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楽しく学ぶための必要な要素、それは勇気と成長を実感するサイクル。「学習するコミュニティに夢を見て」

こんにちは、信岡良亮です。連載「学習するコミュニティに夢を見て」、前回は「どこに向かって学習するのか?」について考えてみたので、今回は「楽しく学ぶために必要な要素ってなんだろう?」について掘り下げていきたいと思います。

僕は学びとか成長というものを、まず大きく二種類に分けています。それは「能力強化」と「性質変化」です。

スポーツでも仕事でも料理でも、何かに打ち込んでいるときに「あ、楽しい」とか「自分は上手くなっているんじゃないだろうか」と思える瞬間というのがあると思います。

料理を例にすると、野菜を切るのが上手くなる、天ぷらを揚げるのが上手くなる、調味料の味の違いが分かるようになったなど、そういう個々の技術が習熟されてできることが増えたり、思い通りに自分の体を操れるようになるとき、人は成長実感を覚えます。この瞬間はすごく楽しい。こういう変化を能力強化と言います。シンプルにできることが増えていく感覚です。

一方で性質変化というのは、例えば料理について、今まで一品だけつくるメニューを決めていかにそれを美味しくつくれるようになるかだけを考えていた状態から、少し余裕が出てきて、「ちょっと栄養バランスとか考えて2〜3品つくってみるか」とか「副菜があったほうがいろんな味が楽しめて楽しい」ということまで考えが広がっていくことです。料理における世界観が広がる感覚だったり、全体像が掴めるようになっていく感覚でもあります。

ちなみに僕は『コクと旨味の秘密』という本を読んで料理の世界観が少し広がって、料理に一手間加えることの楽しさを学びました。本を読んで料理が上手くなるというのはなんだか不思議でした。

なので、学びということを楽しむためには、まずは小さく能力強化していって、自分ができることを増やしていく楽しみから始めるのですが、本当にその分野においてあなたがハマり始めるのはきっと、性質変化が起こってその分野についての見え方・捉え方が変わってきて奥深さを味わえるようになるときだと思います。

変わるために一番必要なもの、勇気。

いくつか学びの場を開いていると、よく「何がしたいかわからない」「自分なんて何もできない」という言葉を耳にします。この言葉を聞くたびになぜか胸がチクリとします。なぜ胸が痛むのかというと、その理由の1つはどんな学びの場も、その人の勇気なしには機能しないと感じているからで、もう一つは僕自身の中にもその言葉を言い出したい自分がいるからです。

僕は過去に2度ほど1ヶ月くらい家から出れないくらいの鬱な状態になったことがあります。1度目は会社を辞めたとき、2度目は3・11の後です。そんなときに僕を支えてくれた言葉があります。その一つは「シューマッハ・スクール」のサティシュ・クマールの言葉でした。彼が教えてくれた「変化のための3つのステップ」というものがあります。

1つ目が「知識を得ること」。新しい物事を見ようと思ったとき、新しい知識が必要だと。

2つ目が「立ち止まる勇気を持つこと」。新しい知識を持つと、世界が変わって見える。その世界と今までの世界がずれていくと、そこでどうしても勇気が必要になってくるのだそうです。

3つ目がまたすごくて、「自分を過少評価しないこと」。新しい世界に行こうとすると、そこで自分はあまりにも無力だとか何もできないようなイメージがあるのですけども、実はそのときにはもうステップ2まで進んでいる。少しずつその中で自分の中の力を育てていくのに、いきなり物事って大きく展開していかないのだと。

僕はしんどいときによくこの言葉を思い出します。自分に対して今のままではだめで、何かを変えたいと思ったとき、どうしても人は勇気が必要になるのだと思います。

今までやっていたパターンを続けると確かに今の環境においてはそれがうまく機能するので評価を得やすい(または怒られない)ということがあるかもしれません。しかし新しい自分になるためには、新しい行動パターンを生み出していく必要があり、それは大抵初めてのことになります。



自分が変化しようとすると、自分以上に周りとの関係に変化が起き始めます。変化率の低い人の周りには、自然と変化率の低い方、変化に不慣れな方が集まります。するとあなたが変わろうとすることで、その周りの人も変化が求められるので周囲との摩擦はとても大きいものになりやすいです。

そして勇気を持って変化したからといって必ずしも成功するわけではありません。会社を辞めて起業するといえば、多くの方が起業はリスクを伴うというでしょうし、事実、起業して半分の方は1年以内に会社をたたむというようなデータもあります。10年生き残るのは1割程度だとか。

それでは勇気を出して自分自身の願いを叶えるために冒険をはじめることは、無意味なことでしょうか? 無謀なことでしょうか?

僕自身もいろんな挑戦をしていくにあたって、勝算があって始めることはほぼないので、もう少しうまくやれないものかと思うことが多々あります。なぜこんな挑戦を始めたのか後悔することもよくあります。そんなときにマハトマ・ガンディの言葉を思い出すと勇気が湧いてくるんです。

彼はなぜ挑戦するのかについて、こんな風にいっています。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」と。

成功するため、うまくいくために挑戦するなら、勝率の低い挑戦はすべきではないかもしれません。しかし、もし、自分自身が大切だと思うもの(それは挑戦しようとした自分自身そのものかもしれません)を、自分が本当に大切にしたいと思ったのなら、自分のためにこそ挑戦は必要になることでしょう。


資格よりも顧客。大切なことは人が教えてくれる

よく何かを学び始めるときに、資格を取得しようとする人がいます。僕はこれをお勧めしません。もちろん後から資格が必要になることはありますが、新しいことを始めるときに一番必要なのは、資格ではないのです。顧客なのです。

あなたは誰とどんな風に接して、人を幸せにしたいですか?

こんな問いから始まるのです。例えば、人の外見を綺麗にすることでその人が喜んでくれるのが嬉しいという人が、美容師の勉強をするのはとても良いことだと思います。しかし、美容師の資格がないとその物語は始まらないかというとそうではありません。自分の身の回りの人に声をかけてみて、まずは髪を切らしてもらえばいいのです。


そこに金銭的な価値が発生するかどうかはまず置いておいて、自分のしたいことをして誰かを喜ばせれるかということをまず試してみることに価値があります。思った通りにできないことも多々あるでしょう。しかしそれは数年かけて学んでもずっとあるのです。すべてのことを完璧にこなせるようになってから始めることはできません。

そして完璧にこなしたいという欲求の根源は「怒られないため」に、「間違いを犯さないため」に存在していることがほとんどです。

サッカーなどで考えてみてください。もっとも怒られない選手、もっともミスしない選手は、ベンチにいる選手です。もっといえば、試合に出ない選手であり、サッカーをしない人がもっとも、サッカーでミスをしたことがない人です。ミスしないため、怒られないために万全を期そうとすることは、試合にでることから遠ざかってしまいます。

それよりも一つの技、一つの武器でよいからこの試合でお披露目してやる、チームの役に立ってやると思うことで、初めて試合に出たいと思えるようになります。そうなのです、人は怒られないためによりも「褒められるため」のほうが挑戦しやすいのです。

だからもし、あなたが新しいことに挑戦するとき、何か学んだことを活かそうとするときは、その学んだことをもってして「誰かに喜んでもらえる、よいフィードバックをもらえる」可能性の高い場面を一つ想像して、それが具現化されるのに一番近い行動をしてみてください。

資格をとってもそれだけでは誰も幸せにできません。誰かに接して誰かに学んだことを活用してみたときに初めて人を幸せにできるようになったかがわかるのです。

そうすると、学んだ分だけ人を幸せにできるシーンが増えていきます。それはテストの点数が上がったというものとは別の形で、あなたに「成長した実感」を与えてくれると思います。

学び上手な人はこの「成長実感」を自分で感じられるようになるための状況設計がうまいのです。その分野で全てのことを習熟するのは膨大な時間がかかるので、小さく一歩一歩、次の顧客との接点までに、一つでいいから成長実感が湧くポイントを用意して、学んだことを活かす。

その結果、自身の成長も足りなさも見えてくるので、また次の成長ポイントが見えてくる。こういう成長実感が湧いて、学び続けやすいサイクルをつくっていくことで、どんどん学び上手になっていくと、人生が楽しくなりやすいのだと思います。

人をくじけさせるのも人だけど、人を勇気付けるのも人なのだなと、つくづく。