映画『ラッカは静かに虐殺されている』は、同名の独立メディアの活動を追ったドキュメンタリー。命の危険がある中でIS(イスラミックステート、現地での呼び名は「ダーイシュ」)に挑む彼らの生きざまを描いた見ごたえある作品です。
私がこの映画を見たのは自宅にこもり始めてほどない4月の初めのことでしたが、そのときにこの映画は「コロナ後」について考える非常に良い材料になると感じました。
いま、新型コロナウイルスの感染拡大がいったん収束に向かいつつあるように見えるなかで、別の問題があちこちから持ち上がってきています。それらに対して私たちは今何をするべきか、それをこの映画は教えてくれるのです。
戦うメディアが名前に込めた思い
映画は授賞式のシーンから始まります。
2015年の「国際報道自由賞」を受賞したメディア「ラッカは静かに虐殺されている(Raqqa Being Slaughtered Slowly=RBSS)」、このグループが一体何をやってきたのか、それがこの作品が描こうとしていることです。
RBSSを立ち上げた登場人物のアジズ、ハムイード、ハッサンたちは大学生や高校教師といった普通の人たち。アサド政権に対する反対運動で政治に目覚めました。その後シリアでは内戦が激化し、北西部のラッカでは権力の空白が生じてしまいます。それに乗じたのがISで、ラッカを占拠して首都に定めるのです。
RBSSのメンバーはISによる占拠後、その暴力と搾取に黙っていられなくなり、ISが広報するのとは違うラッカの現実を世界に伝えようとニュースや動画の配信を始めます。そのサイトが「ラッカは静かに虐殺されている」でした。
もちろん彼らの活動はすぐにISに目をつけられ主要メンバーは国外(トルコやドイツ)に出国、それでも潜伏する現地メンバーからの情報を世界へと発信し続けます。
しかし、国外に逃げたからと言って安心できません。シリアの隣国トルコでは常に暗殺の恐怖と隣り合わせですし、国に残った家族に危険が及ぶこともあります。それでも戦い続ける彼らがどうなるのか、これをスリリングと言うのは憚れますが、ものすごい緊張感を伴って映画は展開していきます。
そして彼らの長い戦いを経てたどり着いた授賞式、RBSSのスポークスマンをつとめるアジズはスピーチでこう言います。
人は自由と安全を求め、そのどちらも得られない世界では繁栄を約束する組織に取り込まれます。
「繁栄を約束する組織」とはもちろんISのことです。映画を見ながら私は、ISの目的は結局なんなのか、なぜ人々はISに参画するのか、RBSSの人々はなぜくじけないのか、本当に命をかけて守ろうとしているものは何なのか、そんな疑問にずっと頭を悩ませていました。
常識的に考えれば、ISのやっていることはひどいことで、映画の中でも何度も「Evil」という言葉が出てきていますが、邪悪そのものです。それでも彼らは一定の支持を集めます。それはなぜなのか。
その答えがここにありました。人々をISへと駆り立てているのは自由と安全を保証できない社会なのです。ISに参画すれば自由と安全を得ることができます。しかしそれは他の沢山の人々から自由と安全を奪うことによって成り立っています。ISはそこに眼をつぶることができるロジックを宣伝し、人々に偽りの繁栄を約束しているのです。
同時に私は反対側、RBSSへの疑問も抱いていました。それは彼らはなぜ命を失う可能性が高いのに活動を続けることができるのか。ただ逃げるだけではだめなのか、そんな疑問です。
その答えもこのスピーチにあります。
彼らが戦っているのは自由と安全のため、自分自身と家族と友人たちの自由と安全のためなのです。だから命をかけても戦う意味がある、彼らはそう思っているのです。
武器ではなくメディアでISと戦う意味
どうしたらISに勝てるのかも彼らにはわかっています。それはISに取り込まれても、そこに繁栄など無いことを世界のすべての人に知ってもらうことです。
RBSSの人たちは「空爆では彼らに勝てない」、「ISは思想だから組織がなくなってもまた出てくる」というようなことも言います。つまり武力で制圧できたとしても、思想が残っていたらISは別の形でまた現れるのです。
ISに完全に勝利するためには、彼らが間違っていることを世界中のすべての人たちが知るしか無いのです。だから彼らは武器ではなくメディアでISと戦います。
この映画も彼らの戦いの一部です。世界のより多くの人々にISの悪行を知らせ、自由と安全のためにその思想を潰すことが肝要であると知らせることができるから。この映画を見てそれを感じることができれば、見た人はもうRBSSの味方になり、戦況は大きく有利に傾きます。
この映画は本当に素晴らしい作品です。知るべきだけれどよく知らないことを知れるし、世界をいい方向に導こうとしている人たちのことを応援するきっかけをくれるし、引き込まれる物語も持っています。
ISに勝つためにもすべての人にこの映画を見てもらいたいと本当に思います。
ただ、RBSSがISに完全勝利を収めたとしても私たちの戦いは終わりません。そのこともこの映画を見るとわかってきます。
ISより強大な敵
それが現れるのは、ドイツに逃げたRBSSのメンバーが目にする移民排斥運動です。ヨーロッパ(やアメリカ)では、特にアラブからの移民排斥運動が盛り上がりを見せています。一部の極右やネトウヨだけで盛り上がっているとも言えますが、ISだってイスラム教のほんの一部の過激派の活動に過ぎません。
もちろん移民排斥運動はISのように極端な武力で訴えたりはしていません。でも「自由と安全を得られていない人たちが繁栄を約束する組織に取り込まれている」という意味では、根っこは同じなのではないでしょうか。
移民排斥運動の根幹にあるのは、移民によって職を奪われるなどして生活が苦しくなっていることへの不満です。そのような人たちは「移民を追い出せば豊かな生活が送れる」という約束に乗せられて運動に取り込まれているのです。
でも、その約束は本当に果たされるのでしょうか。
そして、仮にその繁栄が本当だとしても、それによって自由と安全を得ることができるのでしょうか?
私がこの映画から学んだのは、自由と安全が脅かされていると感じたときの判断は慎重にしなければならないということです。その判断が、繁栄を約束する組織(あるいは集団)の口車に乗せられているだけではないと自信を持って言えなければ、それは誤りかもしれません。
自由と安全が脅かされるのは政治によってだけではありません。災害や今回のような感染症も私たちの安全を脅かします。それに乗じて自分たちの利益のために繁栄を約束し人々を取り込もうとしている組織はないか、私たちは判断していかなければならないのです。
こうやって自分を顧みることができるのもこの映画のもう一つの素晴らしいところだと思います。
そのうえで最後にひとつ付け加えたいことがあります。
それは、私たちひとりひとりが判断するために必要なのは情報であり、正しい情報を伝えるメディア、繁栄を約束する組織に取り込まれたメディアではない独立したメディアだということです。
そのようなメディアを見つけ、応援し、時にはつくること、それが私たちに必要なことなのです。
– INFORMATION –
2017年/アメリカ/92分
監督・製作・撮影・編集: マシュー・ハイネマン
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