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子育てのための移住から、やがて珈琲店の開業へ。「杢珈琲」木村洋平さんが、マーケット文化が根付くいすみ市で体験した、つながりの連鎖。

よく「コーヒー一杯で長居してすみません」とお客さまにお気遣いいただくことがあるんですが、いいんです。みんなが居心地よく過ごしてくれれば一番ですね。

千葉県いすみ市の古民家を改装したカフェ「杢珈琲(もくこーひー)」。初めての場所にドキドキしながら店内に入ってみると、予想外に広々とした空間に、焙煎されたてのコーヒーの芳ばしい香りが漂っていました。

杢珈琲の店内

千葉県いすみ市では、近年、地域の資源や関係性を活かしながら起業する人が増えています。2018年にオープンした、杢珈琲の店主・木村洋平さんもそのひとり。

飲食店の8割がオープンから1年を迎えずして閉店してしまうとも言われる昨今、杢珈琲は2019年の秋で丸1年を迎えました。忙しい時期は、1日でお店の1カ月分の家賃をまかなえるほどの売上があがることもあるそうです。

木村さんはいすみ市に移住した当初は、知り合いも全くおらず、周辺の地理すらもわからなかったそう。まったく縁のない土地で、木村さんはどのようにお店をつくっていったのでしょうか。

手作業が好きだと気づいて入った料理の世界

木村さんの生まれは、東京都の葛飾区。いすみ市に移住したのは2015年のこと。
それまでは15年以上、都内の飲食店で働いていたそうです。

最初は16歳で飲食店にアルバイトした時は、「お金を稼ぐため」という感じで、そんなに楽しさはなかったです。作業的なものでした。でも、あるとき、料理人歴が長い先輩と出会って考え方が少し変わりました。

先輩が教えてくれたのが、包丁の飾り切りやデザートの繊細な盛り付け作業。それまでは美しく見せる、ということを意識して調理をしたことがなく、作業的に食材を切っていただけでした。もともと絵を描いたり、ハンコをつくったり、細かい作業が好きだった木村さんは、器用さが求められる飾り切りやデザートをつくる楽しさに気づきました。

当時、喫茶店でパフェをつくるのがとても好きな作業でした。でも、なかなか上手くできない部分もあって、ここをこうしたらどうかな、と自分なりに考えていたら、さらに面白くなってきて。その頃から細かい作業が結構好きだったんです。デザートをきれいに見せたい、という一心でつくっていました。一度、パフェの盛り付けを自分流に変えたら、すぐ怒られたんですけどね。そんなに好きだったら、料理の世界を目指してみたら、と先輩に言われました。

自分がいた喫茶店で一緒に働いていたフレンチ出身のシェフは、包丁づかいがものすごく上手かったんです。繊細な包丁さばきを見ていると、楽しくて、とても勉強になりました。

幼い頃から絵を描くことや読書が好きで、どちらかというと物静かな子どもだったという木村さん。一緒に働く先輩がつくる美しい料理の数々を見て深く感動し、料理は自身の表現方法のひとつである、ということに気づきます。

自分が目指す美しさを表現したい、というのが一番ありました。周囲の反応などはさておいて、自分の表現したいものを形にすることに没頭していました。

それから、1年間かけて、木村さんは調理師免許を取得。その後はフレンチレストランに勤めるも、怒号の飛び交う厨房で色々なことを覚えなければならない厳しい世界。

初日から食材の仕込みをしながら前掛けで手を拭いたら、「前掛けは手を拭くためにあるんじゃない」と後ろから蹴飛ばされました。

そんな飲食業界になかなか馴染めず、フレンチレストランやアメリカンレストラン、飲食系の様々なお店を転々としました。

いすみ産の食材を使用した、美しい見た目が人気の杢珈琲のパフェは木村さんが自ら考案している。

同じことの繰り返し。まわりと合わせるのが苦痛だった喫茶店時代

それでも、自分の好きな料理の世界に関わり続けたい。そんな思いで木村さんが次に就職したのは、老舗の喫茶店。木村さんは、様々な飲食店で働くうち、あることに気づいたといいます。

盛り付けや調理の仕方を変えてはいけないんですけど、料理を出すとき、「こうしたらもっと美味しそうなのに」などと、どうしても考えてしまう。ずっと同じメニューで同じことをやり続けるというのがどうしてもできない。だから調理師学校の先生にも、「人に雇われるのでなく、とにかく独立しなさい」と言われていました。

馴染めない喫茶店で見つけた、好きなこと

料理は好きだけれど、マニュアル通りの調理はなんだか物足りない。そう思いながら勤務を続ける喫茶店時代、木村さんがとても夢中になって取り組んだ仕事がありました。珈琲の焙煎です。

自分の働いている喫茶店で提供しているコーヒーが美味しい時と美味しくない時があったんですよ。毎日いろいろなスタッフがマニュアル通りにサイフォンで淹れたものだったんですが、どういうことなんだろうな、と思って。調べて行き着いたのが、「コーヒーにとって豆を焙煎するという作業が一番重要だ」ということでした。そのお店では、焙煎したコーヒー豆を仕入れて、淹れていました。

そこから木村さんは、自宅で、自分で飲むためのコーヒー生豆を購入し、自ら焙煎して研究をはじめます。一度に1.5kgくらいを焙煎するのですが、時には60kg近くもの豆の焙煎を失敗したこともあったそう。それでも美味しいコーヒーを追求する日々は楽しかったと言います。

「上手に焙煎できたな」という日もあれば、翌日に同じ焙煎の仕方で失敗する時もあるんですよ。豆を焼きすぎて、味がしなくなってしまったり。そうして新たな謎が生まれてきて「じゃあ、こうしたらいいのかな」っていう繰り返し。これが楽しかったのかもしれません。

焙煎方法のマニュアルもなければ、正解もない。木村さんは、自身の試行錯誤と自由な発想が必要とされるコーヒー焙煎に、料理にはない楽しさを見出します。

杢珈琲のコーヒーはネルドリップを採用したこだわりの逸品。

移住を考え始める

美味しいコーヒーを追求していた喫茶店時代も、気づけば10年が経過。途中、職場で出会った奥様との結婚を経て、木村さんの心境にも変化が訪れました。

僕にはいま、子どもが2人いるんですけど、1人目が生まれた時に「このまま東京で子育てするのはどうなんだろう」という気持ちが大きくなっていきました。

便利だし東京は嫌いじゃないんですが、自分が生まれ育った頃に近所にあった田んぼや畑や公園がない。妻と話し合って、もっと自然に囲まれて、子どもが元気に遊ぶことができる環境で子育てしたいということになり、東京を出ることを決意しました。

どこに行こうか奥さんと相談を始めた時に、思い浮かんだのがいすみ市。いすみ市には親戚の所有していた空き家がありました。

親戚が住んでいた家で、その頃は誰も住んでいませんでした。小学生くらいの頃に何回か来たことがあって、まわりの田んぼの風景がとても好きでした。憧れというか、こういうところで暮らしたいな、という思いはずっとあったんですね。

住む家もあるし、自分の実家のある都内までも1時間ちょっとで行くことができる。とりあえずはおためしで、ということで移住を決めました。

緑豊かないすみの風景

何も知らない土地、いすみで少しずつ広がっていく知り合いの輪

移住を決意した木村さんは、すぐに仕事を辞め、いすみ市に引っ越してきました。まずは地域の暮らしに慣れることが先決。そう考えた木村さんは、正社員の募集をしていた眼鏡屋さんで働き始めます。

全くいすみに縁がなく、知り合いのいなかった木村さんですが、地域のことをどのように知って、そこでのつながりをどのように増やしていったのでしょうか?

最初に知り合ったのは、引っ越し先のガスを引いてくれたガス屋さんでした。地域を広くまわってお仕事をされている方なので、地域のことをいろいろ教えてくれました。

ガス屋さんと話しているうちに、木村さんがかつて喫茶店で働いていた話題に。移住したばかりで、自分のお店をやるなどということを考えるどころではなかった木村さんですが、その話を聞いたガス屋さんはとある人を紹介してくれます。

コミュニティスペースをつくって運営している方を紹介していただきました。そこでは、いすみ市で事業を起こしたい人たちが、チャレンジショップとしてお店を出していました。

そこで、木村さんも出店してみないかと誘いを受けます。直感的に面白そうだな、と感じた木村さんはこの誘いに乗ることにしました。

最初に珈琲店を出した、チャレンジショップ「長者マート」

チャレンジショップとして一緒に出店していた中に、おにぎり屋さんがありました。今度はその方に、マーケットをやるから出てみないか、と声をかけてもらって、初めてイベントに出店することになりました。

おにぎり屋にパン屋、雑貨屋にコーヒー屋。いすみ市は、それぞれが好きなこと、得意なことを活かし、自分の手でつくったものをお客さまに売って生計を立てる「小商い」が盛んな地域。固定店舗を持っていなくても自由に出店ができるマーケットがあちこちで開催されています。

最初に誘われたのは出店者が10人弱くらいの小さなマーケットでしたが、初めて出店する自分にとっては、ちょうどよかったです。いきなり大きなマーケットに出ていたらきっとパンクしていました。そうやって、マーケット出店を繰り返しながら、お店をやるのに必要なものを学んで買い揃えていきました。

チャレンジショップでコーヒー屋をやってみたことにより、少しずつ知り合いが増え、誘われたマーケットへの出店をきっかけに、さらに大きなフィールドへの出店につながります。

出店していた小さいマーケットにちょうど来ていた人に、今度は港の朝市に誘われました。

港の朝市は2016年から毎週日曜日に行われている、いすみ市が後援しているマーケット。最大40を超える店舗が出店しています。1人のガス屋さんとの関係から始まった、いすみ市でのつながりは思いがけず、数々のマーケットに出店することになっていきました。

マーケットは多くの人で賑わう

お店を持とうと決意

マーケット文化が根付くいすみ市では、店舗を持たずに、自由に商いをするつくり手たちがたくさんいます。毎週開催される港の朝市に出店するようになった木村さんも、固定店舗を持つことは考えていなかったと言います。

マーケット出店している時は、ずっと眼鏡屋さんで正社員として働いていました。週末だけコーヒー屋として出店するのを繰り返していて、それでもいいかなと思いました。週末に自分の好きなこともできて、収入も安定していたので。

そんな木村さんに、固定店舗を持つきっかけとなる出来事が起こります。

年に1回、起業したい人のために商工会が主催している創業支援講習がありました。気軽に参加できる受講料で、面白そうだから参考程度にと思って、ある日、参加してみたんです。

講習内容は、開業に必要な知識の習得や、お店のコンセプトやターゲットの明確化、開業に必要な資金とその回収に必要な売上の算出など。お店をつくるために必要なことを教わっているうちに、漠然とやりたいなと思っていた自分のお店をやるには、何をすればいいかがわかってきたそうです。

あれこれ考えるうちに実現したくなって、ワクワクしてきて。やっぱり自分のお店を持ちたいなという思いが再び盛り上がってしまいました。

難航した物件探し。見つけてくれたのは、いすみで最初に出会った方だった

創業支援の講習に参加したことがきっかけで、自分のお店を持つことを決意した木村さん。そこからの行動は早く、すぐに正社員の仕事を退職し、店舗となる物件さがしを始めました。

お店をオープンするより先に、仕事を辞めたことに対して、不安がなかったわけではありません。でもまあ、なんとかなるだろうみたいな感じで、先走ってしまう。いつもそうなんですよね。

ところが、不動産屋をまわり、5ヶ月ほど経っても良い物件が見つかりません。いすみに来て、人とのつながりはできたものの、さすがに不動産を紹介してくれそうな知人はいない。そう思い、木村さんが諦めかけた時、とある人の顔が思い浮かびました。

ふと、移住してきて、最初に地域のことを教えてくださったガス屋さんに、自分が開業したい旨を伝えておこうと思って話したんです。そしたら、ちょうど今、ガス屋さんが鍵を預かっている空き店舗がある、って言われて。すぐ内見にいきました。入口を開けて物件の中に入った瞬間、頭のなかにワーッとお店に関する具体的なイメージが湧いてきて。即決しました。

いすみに移住して約2年半。こうして、杢珈琲となる物件が決まりました。

創業支援の講習では、開店するには3000万円ほどの資金がかかるという話も聞きましたが、自分で手を動かし、工夫して、その10分の1ほどに収めることができました。

マーケット出店が自分を知ってもらうきっかけになった

マーケットへの出店は、お店を持つにあたっても、大きな効果が得られたと木村さんは言います。

マーケットに出店すると、コーヒーを買ってくれたお客さんに開店の宣伝ができるんです。

ぼくは、なんのつながりもなく、いきなりいすみに来た人間だったので。とにかく「杢珈琲」という名前を知ってもらうのが先だったので、可能な限り遠方のイベントも含めてたくさんのマーケットに出店していました。移住していきなり店舗を持っていたら、誰にも知られず、お客さんにも来てもらえなくて失敗していたと思います。

物件が決まってから、約4ヶ月。遂にお店はオープンの日を迎えます。

オープンして来てくれたのは、マーケットで出会ったお客さんたち。また、マーケットに一緒に出店していた仲間でした。1年経った今では、お店の様子を遠くから伺っていた人も、口コミを聞きつけて来てくれるようになりました。

来店誘致に最も効果的なのは、第三者による口コミ。コツコツとマーケットに出店することは自然とお店のオープンに向けた広告宣伝につながっていました。

接客の大切さを教えてくれたのは、いすみの眼鏡屋での仕事だった

マーケットへの出店を通してファンを増やしていった木村さんのお店。一番大切にしていることを聞いてみました。

お店をやる上で、最も重視しているのが接客です。コーヒーを美味しく感じるのって、その人の気分もあるんですよね。どんなにいいものを出したとしても、飲む人の気分が悪かったら美味しくない。だから、お客さまを嫌な気持ちにさせない、不安にさせないことが大切だと考えています。

様子を見て、お客さまと話したり、時には1人でゆっくり過ごしてもらったり。
接客が大切だと考えるようになったのは、どんな理由があったのでしょうか。

接客を最も学ばせてもらえたのが、カフェをオープンする前にいすみで勤めていた眼鏡屋さんでした。

それまで働いてきた飲食店は、とにかくオーダーをこなすのに精一杯で、きちんと接客を意識して働いていませんでした。でもその眼鏡屋ではあいさつの仕方から話し方、立ち振る舞いの細かいところまで厳しく指導を受けました。なるほどな、と思う部分がたくさんありました。

本当に厳しかったんですけど、店長の指導には「お客さまに良い気持ちで帰ってもらおう」という愛があったんです。

一見関係がないように見えるいすみでの経験は、杢珈琲での接客に確かに活かされていました。

店内のいたるところからも、気遣いが感じられる。

東京にはなかった、居心地のいいつながり

東京にいた頃は、周囲の人と同じことを足並み揃えてやることが苦手で、1人で黙々と仕事をする方が好きだったという木村さん。いすみに来て、自分のペースで仕事をつくる上で、いすみの人々とのつながりが大きな役割を果たしていると言います。

イベントに誘ってくれたり、お店を利用してくれたり。いすみの人たちは、様々な形で自分に関わってくれました。それがここまでやってこられた理由です。昔は東京でお店を開こうかと考えたこともありましたが、東京は競合相手が本当に多いので、孤独な戦いになる。東京だったら、きっと1年も続かなかったと思います。

最後に、オープンから2年目を迎えた木村さんに、今後やってみたいことについて聞いてみました。

お店の2階にスペースがあるんですけど、まだ使えてないんです。そこをちょっと改装して、ワークショップをやったりできるようにして、色々な人のつながりを増やしていきたいと思っています。

右も左もわからぬまま移住したいすみで木村さんがたどり着いたのは、自分のアイデアを活かしてマイペースに働くことができる、お店の開業でした。

干渉しすぎず、でも自分のことを思って、近くで見守ってくれる。時には自分1人では不可能だと思われることをも実現する大きな力を与えてくれる。木村さんが見つけた居心地の良いつながりは、居心地の良い杢珈琲のお店づくりに確かに結びついていました。

(
Text: 辻原真由紀)
(写真: 磯木淳寛)