greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

丸い森の真ん中で、世代も職業も超えて人が交わる場をつくる。丸森町の未来に種まく仲間を募集します。#仲間募集

この記事は、文筆家・小野美由紀さんによる寄稿記事です。
記事の最後に、地域おこし協力隊の募集の紹介もあるので、ぜひご覧ください。

JR白石蔵王駅から車で30分。みずみずしい緑の山に囲まれた宮城県伊具郡丸森町の中心部に差し掛かると、左手に青い壁の一軒家風の建物が見えてくる。壁は塗りたてでつやつやだ。

地域交流拠点まどい」。今年の7月にオープンしたばかりのコミュニティスペースだ。小さな丸森の町の中では少し異彩を放っている、バーのような、コワーキングスペースのような不思議な雰囲気の場所である。

育むことを諦めない。中と外が交わり、「まどう」場を

店名の「まどい」には、2つの意味がある。漢字で書くと「円居」。人々がまるく居並ぶこと、多くの人が一箇所に集うこと、楽しく車座になり会合することを指す。そして、もう1つが、「惑い」。日々の暮らしの中で、悩んだり、立ち止まることで、心の惑いを吐き出し合えるような場所になったら、という願いが込められている。

その名の通り「地域交流拠点まどい」は、丸森町を中心に、世代や職業もさまざまな人が集まる地域の交流の場だ。

地域おこしを、外からの救世主待ちにはしたくないと思っているんです。今の地域おこしって、ともすれば移住者任せになりがちというか。地域側も「若者がいないから」とか「地元の若いもんは後ろ向きだから」って、まるで免罪符みたいに言う。けど「それ、本当かな? たしかに数は少ないけど、だからってゼロじゃない。小さな芽を見つけて、大切に育んでいくのが大人の役割なんじゃないの?」って思うんですよね。

まずは地域側がそこにあるものを育む姿勢を持ったうえで、外から来てくれる人たちの持っている日光や水分と掛け合わさって、種や芽が育まれていくようなまちを目指したいんです。

そう語るのは「まどい」を立ち上げた一般社団法人「YOMOYAMA COMPANY」代表の八巻眞由さん(27)。丸森町のIターン2世であり、内部からこのまちを良くしたいと、12歳から地域活動に携わっている。

田舎において、世代間やコミュニティの分断は深刻です。どうすれば世代や性別、属性に関わらず地域内外で多様な人々の繋がりをつくることができるかを考えた結果、単なる飲食店ではない「地域交流拠点」として「まどい」を立ち上げることにしました。

誰もが「自分の居場所」と思える空間

「まどい」の店内は低い梁が特徴的な、ヴィンテージ感の溢れる内装。デザイナーには”カオス”をイメージして、と依頼したという。どんなひとや目的にも居心地よくフィットするよう、あえて◯◯風、とコンセプトを決めないようにしたのだそうだ。

「まどい」には時間帯によって3種類の役割がある。

お昼時は様々な人が集うカフェ。
夕方は放課後フリースペースとして、小学生や中学生、高校生たちがふらっと立ち寄れる居場所。
夜は日替わりのママが運営するソーシャルスナックになる。

世代に関係なく、人と人が交流できる場所にしたいんです。普段若者と交流することのない上の世代の人たちも、口には出さないだけで、本当は若者たちと一緒に地域のことをどうにかしたいと感じている。そういうことを腹を割って話すきっかけをつくりだせたらいいなって。だから、あらゆる世代の人が色々な理由で集まれるように設計したんです。

丸森町が持つ「受け入れる力」

眞由さんは2017年に「YOMOYAMA COMPANY」を設立して以来、宮城県の県南域で地域活動やまちづくりを担う人材を育成する事業を行ってきた。

それは、まだ地方移住が極めて珍しかった時代にわざわざこの土地を選んで居を移した彼女の両親の影響が大きい。

両親が丸森に移住してきたのは1995年。IターンとかUターンって言葉が日本で使われ始めた頃です。今でこそ地方移住は流行っているけど、その頃は都会から地方に移り住むなんて、異常者扱いされる時代だったんですよ。

両親も受け入れてくれる場所を探すのに随分と苦労したけど、丸森はなぜか昔から外から来る人にオープンな土地柄で、両親を歓迎してくれた。私たち家族のあとにも次々と移住者が増えて、丸森町は25年以上前から地域住民と移住者が楽しく共生する地域なんですよね。

それもあって、丸森という土地に子供の頃からポジティブなイメージを抱いていたと言う眞由さん。中学1年生から丸森のジュニア・リーダーというまちづくりボランティア活動をはじめ、高3まで続けた。

けど、高校に入った頃から周囲に違和感を感じ始めて。進路選択の時期になって、同級生からは都会で暮らしたいとか、こんな田舎に住み続けるのは嫌だという声をよく聞くようになったんです。だからといって、都会に出て叶えたい夢の話をするわけではない。都会に行くことそのものが目的のように聞こえました。

受け入れる力だけでは足りなかった地域力

高校卒業のタイミングで東日本大震災が起き、福島県と隣接する丸森町も実害や風評被害を受けた。丸森で自然豊かな暮らしを望んでいた移住者や地域住民が、原発事故によって次々と他地域へ移り住んだ。県境を隔てて十分な支援もされず、弱ってゆく丸森。その中で、眞由さんはある決断をした。

進学か就職で迷っていたのですが、この不安定な社会のなかで、何も知らずに大学に4年間行ったところで多分意味がない。私にはやりたいことや知りたいことがたくさんあるのだから、それを全部やってみようと、一度フリーターになる決意をしていたんです。

その時、役場の人から「地域活動を推進する仕事をやらないか」と言われて。自分がこれまで取り組んできた経験が仕事に繋がるなら、自分にとっても地域にとってもプラスになるんじゃないかと思って、高卒で町の教育委員会に入り、ジュニア・リーダーの活動を支援したり、町の生涯学習を推進する「社会教育指導員」という仕事に就いたりしました。

眞由さんはそこで、地域が抱えるたくさんの課題が見えるようになった。まずは若者の力を集めようと、かつては地域に根付いていた「青年団」を、今の若者の生活スタイルに合った形で「ネオ青年団」として再結成した。

地元に残った同世代の若者を片っ端から集めて青年団を復活させ、まずは道路のゴミ拾いから始めて、地域の交流イベントなどを行いました。

自分と社会、根深い断絶

3年ほど青年団の活動を行った頃、眞由さんはあるメンバーの発言に衝撃を受けたという。

「楽しいことならしたいけど、地域のためにはやりたくない」と言った子がいたんです。その方の発言に他のメンバー達も同調していて、地元に残った人達もみんなどこかで地域のことをネガティブに捉えているんだな、と感じました。

私は地域社会が豊かになることは、自分自身も同時に豊かになることだし、住んでいる場所が抱える問題は私自身の問題でもあると思って活動してきた。けど、同世代の仲間たちにとって、地域社会はもっと遠くにあるものなんだと思い知らされました。その時のことが、今も大きな原体験として私の中に残っているんです。

地域と断絶された同世代と、これから一緒に未来を担っていくことになる。一人ひとりが属する地域や社会が繋がっていけば、結果的にみんなにとって暮らしやすい場所が生み出せるはずなのに。どうしたら、地域や社会のことを自分ごととして捉えてもらえるんだろう?

眞由さんは考えたのち、ある結論にたどり着く。

都会に出た人も地元に残った人も、「丸森が田舎である」ということをネガティブに話す。

田舎が嫌いな若者って、親や祖父母の代から田舎が嫌いだったりすることも多いように感じます。自分は夢を捨てて田舎に残った側の人間だ、とか、田舎生まれは恥ずかしいことだとか。地方では遺伝子と共に田舎嫌いが脈々と受け継がれていて、生まれ育った地域のことを自分ごと化することそのものが苦痛を伴う行為だったりするんです。

でも、都会に出れば必ず夢を掴めて幸せになれるかというと、とっくにそんな時代ではなくなっていると思うんですよね。

地方か都市かの二元論ではなくて、どこであっても自分の生き方を自分で決める覚悟と、その道のりに絶えず付いてくる揺らぎやまどいを引き受ける姿勢を持って、しなやかに生きていく力が必要。そのために、自分にとって理想の未来を描き、それを仲間と語り合える環境、そのために必要なことを学べる場が必要なんだと思ったんです。

自分と社会を繋げ、未来を描く

眞由さんはやがて、丸森も含めた宮城県南地域で復興支援事業を行う「一般社団法人ふらっとーほく」が運営していたまちづくり人材育成事業「伊達ルネッサンス塾(以下、伊達ルネ塾)」という取り組みに参加。伊達ルネ塾では自分と社会を繋げ、未来のビジョンを描き、そこに向かう道のりを「マイプラン」として軸に持ちながらアクションをサポートする。

この伊達ルネ塾での学びに眞由さん自身も救われ、この取り組みが地域に根ざしていくことで地域は必ず良くなると確信した眞由さんは、翌年には同法人に参画し、今度は塾の運営側に回った。3年後の2017年には高校の同級生であり、青年団活動や伊達ルネッサンス塾を共にしていた信岡萌美さんと任意団体「YOMOYAMA COMPANY」を立ち上げ、伊達ルネッサンス塾事業を自社事業として引き継ぐ。

2019年に社団法人化し、現在は丸森町の高校生に向けた「MYPROJOURNEY」や「まちづくりゼミ」、社会人向けの「四方山大学」などを運営。幅広い年代に向け、地域や社会と繋がる人材育成事業に取り組んでいる。

<どんな種も抱き抱える、養分のある土を耕す>

こうして10代の頃からまちづくりに心血を注いできた眞由さんだが、なぜ今「地域交流拠点まどい」を立ち上げたのだろう。

もともと、多くの人が集まれるカフェのような場所を持ちたいとずっと思っていました。

まちづくりに関心の高い人だけでなく、地域の様々な年齢や属性の人々が集まって交流していく中で、自分の思いに気がついたり、ちょっと深く話し込んでみたり。愚痴を吐き捨てるだけの場所ではなくて、新しい繋がりから何か芽が出て育まれていくような、養分のある土みたいな場所をつくりたかった。

理由なく人が来れて、交流が生まれ、たくさんの人々の居場所になるような場所が作りたい。そう思い、物件をいくつか探した結果、見つかったのがこの場所だった。

80年以上昔からある建物で、昔は喫茶店で、数年前まではホルモン屋だったんです。私、10代の頃ここでバイトしてたんですよね。まさかここでお店をやるなんてその時は思ってなかった(笑)

この記事の書き手である私も、「1日ママ」としてオープン4日目にスナックのカウンターに立ってみた。

当日はライブ配信を行ったり、仙台市や近隣の亘理町、角田市からもお客さんが来たかと思えば、徒歩5分のところに住む町議会議員さんがふらっと遊びに来たり、様々な人が集まる賑やかな場になった。

あらたまって地域の課題を話そう、となるとなかなか難しいけど、肩肘張らずに、実はこうしたい、ああしたい、とおしゃべりすることで、それが叶う場所になればいいなって。

オープン直後だが、イベントの開催も手伝い、すでに様々な人が集まりはじめているという。

1日ママ制度を導入していて、日替わりでママが変わるので、日によって集まる人の雰囲気がガラッと違う。それが面白いです。現在は週3日の営業だけど、そのうち、レンタルスペースとして、カフェをやりたい人に貸したり、ワークショップやイベントの場所としても使えるようにしたいです。

一緒に種まく仲間を募集

そんな「まどい」だが、既存事業もあるために、現在人手不足が課題であり、地域おこし協力隊枠で今年の秋頃まで人材を募集している。

地域おこし協力隊として丸森町に赴任し、一般社団法人YOMOYAMACOMPANYの一員として一緒に動いてくれる人を募集しています。まどいの場づくり事業に加え、人材育成や高校生向けの場づくりの仕事も並行して取り組むことになります。飲食業やコミュニティの場づくり、教育やまちづくりに興味のある方にはぴったりの仕事内容です。

また、丸森町は昨年の台風災害により深刻な被害を受けたことで、地域の課題はより一層深刻さを増し、地域の中で横断的に幅広く動くコーディネーターを必要としている。そのため、上記のような事業以外にも、横断的にアイデアを活かした働き方が可能だそうだ。

丸森って、全国的にみても先進的に住民自治に力を入れてきた町で、”自分たちのことは自分たちでやる”って意識がすごく強い土地なんです。台風の時も崩落した道路を自分たちで直したりと、芯の通った強さがある。
地域として自立し、多くの移住者を受け入れてきた経験から、”出る杭は打たない” 風土もある。

そういう場所だからこそ、外から来てくれた人にもできることがたくさんあるし、やりたいことにチャレンジしやすい環境だと思います。

訪れた時間はほんのひと時だったけど、東京に住む私から見ても、「まどい」と眞由さんが持つパワーと可能性を感じられた。

「どこにあるか」は関係ない。そこで何か新しいことを起こそうとする人がいて、背中を押してくれる仲間がいる限り、自分たちの理想をデザインし、叶えていくことは可能なのだ。そう自然に思わせてくれるだけの場所の力が、この「まどい」と丸森町からは感じられる。

YOMOYAMACOMPANYの事業内容や、地域おこし協力隊の募集については、専用サイトから確認できる。

「地域交流拠点まどい」から始まる新たな可能性に興味のある人は、ぜひ一度のぞいてみてほしい。

YOMOYAMACOMPANYの協力隊募集サイト