11/20 開催:地球を救うビジネスの現在地 on TWDW

greenz people ロゴ

被災地は手つかずのフロンティア。だったら「自分が住みたいまち」を。南相馬市・小高を愛する人たちがつくる「つながり合う社会」のかたち

東日本大震災で被災地となった、福島県南相馬市小高区。2016年7月に避難指示が解除されて約2年半が経ちました。greenz.jpでは避難解除から1年後に、小高の人たちが人口ゼロになったことを強みに変え復興に取り組む様子を紹介しています。

その後、居住者も増え町の雰囲気も変わってきているようです。前回お話を伺った株式会社小高ワーカーズベースでも今、面白い動きが生まれているとのこと。そこで再び小高を訪れ、現況を確かめに行ってきました。

人が出会い価値ある仕事を生むところ「小高パイオニアビレッジ」

今日訪ねるのは、小高ワーカーズベースの新拠点「小高パイオニアビレッジ」です。この施設は、小高に魅力あるビジネスコミュニティをつくるべく誕生した、宿泊機能付きのコワーキング・オフィス。2019年1月にオープンしたばかりです。

暮らしに必要なモノやサービスをゼロベースで考え、本当に必要な仕事を生み出していく小高ワーカーズベースの活動が共感を集め、日本財団からの助成とクラウドファンディングの支援により誕生しました。

「小高パイオニアビレッジ」のコンセプトは、小高をより魅力的なまちにするために、「ゼロベースから解決策を講じ、チャレンジを始めることができる」起業家のコミュニティを醸成すること

建物には、コワーキングスペース、宿泊スペース、そして工房がそれぞれ入っています。いったいどんな空間となっているのでしょうか。さっそく、施設を見学してみましょう。

玄関で靴を脱いで室内へ。入ってすぐの扉の向こうにコワーキングスペースがありました。自然光が燦々と降り注ぐ明るい空間。「ルメウォール」と呼ばれる半透明の壁の効果で、日中は室内に陽光が差し込み、夜間には室内の灯りが外を照らします。

右手に見えるのはキッチンです。仕事の気分転換にお昼ごはんを自炊するなど、利用者は自由に使ってOK。左手のひな壇はワークスペース。

電源&床暖房が完備されているため腰掛けてPC作業ができますし、キッチン側にスクリーンを出せるのでシアター形式でプレゼンを見ることもできます。

天井に吹き抜けのある空間は、広々と視界が開け風通しもいいかんじ。2階部分にはテーブルと椅子も配置されていました。

席数は24。桟敷席と合わせて30〜40名が作業可能で、イベント時には最大60名を収容できます。現在入居しているのは、個人会員が9名、法人・団体が3団体。2拠点を行ったり来たりしながら仕事をしている人もいるのだとか。

キッチンで調理をする人、桟敷席でプレゼンを聴く人、2階席で打ち合わせをする人——。それぞれがバラバラに作業をしていても、お互いの存在を常に感じながら、ひとつの空間をみんなで共有するイメージが目に浮かびますよね。

ちょっと手を止めて他の人がやっているプロジェクトの話を聴けたり、キッチンから漂う匂いが鼻先をくすぐったりする距離感のデザインは、「小高を出会いや接点が生まれる場所にしたい」との願いから生まれたものです。

建物内に宿泊スペースを用意したのも、外から訪れる人たちが気軽にワーケーションでき、小高の人たちと新鮮な交流ができるようにしたかったからだそう。

続いて宿泊スペースも覗いてみましょう。

ひと部屋2名が宿泊可能なドミトリータイプの居室が全部で5部屋。プレオープンのためまだ準備中でしたが、居室には二段ベッドが入っていました。

宿泊スペースにある水回りの様子。奥には小さなユニットバスがあります。寒い地域なので、浴槽付きはありがたいですね。

最後に工房にお邪魔しました。

工房を構えるのは、「HARIOランプワークファクトリー小高」。

「小高に女性にとって魅力ある職場をつくろう」との思いで、HARIOランプワークファクトリー社の協力のもと、2015年8月にオープンしたガラスアクセサリーの工房です。

こちらでは耐熱ガラスを用いたアクセサリーの生産を行なっています。このたび工房兼店舗をパイオニアビレッジへ移しました。

大きな一面窓が開放的な工房です。オープンファクトリーのスタイルをとっており、外からバナーワークを目にすることができました。職人にとっても、目の前に緑を臨みながら気持ちよく働ける空間となっています。

在職人は6名、全員が主婦の方々です。そのため、割り当てた数量を期日までに仕上げることができれば、家庭の都合に合わせて出勤時間を自由に調整できる完全裁量労働制を採用しています。

バナーを巧みに操りガラスを成型していく職人さんの手元です。1000〜2000℃くらいの熱さの火を扱っているのですって。手仕事を見るのって、なんだか背筋が伸びます。

こちらが工房でつくられているピアスです。ガラスの持つ透明感と華奢な佇まいにきゅんとなります。
 
HARIOランプワークファクトリー小高は、地元の女性たちがゼロからランプワークを学び生まれた工房です。職人として誇りを持って働いている様子が印象的でした。

地域と交わりながら仕事をつくる「Next Commons Lab南相馬」

施設内を案内してくれたのは、株式会社小高ワーカーズベースの和田智行さん。小高ワーカーズベースは、「地域の100の課題から100のビジネスを創造する」をミッションに掲げ、事業の創出を通じて小高の復興を支えています。

これまでに和田さんは、コワーキングスペース「小高ワーカーズベース」や、仮設スーパー「東町エンガワ商店」をはじめ、食堂「おだかのひるごはん」、ガラスアクセサリー工房兼店舗「HARIOランプワークファクトリー小高」など、地域に必要とされる仕事を立ち上げてきました。

起業した当初はインフラの整備が喫緊の課題。被災地ではサービスが「ある」だけで感謝してもらえる。事業づくりはとてもシンプルなものでした。

しかし、それらはあくまでマイナスをゼロにする仕事です。小高に帰ってきたくなる魅力ある事業をもっと増やそうと考えたとき、起業家同士がチャレンジを支えあうコミュニティの必要性を感じました。

和田さん 被災地では創業支援や補助金が充実しているので、起業のハードルは高くないものの、ないものづくしの環境で新規事業をつくるって難しいんです。だから切磋琢磨したり、同じレベルで協力できたりする仲間が必要だなって。足りないリソースを補いあえるような心強い関係性のある環境がほしいと思いました。

その思いが呼び水となり、パイオニアビレッジという物理的な場所と、起業家コミュニティである「Next Commons Lab南相馬(以下、NCL南相馬)」をさまざまな支援者とともに立ち上げることに。小高を「起業家がチャレンジしやすい場所」に育てていこうとしています。

NCLは、地域資源を活用した起業家の育成と事業創造のプラットフォーム。地域おこし協力隊の制度を活用したもので、地域移住と組み合わせた起業の仕組みです。南相馬のほかにも、全国9カ所で同様の取り組みが行われています。

和田さん 小高は「自分たちの住みたいまちをゼロからつくろう」といったムードが強く、住民主導のまちづくりが行なわれてきました。そこへさらに、起業家マインドを持った人たちが「自分も小高でチャレンジをしたい」とやってきてくれる風土を醸成していくことで、化学反応が起きると思うんです。

そのためには、NCL南相馬で準備中のプロジェクトをしっかり事業化し実績をつくること。そして地域資源やコミュニティを活かした、継続性のあるユニークなビジネスが生まれる場所として、小高を認知してもらえるようにしたいです。

現在NCL南相馬では、ほしい未来を描いた9つのプロジェクトが立ちあがっています。なかでも和田さんおすすめなのが、南相馬で1000年続く馬事文化の可能性を追求する「ホースシェアリング」のプロジェクト。

南相馬には「相馬野馬追(そうまのまおい)」という鎌倉時代から続く伝統行事があります。約500騎の騎馬武者たちが一堂に会し、神様の旗を取り合う神旗争奪戦や、甲冑姿の若武者が速さを競う甲冑競馬などの神事を行う日本で唯一のお祭りです。

和田さん 地元の人はみんな野馬追が大好きで、年間100日は練習しています。

相馬野馬追のためだけに、200頭ぐらいの馬が市内で飼育されているんですよ。震災の年も、神事の規模を縮小しながら止めなかったくらい、この地域のアイデンティティなんですよね。

その相馬野馬追で活躍する馬を地域のリソースとして捉え、お祭り以外でもっといろんな人と共有しようというのが「ホースシェアリング」です。たとえば、甲冑を着て乗馬ができるといった馬事文化を誰でも体験できるものにし、新たな経済活動の柱をつくろうというもの。

ほかにも、震災前まで日本有数のサーフスポットだった南相馬の北泉海岸に、新たなサーフカルチャーをつくるプロジェクトや、地元で採れた農産物で「南相馬産のクラフトビール」を醸造し、乾杯から始まるコミュニティを育むプロジェクトなど、ワクワクするアイデアがいっぱいです。

和田さん プロジェクト同士は実は関連性があるんです。サーファー向けのゲストハウスにビールを置けるし、海岸に許可を取ってあるので海で乗馬もできます。小高に来れば面白い体験できると打ち出せれば一番いいですよね。

NCL南相馬のアソシエイトコーディネーターとして各プロジェクトに伴走し、起業家をサポートしているのが井上さんと鵜澤さんです。地域の住民や行政、起業家などの関係者と積極的にコミュニケーションを取り、コミュニティを醸成する大切な役割を担っています。

井上さんは転職をきっかけに京都から移住、鵜澤さんは小高と同じく被災した富岡町の出身。おふたりとも「和田さんと一緒に働きたい!」と思って小高にやってきました。

井上さん NCLに応募したときは南相馬に来るとは思ってませんでした(笑) でも和田さんに会ってみて一緒に働きたいなって。来てから気付いたんですけど、自分には働き方や内容よりどんなチームで働くかが大事だったんだなあって。僕は飛び出してよかったなと思っています。

鵜澤さん 実家が富岡町の帰宅困難地域にあります。両親はいわきに避難しそのまま移住しました。震災の跡地で地元の人と移住者が垣根なく、ゼロから町づくりができる場所ってそんなにないなと思うんです。そこがNCL南相馬の面白いところですね。

ちょうど、プロジェクトを担う起業家が小高に移住してきたばかりで、おふたりの活躍はこの春からが本番とのこと。小高の可能性にワクワクしている様子を見て、ここが被災地だということを忘れてしまいそうになりました。

ところで、「小高は『自分たちの住みたいまちをゼロからつくろう』といったムードが強く、住民主導のまちづくりが行なわれてきた」という和田さんの言葉がとても興味深いなと思いました。いったいどんな人がどんな活動をしてきたのでしょうか。

そこで、和田さんが小高に戻って活動を始めた頃からの付き合いで、震災後の早い時期からともにまちづくりをしてきた仲間を紹介してもらいました。これから会いにいってきます!

大好きなまちに戻って地域の人とともに生きる「双葉屋旅館」

はじめにお邪魔したのは、JR小高駅のすぐ目の前にある「双葉屋旅館」。町の入り口で訪れる人をやさしく迎えるちいさなお宿です。

和田さん 実は、小高に戻ってきて真っ先に町づくりの活動を始めたのが、双葉屋旅館の女将さんなんですよ。駅前の花壇に花を植え始めたり、アンテナショップを立ち上げたり。

旅館の玄関をくぐると「いらっしゃい!」と奥から元気のいい声が。女将の小林友子さんが弾ける笑顔で出迎えてくれました。

友子さん 和田くんのことは震災前は知らなかったのよ、同じ小高の住民なんだけど。

震災後、友子さんは1年ほど、ご主人とふたりで息子さんの暮らす愛知県に避難し、その後仮設住宅へ移りました。しかし見知らぬ土地を転々とする暮らしに慣れず、2012年4月に立ち入り禁止が解除されると、避難先から小高に何度も通うようになります。

人がゼロになった小高の町。けれど不思議と淋しさは感じなかったと笑う友子さん。

友子さん 大変だという気持ちも意外となくて。むしろ壊れたものを片付けているとき、花を植えたりしているとき、気持ちが楽だったかな。小高に思いをかける人たちとも巡り合えたしね。ここで何かしなきゃという思いと、自分たちの将来を考えた時に、やっぱり戻って旅館をするのはありかなって思ったのね。

2015年に住民の帰宅が許可されると、小高に戻って営業再開の準備に取りかかり、翌年7月には宿泊客の受け入れを開始。はじめは復興支援関連のボランティアの人たちの利用が多かったそうですが、今は被災地の視察で訪れる学生の団体客が増えているのだとか。

友子さん 震災前だったら絶対来ないような人が今はいっぱい泊まりに来てるんですよ。海外からも30ヵ国からお客さんが来ていて。安倍首相まで来たもんね(笑)

小高であと10年はがんばるつもりで戻ってきた、と友子さん。旅館業のほかにも、小高のお年寄りが手づくりした民芸品が購入できる「アンテナショップ希来」の運営や、南相馬で収穫した農産物でつくった菜の花や唐辛子を加工した食品の販促を支援するなど、エネルギッシュに活動しています。

友子さんの小高へ向ける愛情を眩しく感じながらも、放射線の健康リスクに関する心配とどう向き合ってきたのかも気になります。

「けっこう早い時期から、心配する感覚なくなったよね」

答えてくれたのはだんなさんの岳紀さん。聞けば2012年からボランティアで放射線量の測定を定期的に行なったり、チェルノブイリを3回ほど視察したりと、自分たちで現状を調べ学んできたのだそう。

奇跡的に小高(南相馬)は放射線量が低く、思ったほど被害を受けてないと知って、自分たちが一番ビックリしたと笑います。奥さまと同じく底抜けな明るさが印象的です。

線量は福島市よりも低くて東京と同程度。リスクがないわけじゃないけど、高い場所に近づかなければある程度は避けられると考えています。

とはいえ、農産物の加工品をつくって販売するとなれば、食の安全性に関しては消費者からのセンシティブな反応もあり、一筋縄ではいかないような。

岳紀さん もちろんハードルは高いよね。他の地域と同じものつくったら安全に感じるものを買っちゃうだろうし。それでもつくりたいんだよね、ここの人たちは(笑)

ユーモアたっぷりに返してくれましたが、その対策として安全性が確認された農作物をきちんと選んでいるとのこと。小林さんご夫婦が支援しているなたね油「油菜(ゆな)ちゃん」は、放射能の被害を受けた農地で栽培されるナタネからつくられていますが、搾った油にセシウムが溶け込まないことが実証済みです。

友子さん 未来はわからないけど、動いていけば連鎖反応で何かにつながっていくんだと思って、小高でつくったものをみんなに広めているのが今していることかな。双葉屋旅館に来た人たちにいちばん伝えたいのは、ともに生きるってメッセージ。みんなで頑張ればなんとかなるかなって。

こころのバリアフリーでひとをつなぐ「おだかぷらっとほーむ」

次に訪れたのは、住民交流スペース「おだかぷらっとほーむ」。こちらは小高を訪れる人、戻ってきた人、そして移住してきた人たちが誰でも気軽に立ち寄れて、利用者同士が自由に交流できるコミュニティ・スペースです。

代表の廣畑裕子さんは、双葉旅館の小林さん夫妻と同じく、立ち入りが可能になった直後から小高に通っていました。小林さんたちと違うのは、訪れるたびにとてつもない寂しさを感じていたところ。

廣畑さん 2012年から通い始めたけど、ほとんど誰にも会わない時間を過ごしました。和田くんたちと出会う2014年までの2年間は長かったですね。誰かに会いたかったです。震災前につながっていた人たちとはほとんど会わなかったですね、どこへ行っても。みんなどこへ行ったの? って。

ぷらっとほーむを始めた動機は「私のように誰にも会えなくて虚しかった気持ちを、他の誰かが感じなくても済むように」との思いからでした。オープンは2015年の10月。用事があってもなくても、誰でも気軽にぷらっと寄っていけ、との思いを込めて名前をつけたといいます。

廣畑さん はじめて利用する人には「1回目はお茶を入れるけど、2回目からは自分でお茶を入れて飲んで」と伝えているんです。誰もここでお構いはしませんと。外から来た人も地元の人も、勝手に交わりながらつながりをつくっていくのがいいと思っているので、マッチングも全くしません。

どこかぶっきらぼうな口調が印象的な廣畑さんですが、話の奥には深い優しさがにじむのを感じます。

廣畑さん 私たちがいなければ人とつながれない状況って依存を生むと思うんです。サポートを受けている時は嬉しいものだけど、急にいなくなったら寂しさが出ますよね。だから必要なくなったらいつでもこの場を閉じられるように、はじめから準備していたいと思っているんです。

世代を問わず誰でも行きやすい”自分の家以外の場所”であること。そのために大切にしているのが「バリアフリー」という視点。でもそれは物理的な障害を取り除くという意味ではないようです。

「おだかぷらっとほーむ」の入り口には段差があります。高齢者が通るには少々不便が生じるため、すのこを敷いて物理的な障害を解消をしましょう、という声をときどき頂くそう。しかし廣畑さんは、そのたびに「敷かない」と言い続けてきました。

廣畑さん 「転ぶから気をつけた方がいいよ」って声をかけられたら、自然と関わりが生まれるじゃないですか。だけど、段差を失くしたら会話をする必要もなくなっちゃう。知らない人が多い所で、人と関わるきっかけがなかったら気持ちがどーんと下がる。バリアフリーっていいながら、助けを求めづらい世の中では心のバリアは解かれないままです。

精神的な障壁を取り除くために、物理的な障害をあえてそのままにする。なぜって不便があれば、人は助け合うものだからーーそれは人への信頼です。

廣畑さん あと、ぷらっと来ていいよ、て言ったところで、小高の地域性で用事がないと来ることができない人が多いんですよね。だから、ちょっとした口実を用意して訪ねてきやすい状況をつくっています。

たとえば、パンクした自転車の空気入れを用意したり、宅急便の取扱店になったり。「おだかぷらっとほーむ」に来れば、こまごまとした日常の不便や用事が片付けられる、そんな場づくりをしています。

小高の人たちに限らず、「他人に迷惑をかけてはいけない」という呪縛にかかっている人は多いかもしれません。世の中が便利になったぶん、人との関わり方が分からなくなっているという指摘は、私自身とても納得するところがありました。

廣畑さん 小高の人は地域からほとんど出ないで生きてきた人が多いから、避難先でどう人と関わっていいか戸惑いばっかりだったと思うんです。なかなか人って「すみません」が出せないんですよ。

すみませんが、これはなんですか? とか、どうしたらいいですか? とか。それでも「ごめんなさい」と「ありがとう」さえ覚えていれば、なんとかなる。それが避難経験で覚えたことかな。

小高を選んだ人たちがつくるからこそ実現できるまちの未来

和田さんをはじめ、一度避難をしたのにも関わらず小高に戻って来る人たちというのは、よっぽどこのまちが好きなのですよね。

まちの人口が13000人から3000人に減った、と聞くと寂しく響くけれど、小高を住む場所に選んだ人が3000人を超えた、としたら、みなさんにはどう響くでしょうか。

人口そのものは減っているのかもしれないけれど、まちに愛着や誇りを持って暮らす人の割合は増えているのでしょう。

震災後に、小高を愛する人たちが自分たちで住みやすくつくってきたまち。だからこそ、すごく居心地のいい地域コミュニティが生まれているのだろうと感じました。どんな人も受け入れられて納まっていくというような。そしてこれからは、住みたいと思ってやってきた人たちと一緒につくるまちになっていくのでしょうか。

もしも今、自分にやりたいことがあって、取り巻く環境の中では実現が難しいと思っている人がいるとすれば、一度小高に来て和田さんたちに会ってみるといいかもしれません。ワクワクする未来の可能性が、ここには広がっているからです。

撮影:久光真佑美