英国「シューマッハ・カレッジ(Schumacher College)」の創始者であり世界的な思想家であるサティシュ・クマール。
本稿は、サティシュ・クマールがカレッジの卒業生に届けてくれたコロナ禍におけるメッセージを、Economics for Transitionコースの卒業生である寄稿者が本人の許可を得て、日本語に訳しお届けするものです。(本稿の簡易英語版HP)
サティシュ・クマール(Satish Kumar)
思想家/社会活動家、1936年インドに生まれる。インド独立の父であるマハトマ・ガンディーの非暴力と自立に根ざした思想に共鳴し、自然や人への愛をもって核廃絶を訴える1万4千キロの平和巡礼を行う。『スモール・イズ・ビューティフル —人間中心の経済学—』の著者として知られる経済学者E・F・シューマッハーとの出会いから、1973年に英国定住。それ以来、社会変革エコロジー雑誌『リサージェンス(再生)』の編集長を務める。またE・F・シューマッハーの思想を引き継ぎ、東洋と西洋の知が混じり合う先駆的な学びの場として、大学院大学「シューマッハー・カレッジ」を創設。本質を捉えた言説とユーモアある優しい語り口から世界中の人から愛されている。
新型コロナウィルスは地球からの声
〜この危機から私たちは何を学べるのか?〜
世界へのメッセージ
サティシュ・クマール
今年2020年は新型コロナウィルスの年として人々に記憶されることとなるだろう。
太陽は輝き、花々は咲き誇り、鳥たちは囀る(さえずる)、そんな春の陽気の中であっても、ソーシャルディスタンスを取り、ロックダウンをし、ステイホームをする、2020年はそんな年である。
私は幸運にも、祈りの時間としての自主隔離を、黙想と内省をしながら過ごすことができた。ルーミー(13世紀のイラン詩人)とハーフィズ(14世紀のイラン詩人)の詩をよみ、シェークスピアの詩をよみ、ラビンドラナート・タゴール(19-20世紀のインド詩人)の詩をよんだ。
隔離という言葉を、キリスト教の40日間の断食と結びつけて思いに耽った。私にとってのこの隔離の時間は、自分と向き合う時間となった。
一方で、私は世界中に拡がる新型コロナウィルスの影響に心を配り、たくさんの痛みを目にし悲しんだ。人類は前例なき危機の中にいた。私は84歳となるが、人生を通じてこんなにも厳しい状況を経験したことはない。
コロナ禍は戦禍よりもひどい。戦争は人によりはじまり、人により制御または収束される。しかし、新型コロナウィルスは自然の力の表れであり、人類がコントロールできる域を越えている。
多くの人は科学や技術を通じ自然を征服できると信じている。しかし、自然を征服するというような話は、まったくの人間の傲慢であると、新型コロナウィルスを通じて自然は明瞭に伝えてくれているようだ。新型コロナウィルスは人類の脆弱性の現実を私たちにはっきりと思い出させる。
自然を征服するという人間の欲望は、人間は自然から独立・分離しており優位な力を持つ、という考えから生じてきている。この二元論的思考は、森林火災、洪水、気候変動、地球温暖化や今回の新型コロナウィルスのパンデミックなどの自然界の大変動に、私たちがうまく対処できない根本にある考え方だ。私たちは、自然を征服できる技術的方法を見つけることができると信じているようだ。
生態学的に持続可能な農業を再生する
新型コロナウィルスの根本にある原因を見るよりも、政府や産業界や科学者は特定の病を避けるワクチンに目が行く。ワクチンはおそらく一時的な解決策にはなるが、私たちはより賢明に考え行動する必要がある。病に対しワクチンで予防接種し対処するばかりでなく、その病が起こる根本原因に目を向け取り組む必要がある。
ロウラ・スパイニー(Laura Spinney)というサイエンスライターは3月26日付けの英国・ガーディアン紙で
なぜ、動物由来の感染が近年加速しているのか?
と問いかけ、
ウィルスを私たちの生活域にもたらしたのは、政治や経済の力である。その力は、大規模農業の台頭と何百万もの小規模農家が限界を迎えている状況と関係している。それにより、コロナウィルスの宝庫ともいえる、コウモリが潜む耕作に向かない森にまで近づくことになった。
と自身の問いに答えている。
新型コロナウィルスの原因に迫り解決をはかりたいなら、私たちは生態学的に環境が再生する農業に戻る必要がある。人間的規模(human-scale)で、地域に根ざし(local)、二酸化炭素排出量の少なく有機的な農業の方法である。
食べ物は商品(commodity)ではない。
農業は金融的利益のために動機づけられるべきものではない。
農業の最終的な目的とは、土の健康を損なうことなく栄養ある食べ物を生み出し、人々に健康的な食を届けることである。
お金儲けのための農業は直接的にも間接的にも新型コロナウィルスの原因を引き起こす。
加えて、私たちは自然の原理原則の中で自然と共生した暮らし方を学ぶ必要がある。人間はほかの生き物と同じく自然界の一部であり、それ以外の何者でもない。それゆえ、自然と共生し生きることは、私たち人類がこの危機から学ぶべき最初の教訓である。また、私たち、今を生きる世代の緊急の責務と言える。
2つ目の教訓は全ての人類の行動には必ずその結果が伴うということ。
過去何百年において、人類の活動は、生物多様性の減少、二酸化炭素や気候変動を引き起こす温暖化ガス排出の原因であった。人類の活動の影響で、海はプラスティックで汚染され、土は人工化学肥料で汚され、熱帯雨林は前例のないスピードで消滅している。
これらすべての人類の負の活動は、必ずなにかの破壊的な結果を生む。短期的には、津波や洪水、森林火災や今でいえば、新型コロナウィルス。長期的には、地球温暖化や気候変動として。
今こそ目を覚ますとき
新型コロナウィルスによる危機を通じて、自然は強いメッセージを送っている。今こそ目を覚ますときであると。これ以上、環境汚染を広げることはできない、自分たちの行動による結果を無視することはできない、という合図だ。私たちは縁起(カルマ)の力があることを知っている、今このときにおいては、それは新型コロナウィルスという名のものだ。
現代の文明は無数の痛みを自然に与えてきた。そして今、私たちはその結果を収穫している。私たちは変わらないといけない。新しいパラダイムをつくりだすべき時が来たのだ。人々の健康を回復するために、私たちはかけがえのない地球の健康を回復しなければならない。
人々を癒やすことと自然を癒やすことは一つであり同一のことである。私たちは地球を癒やすためにできることに取り組んでいく必要がある。前向きなアクションのみが前向きな結果をもたらす。これは縁起(カルマ)の原理原則なのだ。
市場(Market)・お金(Money)・物質主義(Materialism)の三位一体は現代の人々のマインドセットを長年つくってきた。今こそ、私たちはゆっくりとした時間をとりもどし謙虚な気持ちをもって自然の声、地球の声に耳をかたむける時だ。私たちは古い三位一体を新しい三位一体、土(Soil)・魂(Soul)・社会(Society)に取って代える必要がある。
自然は、優しく寛容であり、温和で思いやりがある。そして、自然は全てが移り変わる。
だからこそ、人類はこの危機を前向きに対応し、農業、経済、政治システム、そして私たちの生き方をリデザインする機会とする必要がある。
手つかずの自然をリスペクトすることを学ぶ必要がある。
命のあふれる美しさと多様性を祝福することを学ぶ必要がある。
私たちは人類は分かち難き自然の一部であることを理解する必要がある。
私たちが自然に対しておこなうことは、私たちが私たちにすることと同じなのだ。私たちは自然と結びついており、互いに関連しあっている。新型コロナウィルスは私たちが相互に関係しあっていることを示している。私たちは相互依存しているのだ。私たちは、地球コミュニティのメンバーであり、一つの地球家族なのだ。
もしこの理解が、この世界観が、私たちの意識の不可欠なものとなり、社会を構成する規範となるのであれば、私たちはこれまでとは異なった優先事項と価値を持つことになる。あらゆる代償を払って追い求める経済成長の代わりに、人々の幸せと地球の健康が両立する成長を追い求めることになる。
危機とは機会である
新型コロナウィルスの影響が去った後、従来通りに戻ることを選択肢の一つとすべきではない。このパンデミックが起こる前の社会は、強欲という名のウィルスによるパンデミックに支配されていた。強欲のために、森林や湖や川は枯れ、種は絶え、子ども達や貧しい人々、戦争被害者や難民は亡くなってきた。死と破壊は、強欲という名のウィルスのまぎれもない結果となってきた。
詩人であり小説家であるベン・オキリ(Ben Okri)は、3月27日付けの英国・ガーディアン紙で
本当の悲劇は、私たちがこのパンデミックを通じても良き変化を起こせないことだ。そうなれば、たくさんの死や痛みは意味のないものとなってしまう。
と投稿した。
危機とは機会である。自然の進化の過程において、これまでたくさんの危機があった。生命はもがきながら長き時間をかけ進化を遂げてきた。誰にも分からないことであるが、この痛みを伴うパンデミックは、新しい意識を、命の調和の意識を、思いやりと分かち合いの意識を、愛の意識を生むことだろう。
私たちはこの新しい意識のいくつもの素晴らしい兆候を見ている。
医療従事者のみなさんは命をかけて新型コロナウィルスの被害を受ける人々を助けている。それらは無私の精神による行いの賞賛すべき事例である。
何百人何千人という一般の人々がNHS(National Health Service: イギリスの国民保健サービス)のサポートを自発的に続けている。
そして地域コミュニティにおける数え切れない数のヘルパーが高齢の方や病気をお持ちの方のケアを続けている。
イギリス政府でさえ、個人やあらゆるコミュニティ、チャリティ活動、ビジネスを助けるために、財政上の規則を一時無効にしている。そこには溢れんばかりの連帯、寛容、相互関係、相互扶助がある。人々は、帰属意識、多大なる感謝、無条件の愛を各方面から経験している。
同時に、ロシアは医療機器を飛行機に積み荷しイタリアに送り、中国はセルビアに送った。憎しみは忘れさられ、国々は、競争や闘争よりも相互扶助の精神に基づき、協働し手を取り合っている。
もしこのような精神的な質が異常時に実践できるのであれば、日常時においても可能ではないだろうか。もし私たちが日常時に共に助けあい、愛し、尊敬しあえるのであれば、異常事態が起こることは減るだろう。
このほとばしる人間性に加え、私たちは地球環境の汚染の減少や部分的な回復を見ている。
イルカたちがイタリアのベネチアの運河で見られたり、澄み渡った青空がインドのボンベイや中国の北京の都市で見られた。二酸化炭素の放出は減り、人々は再びきれいな空気で呼吸することができる。私たちは異常時においてこのようなきれいな環境を経験できるのあれば、日常時においてもできないはずはない。
この新型コロナウィルスの危機が去った後、個々人やコミュニティや国々が共に愛しあうことを学び、環境に気を配り、新しい世界の秩序をつくっていくことを、私たちは望む勇気があるだろうか? インドの小説家アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy)が言うには、
歴史的に見てパンデミックは、人類を過去と決別させ、新しく世界を想像せざるを得ない状況に追い込んできた。
世界各国における大小様々なロックダウンは、政府や企業や普通の人々が社会全体の健康という大きな善のために一丸となり、大きな経済的リスクをとれることを証明してくれた。
この経験は私たちに、自然と生物圏の健康を守るために大胆な行動をとることができる、という自信と勇気を与えてくれるはずだ。私たちは自然の樹木の枝に座っていることを忘れてはいけない。もし私たちが座っている枝を切ってしまえば、私たちは落ちてしまうのだ。
ポスト・コロナ時代、地球と人々の健康のため、さあ共に行動しよう。
高野翔(たかの・しょう)
1983年、福井県生まれ。大学院卒業後、2009年、JICA(国際協力機構)に入構し、これまでに約20ケ国のアジア・アフリカ地域で持続可能な都市計画・開発プロジェクトを担当。2014-2017年にはブータンにて人々の幸せを国是とするGross National Happiness(GNH)を軸とした国づくりを展開。地元福井では、人のCapabilityに注目したまちづくり活動を実践。2013年、人の魅力を紹介する観光ガイドブック「Community Travel Guide 福井人」の作成、2018年、豪雪によってできなくなった事業を市民一人ひとりのできることで復活させる「できるフェス」を開催し、共にGood Design賞を受賞。スモール イズ ビューティフルを執筆した経済学者 E. F. Schumacher の系譜を引く、Schumacher Collegeで新しい経済学を学ぶ。
(画像提供: ソーヤー海、齋藤隆夫)