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映画『はじまりへの旅』が放つ思想と愛。たった4館の公開からアカデミー賞候補にまで広がったメッセージとは。

2016年、アメリカでたった4館だけで公開された1本のインディペンデント映画『はじまりへの旅(原題:Captain Fantastic)』。口コミでの高評価が全米はおろか世界中に広まり、翌年のカンヌやオスカーといったそうそうたる映画の賞にノミネートされました。読者の皆さんにもご覧になった方は多いかもしれません。

この作品の魅力は、じわじわと感情に沁み入るように広がる思想性にあり、繰り返し観ても、なお深まりを覚えます。物語のあらすじは下記の動画に説明を委ねるとして、今回はこの映画がもつメッセージの核をご紹介しましょう。


(主人公ベン役、ヴィゴ・モーテンセンが語る作品概要)

6人の子どもたちと共に、ワシントン州の山奥で自給自足生活をする主人公ベン。ある尺度から見れば”変わり者”で”ヘンテコ”なわけですが、ただの隠遁者でもなければ、悦楽主義のヒッピーでもありません。彼らが森に暮らす理由は、消費されるだけの産業に疑問を感じ、自然と共に命を全うすることを選択しただけのこと。

大きな力によって動かされる消費中心のシステムから抜け出し、自らの手足と頭脳で生きる力を身につけ、本質的な幸せを追求する。ベンたちほど究極的でなくても、こうした彼の価値観に共感を覚えるひとは多いはず。

では、そんな人たちにとっての「ユートピア」は、何をどれだけ我慢して、何と闘い続ければ見つけられるものなのでしょうか?

物語の前半では、絶対的な信頼とある種の権威をもつパーフェクトな父ベンも、ストーリーの展開と共に様々な顔をのぞかせます。その度に子どもたちとのつながりを変容させていきますが、どんな場面でも共通して感じさせるのは、人はどこまでも社会的な生き物であるということでした。

それはたとえ人里離れた山奥であっても、逆にコーラとホットドッグがすぐに買える街中であっても同じです。人と人が触れ合うことで社会はつくられ、誰かの知識も尊厳も、社会システムとの調和のなかで成立しているもの。

だからこそ、自分の尊厳を他者にどこまで許容できるのか。ベンに降り注ぐ選択肢に自分を重ねているうちに、問われているのは自身で、他者とのいがみ合いではなく、自分自身との闘いだと気づかされる。これこそが、多くの人がこの映画を好きにならずにいられない魅力だと思うのです。

ベンたちは、アメリカの社会哲学者でアナーキズム論を唱えるノーム・チョムスキー氏の考えを支持し、自分たちも自己鍛錬と学びを欠かさず、高い知性を備え、幼い子どもであっても尊重しあいます。
アナーキストは「無政府主義」という訳語からときに無秩序でただ権力に逆らう無法者のようなイメージをもたれますが、本当はもっともっと、自由で、本質的で、ユーモアと楽しさが底支えしている社会を求めているのだと感じました。

愛と笑いと涙、そして思想に満ちた2時間の旅を、あなたもぜひ。

– INFORMATION –

『はじまりへの旅』(原題:Captain Fantastic)

公開:2016年
監督:マット・ロス
主演:ヴィゴ・モーテンセン/ ジョージ・マッケイ
http://hajimari-tabi.jp