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「豊かさ」を見つめ、生きかたを探る九州旅。地元の人と移住者がまじりあい、あしたのまちの風景をつくっていく大分・佐伯市へ。

みなさん、こんにちは。杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)です。

「ないなら、つくる」をコンセプトに、あったらいいなと思う働き方をつくるmeguriという会社を経営している一児の母です。

この連載は、新型コロナウイルス流行を「自分の生き方を見直す機会」ととらえ、生活拠点を探しながら九州を旅する企画です。東京出身、東京でビジネスをしてきた私が、九州各地のキーパーソンにその土地の魅力や地域との関わり方を伺いながら、「本当の豊かさとは何か」を見つめます。

福岡の門司港熊本の南阿蘇村に続いて訪れたのは、大分県の南東部に位置する佐伯(さいき)市。門司港でインタビューした菊池勇太さんが「農業やりたいのなら佐伯」と教えてくれてやってきました。

日向灘(ひゅうがなだ)・豊後水道(ぶんごすいどう)が育む海の幸、広大な森林や清流が育む山の幸に恵まれ、おいしいものがたくさん。番匠川(ばんじょうがわ)が流れ、ゆったりとしたムードが流れています。また、佐伯藩があったことから歴史的な町並みが残っており、お茶室があるなど文化度の高さがうかがえます。

お話をうかがったのは、中学まで佐伯で育ち、東京からUターンして経営コンサルタント業を行う浅利善然(あさり・ぜんねん)さん、福岡で生まれ育ち、地域おこし協力隊として福岡市から移住した平井佐季(ひらい・さき)さんのお二人です。

浅利善然(あさり・ぜんねん)

浅利善然(あさり・ぜんねん)

1984年大分県佐伯市生まれ。地元佐伯市を中心とした経営コンサルタント業の一方で、佐伯に暮らす人たちの和をより深めるためのコミュニティデザインにも従事。「小さな経済」に焦点を当てコミュニティの力を軸としたマーケティング・プロモーションなどを行いながら、このまちで10年後の未来にも仲間たちと笑い合いながらチャレンジし続けることがミッション。


平井佐季(ひらい・さき)

平井佐季(ひらい・さき)

1988年福岡市生まれ。実家は博多中洲で1885年創業の花屋「花キク」を営んでおり、博多の祭りでは血が騒ぐ生粋の博多っ子として育つ。写真館のカメラマン兼広告代理店営業、大分県中津市耶馬渓町にて水上スキー選手兼インストラクター、実家の花屋を経て、2019年佐伯市に移住し地域おこし協力隊に。水上スキー時代は日本代表を目指している最中の2016年に怪我をするが、「休む」ということを知り、翌年日本代表へ。これを機に水上スキー以外にも目が向くようになり、幸福度を意識し、自分にとって違和感のない暮らしができる場所として佐伯市を選んだ。


杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)

杉本綾弓(すぎもと・あゆみ)

1984年東京生まれ。幼少期より母が鬱病になり、生活保護を受けて暮らす。 16歳より働きはじめ、高校に通いながら小売業の採用・新店立上げ・店舗マネジメントを行う。その後、百貨店のテナントでチーフとなり、予算・前年比割れが一度もなく、次々と売上不振店を立直す。10年の販売職を経てIT業界に転職。物販審査管理部門の立上げ、地域に焦点を当てたマーケティング・プロモーションなどに従事。店舗の業務改善コンサルティングを中心とした事業展開で2014年独立。株式会社meguriを2015年創業。自分自身の病、出産などを経て「うまれた環境やライフイベントに問わず、誰もが働くことができる選択肢をつくる」ことがミッション。

佐伯にだんだん心をひらきはじめ、移住を決めた

杉本 お二人が佐伯市に住みはじめたいきさつを教えて下さい。

善然さん 私は中学生まで佐伯にいたので、Uターンになります。社会に出て3年間は東京で営業していたんですが、忙しさのあまり、心と体がバラバラになってしまって……。その後、兄の手伝いで医療現場でも働き、患者さん一人ひとりに向き合うのはやりがいがあったけれども、「次は誰のために働こうか」と考えた時に、ふるさとである佐伯がよぎったんです。

リノベーションしたご自宅兼事務所でお話してくださった善然さん。

善然さん 実家は、佐伯で330年続く糀屋なんです。兄と飲んでいる時に、ふと兄が「まちの人たちが支えてくれたから今がある。そろそろもらうだけじゃなく返していかなくちゃ」とつぶやきまして。その言葉に納得し、佐伯へUターンを決めました。

善然さんの実家である「糀屋本店」さんは、歴史的な町並みの一部。

善然さん 佐伯に帰ってまずはまちづくりの会社に転職し、イベント事業や商店街活性化事業を行ったのですが、「ひとつひとつの生業が成長することがまちの元気に直結している」と感じ、経営コンサルタントの会社を設立しました。

杉本 佐伯のために、という思いでのUターンだったんですね。佐季さんはどうですか?

佐季さん 私の出身は福岡で、大学までずっと暮らしていました。大分の耶馬渓で水上スキーのインストラクターをしているときに佐伯へたまたま寄って、気に入っちゃって。

杉本 直感的! ちなみに、佐伯のどんなところが気に入ったですか?

佐季さん まず、カラッとした気候がよかった。スナックもたくさんあって楽しくて、このまちで佐伯の人と一緒にいるのが「自分らしい」と感じたんですね。そこから月1で佐伯に通いだして、「ツキイチサイキ」という名前をつけて自分でイベント化していました。

杉本 おもしろいですね。

佐季さん 「コミュニティに一気に入るより、少しずつ慣らしていこう」と思って。佐伯に通いながら知っている人を増やしていって「本当に移住できそうか?」を考えてきました。3回目の滞在で番匠川の土手を歩いていた時に、3歳くらいの子どもが見ず知らずの私に、笑顔で手をふってくれて。「ああ、こんなやさしい子が育つならここで子育てしたい」と思ったんです。

番匠川の土手のようす。ゆっくりお散歩する人たちが行き交います。

佐季さん そのうち「佐伯に地域おこし協力隊の仕事があるよ」と言われ、協力隊として移住しました。例えて言うなら、付き合ってから結婚した、みたいな感じです(笑)

杉本 いきなり移住するより、自分と合うかを確かめてから。関係性をつくりながら移住先での生活を試していけるといいですね。

佐季さん そうなんです。ほかの地域で「めっちゃここいいじゃん!」と思って移住したのに、住んでみたら合わなくてパッと帰る、みたいなパターンを見ていたから、別の拠点を探している方には「付き合って結婚」をおすすめします。

杉本 たしかに(笑) 佐季さんは今、協力隊として何に取り組まれていますか?

佐季さん 人つなぎをしつつ、佐伯の一日を体験できる自転車ツアーの企画、藍の商品開発・販売、福岡の方向けに佐伯の食のブランディングなどをしています。移住前の私のように、佐伯のなかに顔見知りをだんだん増やしていくなかで、立ち寄ったり移住したりしてくれる人が増えたら、という思いがあって。

目先のことだけではなく、広い視野で。新しい人も巻き込みながら、まちをつくっていく。

杉本 住んでいて、佐伯市のよさってどんなところに感じますか?

佐季さん まず、「アウェー感」がないのが佐伯のいいところ! 家に帰ったらトマトが玄関においてあるとか、歩いていたら車からおじちゃんやおばちゃんが「さきちゃーん!」って手を振ってくれるとか……。そういうことがあると、「ここにいていいんだな」と思えます。

杉本 佐伯の人たちは通りすがりの私にもあいさつしてくれて、私もびっくりしました。

佐季さん そうですよね。普通じゃないですよね(笑) あと、ここに移住した理由として、住んでいる人たちの考え方も素敵、ということもあります。ここ船頭町は、昔の町並みを残しながらリノベーションして住んでいる若い人たちが多いんです。目先のことだけ、自分たちのことだけではなく、「地域の人とのつながりを大事にしながら町並みをつくっていく」という感覚がかっこいいな、と。

あと、これは製塩会社の人が言っていたことですが、「佐伯は海がいいから山がいい、山がいいから海がいい」。自分たちのことだけを考えずに、海も山も大切にしていこうという考えで、視野が広いんですね。

善然さん 藩政時代の佐伯の財政は干鰯で潤っていたと言われていて、殿様が魚を守るために魚つき保安林(※)を整備したのがはじまりで、400年ほどずっと「海を守るために山を守る」という考えが文化としてあるんですね。

(※)魚つき保安林とは、魚の繁殖や保護を目的に海岸や湖岸に設けられた森林のこと。

杉本 そういう考えが歴史的に根付いているのはすばらしいですね。

佐季さん まちの真ん中に城山という山があって、昔から大事にされていますね。

善然さん 城山は佐伯市民の心の拠り所ですね。城山が見守ってくれている。20分くらいで登れて佐伯市が一望できるので、地域の人たちがお散歩がてらよく登っています。私も、大きな仕事の前は城山に登って「がんばるか!」と気合を入れていますね。

毛利家の城下町で、江戸時代から佐伯文庫という図書館があって歴史的に文化レベルが高かったまちでもあり、まちの本屋さんが生業を継続しているのもいいところですね。

佐伯市を一望できる城山。

若い人たちが「やりたいことをやれる」土壌が整ってきたこの10年。

杉本 おふたりとも、佐伯でいろんな活動をされていますよね。活動のしやすさはどうですか?

佐季さん 私が移住してきた今から1年前にはすでに、「やりたいな」と思ったことが実現できる土俵ができていました。たとえば、アイリッシュミュージックの音楽イベントを佐伯でやらせてもらったり、福岡の軒先リヤカー研究所さんが行っている「リヤカー商店街」を佐伯バージョンでやらせてもらったり。若い世代ががんばっていて、善然さんみたいに佐伯育ちでコンサルしてくれる人がいて。地元の方が仲間にいると、なにかを進めるときに誰に話を通せばいいか、みたいなことを知っているのでありがたいです。

善然さん 佐伯に戻ってきて「これから」というときに、佐季ちゃんみたいな外の人が入ってくれてうれしかったですね。

杉本 地元育ちで地域のことをよく知っている人と、外から来た人がまじり合うっていいですね! ただ、昔からの住民が変化を好ましく思わないケースもあると思いますが、まわりからの反応はどうでしたか?

佐季さん まちの人はびっくりするほど明るいし、「これ、やりたい」と言ったら助けてくれます。成長も見てくれていて、「あのときは失敗ばかりしてたけどよくやったね」と。

一燈照隅(佐伯で暮らす人たちとのトークセッションイベント)。副市長さんも参加しています。

善然さん 失敗したら「やってもうたなー!」と笑ってくれるよね。孫を見るみたいに見守りモードになってくれています(笑)

杉本 まちの人たちがそんな雰囲気だと若い人が活躍しやすいですよね。

自然体で、「誰かのために」自分ができることをするよろこび

杉本 お二人が、佐伯で仕事をする上で大事にしていることはなんですか?

善然さん 佐伯に戻って最初の頃はがむしゃらで。「佐伯には何もない」と思っている地元の人が多い中で、「佐伯でもこんなことできるじゃん! 佐伯のためにがんばっている人を応援したい!」とイベントを連発していました。でも今思えば、それってひとりよがりだったんですよね。「佐伯のためにがんばって」いなくたって、ふつうに生活しているだけで佐伯のためになっている。

杉本 たしかに。

善然さん そうやって佐伯で暮らしている人たちがこれからも笑って暮らせるために、あらゆるサポートをしたいと思っています。昔は経営コンサルタントとして「サポートするためにすべてを知っていなければ」と肩肘を張っていたけど、今は友だちを手伝うくらいのリラックスした気持ちでやっています。

佐季さん 善然さんのその感じ、わかります。私も地域おこし協力隊として着任してすぐは「がんばらないと!」と思ってひとりよがりになっていた気がします。今は「誰かのやりたいことで、私が役立てることは全力で力になる」と思えるようになりました。

杉本 移住となると、「自分の力を試したい!」みたいに、主語が「私」になる人が多いですよね。最初はがむしゃらにやっていたということですが、力が抜けて「誰かのために」となったのは何がきっかけだったんですか?

佐季さん 自分がやりたいことだけでは他の人と対話できないと気づいたことと、新型コロナウイルス流行もきっかけでしたね。新型コロナウイルスで暇ができたから、自分ができることをやろうと手を差し伸べたところ、だんだんうまくいきはじめたんです。

杉本 大震災や新型コロナウイルス流行のように大きな出来事は、生き方を見つめ直すきっかけになりますよね。

善然さん 経済でも「右肩上がりでなくてはいけない」という常識がガラッと変わり始めていて。自分たちが実現したい生き方を追求しなくちゃいけないよ、というメッセージを感じます。

杉本 やりたいことをして、自分らしい生き方が表現できるなら、究極的には場所はどこでもいいのかもしれませんが、チャレンジしたい時にチャレンジできる土壌があったり、自分がよい精神状態にいられたりするのは大事ですよね。

まちを歩いていると、顔見知りのひとたちが声をかけてくれます。

新しい風が入り、暮らしを持続的につくれるまちにしていきたい

杉本 最後に、みなさんに「5年後どうしていたいか」という質問をしているのですが、いかがでしょうか。

善然さん 佐伯は私が移住して10年で、仲間が増え、その仲間たちがいたるところでチャレンジを仕掛けるまちになったと思います。これからは、「このまちで生き続けていられるように、どう生業をつくるか」がテーマです。5年後も経営コンサルとして、佐伯市の人たちがちゃんと商売を続けるためのサポートをひとつずつやっていると思います。

佐季さん 私は、移住前に地域の人との関係性をつくっていたから佐伯にスムーズに移住して過ごせているので、すこしでも移住の入り口になるようなコワーキングスペースやスタートアップ施設を佐伯に増やして、暮らしを考えるきっかけをつくることができればと思っています。

善然さん 佐季ちゃんの話を聞きながら、新しい外の風をもってきてくれる人がもっといたらいいなと思った。

佐季さん 佐伯にはすでにプレイヤーがたくさんいるし、このまちに普通に暮らしている人たち自身がおもしろい。いろんな人がいれば、仲間はずれも起きないしね。

杉本 お二人とも、肩の力がぬけて、暮らしの延長線上に仕事をつみ立てていくフェーズになっているんですね。

(鼎談ここまで)

やわらかでリラックスしたムードだけど、芯があるお二人に癒やされます。

まちを歩いていると、「こんにちはー!」と自転車に乗りながら挨拶をしてくれる学生たちがとても印象的でした。知らない人に挨拶が自然とできる子どもがいるというのは、本当に素晴らしいことだと感じます。

それは、「自分の家」の延長線上に「まち」があるということなんじゃないかな、と思うから。そんなまちで育つから、自然と主語が「自分」から「まち」になる。「自分のためにしていたこと」が「誰かのためになっていく」。佐伯で育ってきた人たちと、移住してきた人たちがうまく、それぞれの新しい挑戦を応援しあい、循環してまちが活気づいていく。それが、私が見てきた佐伯です。次回もお楽しみに!

(Text・写真: 渡邊めぐみ)

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