今年2020年7月から、日本でもレジ袋が有料化されました。それでもマイバッグの中にはプラスチックの容器や袋があふれ、家に帰れば郵便受けにはビニール包装された郵便物が入っています。危機感は浸透しつつあるのに、生活はなかなか変わりません。
そこで今回は、改めて脱プラスチックの必要性を科学的な角度から見つめ直すべく、マイクロプラスチック研究の最前線にいらっしゃる九州大学の磯辺篤彦(いそべ・あつひこ)教授にお話を聞きました。
磯辺篤彦(いそべ・あつひこ)
九州大学応用力学研究所 附属大気海洋環境研究センター教授。博士(理学)。専門は海洋物理学。教育者として海洋変動力学を教え、研究者としてマイクロプラスチックの輸送過程や形成過程をテーマに、国内外でプロジェクトを率いる。環境省「海岸漂着物対策専門家会議」座長、国際科学会議や国連環境計画の委員など兼任。文部科学大臣表彰科学技術賞(2020年)など受賞多数。レジ袋規制が始まった2020年7月に『海洋プラスチックごみ問題の真実』(DOJIN選書)を上梓。
浮いて流れ、砕けて散らかる
「異質なもの」
野生生物に絡まったり、誤食されたりする大きなプラスチックごみは以前から話題でしたが、生物に無意識に取り込まれるほど小さなプラスチックごみが注目され始めたのは、ここ数年のことです。
10年以上前、磯辺先生が日本の学会で発表した時は関心を示す人も少なく、「マイクロプラスチック」という呼称もありませんでした。先行論文も世界で数件しか見つからなかったそうです。
やがて海水中の有害物質を吸着して野生生物に毒を移すことなどが明らかになると、マイクロプラスチックは政治家の国際会議でも議題に上がるほどメジャーな環境問題になりました。磯辺先生によると、今では関連する論文が年間1400編ほど(下図参照)発表されています。
磯辺先生は、なぜ早くからマイクロプラスチックに着目していたのでしょうか。
南西諸島や九州の沿岸には漂着ごみがたくさんやってきます。13年ほど前、海に浮くプラスチックごみがどこから来るのか調べようと、海流を逆算するシステムの開発をはじめました。簡単なシミュレーションだと思っていましたが、仲間や学生と海岸を歩いたら、やたら小さなプラスチックがいっぱい落ちているのです。
驚きましたね。
ごみの「数」を数えるという方法が、そもそも観測の設計として間違っていることに気が付きました。海水にも小さなプラスチックがいっぱい浮いていました。ずいぶん奥が深い問題だと感じて、それで興味をもったのです。
海洋物理学者という立場から見て、マイクロプラスチックはどんな存在なのでしょうか?
海には細かい粒子が大量に浮いています。生物系の粒子であればいつかは分解されて無くなりますし、ほとんどの粒子が途中で沈むので、そんなに沖まで流れません。
ところがプラスチックは、細かく砕けても分解されない。大きさに関係なく軽いものは浮くため、陸で発生したものでも、どんどん沖へ流れ出して漂い続けます。これは非常に異質な振る舞いなんですよ。歴史上、こんなふうに浮いて無くならないものなんて海洋に存在しなかったわけです。
やや専門的な話になりますが、プラスチックも最終的には炭素(C)や窒素(N)などに分解されるものの、元々が人工的に合成した高分子物質(分子量の大きい物質)なので、再び地球の物質循環に戻るためには非常に長い時間がかかるのです。
生分解性プラスチックであっても決して海ですみやかに溶けるわけではなく、結局はマイクロプラスチックになると言われています。プラスチックを食べる微生物も見つかっていますが、どう考えても供給量が過剰です。
2019年、磯辺先生率いる日本の研究チームは、世界で初めてマイクロプラスチック浮遊量の将来予測を発表して注目されました。そのシミュレーションによると、海に浮くプラスチックの量(重量濃度)は、2030年には2016年の2倍、2060年には4倍に増えるそうです。
海洋プラスチック汚染
「最悪のシナリオ」とは
磯辺先生の著書には「消えたプラスチック」の話も登場します。実際に海で調査すると、大量に浮遊しているはずのマイクロプラスチックの一部は行方不明で、中でもサイズ1mm以下のマイクロプラスチックは、あるはずの量の1~10%程度しか見つかっていないというのです。分解もされず、行方もわからないとは、一体どういうことなのでしょうか?
僕らがマイクロプラスチックとして測れるのは、数百マイクロメートル(※)以上のものだけなんですよ。数十マイクロとか数マイクロのものがどこにあるのか、そもそもプラスチックが自然の中でそこまで細かく砕けるのかどうかも、よく分かっていないのです。
(※)マイクロメートルは1/1000ミリ。髪の毛の太さが約100マイクロメートル
まだ謎だらけのマイクロプラスチック。その謎と日々向き合う磯辺先生は、「シナリオを明らかにするのが僕らの仕事」と語り、2つのストーリーを示しました。
プラスチックという人工物が、この何十年間で一気に海に大量にばらまかれました。これは腐らず無くならず、しかもポリエチレンやポリプロピレンのように大半は水に浮いてしまうわけです。自然はこの特殊な人為的なものを処理しきれるのかどうか。そこに科学者たちの大きな興味があるのです。
最悪のシナリオは、測れないほど細かく砕けた小さなマイクロプラスチックが、すでに大量に海に浮いてしまっていて、これから生態系にどんどん干渉していくというもの。
逆に最良のシナリオは、海が生態系からプラスチックを切り離せる仕組みをもっているというもの。小さなプラスチックになればなるほど浮力が小さく沈みやすくなるので、海が小さなプラスチックを下に落として二度と上がってこないようにする可能性もあるわけです。
母なる海はこれまで、数百年の間に急増した二酸化炭素を吸い込んで、地球温暖化を遅らせる働きをしてくれていました。果たして、プラスチック汚染でも同様に、人為的に増加した厄介なモノを隔離してくれるのでしょうか。
プラスチックを軸に始まった新しい科学
最良のシナリオを想像してみた時に気になるのは、海底で暮らす生き物たちへの影響です。海中を縦横無尽に移動する生き物たちによって運ばれるプラスチックもありそうです。地球科学の知識に、生物学の知識を組み合わせる必要を感じ、そのあたりの協力体制を尋ねてみました。
おっしゃる通り、総じて環境科学は一つの分野には収まりきれません。いろいろな分野の研究者が一緒に行うことで初めて成立するものです。たとえばマイクロプラスチックができる仕組みを議論するため、僕ら海洋学者も、これまで接点のなかった高分子化学の先生たちとのコラボレーションを始めています。
さらに、マイクロプラスチックが生物に取り込まれた先を考えるために、海洋生物学や毒性学、環境化学の専門家と協力しています。ほかに、人間が生きた痕跡がどれだけ地質年代に残るのか、という地層の観点からマイクロプラスチックに興味をもっている、地質学の専門家とも話しています。
研究者たちの交流は、自然科学の分野にとどまりません。社会科学とのコラボレーションも始まっているそうです。
プラスチックは本当に皆が使うものなので、その扱いは海洋学の範疇をはるかに超えているわけです。
どうすれば社会的なインパクトを抑えつつプラスチックを減らせるのか。
その良い答えを見つけるために、環境倫理学などの本を読んで勉強したり、環境経済学や環境政策学など文系の先生たちと議論したりしています。今、僕のプロジェクトには、環境経済学の先生にも入ってもらっていて、ディスカッションすると本当に面白いんですよ!
文系も理系もない、分野横断的なコラボレーションに科学者たちの熱意と勢いを感じました。マイクロプラスチックの研究は日も浅く、これから明らかになることが多そうです。
マイクロプラスチックの回収は可能?
先ほどの磯辺先生たちのシミュレーションでは、世界の海のマイクロプラスチックは今から50年後には生態系に影響を与えるぐらいのレベルに濃度が増えてしまいます。なんとか少しでも、海にある微細なマイクロプラスチックを回収できないものでしょうか?
結論から言うと、マイクロレベルに細かくなってから取り除くのは現実的ではないようです。
磯辺先生の研究チームは、人里離れた南極海でもマイクロプラスチックを見つけていますし、スペインの研究者Andrés CÓZAR(アンドレス・コザール)氏のチームは、北極海でマイクロプラスチックを見つけました。遠い極域の海にも、プラスチック汚染は広がっているのです。
地球の両極で海水が沈み込む海洋の大循環を考えれば、浮いているプラスチックが海流によって極域に集まってくるのは十分にあり得る話です。コザール氏は、「北極海がデッドエンド(どん詰まり)だ」と言っています。海に浮くプラスチックは、流れ着いた北極や南極で海底に沈みこまずに、浮いたままどんどん極にたまっていくというわけです。
科学者にも、受け手にも
情報リテラシーが必要
プラスチックが地球の極にたまると聞いて、思わず私は、「そこで一気に効率良く回収できないでしょうか?」と質問しましたが……。
そういう可能性は……まぁ、たぶんないですね。地球を俯瞰する視点で“集まる”と言っていますが、狭い範囲、例えば1km四方などに集まっているわけではなく、もっと広範囲に散らばっています。
太平洋ごみベルト(※)も島のように大量にごみが集まっていると誤解されがちですが、行って見ても分からないほど薄く広がっている一帯です。かき集めたら他の所よりはたくさんある、という程度です。
(※)太平洋ごみベルト: 北太平洋の中央など、海流の影響などにより海洋ごみが集中する海域のこと
ここで先生は、科学者としての発言や表現に、嘘や誇張があってはならないと強調しました。
多くの科学者は僕と同じ考えだと思いますけれど、科学者の発言の品質保証は、査読付きの(第三者による審査を通った)論文に書かれているかどうかに尽きます。世の中には結構いい加減なことを言ってしまう人もいますが、それは問題です。
磯辺先生が確認したところでは、国連の組織や世界的な環境保護団体の資料にも、査読論文ベースでない情報が含まれているそう。これでは科学者ではない大多数の人が振り回されてしまいます。先生は発信側の無責任を批判しつつ、情報の受け手にも科学リテラシーが必要だと語りました。
社会全体の科学リテラシーを向上するために、わたしたち受け手側の個人ができる具体的な対策を問うと、「できるだけ原典にさかのぼって、英語論文の中身まで読めなくてもいいから、査読付き論文になっているか、つまり○○ジャーナルといった科学雑誌に掲載されているかどうか、だけでも確認を」とのことでした。
例えば「それ本当?」と思った時に、論文検索サイトで「microplastic xxx(調べたいキーワード)」と入力して、ジャーナル名と掲載号が出てくるか見る、というイメージです。手元のスマホで論文タイトルや要約を一覧できる時代なので、活用しない手はないですね。
「プラスチックは社会全体から
漏れている」という大前提
すでに流れ出たマイクロプラスチックの回収が厳しいのならば、地球が最悪のシナリオに陥らないために、今できることは何でしょうか? 磯辺先生の回答は極めて明確でした。
プラスチックの総量を減らす、というのが必然的かつ合理的な結論です。プラスチックによる環境汚染について、えてしてありがちなのは“プラスチックが悪いのではなく、一人ひとりのモラルの問題だ”という結論ですが、これは間違っていると思うんですね。
それよりも僕らは、プラスチックはどうしても社会全体から漏れるものである、という前提でプラスチックと向き合わなくてはいけません。そういう社会を構成する私たちひとり一人の責任なんです。
先生は著書の中で、日本で年間に廃棄される900万トンのプラスチックのうち「およそ99%は適性に処理されている」ものの、100%でない限り漏れていることに変わりはなく「コストを考えても、最後の1%を上げきることは難しい」と述べています。残りわずかをゼロにすることが難しいからこそ、総量を減らさない限り、プラスチックによる環境汚染は止められないのです。
都会ではカラスに荒らされて捨てたつもりのゴミが散乱する場合もある。(写真提供:株式会社地域環境計画)
例えばペットボトルで調べたら、日本の回収率は約85%(※)と高水準ですが、そもそも販売量が多いため、回収されなかった分を500mlの炭酸用ペットボトル(約30g)に換算したら約30億本と、とてつもない量になります。その一部が海に出るだけでも、かなりの被害です。
(※)PETボトルリサイクル推進協議会発表の2017年度の数値
ゼロかイチかの極論は危うい
柔軟に自分で考え続けること
製品の素材など個人でコントロールできない部分は関係者や企業や政治家に働きかけつつ、毎日の暮らしの中では、プラスチックを買う量、使う量、捨てる量を減らしていく必要があります。
とはいえ、研究者の合理性と社会の合理性は違いますからね。プラスチックは決して富裕層のぜいたく品ではありませんし、プラスチックをなくせ、と言うのは簡単だけれども、そんなに簡単になくせるんだったら苦労はないよね、という話です。温室効果ガスと同じですよね。
磯辺先生は、ゼロかイチかの極端な予防原則ではなく、健全な予防原則が大切だと著書でも説いています。
何かリスクがあるのであればやめてしまえ、という極端な予防原則には説得力がありますが、そもそもリスクゼロというのは、非科学的な立場に立たざるを得ないところがあるのです。強い論理を耳にしたら「ちょっと危ういぞ」と疑ってみるなど、一歩引いて自分で考え直す姿勢が大切ですね。
危うさの理由は2つあり、一つは、リスクをゼロにしようすると別のリスクを生んで、結局ゼロにならないリスク・トレードオフ(※)がどうしても発生するから。もう一つは思考停止を招くからです。考えを止めてしまうのは楽だけれど、考え続けることを要求する予防原則こそが健全なのです。
(※)あるリスクを低減することで、かえって別のリスクが増大すること
磯辺先生は著書の中で、プラスチックが防災の現場や衛生面で役立っていることや、経済的弱者を助けてきたことに触れています。また、主たる排出源がアジア諸国であることも紹介した上で、健全な予防原則に基づくプラスチック汚染の対策として、他国と協調し、「弱者に過度の負担を与えない削減計画」に世界的な合意を取りつけて実行することを提唱しています。
どうしたらリスクを下げることができるのか?
環境を良くすることができるのか?という次のステップを考え続けることで、誰かが、あるいは皆が、いい答えを導き出していく。しかも多くの人が納得できる形で、ですね。これが、プラスチックなど現代の環境問題に対する正しいアプローチだと思います。
敵も味方もない
みんなで探る、落としどころ
ここまで読んで、場合によってはゼロかイチかの極端な予防原則が必要では? と思った方もいるかもしれません。磯辺先生も著書では水俣病を例に挙げ、「善悪が明解な公害では極端な予防原則が有用だった」と書いています。ただし複雑な現代の環境問題では違う、というのが先生の意見です。
温室効果ガスやプラスチックなど、加害と被害が重なり合う現代の環境問題には、健全な予防原則に基づく対処、つまり、地道に、時間をかけて、しかも大多数が幸せになるような形で対処していかないといけないでしょうね。
ほぼ全ての人が被害者となるプラスチック問題ですが、プラスチックメーカーのように脱プラスチックで不利益を被る人もいます。でも、そういう人たちも、取り組み方によっては、より大きな利益を得られると先生は言います。
問題を知ったら環境負荷をなるべく軽減できるような新しいチャレンジをするのが、技術者としての心意気ではないでしょうか。新製品がもの凄く売れる可能性だってあります。プラスチックの全体量を減らしつつ、快適で清潔な暮らしを送れるような新素材が開発できるかもしれません。資源回収システムも、改善できるかもしれません。1%漏れるのが0.1%になるだけでも10倍の効果ですからね。
誰もが当事者だからこそ、敵か味方か、という二項対立の議論は不毛。磯辺先生のお話を聞いて、深く心に刻まれたメッセージでした。
これまで一生懸命プラスチックをつくってきたメーカーが、非常に有用な新素材を開発してポストプラスチックのキーパーソンになるかもしれないのです。どんな企業の人も同時に一市民なのですから、正義の味方も悪もありません。
地球を汚していいなんて思っている人はいないわけで、自分たちの利益と地球環境との間の、いい落としどころをみんなが探っているわけです。それをちゃんと認めて、皆が参加できるような形で合意をつくっていくのが大事だと思います。
巨大ダムや、行き場のない核のごみなど、現代社会には複雑な環境問題が山積しています。立場によって意見はさまざまですが、より良い未来を目指す気持ちは共通なはず。その一点を見つめて、協力し合って、辛抱強く問題と向き合うことが大切なんですね。
専門家でさえも全体像がまだよく分からないマイクロプラスチックの問題もこのまま放置すれば、先送りされた宿題の山にただ加わることになり、次世代を苦しめるでしょう。今できることを自分の頭で考え続ける強さが求められていると感じました。