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ローカルビジネスの鍵は、まちに足りないものを補完していくこと。経験ゼロからはじまった、湯河原町の豆腐専門店「十二庵」

都心へガツガツでもなく、地方へターンでもない、第3の創業スタイルを。神奈川県小田原市では2015年から起業プログラム「第3新創業市」を開催し、創業者を後押ししてきました。

今回は小田原市に関わりながら、隣町の湯河原町で豆腐専門店「十二庵」を立ち上げた浅沼宇雄さんに、ローカルビジネスの現在地を伺います。

今年で10年目を迎える「十二庵」ですが、「豆腐屋になりたくてなったわけではない」と浅沼さん。もともと東京でシステムエンジニアとしてバリバリ働いていた浅沼さんが、一転、湯河原町でお豆腐屋さんになった理由とは?

浅沼宇雄(あさぬま・たかお)
2009年10月、食の安心・安全をコンセプトに豆腐屋「湯河原 十二庵」を独学にて開業。 消費者に直接、自分達の手で販売することをテーマに小売中心で移動販売、出張販売、催事販売などを展開。また、カフェなどの今まで豆腐屋となかなか繋がらなかった業態への挑戦も。 湯河原の温泉場通り沿いにて「おいしく たのしく まちおこし」を奮闘中。

経験ゼロからはじまったお豆腐屋さん

ロゴはただ豆腐を運ぶという不思議な妖怪「豆腐小僧」をモチーフに。

熱海と箱根に隣接する温泉街、湯河原(ゆがわら)。古くから文豪や画家などが滞在し、現在も多くの観光客が訪れています。

「十二庵」へは、JR湯河原駅から温泉宿街に続く坂道を歩くこと、20分ほど。軒先に小さなベンチのあるお豆腐屋さんが見えてきます。

2009年に創業以来、湯河原ではもちろん、近隣のマルシェなどにも多く出店し、「十二庵」のお豆腐ファンを各地に増やし続けています。

原料の大豆は、佐賀県産のフクユタカと北海道産のユキホマレを、豆腐に合わせた割合でブレンドして使用。にがりは、絹豆腐には伊豆大島の海精にがりを、木綿豆腐には1ヶ月以上熟成させた特製のにがりを使っています。

また、山形県産の秘伝豆や新潟県産の越後娘などの在来種、小田原や南足柄産の在来種などを使用した、甘く香りの強いお豆腐などもつくっています。

商品は豆腐以外に、生湯葉やがんもどきなどの揚げ物、豆乳とおからのドーナツなど。取材中も、続々と地元の方たちが買いに訪れていました。

実は浅沼さん、創業するまで豆腐づくりの経験も、お店の経営経験もゼロだったというから驚きです。

豆腐工場へ何度も見学に行き、「まずは湯河原の水でつくらないことには」とお店を構え、創業してから独学で豆腐づくりに励んだそう。そのため数知れない苦労もあったようですが、湯河原、そして小田原の人たちに支えられてこれまで歩んできたといいます。

その成果は実を結び、2019年度の全国豆腐品評会では、全国の地区大会を経て集まった84社、143点の豆腐の中から、「十二庵」の「青大豆の寄せ」が寄せ豆腐部門で銀賞に選ばれました。とろけるような口当たりで、塩がよく合い、個人的にもおすすめの一品です。

受賞に対して「神様からのプレゼントだよね」と喜ぶ浅沼さんですが、全国へその名前を響かせたことで、豆腐はもちろん、湯河原というまちも知られるきっかけにもつながっています。

後方支援のつもりが、自ら創業へ

浅沼さんにとって湯河原は実家があるまちだったそうですが、なぜ湯河原で豆腐屋を創業するに至ったのでしょうか?

もともと東京のIT関係の会社に10年くらい勤めていて、システムエンジニアをしていました。その後独立して、地元の湯河原に帰るタイミングを見ていたんです。

そんな時、同窓会で湯河原のお店がどんどん閉まっていることが話題に。

もっと小さなお店が増えたり、安心して食べられる地元のものがあったらいいよねという話になって、仲間と地元で何かしようと。僕は当時東京に住んでいたので、後方支援的に何ができるか考えていました。

買い物難民のための移動販売などの案も出ましたが、なかなか実現には至りませんでした。そんななか、思いもよらない形で豆腐屋さんへと導かれていきます。

よく行くダーツバーのオーナーが、突然副業で豆腐屋をやると言い出したんです。話を聞いてみると、なんだか怪しいんですよ(笑) 騙されているんじゃないかって心配で、一緒に話を聞きにいってみたら、やっぱり怪しい。

だから「ちょっと考えよう」ってバーで話していたら、隣に座っていた女の子が偶然にもお豆腐屋さんの娘だったんです。それで翌日にその子の実家の豆腐屋さんに相談に行くことになりました。

その後もほかの豆腐屋を紹介してもらっては足を運ぶうちに、ある思いが生まれたと言います。

これは、ダーツバーのオーナーがやるべきことではなく、僕がやるべき仕事だなって思ったんです。それも、湯河原で。

豆腐屋さんってリアカーで引き売りもするじゃないですか。そういうのも含めて考えると、当初構想していた移動販売と、地元で仕事がしたいという二つのピントが合って。それに湯河原の水はホタルや鮎のいる川の水系で、いい水なんです。でも湯河原には小売りの豆腐屋がなかったので、需要も感じました。

そのときはまだ東京でシステムエンジニアの仕事をしていたのに、自分でもびっくりですよ(笑)

2009年の初夏、湯河原で豆腐屋になると決め、10月にオープンというスピード創業。「まわりにも、不動屋さんにも、反対しかされなかった」と当時を振り返り笑う浅沼さんですが、こうして「十二庵」は動きだしました。

まちに足りないものを補完する

当初は東京にシステムエンジニアの仕事をするための事務所を持ち、行き来していたそう。どんなきっかけで、湯河原に拠点を絞ったのでしょうか。

東京でフリーになった直後、お金のことばっかり考えるようになって、それが当時すごくストレスだったんです。今考えるとシステムエンジニアは原価もないし、実際は稼げてた。でも「もっと、もっと」みたいな感覚がすごくあって、夜も眠れない日がありました。

それが豆腐屋をはじめたことで一変します。

豆腐づくりもよくわかっていなかったから、ひたすら豆腐のことばかり考えて、お金のことを考える暇もなかったです。

朝も早いし、疲れるから夜はよく眠れる。その変化は結構、自分の中で大きかったですね。結局、東京と湯河原、どっちに拠点をおくか考えたときに、湯河原で豆腐屋だけをやってみようと決めました。

右も左もわからない豆腐づくり。あえてそこに挑戦した理由には、反対されたものの支えてくれたまわりの人たちの存在と、「まちに足らないものを補完する」という浅沼さんのビジネスにおける軸があると言います。

僕は豆腐屋になりたくてなったわけじゃなくて、湯河原に豆腐屋が必要だと思って豆腐屋になった。そこが一般的な創業のスタンスと一番違うことかなと思っていて。まちに足りないものを補充しているだけなんです。

飲食店に関しても、個性的で小さな飲食店がもっとあったらいいな、という視点から、美術館のカフェの協働も引き受けました。観光地だけど、いつ来ても入れる、そういうカフェが湯河原にはなかったので、それならつくろう、と。

町立湯河原美術館をリニューアルした際、新たに併設されたカフェ「and garden」。「十二庵」の豆乳スープや、がんもどきのサンドなどが味わえます。

たとえばまちに映画館とか本屋がなかったとして、それには理由があるのかもしれないけど、それを今までとは違った形でまちに必要だと思うものをつくることで、ちゃんとビジネスとして成り立つことができるんじゃないかなと思います。

あらゆるものがあふれる都会ではなく、あえて足りないものが多い地方で、自分があったほうがいいと思うビジネスをやる。その先にある、東京とは違う魅力をもうひとつ話してくれました。

湯河原には、すごい有名な人とかデザイナーさんとかがいるんです。地方の魅力って、少しおもしろいことをやっていると、そういう人たちとつながりやすいこと。たまたま飲み屋で隣になったりとか、そういう機会は東京よりはるかに多いです。

足りないからこそ、チャンスがあり、出会いがあり、つながりが生まれる。意外にも東京よりその可能性が高いようです。

まちが豊かになることで、人生が豊かになる

小田原でも定期的に出店している浅沼さん。湯河原と比較して、小田原のポテンシャルを伺ってみました。

小田原の人口は湯河原の10倍で、マーケットが大きいんです。自分のビジネスは湯河原だけでも成り立つとは思うけど、その先を考えたら次のステップはやっぱり小田原だと思いました。

あと、大きすぎないのもいいですね。「十二庵」は設備の問題もあって製造キャパが少ないので、たとえば百貨店の催事に出せるほどの商品量がつくれません。でも小田原なら、小さなお店でもギリギリこなしていける、フィールドとしてちょうどいいサイズなんです。

また、小田原ではカフェのプロデュースも経験しました。

小田原のまちづくり会社が運営していた商店の中に、カフェをつくるときに声をかけてもらって。それまで飲食店をやったことはなかったですが、やってみたいという気持ちはあったので引き受けました。その経験が湯河原美術館のカフェなど、今につながっていますね。

小田原のマルシェでも実行委員に入れてもらい、たくさん学ばせてもらって、そのノウハウを湯河原に持ち帰ることもできました。僕のような人でもよそ者扱いせず受け入れてくれる、そういう懐の深さも小田原のよさだなと思います。

その精神を受け継いだおかげか、湯河原ではイタリアンレストランや寿司屋など、友人のお店を誘致している浅沼さん。

最後に、浅沼さんにとって、地方でビジネスをすることの魅力を伺いました。

僕はまちに人を呼びたいんです。ここで自分は豆腐をつくって、気の合うお店が増えていくのを手伝って。そうすることで、僕の人生が一番豊かになるし、まちも豊かになるし、住んでいる人も楽しくなると思っています。

外から来る人はもちろん、まちに住んでいる人が楽しいっていうのが、一番人生が豊かな気がする。そうなることに貢献したい。そのための道筋を、ただ進むだけですね。

不思議な出来事が重なり合って動き出した、浅沼さんのストーリー。そこには、地方だからこその創業の視点やスタンスが散りばめられていました。

これまで湯河原町の観光客は減少の一途をたどっていましたが、2016年以降、増加しはじめ、少しずつかつての賑わいを取り戻そうとしています。浅沼さんの取り組みも、その一役を担っているのかもしれません。

(photo by 大塚光紀

[sponsored by 第3新創業市プロジェクト]