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妖怪のいる森に遊びに行こう。“学びのアップデート”に取り組む丑田俊輔さんに聞く、遊びの経験から生まれる経営論とプレイフルなエコノミー。

ハバタク株式会社の代表として東京で仕事もしつつ、秋田県五城目町で古民家を利用した「シェアビレッジ」や、遊休不動産を活用した「ただのあそび場」を運営する丑田俊輔(うしだしゅんすけ)さん

丑田さんは「学び」をテーマにハバタクを起業し、あらゆるところで「学びを面白くする」取り組みを行なった結果、日本のローカルにたどり着き、五城目に移住したと言います。その発想の源にあるのは、個人の発想を超えた創造的な成果が関係性の中で生まれてくる「創発」という考え方。

「創発」はもともと生物学などで用いられる用語で、「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること」を意味します。これを人に当てはめると、個人の能力や発想を組み合わせてチームを組むことで想定以上の創造的な成果が生まれる可能性を示唆すると考えることができるので、組織論やマネジメントでも用いられるようになりました。

丑田さんは創発を起こしていくためどのような組織を作り、そこにどう関わってきたのか、そしてどのような未来を描いているのか、グリーンズのビジネスアドバイザーで「秋田・ソーシャルデザインの学校」で一緒にファシリテーターを務める仲でもある小野裕之が聞きました。

丑田さんって何してるの?

小野 自宅があるのは五城目で、ここ(ちよだプラットフォームスクウェア)でも仕事をしていて、いったい今どのような働き方をしてるのか、まず教えてください。

丑田さん 基本的には五城目で暮らし、東京や海外にも時々行く暮らしをしています。2010年に東京でハバタクという会社を立ち上げて、2014年に移住した時に秋田拠点を五城目につくりました。そこでは「シェアビレッジ」や「ただのあそび場」の運営をはじめとして、「遊びと学びを通じて人や地域を醸す」ような活動をやっています。

例えば、五城目小学校の総合学習のプロデュースをしたり、2020年度に小学校を建て替えるにあたって、住民参加型で未来の学校を共創する場のデザインに関わったりしています。

秋田県とは、2015年から、地域の関係性から生まれる事業を「土着なベンチャー=ドチャベン」と呼び、その発掘や育成に向けた取り組みを行い、昨年からはグリーンズとも「秋田ソーシャルデザインの学校」を運営し、地域の中から次の時代のリーダーを育てていく取り組みをしています。

あとは「Akita Age Lab」という、縮小しながら高齢化する社会の持続可能性を研究者と起業家が一緒に探究するチームを国際教養大学をはじめとしたパートナー達とつくったり、その流れから、アジアやアフリカなど世界の地域とトランスローカルに学び合う環境づくりに携わったり。

小野 東京では?

丑田さん ハバタクは東京の千代田区に本社やグループ会社があり、メンバーの多くも東京にいます。大きな方針やファイナンスなど全社的な視点での役割は担いつつ、各事業はそれぞれが自律的に活動している状態です。あとは、本社のある「ちよだプラットフォームスクウェア」の経営に関わっているのと、その別館の一つである学びのビル「錦町ブンカイサン」やその中に入っている食堂型ミュージアム「風土はfoodから」の運営もやっています。

小野 それで、丑田さんは自分の仕事は何だと認識してるんですか?

丑田さん 一番シンプルに言うと学びをアップデートする奴かな。

ハバタクは「新しい学びのクリエイティブ集団」を標榜して2010年に立ち上げ、人が学ぶ環境をもっと多様性や創造性に溢れたものにしていきたい、共創的な学びを生み出していきたいという思いでやってきました。代表的なものとして、高校を世界とつなげるグローカル教育事業(現・タクトピア株式会社)を展開したり、セクターを越えて社会課題解決に挑むプログラムの運営、大学のリベラルアーツ課程のアップデート、不動産デベロッパーさんと共に学びの溢れる住まいをデザインする事業などに取り組んできました。

学びは、人の全ての営みに関係することができる。だから、何かと学びをかけ合わせていった結果、自然と関わる領域が広がっていき、どんどんよくわからない奴になってきました(笑)。

プロジェクトは、お客さんと一緒にやるものもあれば、自社でプロトタイプして子会社化したり社団法人化したり、EXIT(株式公開や事業売却など)を目指すものも非営利型のものもあるんですが、どういう方向であれそれぞれが最も活きるやり方で、新たな学びが世の中に溶け込んでいけばいいと思っています。

小野 移住したのはなぜなんですか?

丑田さん 会社としてはベトナム法人をはじめとして世界への広がりを加速していくんだっていう流れが来ているタイミングだったんですが、同時に、僕は西洋的な個人の概念やプランニングを越えて、関係性に委ねる中での創発が自然発生的に起きていく環境に自分を投下することにも興味がありました。そこで、日本のローカルで、地域の人や里山など自然との関係性、あるいは地域の数百年数千年の時間軸の連続性との関係性もある中に入っていったら何が立ち現れてくるか、どんな学びの世界が広がっているか見てみたいと思ったんです。自分自身の暮らしや子育ての環境という理由も多分にありますが。

インターネットの発明からどんどん社会が自律分散化していく流れの中で、日本の小さなまちから生まれていく学びや暮らしのあり方は、世界に魅せていける価値を生み出せるだろうなという予感はありました。それで千代田区と姉妹都市で妻の出身地の秋田というご縁から五城目に移住しました。

住む前は明確な事業アイデアも持っておらず、最初は田植えの手伝いなどをしつつ、暮らしの中で育まれた関係性の中からシェアビレッジやただのあそび場なども生まれてきました。

「創発」を起こすチームづくりと事業への関わり方

小野 さまざまな事業をやる中で、自分の関わり方やチームとの関係はどう考えていますか?

丑田さん きっちりとした上下関係になってしまうと創発が自然発生的に起きづらくなる感覚があるし、教えることや管理することも得意ではないので、一緒に考えながらそれぞれが生き生きとするような関係性を保つことを心がけています。そのほうが事業もいい育ち方をしますし。そのためには個々が自律的に振る舞っていける環境であることが大事なのかもしれないですね。

小野 自律って例えばどういうことですか?

丑田さん 上司/部下、雇用する/される、お客さん/提供者みたいなボーダーはゆるやかに溶けていった方が面白いと思っているというのが基本です。

たとえばシェアビレッジだと、半田くん(半田理人さん、シェアビレッジ町村の管理人「家守」を務める)がポテンシャルを発揮していくことで、来てくれた村民も楽しんでくれるし、地元のじっちゃんばっちゃんとも絶妙なさじ加減でのつながりができたりしています。それは自分にはおそらくできなかったことで、僕自身は要所要所で半田くんと一緒に考えるような関わり方でいるのがちょうどいいという感覚はあります。

「錦町ブンカイサン」は去年、ハバタクとちよだプラットフォームスクウェアの共同事業で立ち上げたんですが、その中の食堂「風土はfoodから」ではシェフやスタッフの雇用形態は一人ひとり異なっていて、例えば固定給に加えて、自身の挑戦による活動の利益をシェアする仕組みも試しています。そうすると、実験的な取り組みも勝手に出てくるし、リスクを抑えながらチャレンジができる。卒業して自分の地元で起業していくとかも大歓迎にしていて、そうなるような仕組みの設計やデザインは大事だと思っています。

あとは、相談できる人を組織の壁を越えて持てるようにするとか、辛いことがあったら逃げ出せる場所があるかとか、依存先が多面的になるような環境をつくること。それによってアイデアの創発先も多面的になる、そういう環境づくりがむちゃくちゃ大事だという考え方ですね。

小野 たとえば、半田くんだったら頼れる先を紹介しておくとか、「風土はfoodから」のシェフだったら決まりごとプラスアルファの部分は自由にやってもらって、そのぶん見返りもあるからモチベーションが下がらないというような環境と仕組みを整えることで人が自立しやすくなる環境をつくる、というような意味ですか?

丑田さん まさにまさに。それでチームのメンバーがそれぞれ学び続けて越境しながら創発していくという方向性はしっかり持っておきたいと思っています。ただ、全員個人事業主みたいになってもエクストリームすぎるので、社会保険とかはちゃんと整っているけどそこからはみ出るものも持っておこうぜとか、人生のフェーズによってここは安定していきたいけどここから先は部分契約に変えてもいいよね、というようにハイブリッドな形にしています。テクノロジーも手伝ってそういうことがいかようにもできる時代なので、自律はしているけれど個に分離しすぎないチームを目指しやすくなっているとは思います。

それから、それぞれのスタンスとして、よくホールネス(『ティール組織』などでも提唱される組織法)といわれる、弱みも得意不得意もそれぞれが適度に見せている関係性があると、全部ルールを決めなくても動いていく感じはあるかもしれないですね。家族やプライベートでもそうだけど、そうすることでチームの中に溶け出してるような感じをそれぞれが適度にもつことは大事じゃないかとか。

哲学だと自由の相互承認と言われるんですが、それぞれの自由をお互い承認し合いながら進めていこうぜみたいな感覚をベースとして持ったうえで、ホールネスのような感覚を適度に持ったチームをつくれたらベストですね。そのためには、これまでの成功体験のアンラーニング(一度学習した知識や価値観を捨て、新たに学習し直すこと)も含めて、何歳になっても学び続けるという前提はあります。

考え方の前提にあるもの:自由の相互承認と多様性

小野 そういうチームや個人についての考え方の土台になったものは?

丑田さん 教育に関わっているからというのはあると思います。教育システムが発明された土台に、自由を相互承認できるか、そういう行動を人類は学べるかという視点があったと聞きます。それまでの人類は普遍闘争状態で、「隣の集落のやつが自分たちの領土の食べ物を採ったからあいつらぶっ殺す」みたいな世界。

そこで哲学者たちは、殴る前に相手との生き方の違いを一旦お互いに承認しあってから、どうするか決めていこうという提言をしました。その感度を育んでいこうというのが教育システムの発明だったんです。だから、違うことを承認してから始めようというのが教育の第一条件としてある。その考え方を持っておくことはすごく大事だと思ってます。

小野 とはいえそれって高度な精神状況だと思うんです。特に、日本人って同じバックグラウンドを持っている前提で話している感じがありますが、ここ5年10年くらいでそれが大きく変わってきて、前提とする常識みたいなものが多様化してきている。だから、違うのはわかったとしても、それを乗り越えるのは本当に難しいと思うことはよくありますね。

丑田さん 一つ言えるのは、諦めがあってもいいってことですね。自分と同質なコミュニティで「わかるわー」みたいな会話するのも気持ちいいし楽しいし、それは僕も大好き。でも、それ以外の多様な関係性、土地に紐付いた共同体とか、多様な年代がいるような組織とか、長い時間をかけて形成されてきたものの中には絶対わかりあえない人もいるし、そもそもの前提が違う人もいる。そういうコミュニティも僕は割と好きで、自分の想像力の外側に触れることができる快感と同時に、一種の諦めでもあるんですよ。今から80代の人に「アンラーニングして国際的な多様性を」とか言ってもしょうがないし、そこはそういうもんだって思うんです。他者に理解してもらおうとしすぎない、二項対立で分けすぎない感じ。

小野 丑田さんなら、その80歳のおじいちゃんのところに留学生を入れて、一気におじいちゃんが国際化するみたいなことを仕込みそうだけど(笑)

丑田さん そういうのもありますね。予想外の変化みたいなの面白いですよね。80代のおじいちゃんが今から年収上げたいわけでもないけど、外国の人と話してたら楽しくなって、もっとちゃんと話すために英語を学んじゃったよみたいな感じとか、湧き出てくる夢中になれる遊びから学びが起動していくようなプレイフルな感覚。そこでいろんな人や自然や歴史との関係を紡ぎながら溶け出ていくような感覚の中で自分も変容していくような、それを僕は野生と呼んでいるんですけど、これからの時代の中で結構大きなキーワードになると思っています。だから、どんどんプレイフルなものを見つけていったりとか遊び仲間が自然と集まったりという感覚をもっと社会の中に流し込んでいけたらっていうのは最近の興味分野ですね。

インプットとアウトプット

小野 大きなビジョンから事業のモデルとか環境づくりも含めて、アウトプットのための引き出しが多い気がするんですが、それはどうやって身につけてきたものなんですか?

丑田さん 旅に行くことと、本を読むここと、人と話すことですかね。当たり前のことですけど。

本当にいい時代になって、フライトも一昔前よりは高くないから、例えば「風土はfoodから」を立ち上げる時は、スペイン、イタリアを巡って食と地域の関係を体感しながら脳を拡張するような感覚で動きました。最近は森林に興味を持って、南ドイツやオーストリアを旅したり。本や人も自分の拡張先で、困った時に素直に聞ける人や先人がいることはとてもありがたいです。

そうやって仕入れたものを、温泉に入ったり山を散歩しつつごちゃまぜにしてぽっと出す感じですね。だから、そのための余白という意味での「遊び」を持っていることは大事にしてきました。混沌と秩序の間に自分を漂わせることでしなやかに動ける余裕を持ちたいというのはあります。

小野 相談したり学ぶのは例えばどんな人ですか?

丑田さん この人!というよりは、何からでも学べるマインドセットを持つようにしてます。例えばシェアビレッジ町村の家主や隣のご夫婦からは、山の恵みで暮らしていくことや季節の変化を楽しむ感覚、さらには東京にいた頃はあまり触れてこなかった共助の感覚や経済というものも学ばせてもらいました。五城目の鍛冶職人さんからは自然で遊びつくす楽しさとか生き方を学びましたし、一方的に学ぶというよりは一緒に楽しんでいく中で学ぶし影響を与え合う感じですね。

小野 仕入れたものをごちゃまぜにしてアウトプットとして出すその回路はどうやってつくってきたんですか?

丑田さん 最近、遊びでディープラーニングのコードを書いてるんですけど、ディープラーニングってインプットとアウトプットの間に無数の隠れ層があって、いわばよくわからない道筋を通ってアウトプットが出てくるんですよ。その状態をつくるためにはデータを大量に学習しなきゃいけないんですが、それが僕の中では旅をするとか本を読むとか人としゃべるとか自然に浸るとか、「遊び」としてやってることが多い。だから、「それをやったからといって今ある疑問の答えにつながるわけじゃないんだけど大事そうな気がする」みたいな出会いとか知識を大事にすることですかね。あとAIがまだまだ追いつけない身体性を伴う営み。それを自分の中にどれだけ持てるか。

小野 僕は最近、勘どころって大事だなって思っていて、職人さんと話すと感覚的だけど再現性がある勘所というのがあって、それをレシピにしたところで別の人では再現できない。それは、いろいろ試して繰り返し続けた結果身についた感覚で、結局ノウハウはないってことなんですよ。感覚を身につけることが大事。

丑田さん ディープラーニングは、人間が特徴量(分析しようとしている対象の特徴を示した数値)を定義して学習させていたこれまでの機械学習とちがって、勝手にトライアンドエラーを続けて学習し続けて精度がばーっと上がっていくんです。それは計画して実行する線形の学習論や事業論と、非線形的で自律的な学習論や事業論の違いみたいなもので、その点では人間のポテンシャルはもっとすごいはず。短期的な目的や合理性を手放していくような世界観に今は楽しみを感じています。

そのために大事なのは、人が遊んだり学んだりし続けられる環境をつくることで、その蓄積が予測できないつながりと変化を生んでいく。それをプレイフルエコノミーって最近言うようにしているんです。資本主義の次はどうなるかってよく言われるじゃないですか。価値経済とか共感経済と方向性としては近しいですけど、僕の中では遊びを軸に世界が動いていくような予感というか妄想みたいなのがある。

小野 プレイフルと言っても快楽的に楽しいという意味ではないですよね。

丑田さん 子どもたちを見てると、最初は即興的に遊んでいても、例えばサッカーみたいにルールや制約があることで遊びがもっと楽しくなっていったりもする。だから、入り口は快楽的なものでもいいし、何のために遊ぶという目的もなかったりするけど、よりプレイが楽しくなるためにルールを決めたり、トーナメントで勝つという目標や競争が意味を持つ局面も出てくる。そのルールをどう決めるかというのは試行錯誤の賜物で、それが遊び続けられる環境づくりだと思うんです。

小野 現代社会では、ルールが独り歩きして遊びの要素がどんどん侵食されていってしまってるような気がしますけど。

丑田さん 確かにシステムになって巨大化していくと、なぜそのルールがあるかっていうことを考えずにただそれに所属するみたいになってしまうことがあります。そうならないようにするのには、自律分散型の社会構造へのシフトと、テクノロジーの進化も多分に絡んではいくと思います。

小野 テクノロジーがルールを無力化していくみたいな。

丑田さん まさに。自動運転テクノロジーで明らかに事故が起きないってなったら子どももどこの道路でも遊べるようになるわけで、そうしたら今のルールが壊れるわけじゃないですか。そういうインパクトはどんどん出てくると思いますね。

物とかサービスの生産コストもゼロに近づいていくだろうし、代替できる仕事も増えていくので、徐々に今当たり前だと思っている働き方がテクノロジーによって変化するような流れは来るし、そうした時に人類は「俺の仕事が奪われる」って不安になるよりは、プレイフルであり続けられるか、さらに言えば暇をつぶし続けられるかを考えたほうがいい。”School”の語源はギリシャ語で暇つぶしという意味の”スコーレ”と言われていて、そういう意味で学ぶこと自体も遊びと溶け合っていくとも言えると思うんです。そうやってみんなが遊び学び続ける中で、仲間が集まり、共同主観的に新たな価値が生まれ、それぞれの経済が成り立っていく世界がプレイフルエコノミー。

小野 今はSNS が発達した分、同じ感覚を持った人たちだけでも生きていける感じがありますが、丑田さんが言うプレイフルは多様な世界に触れて学ぶことを意味してますよね。前提が違わなければルールも必要ないわけだから。表面的なつながりだけでも生きていけるなかで、自分の常識から出て多様な世界に触れるのって怖いと思うんですが。

丑田さん 絵本を見てると、子どもが遊んでたら森の中で迷っちゃって喋る動物とかが出てきてちょっと怖いけど一緒に遊んでたらめっちゃ楽しくて最後起きたら家だった、とか、異世界に行って人間界に戻ってきたみたいな越境体験を描いたものが多い。子どもっていろんなところで越境体験をしていくんですよね、虫だったりもするし妖怪みたいな存在もあるんだけど。遊びってその人を越境させるひとつの原動力になるなって思ってるんです。子どもは自然に越えて行っちゃうんだけど、大人は理性で止めちゃうから。あそこ熊が出るから行かない方がいいとか、道で遊んでたら車通るから危ないとか、海外行くのも治安悪いから行かないほうがいいとか。

もちろん大人の視点は大事なんだけど、プレイフルな気持ちが理性に勝って越境すると、自分の想像外の世界に触れてその中に溶け出していくことで自分の生き方とか創造性を拡張していくことができる。コンフォートゾーンを出て圧倒的な原体験を感じて戻ってくることの学びってすごく大きいんですよ。

僕は自分個人のクリエイティビティとか全く期待してないところがあって、自分の内面への越境は大事ですが、個の中だけに閉じきっていても限界がある。だから妖怪のいる森に行かないといけないんです。

(対談ここまで)

 
 

話を聞いていて、丑田さんの立ち位置ややっていることというのはなかなか掴みづらいし、説明しづらいという印象を受けました。「学びを面白くアップデート」するための方法論が独特なために、周りから見ると分かりづらいのだと思います。

それは、インプットからアウトプットの間に混沌としたブラックボックスがあって、その回路が外から見えないからなのでしょう。その部分はそれぞれが経験からつかんだ勘所であり、小野が言うように他の人に当てはめても再現性がないものなのだろうと思います。

しかしそれは裏返せばその人に最適化されたもので、丑田さんと同じように越境して遊び、学び続けて蓄積していけば誰でも自分にとって最適なブラックボックスを抱えることができるようになるということなのです。

今回「会社」の話はほとんど出てきませんでしたが、会社の本来的な意味は人が集まるところであり、丑田さんの話のほとんどは関係性の話なので、実は深くつながっているのだと思います。自分の中の混沌を育てることは丑田さんにとっては経営論でもあるのだと私は感じました。

みなさんも「忙しい」とか「怖い」とか言っていないで、ふらっと妖怪のいる森にでかけてみてはいかがでしょうか。

【2016年、五城目の馬場目ベースで(撮影: Shinichi Arakawa) 】

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