わらない。流動的に動き続けていて、進化し続ける。

菜央 もはや参加者もアートのうち。

飛龍さん そう。だからすべてプロジェクトがアートだと見ているところがあって。

菜央 でもあれだね、みんなが「人生は全部アートだ」って言っちゃえば。

飛龍さん うん。アートなんですよ。だからもう人生はアートだって、ほんとに。だからみんなそれぞれが、自分の作品を生きながら描いてる、って俺は思ってるんだよ。アートって面白くてさ、真っ白な画面に対して筆を動かそうとすると、その人の思い込みで絵を描くしかないんだよね。

だから風景画を描くかなと思って始めたりとか、いやいや、こう抽象的にやってみようとかさ、その人の思い込みで描かれてる。それがアートなんだよね。だから生きることも1つ思い込みで生きてるところがあって。その思い込みに対して、息苦しくなったら、全然ぶっ壊してもいいもので。芸術は爆発だ、じゃないけど。俺にとっては、常に創造的である状態がアートだと思ってるから、完成したものが1つのアートっていう捉え方はしていなくて。例えば絵画の作品があって、それは芸術家が時間をかけてつくったものだとしても、観る人がアートを始めるんだよね。

菜央 へぇ。

飛龍さん そこにアートがあるんだよ。

菜央 それすごい、僕にはその視点はなかったな。誰かが描いたとして、その絵だけがアートじゃなくて、観る人の見方がアートなんだ。

飛龍さん 感想がみんな違うでしょ。そこにアートがあるわけよ。

菜央 面白いね! なるほど。

飛龍さん それも思い込みですから。例えば同じ風景画が飾ってあったとして、誰かが亡くなった後に観たら、その風景画が違うような感覚で立ち現れて来たり、心が変わると視点が変わるっていうそれがアートだしね。じゃあアートってなんだ? ていう問いってすごく面白いと思っていて。だから人生をアートだっていう視点で生きていくことって、すごく面白い、ってみんなにそれを伝えてるんだよね。

菜央 なるほどね。

飛龍さん 廃材エコヴィレッジって、無価値なものに価値を与えるっていう、ゴミからつくってるってことが1つメッセージ性として面白くってさ。ゴミと思われたもの、つまり、もう人が価値がないって思い込みを植え付けられたものをもらってきて、価値があるものに変えていく。それはすごくアートな作業だし、そこから何か感じられるものって、例えば、自分が無価値だって思ってても、創造的な視点を持っていれば、何か見つけられたりするかもしれない。本質的には、常に探してるっていう状態が、最もアートだなって思う。

廃材でできたゆるゆるの室内

菜央 いいね。

飛龍さん だから、あらゆる人たちがそういう感覚であることって、すごく大事で。そこでは結果というものが、どうでもよくなってくる。たどり着かなくていい、常に旅をしてる状態に変わっていくことが、最も「人生はアート」な状態だって。

菜央 旅に近いか。旅は別に目的地ないしね。

飛龍さん そうそう。感じてるっていう状態じゃん。俺が好きな岡潔さんって天才数学者が、「人生で大切なことは情緒だ」って言っているんだけど、この情緒ってアートだなと思っていて。だって情緒って、その人の心の中で味わってるものじゃん。それこそまさにアートだなって感じて。つながりあって、「あ、こうやって皆を信頼していけば、とらわれていた感覚から自由になって飛んでいけるんだ」っていう感じが、その人のアートが始まるところ、俺は見てて気持ちいい。そういう現象をつくりたいって思ってる。それが廃材エコヴィレッジゆるゆるかもしれないね。

菜央 どんなことを感じてもいいし、どんなことをやってもいいわけだよね。

飛龍さん そうそう。もちろん人間って、弱い部分もたくさんあるから、つながりあっていくことで、誰かがやらかしちゃうこともある。でもそれを見て、ああ、俺もやらかしても大丈夫かもなって思える。みんながしっかりしてるとさ、ちょっと生きづらいなって思っちゃうかもしれないけど。そういう意味では、ゆるゆるは不器用なやつもたくさんいるしね。

菜央 あ、グリーンズのコミュニティとか、道場のコミュニティもだけど、不器用な人も集まってくるよね。

飛龍さん そうそう。その人が認識してる世界が、アートされていくことが最も価値があると思っていて。結果なんかどうでもいいんだよね。すごく不器用な人が、何か少し踏み出し始めたことって、その人の世界が大きく変わっていくってことだからさ。

菜央 一番キラキラ輝いて見えるね。

飛龍さん そうそう。それだけで美しいって思う。

菜央 美しいね。

飛龍さん うん。そういう感性でいることってすごく大事で。経済の社会は結果を求められるというか、そのマインドに毒されてしまった部分がある。幸せを指標にって考えたときに、結果は関係なくて、その人のハートがアートされ始めた時、それをみんなでつくっていけるようになった時って、世界は輝くなあ、って思うよなあ。

菜央 すごいなあ。そっか、輝くね。間違いなく輝くね。

飛龍さん 輝いてる。みんながそれぞれ輝いてる世界が見えるようになってくる。多分、そんな世界は目キラキラしてんじゃないかな、と思うよね。

菜央 何が始まるんだろうね、そこで。いろんなことが始まりそうじゃない?

飛龍さん ね。そういう状態になった時って、人は満たされ始めると思うんだよね。みんなで支え合ってる部分があると、満たされながら歩んでいく。その状態って寛容さも生まれてくると思う。枯渇してる状態って自分自身を削っちゃってるから、人に対しても厳しく、怒りっていう感情が出てきたりするけど、満たしあってる状態であれば、みんな寛容になると思うね。そういう社会やコミュニティがどうしたらつくれるかはよく考えているよ。

菜央 どうやってつくれるんだろうね。自分がどういうときに心が嫌だなって思ってるか、どういうときに心が開くか、何にワクワクするか、そういう自分の心の観察や、この人はなんかすごく満たされてないみたいだけど、何のニーズが満たされてないのかな、とか周りの観察をする。自分の暮らしをちょっとずつリデザインしていくツールや場を提供することが、グリーンズとしての役割かなと思うね。

飛龍くんの話を聞いてると、飛龍くんは教育者だね。そういう言い方は合わないだろうけど。何か教えてるっていうわけじゃなくて、自分の中でみんなが何か見つけられる場をつくる、みんながそこから変わるっていうことが一番本質的な変化だと思うから。

飛龍さん そういう変化が自然と巻き起こっていく場をデザインしたいね。

菜央 実現し始めてるんじゃないの? ゆるゆるの周りで、モバイルハウスつくって旅に出る人がいて。彼らも旅に出た先でさ、旅ということを通して、その人の表現をずっとし続けているわけで。また向こう行った先々でさ、なんだこれ? っていう話になって、こういう風に自由になれるんだ、みたいな話が、また広がってくだろうしさ。

モバイルハウス製作ワークショップ

飛龍さん そうだね。よく「なんかあったらここに来い、来れば大丈夫だから」って言ってあるの。野草とみんなからもらった飯はあるからって。その言葉だけでも勇気が湧いてくるっていうか、セーフティネットになるんじゃないかなと思っていて。

多分昔コミュニティの中にあった神社とかお寺さんとかってそういう感じだったんじゃないかな。多分、僧侶が寺子屋やって、子ども預かったりとかして、みんな農的な働き方してて、野菜をもらって生きてた、みたいな。そういう場が、現代に必要なんじゃないかな。そういう、経済から解放されてるのがお寺であるべきじゃないかなって思っていて。そういうのがなかなかないから、自分でコミュニティや場づくりをしたら、何かが変わっていくかなっていうのは、やりながらどんどんその思いが強くなっていったね。

村長が何もしなくても楽しく回っている村
究極の「隠居デザイン」

菜央 じゃあ、最後に、これからゆるゆると傍嶋飛龍はこんなことやっていこうと思っているよ、っていうのを聞かせてもらえるかな。

飛龍さん 空き家を買い取らせてもらって、そこに若い人が住みながら、自分のやりたいことに1年ぐらい挑戦できる、そういうシェアハウスをやりたいのが1つプロジェクトとしてはある。

菜央 集落シェアハウスみたいな。

飛龍さん そうそう、集落シェアハウス。で、1年限定にしようかと思ってて。

菜央 へえ、入れ替え制。面白いね。

飛龍さん アクションを起こす人を増やしたいんだよね。世の中で表現する人を増やすことによって、種がまかれていく、そこに花が咲いていく、というようなことがやりたくて。それを若い人、だいたい35歳以下ぐらいで考えてるけど、その人たち限定のシェアハウスをつくることが、今一番近いところで考えているプロジェクトかな。

最終目標はね、ゆるゆる村長は何もしなくても、なんか楽しい感じで回ってるみたいな。全然飢えてないな、っていう、それが一番の隠居デザインだと思う。

菜央 隠居デザイン(笑) 葬式から逆算するデザイン、みたいな。

飛龍さん そう。ええなあ、ええなあ、って言ってるだけで。だから「村長」って言われてるけど、ほどんど何もやってなくて、自然と何かが動き始めちゃってるっていうのが理想で。その隠居デザインをどうつくるかっていうのは今よく考えてることだね。

菜央 いわゆるリーダーシップ論みたいな話からみても面白いよね。飛龍くんはリーダーじゃないかもしれないけど。面白いね。

飛龍さん うん。種まき作業だね。

菜央 うん、人生は種まきだね。

(編集: 福井尚子)