放課後、子どもたちはどこでなにをしているんだろう?
娘の小学校入学をきっかけに浮かんだ問いを携えて、私は「放課後のいま」の取材を重ねてきました。前回の記事では、学童保育の待機児童が急増し、“自宅でひとりで”過ごすことの多い日本の子どもたち現状を知ることから始め、「放課後NPOアフタースクール」がつくる子どもたちの居場所を訪ね歩きました。(記事はこちら)
そこで目にしたのは、自らの意志で遊びを選び取り、ルールさえも自分たちで決めるようとする、いまを生きるエネルギーに満ちた子どもたちの姿。そしてその横には、いつも彼らの力を信じ、問いかけ、どんな制約の中でもクリエイティブに子どもたちの自由を実現しようとする大人たちの存在がありました。そこに私は、放課後の未来への確かな希望を感じ取ったのです。
今回は一連の取材の集大成として、「放課後NPOアフタースクール(以下、アフタースクール)」の代表・平岩国泰さんへのインタビューをお届けします。
15年以上に渡って学校を舞台にした子どもたちの放課後づくりを積み重ねてきた平岩さんが考える、「放課後を子どもたちの手に取り戻すために、私たちができること」とは?
問いの核心に迫ります。
東京都出身。1996年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社丸井入社。長女の誕生をきっかけに、子どもたちの世界を豊かにすることに人生をかけ、放課後NPOアフタースクールを起業。これまでに21校のアフタースクールを開校。 2019年新渡戸文化学園理事長就任。2017年より渋谷区教育委員。2019年『自己肯定感育成入門』出版。2児の父。
好きな食べ物はしらす、明太子、しめじ、ソフトクリーム。苦手な食べ物はタケノコ(全国のタケノコ好きの皆様、誠に申し訳ございません)。
僕の放課後は、まさに“ゴールデンタイム”だった
インタビューの初めに、私は平岩さんの原点を聞いてみたいと思いました。子どもたちの放課後に課題意識を抱いた根底にある原体験とは?
平岩さん 私が子どもだった頃は「小学生になると子どもだけで遊んでいい」というのが、なんとなく社会の共通認識だったんですね。だから僕も1年生になったらランドセルを家に放り投げて、「行ってきます!」って、親に行き先も告げずに外に飛び出していくような毎日を送っていました。
行く場所はもう決まっていて、近所の公園か神社。約束しなくても行けば誰かがいるので、まず集まって「今日何する?」から始まるような感じで。そこで自分が、みんなが楽しめる遊びを提案できると嬉しいんですよね。当時は強く意識していたわけじゃなかったんですけど、そんな感覚があったかな、と思います。
3年生にもなると、今度は自転車に乗って、もっと遠くへ。プールに行ったり、お小遣いを握りしめて文房具を買いに行ったり。5時の鐘まで全力で遊び切り、みんなで家路に就く毎日だったと言います。
平岩さんの出身は東京の赤坂。いまとなっては想像もできませんが、都会のど真ん中でもそういった“昭和の放課後”の光景があったと、当時を振り返ります。
平岩さん 赤坂には神社も公園もありましたし、そこで子どもが遊ぶのが当たり前でした。時々、「うるせー!」って怒られたりしたこともありましたが、自分たちで決めて自分たちで遊んでいたので、子どもも「社会の側に入れてください」という意識だった。だから、怒られるのは当然と思って受け取っていましたね。その中でなんとなく、社会のルールを学んでいたんだと思います。
平岩さんにとっては、この原体験がいまのアフタースクールのビジョンである「放課後はゴールデンタイム」につながっているそう。
平岩さん まさに“ゴールデンタイム”だったと思うんです。時間もたっぷりあったし、いろいろなところに遊び場があったし、居場所があった。川とか海のような自然はなくても、道路も駐車場も、僕たちにとっては居場所だったんですよね。
“お客様”になり、居場所を失った子どもたち
平岩さんの原体験の中で私の心に残ったのは、「自分たちで決めて自分たちで遊んでいる」という感覚のお話。習い事や塾通いに追われ、まちに居場所を失ったいまの子どもたちは、その感覚を失ってしまったのだと感じました。
平岩さん そうですよね。いまは逆で、大人が設定した場があるので、子どもはその抜け目を探すようなところがあります。主客転倒と言いますか、主役だった子どもが“お客さん”になったんですよね。
広場でやっていた野球やサッカーが、いまではチームに所属しないとできないものになり、子どもは “お客さん”になった。この数十年で、社会が変わり、過ごし方が変わり、子どもたちの意識も変わってしまったのです。
平岩さんがこういった放課後の変化に気づいたのは、1人目のお子さんが生まれた2004年のこと。子どもの連れ去り事件が全国各地で多発したタイミングでもありました。
平岩さん 社会全体に恐怖心が拡がっていましたし、私自身も記事を見るたびに絶望的な気持ちになりました。事件がいつ起きているのか調べてみると、ほとんどが下校時や放課後の3時〜5時だったんです。そこで初めて、「あれ? 放課後が?」って意識しました。
子どもの“ゴールデンタイム”だった放課後が、いつの間にか“魔の時間”に変わってしまった。そう気づいた瞬間から、平岩さんの目に映る景色は一変しました。
平岩さん 改めて見てみると、放課後の公園に子どもがいないんですよね。目にするのは、夜10時くらいに塾帰りの電車で騒いでいる子どもたちや、図書館の前に座り込んでゲームをしている子どもたち。「ここはそういう場所じゃないよ」とも思いますが、それがいまの社会なのかな、と思ったり。放課後に対する問題意識がどんどん湧いてきました。
そんなときに耳にしたのが、アメリカの「放課後NPO」の取り組み。現場を取材した友人から、学校を舞台に市民先生による多様なプログラムを提供するアフタースクールの取り組みについて聞きました。
そのときの心境を「団子に串が刺さった」と表現する平岩さん。自分の問題意識と解決策に脳内で串が刺さった感覚です。当時は会社員という立場でしたが、「まず自分がテスト的にやろう」と、市民先生を探し、小学校に電話して、参加者を募って…。学校からは不審者扱いを受けたこともあったそうですが、構想から約10ヶ月後の2005年11月、なんとか1回目のプログラム開催にこぎつけました。
平岩さん 学校には全く取り合ってもらえず、最初に実現したのは公民館での料理教室でした。2ヶ月くらいかけた連続プログラムだったんですけど、そこに通っていた子が市民先生の和食の職人さんに「君がいないと困る」と言ってもらって、すごく自己肯定感が上がって元気になったんですね。「アフタースクールってなんて素晴らしいんだ!」って、僕のもうひとつの原体験になりました。
予定調和のない、余白たっぷりの時間を子どもたちに。
公民館で週1回からスタートしたプログラムも、回を重ねるうちに共感してくれる人々が増え、2007年には念願だった公立小学校での開催も実現しました。2008年には、その功績と社会的意義が高く評価され、グッドデザイン賞・キッズデザイン賞を受賞。これをきっかけに企業からも声がかかるようになり、翌2009年にはNPO法人化して本格的に活動を開始しました。
その後も着実に活動を積み重ね、これまでにアフタースクールに参加した子どもたちは、のべ100万人以上。2021年までに21校の小学校に開校し、市民先生や企業とのコラボレーションによる多様なプログラムを用いた子どもたちの豊かな放課後づくりを展開しています。
料理に始まり、工作や手芸、書道、ダンス、プログラミングまで、さまざまな放課後プログラムを提供し続けてきたアフタースクール。コロナ禍をきっかけに、全国の放課後をつなぐ数々のオンラインプログラムも実現してきました。学校を舞台にするという大きな特徴に加え、通常の習い事とは異なるこだわりがあるようです。
平岩さん 放課後なので「本物を」ということを意識しています。たとえば最初の頃は“衣食住”をやりたいと思っていて、“住”として学校の中に本物の家を建てようということになりました。そこで大事なのが、「失敗してもいい」ということです。結局1年かけて家を建てたんですが、実は完成しなくても、誰も困らないんですよね。
プログラムをやったら成功裏に導かなくちゃいけないかと言ったらそうではなくて、僕らは学校の先生と違って成績をつけるわけでもないので、どんなかたちで終わってもいい。失敗しても学びが十分にある。そこが放課後の面白いところだと思います。
たとえば料理教室でも、ただつくるだけじゃなく、「今日は何つくる?」と考え、材料を買いにいくところから始める。結果としてその日は話し合いで終わってしまってもいい。そんなあり方が、平岩さんがこだわる“本物”です。
平岩さん そういう予定調和のない世界が昔の放課後にはあって、その中で対応力を学んでいたと思います。それに対して、いまの子どもたちは大人がお膳立てした予定調和が多い世界で生きている。学校も習い事も、ゲームの世界もみんな失敗させないように組まれています。
もちろん成功体験も大事ですが、失敗から学ぶこともたくさんあります。だからもっと失敗できる余白が社会にあったほうがいい。学校も先生も子どもたちも親も、いまの社会には余白がないことがとても気になっています。余白があることは、子どもに選択する余地があることにつながりますから。
子どもたちは、予定調和的な世界や余白の無い社会を敏感に感じ取っていると平岩さんは語ります。実際、公民館で開催していたお菓子づくりのプログラムに、あるときから子どもたちが集まらなくなったことがあったそう。その理由を聞くと、「簡単過ぎてつまらない」と言われたのだとか。
平岩さん そのときは材料費をもらってやっていたので、僕らも「美味しいお菓子を持ち帰ってもらわないといけない」と思って、子どもは混ぜるだけでいいくらいに下準備しちゃったんです。そうしたら「つまらない」と。こんなに準備しちゃいけないんだな、黒焦げになる日がある方が面白いんだな、と気づきました。
逆に編み物には子どもが集まっていて、「難しいから面白い」と言うんですよね。確かに思ったとおりにできないし、時間もかかりますが、自分でつくったマフラーは編み目がガタガタでも愛着が湧くんです。
大人は必ず成功しなきゃいけないと思っているけど、そうじゃない。子どもは予定調和じゃないほうが面白いし、もっと“上手くいかないこと”をやったほうがいいんですよね。
本物の経験や失敗できる余白から生まれる上手くいかない経験が、子どもたちにとっての価値に変わっていく場づくり。これが、予定調和され、余白が失われてしまった子どもを取り巻く環境に抗うように、アフタースクールがつくり続けている放課後のあり方です。
平岩さん 心がぐーっと楽になるような時間であってほしいです。「あれしなさい、これしなさい」ではなくて、「そのままでいいよ、そこに座っているだけでも昼寝していてもいいし、やりたかったらやっていいし、失敗してもいい。でも安全だけは頼むね」って。放課後は、そういう場であってほしいですね。
放課後の専門性をいかし、制約がある中での自由を実現する
子どもを預かり合うような地域のつながりがなくなり、共働き家庭が増える中で、学童保育の待機児童数が増え続けている現代の日本。待機児童解消のためにも、放課後の時間を塾やゲームに依存している状態から脱却するためにも、アフタースクールのような放課後デザインの取り組みが必要不可欠です。
文部科学省と厚生労働省が制定した「新・放課後子ども総合プラン」については前回の記事でも紹介しましたが、そこで気になるのは、放課後を担う大人たちの専門性です。放課後の居場所をつくっても、子どもにとって不自由で居心地の悪い場であっては意味がありません。私が見学したアフタースクールの現場には確かに子どもの自由が保障されているように感じましたが、その場を担う大人の力量によるところが大きく、ある意味属人性の高い場づくりであるようにも感じられました。
子どもにとって安心で豊かな放課後の場を拡げていくためのヒントを探るため、放課後を担う人物像についても聞いてみました。
平岩さん おっしゃる通り結局「人」が大事ですので、私たちの採用においては、まず「子どもの成長に情熱のある人」というのは絶対条件。そしてもうひとつ、「子どもたちのいいところを探す」ことを大事にしています。
放課後は苦手なことは置いておいて、学校とは違う自分の好きなことをやっていい時間です。勉強が苦手な子も、思わぬところで力を発揮したりする。「どの子にも絶対にいいところがある」という子ども観を一貫して大事にしています。
「どの子にも絶対にいいところがある」。私が現場でスタッフの方から感じとった「子どもを信じる力」の源には、これがあったのだと感じました。また、もうひとつ私が感じた「子どもと対等」であることについても、平岩さんはこのように語ってくださいました。
平岩さん 大前提として、子どもと大人はひとりの人として対等ですよね。僕も今日遅刻しましたけど(※)、上手くできる日とできない日があるのは大人も同じで(苦笑)
(※)インタビュー当日、平岩さんは止む終えない事情で20分ほど遅刻して到着。息を切らして駆けつけてくださった姿に、そのお人柄を感じ取ることができました。
それなのに日本の教育は、子どもを子ども扱いしすぎるところがあります。「子どもに任せてもできない」、「きっとろくでもないことをする」というように、大人が先回りしてルールをつくる。学芸会や運動会も、時間がない事情はわかりますが、何でも大人が決めちゃいますよね。
それに慣れると、子どもたちは人のせいにするようになりますし、自分で決められなくなっちゃいます。小学校高学年になると大人への不信感を抱く子が多くなりますが、それは「大人の言うとおりにしなさい」という圧力が強すぎるからだと思います。
確かにいまの学校現場では、子どもが「自分で決める」という余地は少ないように感じます。そこに一斉教育の限界も見て取れますが、そういった経験を学校で積むことができないのであれば、放課後こそチャンスだと捉えることもできると私は思いました。
平岩さん 子どもにとってずっとやることを決められている状態はキツいので、放課後はやりたいことを自己選択できる余地のある時間にしていきたいですよね。
「自由は大人が与えるものじゃない」という議論もあると思いますが、いまはつくらなきゃいけない場があるわけです。そこでは人に過大に迷惑をかけることはできないし、危険が大きすぎることもできないし、使ってはいけない施設を使うこともできない。
じゃあその中でどうするかを、子どもたちと同じ目線で、一緒に考えて、一緒につくる。私たちが生きている上で、何もかもが自由ということはないわけです。私たちがチャレンジしているのは、何か「制約がある中での自由」ということだと思います。
まずは大人から、“放課後的生き方”を。
「制約がある中での自由」。いまの時代の子どもの環境づくりにおいて、欠かせないキーワードが見えてきました。平岩さんはいま、自分たちのノウハウをシェアしてこのモデルを拡げることによって、「社会全体で子どもを育てる」という機運を取り戻したいと考えています。
平岩さん アフタースクールを私たちの直営だけで広めるのには時間がかかりますし、結局、人・場所・金というハードルが出てきます。
だから僕たちはお金や場所がついてくるように提言しながら、企業や地域の団体といった新たな担い手に対してモデルをお渡ししてリソースを振り分けていきたいと考えています。ご要望いただければ、どんどんノウハウを提供したい。それがNPOたる所以ですし、私たちがいつもモデルであり続けるための、良い意味でのプレッシャーにもなっています。
「アフタースクールがあればすべて解決」だとは思っていません。自然の中だったり公園だったり、学校ではない放課後の居場所ももっと増えてほしいですし、僕らはその選択肢のひとつでありたい。
放課後に子どもと大人がたくさん出会えば、まちで知り合いも増えて、社会全体で子どもを育てるという機運が戻って来るのではないでしょうか。また子どもが公園や野山で遊べる社会が来るときまで、何年かかるかわからないですが、頑張りたいなと思います。
「社会全体で子どもを育てる」という考え方は、日本人のDNAだと平岩さんは言います。ほぼ単一民族で、島国で、安心して遊べた国だからこそ、「みんなで子育て」が成立した。その安心・安全が失われてしまったいま、必要なのは平岩さんのような、市民と社会をつなぐコーディネーター的存在なのだと感じます。インタビューの最後に、改めて平岩さんが思い描く社会を言葉にしていただきました。
平岩さん まずはとにかく笑顔が多いこと。子どもも大人もよく笑っていてほしいです。そして、自分のやりたいことをやっていいと思える社会ですよね。「あれはダメ、これもダメ」から始まるのではなく、まず「あれやりたい」が保障されている世界。
そのためには、大人にももっと、“放課後”があるといいな、と思います。家と仕事と、もうひとつくらい、自分の余白の居場所があって自分のやりたいこと、義務感を背負わない世界を持てているといい。
もう少し社会が成熟すると、そういう“放課後的生き方”が広まる時代が来るのではないかと思っています。いろいろな人と手を取り合って、その価値を伝えていきたいですね。
放課後のあり方を追求してみたら、行き着いたのは大人のあり方でした。
そう、いつの時代も子どもたちの本質は変わりません。
変わったのは、社会であり、私たち大人のあり方です。
ひとりゲームをしている子どもたちの姿、そして子どもたちが消えた公園を目にしたとき、私たち一人ひとりが何かを感じ取るかどうか。感じ取った課題意識を行動につなげるかどうか。それが子どもたちの放課後を安全で豊かなものにするための鍵となってくることは間違いありません。
あなたの周りの子どもたちは、午後3時半、どこにいますか?
あなたはその姿に、何を感じ取りますか?
(写真: 荒川慎一)
– INFORMATION –
放課後NPOアフタースクールとグリーンズが手を取り、平岩国泰さん、小野寺愛さんのおふたりをゲストに迎えたオンラインイベントを開催致します。それぞれの活動概要、子どもたちの様子、地域連携の話等々、実践者ならではの声を聞くのはもちろん、トークセッションでは、かねてから親交のあるおふたりに、これからの放課後づくりの展望についておおいに語り合っていただきます。「放課後×地域」というテーマに関心のある方、気軽にご参加ください◎