社会人経験をいかして「教師」になる。
それはまるで、エキサイティングな人生の冒険です。
教科だけではない幅広い知識を、実体験をもとに子どもたちに伝えていくこと。社会で培ったコミュニケーション能力を、子どもたちとの対話にいかしていくこと。これまでの人脈をいかして、子どもたちに多様な人との出会いの場をつくること。
社会人経験を持つ人が教育現場に立つからこそ、できること、伝えられることはとても多く、幅広いように思います。そして、実は子どもたち以上に学びと成長を実感できるのは、教師になった自分自身……
ちょっと想像しただけで、なんだかワクワクしてきませんか?
そんな冒険への入口が今、国をあげた強力なバックアップ体制のもと、広く開かれています。文部科学省が推進する「就職氷河期世代を対象とした教職に関するリカレント教育プログラム」。
社会経験を持つ人が学校現場で即戦力として活躍できるように、教育に関する基礎的な知識や最新の教育事情、ICTを活用した授業の手法などについて学び、模擬授業も行うことができるプログラムが、全国8大学を舞台に提供されています。
教員採用試験の倍率が非常に高かった、現在の30代後半から50代前半、いわゆる“就職氷河期世代”の方々には、受講料の減免措置も用意。2020年11月現在、受講する社会人を募集中です。
この記事では、本プログラムの詳細をお伝えするとともに、2020年11月9日(月)に行われたオンラインイベント「社会経験をいかして「教師」になる」に登壇した、実際に社会人経験を重ねてから教師になった方や、学校現場で様々なプログラムを提供している方のリアルな声もお届けしていきます。
「社会人経験をいかして教師になる」ということ。
その本質を知ることから、日本の教育の未来を一緒に思い描いてみましょう。
ICT、特別支援など最新講座から
教員採用試験のサポートまで。
オンラインも活用した充実のプログラム
まずはさっそく、「就職氷河期世代を対象とした教職に関するリカレント教育プログラム」の詳細をご紹介していきましょう。
今回対象となるのは、既に教員免許を取得されている方。取得済みの免許を更新する「更新講習型」と、現在の免許を基礎に新たな免許を取得する「新規免許取得型」の2つのプログラムを、全国の大学で受講できます。(2020年11月24日現在、香川大学、滋賀大学、佛教大学で受講生を募集中)
プログラムの基本は、免許更新(または新規取得)講習と、教員採用試験対策講座のセット。これに加え、それぞれの大学ごとに特色あるプログラムを提供しています。
たとえば滋賀大学では、幼稚園、小・中・高・特別支援学校教諭、養護教諭、栄養教諭を対象に、オンライン講習のみによって免許を更新できるプログラムを提供しています。そのほか、対面の模擬授業や就職支援も無料で受けることができるほか、実技、アクティブラーニング、コロナ禍で注目が集まっているICTや教育データサイエンスなど、多岐に渡る知識・技能の講習も受講可能です。
どの大学でもメインとなるのは、教科を教えることとともに教師の大切な役割である、生徒指導やいじめ対策などの実践的な講習。子どもたちとの関わりや導きといった教師としての土台を学ぶことができるので、教育現場の経験がない方でも安心して取り組める、心強いプログラムであると言えるでしょう。
10年後、その先の日本のよりよい学校教育のために。
就職氷河期世代に向けての優遇措置も用意
本プログラムは、もともと政府全体で推進している就職氷河期世代を支援するプログラムの一貫としてはじまりました。文部科学省では、就職氷河期における教師の採用倍率が極端に高かった(※)ことに着目し、かつて教師を目指していた社会人の方の支援プログラムを開発。氷河期世代にあたる30代後半から50代前半の方々に対しては、受講料を減免するなど、特別な優遇措置を用意しています。
(※)文部科学省「公立学校の教員採用選考試験の実施状況について」によると、今年度43歳になる人々が4年制大学を卒業した平成12年(2000年)の採用倍率は、13.3倍。平成3年(1991年)の3.7倍、平成30年(2018年)の4.9倍に比べても、極端に高騰していたことが分かります。
公立学校教員の年齢構成(上表: 右)を見ると、就職氷河期世代が少ないことは一目瞭然です。10年後、50歳以上の方が定年退職を迎えたとき、現在の教師不足がさらに深刻化することは間違いありません。
一方で民間企業等経験者の教員採用率(上表: 左)は、過去5年、わずか3〜6%にとどまっているのが現状です。さまざまなバックグラウンドを持つ方々が学校教育に関わることは、子どもたちに対して多様な学びの機会を提供することができる上、閉鎖的と言われる教育現場を活性化させる起爆剤になるはずです。
子どもの環境をつくることは、未来をつくること。
10年後、教育現場を主導していくのは就職氷河期世代です。その先の未来も見据えて、今、教育現場で求められているのが、社会人として経験を積んだ方々の存在なのです。
被災地の子どもたちの姿に無限の可能性を感じて。
社会人12年目、かつて志した教師の道へ
とはいえ、社会人経験はあっても、「一度も教壇に立ったことがなく、本当に自分に務まるかどうか不安……」という方もいらっしゃることでしょう。ここからは、実際に社会人経験を経て教師になった方の声をご紹介していきます。
現在、公立中学校の社会科教師としてご活躍の諸戸彩乃さん。
現在教師7年目の諸戸さんは、就職氷河期ど真ん中世代。大学で教育学を学び教員免許を取得したものの、教師になることをやめました。その理由は、教育実習で子どもたちに好かれたいと思っている自分に気づき、「このままでは子どもの顔色をうかがう教師になってしまう、今の自分のキャパシティでは子どもに失礼だ」と感じたからだそう。
その後、就職先を探すも、世の中は就職氷河期。アルバイトとして入った広告制作会社で契約社員になりましたが、心のバランスを崩して広告代理店へ転職。代理店の仕事で教育に関するプロジェクトを担当したことをきっかけに教育系NPO法人と出会い、再び転職。震災後は宮城県女川町で子どもたちの放課後支援に携わり、社会人12年目で中学校の教師になりました。
波乱万丈とも言える人生の歩みのなかで再び教育を志した最初のきっかけは、広告代理店で働いていた当時、東日本大震災で被災した子どもたちの様子をテレビで目にしたことだったそう。
諸戸さん 子どもたちが、大変な状況のなかでも「なにかできることないかな」と、お年寄りに声をかけたり、ゴミ拾いをしたり、自ら行動している姿を見て、ポロポロと涙が流れました。子どものエネルギーってすごいな、与えられた環境でここまで自分で考えて行動できるんだ、って心から感動したんです。
子どもたちの姿に無限の可能性を感じ、かつて諦めた教育への道も「今ならできるかもしれない」と思ったという諸戸さん。教師7年目の今年度は学年主任にも就任し、勤務自治体のGIGAスクール構想推進委員としてもご活躍です。
教師の仕事のやりがいについて聞くと、「子どもたちの成長が日々の喜びです。今までで一番楽しい仕事。生きている心地がします」と、ニッコリ。新卒で教師を志した当時は「子どもに好かれたい」と思っていた諸戸さんですが、今は「嫌われてもいい」と思えているのだとか。
諸戸さん 昔は生徒に反発されることや嫌われることが怖いという気持ちがあったんですけど、今は反発されても、「この子がちゃんと育ってくれればいい」と信じて接することができています。「それで嫌われちゃうのは仕方がないかな」と、受け止められるんですよね。
11年間に及ぶ社会人生活は、諸戸さんに、ありのままの自分で子どもと向き合う自信を与えてくれたようです。
精神面にも実務面にもいきる社会人経験。
誇りを胸に、“プロデューサー教師”を目指して
これから教師へのキャリアチェンジを考える方にとって、気になるのは「社会人経験をどのように教師の仕事にいかせるのか」ということでしょう。これについて諸戸さんは、「今の仕事が嫌だから教師になるというのは絶対に勧めない」と前置きした上で、精神面と実務面、それぞれの経験値を語ってくれました。
諸戸さん まず精神面については、社会のなかで嫌な思いもしてきていますし、あまり怖いものがなくなって肩の力が抜けたと感じています。また、何事も100%思い通りにはならないことがわかっているので、子どもたちも自分の思い通りにはならないことを理解しながら接することができているかな、と。
そのほかにも、自分の考えを臆せずに発信できること、新しいことや環境への抵抗がないことなど、社会に揉まれたからこそ得られた精神面の強みも聞かせてくれました。一方で実務面については、もっとダイレクトに仕事にいきている様子。
諸戸さん ビジネス分野に必要なスキルや学びのイメージを持ちながら子どもたちに関わることができますし、広告業でのコンセプトワークやデザインワークは、授業づくりや資料づくりに直結しています。
また、社会経験で積み上げた人脈をいかして、多様な人に教育現場に来ていただくこともできます。その交渉の際や保護者とのコミュニケーションにも、社会人経験がいきているのかな、と感じます。もちろん教員採用試験の小論文にも、経験がいきましたね。
自分の役割を「社会と教育現場をつなぐこと」と位置づけ、“プロデューサー教師”を目指しているという諸戸さん。社会人経験のなかで、教育現場でやりたいことがはっきりした。それをまわりの人々との協働で実現するためのスキルも、やはり社会のなかで培ってきた。諸戸さんのあり方からは、そんな自らの人生の歩みに対する誇りも感じ取ることができました。
学校は、大人が「教える」だけの場所ではない。
外部からの関わりがもたらす子どもと学校の変化
それでは、実際に社会人経験のある人が教育現場に入ることで、子どもたちや学校のあり方に、どのような変化があるのでしょうか。ここからは、教師以外の立場で教育現場に深く関わっている2人の方の声を聞いていきましょう。
1人目は、NPO法人「青春基地」の代表・石黒和己さん。
「青春基地」は、“教育の再定義”を掲げて全国の公立高校の現場に入り、先生、生徒、保護者、地域の方など学校に関わる人々の関係性づくりをベースに、3年間を通したプロジェクト型学習(Project Based Learning、以下PBL)を届ける活動を展開しています。
学生や社会人のメンターのみなさんとともに活動を続けるなかで、石黒さんは、子どもたちの変化を間近に感じてきました。
石黒さん 子どもたちがいきいきして、授業中に一言も喋らなかった生徒が堂々とみんなの前で発表するなんてことは普通に起こります。それはプログラムが優秀だからではなく、多様な人たちが子どもたちを応援しているという空気を子どもたちが感じ取るから。それだけで、子どもは動き出すようになるんです。
そんな石黒さんが強く感じているのは、「学校は教える場所ではない」ということ。その背景には、時代とともに変化する子どもたちの姿があります。
たとえば今の高校生、特に1年生は、コロナ禍による休校時間を過ごすなかでそれぞれのロールモデルが多様化しているそう。一人ひとり違うことが当たり前になっていて、社会の不確実性、変動性も高まる今、学校現場は変わり目である。学校をひとつの縮図として見ることで、私たちにとっても大きな学びがあるのだと石黒さんは主張します。
そんな気づきから、青春基地では2018年より、社会人が企業研修として学校に入る、半年間のプログラムの提供を開始しました。
子どもたちに教えることより、大人たちが教わることの方が多いというこのプログラム。石黒さんはその理由について、「学校現場はすごくエネルギーがあって学ぶことが多い。子どもをよく観察していると、世界の片鱗が見えてきます」と語りました。
これまでの学校は、「教師(大人)が生徒(子ども)に学びを与える」という大人主導、一方通行の関係性が当たり前でした。それに対し、青春基地の取り組みが指し示すのは、「大人が子どもから学ぶ」という子ども主導の軸が加わることで双方向の関係性が育まれる、新しい学校のあり方です。社会人経験を持つ教師が、その変化に寄与できる存在であることは、間違いなさそうです。
教師はリプレースされない仕事。
外からの関わりで感じた、大きなポテンシャル
子どもたちとともに未来をつくる教師という仕事。そのさらなるポテンシャルについても考えていきましょう。
ヒントをくれたのは、「株式会社Ridilover(リディラバ)」代表の安部敏樹さん。“社会課題を、みんなのものに。”を合言葉に、社会課題の早期解決のためのメディア事業、コミュニティ事業、事業開発事業などを行っています。
リディラバが教育事業として取り組んでいるのが、中高生の修学旅行に組み込むかたちの「社会課題スタディツアー」。フードロスの現場に足を運ぶ、刑務所から出た人たちのその後を見に行く、薬物依存を治療している方と交流する、といった多様なツアーを企画、実施してきました。学校のなかにプログラムを届ける「青春基地」に対して、リディラバの取り組みは生徒を学校の外へと導き出すというものです。
代表の安部敏樹さんは、この取り組みを通して学校と関わるなかで、教師という仕事のポテンシャルに気づいたと話します。
安部さん 先生は多忙というネガティブなイメージもありますが、一方で、これからの時代でも人工知能にリプレースされない仕事なのかな、と思います。
勉強面では、アプリや動画教材などをうまく組み合わせることで教師の仕事は軽減されると思います。でも人工知能は、答えは出せてもロジックまでは教えてくれない。教材を活用しながら生徒に伴走する力が重要になってきますので、先生の役割は変化しながらも、絶対必要なんです。
子どもたちと信頼関係をつくって適切な学びの機会を提供したり、くじけないように伴走したりしていく能力は、やっぱりリプレースされない。能力開発ができるという意味でも学校は最先端の場所だな、と思いますし、教師が現場を変えていくことでこの国の未来がつくられていく。非常にポテンシャルの高い仕事だと思います。
この発言に対して石黒さんも深く共感し、「コンテンツデリバリーじゃない役割を持つ教師像が広がっていくと、ますます自分自身を問われる。これから先の教師は、絶対楽しい仕事だと思います」と語りました。
諸戸さんも、「大人になると、自分自身を振り返ったり“正義ってなんだろう?”といった問いを一生懸命考えたりする機会はない。でも、先生方と話し合って道徳の授業をつくったり子どもたちの成長を意識したりすることで、毎年子どもたちと新鮮な気持ちで考え続けられる。私自身も日々変化しています」と、ご自身の7年間を振り返りました。
自分自身が学び、変化し、新しい時代の変化にも柔軟に対応していく。子どもたちと信頼関係をつくり、くじけたときには励まし、人生に伴走していく。教師は、人間だからこそできる、人間にしかできない、最先端の仕事である。
3人の対話は、教師という仕事が持つ唯一無二の価値と可能性を照らし出してくれました。
「社会人経験をいかして教師になる」ということ。
そこに見る希望
教育現場で活動している方々の言葉から見えてきた、社会人から教師になるという生き方、そして教師の仕事の魅力。
諸戸さんの「私自身も日々変化している」という言葉に象徴されるように、子どもに教えるつもりが、いつの間にか教えられ、自分自身が成長していた。そんな実感を持てる教師という仕事は、もっとも人間らしく、子ども大人問わず、人の可能性を大きく開いてくれるものだと感じます。
また、何よりも大きいのは、社会人経験のある方が教育現場に立つことで、子どもが変わり、教育現場も変わっていくということ。「社会人経験をいかして教師になる」ということの最大の価値は、これからの日本の教育に変化と希望をもたらすことなのだと、感じずにはいられません。
今回のプログラムは、いわゆる「転職」として教師になる方を対象としていますが、文科省では、兼業や副業というかたちで学校現場に入る、特別非常勤講師制度も用意しています。それぞれの人が自分に適したかたちで学校現場に入っていくことで、社会全体で学校教育や子どもの育ちに関わっていく文化が日本に育っていく。そんな未来さえも予感させてくれます。
この記事を読んだあなたが今、心が動いているのなら。
ぜひ人生の冒険へと、一歩を踏み出してみてください。
教育現場への門戸は、広くあなたに開かれているのですから。
– INFORMATION –
あらためて「教師」を目指すためのリカレント教育プログラムが始まっています
「学生時代に教職免許をとったけど、採用倍率が高くて教師の道を諦めていた」
「社会で働くうちに、子供を育てるうちに、教師という仕事に興味を持った」
こうした方々を応援するため、文科省では、全国の大学と連携し「教職に関するリカレント教育プログラム」を開講しています。
教員免許を取得されたことがある方で、お持ちの免許を更新、または、お持ちの免許を基礎に新たな免許を取得して学校現場で働いてみたいという方は是非、詳細をご覧ください。